『祇園祭 菊水鉾の名宝』
京都文化博物館
菊水鉾とは菊慈童の伝説に彩られた復活の昭和の鉾 京都文化博物館公式HPより▼
祇園祭は、その長い歴史の中でたびたび争乱や出火に巻き込まれ、巡行が中止されたり山鉾を損耗する事態に直面した。
各山鉾はそれぞれに苦難の道を歩んできが、祭りを支える町衆の力は困難をその都度乗り越える。
現在まで連綿と受け継がれてきた祇園祭の礎を築いてきた。
菊水鉾は、幕末維新の混乱期に兵火にのまれ、その大半を焼失する。
町衆の努力により八十八年の歳月を経て昭和27年に見事に復活を遂げた。
近代化の波を経てよみがえった菊水鉾は「昭和の鉾」として毎年祇園祭の山鉾巡行に華を添えている。
本展では昭和の名工達の手によって美しく仕上げられた、菊水鉾を彩る懸装品の数々が公開されている。
菊水鉾の意匠の元となった菊水の井と菊慈童の伝説についても紹介されている。
菊水の井と菊慈童 京都文化博物館パンフレットより▼
菊水鉾は町内にあった「菊水の井」に因み名付けられた。
これは京の名水として茶人にも愛されたという。
名の由来は「菊慈童」という個大中国の伝承から。
王の枕をまたいでしまい追放され深山に流される。
哀れに思った王が二句の書付を少年へ
少年は近くにあった菊の葉に貼る
その菊に霊力が宿る
菊の花や葉に宿った露を飲むと,不老長寿となった…
『菊慈童』は能楽の演目にもある。
▲ この作品
前懸 昇龍図昭和49年(1947)皆川月華作
菊水鉾の前面を飾る前懸。
中央に波濤から天を目指す龍が描かれ、その左右には波などが暖色系の色彩で仕立てられている。
独創的な図案をもつ前懸。作者は昭和の染色工芸作家の旗手皆川月華(1892-1987)。
菊水鉾の懸装品には皆川月華の作品が多く用いられているが、前懸については、本品より以前に昭和29年(1954)作の「瑞祥図」がある。
八月 文化博物館へ行った日のこと
長刀鉾はこんなビルにしまわれていて,中は見ることができない状態だった。だが,ここに収められているのかと考えるだけで。心は弾む。
文化博物館で菊水鉾の名宝を拝見でき、京で生まれ育ったわたしにとっては嬉しさでいっぱいだった。
今年は祇園祭の宵山と巡行を楽しんだ。
写真が未整理だが、いずれ記録できればいいなと考えています。
その時は見ていただければ嬉しいです。