乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

休暇分散化

2010-03-04 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 以前から『休暇分散化』提案があったが、今回具体化。

 賛否両論はあることだろう。

 ここで個人的な意見を書いてもあくまでも個人の立場にのっとったものなので控える。

 Yahooニュースに詳しく記載されていたので、載せさせていただいた。▼


     『地域でずらして春秋5連休を=休暇分散化で政府案-観光本部』


 3月3日19時35分配信 時事通信

 政府は3日、観光立国推進本部(本部長・前原誠司国土交通相)の分科会を開催し、ゴールデンウイークなどに集中している休暇の分散化案を提示した。春と秋の2回、全国5地域ごとに日程をずらして5連休を創設。混雑緩和による観光需要拡大や観光地での雇用安定化を目指す。祝日法改正などが必要なため、実際の導入は早くても2012年以降となる見通しだ。
 同日は、日本経団連など経済界の3団体から意見聴取し、「賛成だが十分な準備期間が必要」(経団連)、「取引先との調整が難しい面もある」(全国中小企業団体中央会)などの声が出た。経済界には反対の声も根強く、実現にはその理解が得られるかが大きなカギとなる。
 5連休をつくるには、春は憲法記念日(5月3日)とみどりの日(同4日)、こどもの日(同5日)、秋は海の日(7月第三月曜日)、敬老の日(9月第三月曜日)、体育の日(10月第二月曜日)の各3祝日分の休日を利用する。いずれも土・日曜と連続するように移動させる。
 五つの地域ブロックは、「北海道・東北・北関東」「南関東」「中部・北陸信越」「近畿」「中国・四国・九州・沖縄」を想定。春なら5、6月のうち5週のいずれかの土~水曜に、5地域の5連休をそれぞれ当てはめる案を提示した。
 ただ、この場合は全地域を通じた5連休期間が月をまたぐため、5月各週の月~水曜か水~金曜のいずれかに設定する案も示した。秋についても同様な考え方で10~11月または10月に5連休を分散させる。 


 上ではいいことずくめのように思えるが、『休暇分散化』はメリットもデメリットも考えられる。

 日本における経済効果においても、またしかり。

 観光客の有名観光地集中もまのがれない。



 感想は控える。

 しかし、事実として今は関西にいない子どもと、関西に住むわたしたちの休日が合わない。

 わたしの個人的な悲しみである。




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47; 『幸四郎の見果てぬ夢』松本幸四郎、水落潔 毎日新聞社

2010-03-03 | 読書全般(古典など以外の一般書)







 2010年度 47冊目





            『幸四郎の見果てぬ夢』





 九代目  松本幸四郎 

      水落潔     共著


 毎日新聞社

 1996、9、25 発行

 230ページ 1631円





『幸四郎の見果てぬ夢』を楽しむ。

 この本を読むのは二度目。

 来月歌舞伎座の『寺子屋』が頭にのしかかり、この本をもう一度楽しみたくなった。

 ただ、それだけ。



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46; 『江戸のーー』上方・江戸の「◯色風俗」の盛衰 新書Y 洋泉社 白倉敬彦著

2010-03-03 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫





 2010年度 46冊目





            『江戸のーー』

                  上方・江戸の「◯色風俗」の盛衰




 白倉敬彦 著

 洋泉社

 新書Y 135

 2005、05、21 発行

 253ページ 819 (円


 


 江戸文化と若衆芝居などが気になり、『江戸のーー 上方・江戸の「◯色風俗」の盛衰』を読む。 

『日本書紀』巻九「安豆那比之罪」、『万葉集』巻4 大伴家持と藤原久須麻呂の贈答歌に始まり『伊勢物語』46段などで幕を開ける。

 固い内容家と思い気や、内容に照らし合わせた浮世絵がふんだんで、驚くばかり。

 著者のこの本を書いたきっかけと北斎のお話で大笑い。

 京都の宮川町はーーのメッカだったんだ~^^;;

 

 まぁ、こんな具合で、芝居に少し関心のあるわたしはイメージを膨らまし、たいへん楽しく読むことができた。



『美少年』という酒があるが、まさしく昔は 男女を問わず美しい少年を好んでいたらしい。

 まじめに書かれた本書だが、電車の中では決して読むことはできない。

 有機ある方は一度試してみて下さいまし。



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きょうは ひな祭  【ばら寿司と五目寿司、そして ちらし寿司から食文化を考える。】

2010-03-03 | 民俗考・伝承・講演

(写真は『助六』。

 芝居の演目にちなみ「助六」という寿司ができた。粋な計らい。

 「助六」は巻き寿司(助六)と稲荷寿司(揚巻)の組み合わせ。実に洒落ている。    )


   


 昨日ばら寿司とちらし寿司の違いについてから母の思い出にふけり ごちゃごちゃ書いたが、今朝になってふと気にかかる疑問が二つ生じた。

 


    1、ばら寿司と五目寿司は似たような感じがするが、どう違うのだろうか

    2、ばら寿司と五目寿司、ばら寿司とちらし寿司の名称における地域的分布の境目はどこか




 ネット検索で楽しんでみた。

 2はわからなかったが、1は感覚的にわかった。

 ばら寿司は高級感があり、五目寿司は五品使うのが基本だという。

 五目寿司はすし太郎シリーズのような商品で五目寿司という呼び方を知ったが、実際の呼び名としてはなじみが無い。

 わたしはほぼ同じニュアンスで使われていると感じる。

 高級感を感じる呼び名は上にもリンクしているようにちらし寿司の感じがする。

 寿司そのものにおいても もとは押し寿司の関西の大阪寿司などが江戸に渡り、姿を変え、新鮮な魚介類をのせたという。(最近呼んだ江戸関係の書物に記載)

 新鮮なつくりの切り身をおく握り寿司は大阪寿司にパワーを加え、たちまち人気は上昇。

 現在では関西でも握り寿司の方が押し寿司よりも一般的には上等とされている。



 面白いのは天ぷらうどんにも同様のことがいえるという。(同じく、最近呼んだ江戸関係の書物に記載)

 関西では小エビを掻き揚げたものをうどんにのせる。

 江戸では大海老を衣であげ、豪快に蕎麦にのせたという。

 この斬新さがうけ、今や天ぷらうどん、天ぷら蕎麦といえば江戸風のそれになっている。

 いわば国内の逆輸入(実際にはヌニュ腕は無い^^;;)状態ともいえる。

 江戸っ子も小粋な計らいをするものである。

 こう考えると、食べ物は実に楽しい。



 ところで ばら寿司と五目寿司、ばら寿司とちらし寿司の名称における地域的分布の境目は どこなんだろう。

 疑問は残ったままである。(苦笑)


   

 


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『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』第3章 元・明・清との往来/第4章 チベットの暮らし

2010-03-03 | 美術・文様・展示物





『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』

                 第3章 元・明・清との往来

                 第4章 チベットの暮らし



 先日『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』 序章 吐蕃王国のチベット統一 と 『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』第2章 チベット密教の成果を記録した。

 今回は第3章と第4章を記録したい。

 第3章は元・明・清との往来、第4章はチベットの暮らしといった風にわかられている。

 今回も前回と同様、簡単に記録することにする。




第3章 元・明・清との往来 気になった展示物

 【八吉祥】

   蓮華が伸びるその上に伝統吉祥意匠『八吉祥』がある。






 

第4章 チベットの暮らし 気になった展示物

 【チャム面】(マハーカーラ)A

   頭に轆轤がある。

   守護法神マハラカーラ



 【チャム面】(ヤマあるいはヤマーンタカ)B

   こちらは、牛。


   (マハーカーラ)や(ヤマあるいはヤマーンタカ)はいずれも舞踏に使う。



 【チャム装束】(忿怒尊)C

   この衣裳も舞踏劇『チャム』に使用

   衣裳に鈴がついている。

   日本では鈴を持つと方策という意味合いがある。

   よって『三番叟』などでも鈴を持ち鳴らし、豊作祈願して踊る。

   チベットにおける鈴の意味合いはどうなのだろうか。

   会場には説明されてなかったのでわからない。


 【チャム装束】(チティパティ)D

   鳥葬場の守り神「チティパティ」

   こちらも轆轤の衣裳。

   轆轤は外敵や悪魔から守るためと、この展覧会の子どもの棺にも書かれていた。

  【チャム装束】(チティパティ)を着る人の額には三つの眼があるのも興味深い。

   眼は轆轤と同様、悪魔などをにや見つけているのだろうか。

   チベット文化もわたしにとっては非常に興味深い。



 【アチャラモ装束】E

   チベットには民間演劇『アチュラモ』というものがあるようだ。

   多少演劇や舞台に関心のあるあたしにとっては、ABCDEの前でも釘付けになっていた。

   展覧会場の英オズ10分をみたが、『チャム』や『アチュラモ』の演劇が無かったのは残念。

   他にも楽器である竪琴があった。

   竪琴はことのほか美しく、魅了された。

   一体どのように演じられるのだろうか。



 【胸飾り】【耳飾り】

   トルコ石や珊瑚が使われる。

   これらにおいても髑髏と同様、魔除け効果があると考えられる。

   こういったことは比較民俗学で既に研究されているのだろう。

   諸外国との類似点に触れる都度、もう少しこういったことを知りたいと感じた。



 【四部医典タンカ・樹木比喩図】

  『四部医典タンカ・樹木比喩図』は次に書く『四部医典タンカ・中毒関連図』とともに、個人的に好みだった。

   とにかく面白い。

  『四部医典タンカ・樹木比喩図』は樹木に例えて病因に応じた具体的治療法が図説されていた。

   色分けされていて、

      青→ルン病(呼吸や血液循環)

      黄→チューパ病(心臓や肝臓)

      白→ペーケン病(胃腸や関節)  に区分されている。

   上も忘れるのでメモに頼っている。

   それにしても樹木で解説とは気が利いているなと感心した。



 【四部医典タンカ・中毒関連図】

   こちらは神々が不老不死の薬を得ようと海を掻き、混ぜたという。

   海を掻き回したことによって、猛毒が発生したという絵だ。

   こちらはヒンズー教の神話にもとずくのだそうだ。

   チベット文化や仏教などは温度の影響を受けたものが多い。





『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』の記録感想を書くことにより、展覧会で触れることができたほんの一部のチベット文化やチベット仏教を思い出すことができた。

『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』はわたしにとっては魅力的で、もう一度行きたいくらい興味深いものだった。

 パンフレットを購入しなかったことを、今も後悔している。



 以前中国の雲南省の山奥の岩屋或は洞窟のようなところにつくられたチベット寺院をみたことがある。

 雲南省はチベットにも近く高度も高いため、残されたのであろうか?

 わたしが訪れた以外にも雲南省にはチベット寺院がいくつか残されているらしい。



 チベットはわたしには未知の国だ。

 もしこの展覧会を先にみていれば、チベット寺院ももう少し深く知ることができたかもしれないと残念に思っている。

 日本弥中国と比較しながら楽しみ遊ぶのも面白いかもしれないと感じた。

 
   

   

      最後までお読み下さいましてありがとうございました。

      感謝申し上げます。

      次回 美術・芸術・文様では 二度鑑賞しました『ハプスブルク展』 を予定しております。

      どうぞよろしくお願い致します。

      



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あしたは ひな祭【母、そして 京都のばら寿司とちらし寿司の違いを思う】

2010-03-02 | 民俗考・伝承・講演


        ばら寿司



 わたしが幼かった頃、ひな祭の日には毎年ばら寿司を作ってくれた。

 干し椎茸を戻して甘く煮る。

 にんじんや高野豆腐も同様。

 かまぼこや薄焼きたまごや上の材料を細く薄く或は細かく刻む。

 ちりめんじゃこも用意。



 適当に味見しながら甘めの寿司飯を作り、干し椎茸やにんじんや高野豆腐の刻んだものを混ぜ合わす。

 甘い酢の香りは幸せのにおい。


 
 ばら寿司用につくったすし飯の上にたっぷりの薄焼き卵をのせる。

 ふかふかの干し草の上に寝転んでいるようで、母の愛を感じる。

 黄色に敷詰められた錦糸卵の上には、甘い椎茸。

 かまぼこや紅生姜をのせる。

 ここで、黄、黒、赤。

 最後に母はとっておきの緑を出してくる。

 最近はあまり見かけない瓶詰めのグリンピース。

 ひと粒ひと粒を大切そうに箸でつまむ母。

 色合いを考え、構図を整え、まるで絵を描いているように彼女は緑の粒をおいていた。

 案外母の幸せはこんなところにあったのかもしれない。




 不思議なことに母はちらし(寿司)と呼び、根っからの京都人の父は ばら寿司と呼んでいた。

 わたしは母のつくった寿司をばら寿司と呼び、仕出し屋他でいただくものはちらし(寿司)と読んでいた。




 ところで京都ではちらし寿司のことをばら寿司と呼ぶ。

 また、ばら寿司のことをちらし(寿司)ともいう。


 

 家庭でつくるばら寿司或はちらし寿司は上に書いたようようにすし飯に具を混ぜ込む。

 上にのせるのは錦糸卵や野菜、かまぼこなど。

 一般的には海鮮類をのせることは無い。

 市場や大衆食堂で頼むとやはり家庭でつくるようなばら寿司が出る。




 ところが仕出し屋さんでちらし寿司を頼むと、海鮮類がのっているのが普通。

 いわゆる東京風ちらし寿司という。

 東山などの古い寿司屋へいくとこの混乱を避けるために 京都風ちらし寿司と東京風ちらし寿司といった表示がされている場合もある。

 京都の人ならば、ばら寿司とちらし寿司という表示だけで、京都風ちらし寿司と東京風ちらし寿司の違いだとピンとくる。

 うどん屋におかれた小皿のばら寿司はばら寿司と表示された店とちらしと表示された店がある。

 今まで気にもとめなかったことだが、他府県に住み ふとこんなことを思い出した。

 あしたは ひな祭。





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『雛』  三月、京都桂の茶屋 中村軒の雛、麦代餅を思う

2010-03-02 | お出かけ



          雛



 ほんの一時期、京都の桂に住んだことがある。

 桂川沿いには昔から続く茶屋があった。

 名は、 中村軒という。

 わたしはサイクリングがてら、子を連れて度々この店を訪れた。



 この店のお菓子では『麦代餅』が有名で、時にはこれを買うために列ができることもあった。

 麦代餅はつきたての餅の中に程よい甘さの柔らかめの粒あんが挟まっている。

 かたちは大きめのどら焼きの片方だけをおったような感じ。

 どことなく正月に食べる『花びら餅』を思わせる。

 店頭の棚に並べる直前にきな粉をふるいながら餅にかける。

 きな粉の香りがどことなく懐かしく感じる瞬間であった。



 それにしても『麦代餅』とは不思議な名だ。

 餅でつくったこの歌詞を麦の代わりの餅とは、餅が貴重なのか麦が貴重なのかと戸惑ってしまう。



 そもそもこの餅は百姓は野良の合間に腹の足しにと食べたという。

 片手で食べることのできる麦代餅は農繁期にはさぞ重宝されたことであろう。

 それを考えると、もとは麦でつくられたおにぎりのような形状であってもおかしくはない。


 
 勝手な想像をしたあとに 中村軒のホームページをみてみると、次のように説明されていた。




麦代餅は昔から、麦刈りや田植えどきの間食として供せられ、また、多忙な農家などでは日頃もこれが重宝がられました。

かつては、この一回分の間食が麦代餅二個でしたが、これを農作業の各田畑まで直接お届けし、農繁期も終わった半夏生の頃、その代金としてあらためて麦を頂戴しにあがったのです。(麦代餅二個につき約五合の割)いわゆる物々交換の名残でございます。

このように、麦と交換いたしましたので、「麦代餅」の名が生まれました。当店は昔も今も最高の原料を使用し、同じ製法を守り、販売いたしております。 どうぞご賞味下さい。




 わたしの予想は明らかに外れていたことになる。

 麦代餅二個につき約五合の割で物々交換したというこのお菓子を思うと愛おしい。

 本来の京菓子に比べて麦代餅の餡の甘さがかなり控えめでしっとりしている理由もわかり気がする。



 中村軒には麦代餅の他にもいろいろな種類のお菓子があった。

 不思議なお菓子のひとつとして、『紫蘇の葉を撒いたおまんじゅう』というのがあった。

 名前は思い出せない。

 このお菓子の塩加減のインパクトは強く、農家と密着した茶屋のお菓子だと感じたことを覚えている。



 中村軒には麦代餅と肩を並べてうまいのは『ぜんざい』。

 焼きたての餅の香りがよく、ぜんざいをいただきながらこの店が昔茶屋であったことを想像し、満喫していた。



 ぜんざいをいただくために少々暗い目の店を入る。

 間口の決して広いとはいえない店を入ると、光の差し込まない何とも情緒豊かな素敵な部屋。

 底にはところ狭しとおかれた古い威厳のある雛人形の数々。

 雛は一月から四月頃に限らず、この店では一年中おかれていた。

 古めかしい時代を思わせる雛はこの店の守り神のように感じたものである。



 三月。

 ひな祭を思い浮かべ、ふとそんなことを思い出した。



 

 
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45; 『團十郎の歌舞伎案内』十二代目 市川團十郎 PHP新書

2010-03-01 | 読書全般(古典など以外の一般書)






 2010年度 45冊目





            『團十郎の歌舞伎案内』

                  十二代目 市川團十郎




 十二代目 市川團十郎 著

 PHP新書

 河出書房新社

 2008年04月15日 発行

 237ページ 770円





 以前から気になっていた『團十郎の歌舞伎案内』を楽しむ。


 
 歌舞伎の誕生など歌舞伎に関したことにとどまること無く、伝統芸能の誕生や伝統芸能全般。

 強いては当時の動きや風習なども民俗学的立場から解き明かす歌舞伎役者市川團十郎は、読み進むにつれ すごい人だなと感じた。

 以前から理論家で有名なことは知ってはいたが、民俗学社折口 信夫氏の名が出てきた時には、團十郎さんとは一体どんな役者なんだろうと 驚くことしきりなし。

 歴史的習俗的背景からとらえて書かれた部分は論理歴で知性的。

 今まで持っていたイメージに知性がプラスされ、素敵な役者だったことに気づく。

 幸四郎さんに感じる知性的な部分を市川團十郎さんにも見いだし、好きになりそうだった。



 歴史的習俗的背景部分は幾分原稿的な感じがして、不思議だった。

 最後まで読むと、理由ははっきりとした。

 市川團十郎さんの高校までの母校でもある青山学園大学で集中講義を持たれたとのこと。

 何コマの授業家はわからないが、やはり原稿をもとに書き改めたれたものであった。

 納得。(プラス笑み)



 歴史的習俗的背景の後は歌舞伎を通じて体験されたことや感じられたこと。

 歌舞伎十八番の演目毎の詳細。

 今までにテレビなどで来た話もあるが、初めての部分も多い。

 こちら後半部分はわたしが以前から抱いている十二代目 市川團十郎さんのイメージそのもの。

 歌舞伎役者さんらしい勢いと香りが伝わってくる、ほのぼのとした部分だ。

 普通の歌舞伎役者本はここの部分だけを膨らませて書いたものが多い。

 そういったことから考えると『團十郎の歌舞伎案内』は内容的に二冊分の価値があり、お得感がある。

 民俗学に少し関心のあるわたしにとってこの本は満足がいくものであった。



 この本で興味深い部分は二点。

 P,110の『楽』という意味合い。

 神楽や猿楽や散楽などは学者に寄っていろいろ言われているが、團十郎三のこの本では「遊び」という意味だと強調。


『遊び』

 この考え方が日本の演劇のいちばん源であると思うと記される。

 この「楽=遊び」という発想から、日本の演劇や芸能が発達したとまずは理解してもらいたいと説く。


 日本の演劇や芸能の発祥は諸々の学説があるように思う。

 基本は同じことを違う角度からとくと、このようにいってもいいだろう。

 だが、できればどういった先生たちがいっておられるかまでを記してほしかった。

 これを探すのはわたしには難しい。



 もう一点は 歌舞伎では基本的なことがらであろう『柱巻という見得』

 はずかしながら『鳴神』などで見られるあの!見得は、『柱巻という見得』だというのだと、本日知った。

 この本を読んで良かった。



 この本を読み終え、浮世絵の数々を思い出した。

 團十郎や海老蔵(や幸四郎)の浮世絵は数多く残っている。

 こういった内容の集中講義を受けた学生も仕合せだと感じた。


 おそらくこの内容の授業を聞いた学生の中には 初めて歌舞伎を観た学生もいるだろう。

 そして歌舞伎十八番の中のわかりやすい面白い演目に触れた学生は、歌舞伎を好きになった人もいるのではないかと思う。

 伝統芸能に携わる演じてたちはこういった地道な活動も良いのではないかと感じた。




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『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』第2章 チベット密教の成果

2010-03-01 | 美術・文様・展示物



『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』

                 第2章 チベット密教の成果


 先日『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』 序章 吐蕃王国のチベット統一を記録した。

 今日は第2章 チベット密教の成果を記録したい。

 ただ 『聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝展~』の後に行った『ハプスブルグ展』二回分と『古代カルタゴとローマ展』
の記録も、訳あってここ数日で記録したいと考えており、今回からパパット記録することにする。



 

第2章 チベット密教の成果 気になった展示物

 【金剛界五仏坐像】

   大宇宙→大日如来

   五つの 『智』 知恵、力、富、慈悲、利益

   知恵→「成所作智」
 
        右掌に人々も恐れを鎮める「布施畏印」


 【十一面千手眼観音菩薩立像】

   これは美しかった。

   どの角度から眺めても見入ってしまう。

   座りこんで見ると観音菩薩が手を広げて舞い降りてくるようだ。

   中国でみた舞台『千手観音』を多少思い出した。


   1000の手と眼

   11の顔

   これらは全ての者を漏らさず救おうとする故の数(多さ)だと記されていた。


 【ヴァジェラキーラ立像タンカ】

   この姿と形相も今も覚えている。

   キーラは煩悩や密教を断ち切る密教。

   ここでも明妃が出てくる。

   明妃を抱く忿怒の姿のヴァジェラキーラは8Cからチベットで信仰されている。


 【ターラ坐像 複数】

   カラダの表現はいろいろ

   特徴としては

       白、緑 黄、赤、青     の五種

   五種をもってあらゆる者を救うとされる。

   白、緑 黄、赤、青をもって、死体遺棄場→ 「し林」(漢字が出てきません)   

  「し林」

      死体遺棄場は瞑想にふさわしい場と考えられている。



 【白傘蓋仏母立像】

   これも美しい。

   魔性を支えたる傘という意味が記されていた。

   西の方には高貴な方に傘をさしかけた立体や浮き彫りが多く見られる。

   傘というのもチベット或は諸国でこういった意味もあったと知る。


 【ガウ】

   これは携帯用仏がん。

   首から下げて身につけるという。

   これさえあればいつでも拝めるし、魔除け行かも望めるかも。

   中にはダキーニ一像が収められている。






   
 上はわたしのメモ書きと記憶のみに頼っており、他を参照しておりません。

 よって間違いや名詞の仮名まじりが含まれることかと思われますが、お許しください。

 また、漢字の手書き登録をすればよかったのですが、今月前半は気がせいています丈ひらがなのまま記録しました。


 最後までお読み下さいましてありがとうございます。

 心より感謝申し上げます。

 先月チベット展の記録をほとんどしたところで、パソコンで消してしまうといった初歩的ミスをし、涙をのみました。

 そういった理由で今回小書きで記録させていただいております。



 次回美術関係ではチベット展の第2、第4章を予定しております。

 みな様、ありがとうございました。
   

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