「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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カジマセヨ

2008-05-22 | ■ももちゃんと一緒(おまけ)

가지마세요~(カジマセヨ、行かないで)

トラ吉(確かなそんな名前で売られていた記憶が…)に追いすがるもも。

(ホントはバクしてる感じにしたかったけどトラ吉ときたら木偶の坊どうにも動かん)

これは、ももちゃんの贈り主で友人のリクエストでもあります。
トラッキーだったらよかったんだけど。


寄り添うももちゃん

2008-04-07 | ■ももちゃんと一緒(おまけ)
最近の母、悲観的。
理由は不明だけどなにかというと
「もういやだ」とか「困った」を連発。

そんな時はももちゃん!

母の肩の上におく。(アイピローでクタッとしているから肩に乗りがヨイ)
今日もこの状態でももちゃんに語りかけが続いた。
いつものように幼児相手の口調。ときおり、ももの頭をなでる。

今日の母はももに
「ゆっちゃん」と呼びかけた。

ゆっちゃん…私が4歳まで住んでいた所に4つ年上の「ゆっちゃん」というオネーサンがいた。いつも遊んで貰っていた。

多分、その記憶だと思う。

大好きなオネーサンだから「ゆっちゃん」が母の記憶にあることも許せる。
「私」は消えていても、なんとなく許せる。

母が私を分からなくなった最初のころ、私は思い出して欲しくて必死で幼い頃の話をした。
昔の家、町、友達のこと、飼っていたインコのこと。

母は全部記憶していた。
私の幼なじみの名前も記憶していた。

なのに「私」だけいなかった。
ホントに、まったくキレイにわたしだけ抜けていた。
こんな不思議もあるんだな~と今は冷静に語るけど、その時は悲しくて悲しくて……自分の存在価値まで疑ってしまうほどだった。

ももちゃんと語り合い

2008-03-31 | ■ももちゃんと一緒(おまけ)
この状態で、かなり長い間ももちゃんと語り合っていた母デス。

このようにももちゃんをセッティングしたのも母自身。

そして………

母の語りかけは
「ももちゃん」ではなく「ビゴちゃん」に…。

私はついに「ポスペももちゃんアイピロー」になってしまった。

その語りかけは、幼子相手のもの。

母にはモモの返事が聞こえるのか?でなくばそんなに長く続くはずがない…と私はおもうのだけど………果たして?

一時は
じっーーーとモモの返事を持つ母が
「明日までかかるわ…」とポツリ。