「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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うふっ…あはっ…おほっ(#^.^#)

2005-09-30 | ■ファイターズ
黙っていても顔が笑います。
昨夜を思い出すととっても幸せです。

阪神は정말(チョンマル…ホントに)強くなりました。日本一?当然です。アジア一も当然です…ホホホ!(^O^)

今年の中日とのマッチレースは面白かった。(勝ったから言えることか?)全球団が横並びっていうのはちょっと難しいだろうけど、6年一回くらいどこかが優勝してるリーグは面白いだろうな~
「常勝○○」(どこの球団とはいいませんが)なんて発想はいらないの。盟主?そんな言葉もいらないの。

■~■~■~■~■~■~■~■~■~

さて、昨夜の母ですが…。
食事が終わり一段落つくとやはり「帰りましょう」とお誘いがありました。
私も、一応の覚悟はして、録画の用意もOK。でも、試しに
「今夜さー、コレに勝ったら阪神優勝だから、応援するからまだ帰れない」と言ってみた
「あら、優勝するの」と驚く母。そして、自分も応援モード。

亡き父がトラキチだったので、「阪神応援」という意識がすり込まれてるらしい。
野球にくわしくはないけど、「阪神には勝ってほしい」意識はあるんでしょう。
とはいっても、胴上げを見て30分もするとすっかり忘れ、後のニュースで「阪神優勝」のテロップを見て「これ冗談でしょ」と一言。
どうやら「ダメトラ」の意識もすり込まれているらしい…(!_+)

ひまひまに編んだ

2005-09-29 | ■ELECTONE
エレクトーンの椅子の脚用カバー。
10年以上前から残ってる毛糸、やっとなくなったわ。

今日は阪神が優勝するので、祝いに「六甲おろし」をエレクトーンで弾いてみようと思いついた←今から……?楽譜もないんだけど…夜までに出来るんかい??

ゲゲゲ…

2005-09-28 | ■ファイターズ

あ~イヤだ、イヤだ。
○村氏が楽天の監督になるなんて。今、ラジオで、彼の談話が伝えられた。

「阪神での失敗をいかしたい」だと。
「中心選手がいないとダメなことは阪神でいやというほど味わった」だと。
この人、阪神大嫌いだろうなー。

 2003年、星野さんで優勝とした時、星野サンは「○村さんの育てた選手が…」ってちゃんと立ててたのに、彼、優勝後の新聞やTVのインタビューで、阪神選手のことコケ降ろしてたもんね。
優勝した時くらいお祝い言えよ!

オレは悪くないってことよね。
阪神の選手は最低だったらしい。みんな子供でバカだったらしい。
ホントにそんな選手なら翌年いきなり優勝するかい?

彼は、自分の価値を自分でおとしめていると、私は思ったけど、こう思うのは阪神ファンゆえ?


ヒデキ・カンレキ、カウトダウン

2005-09-28 | ▼ユルユル日常
私と同じ、ヒデキファンのほのかさんのブログに遊びにいったら、ヒデキの還暦まで時を刻んでいるモジュールがあるではないですか!

世に中には面白いものを考える人がいるもんですねー
ヒデキの還暦まで10年あるのに、もうcountdownを考えるなんて。

早速、制作者のブログに飛んでDLしました。ファンとしては、楽しいし、嬉しいし、面白いし、カンゲキ~なんだけど、残念ながら、gooブログには貼り付けられない!!!そういえばgooはブログペットも飼えないもんね。

gooさんお願い、貼り付けられるようにしてーーー。私にも10年カウントダウンさせてーーーー。


突然のお風呂と夜の徘徊

2005-09-28 | ●介護録(~2015.2月)
夕食も済んだ八時過ぎ、母から「お風呂へ行こう」と誘われた。
えっーーーこんなことがあるわけぇぇぇ、と世の中がひっくり返るほど驚いた。
普通なら、こんなヨイことはない!と思うべきなんだけど、実はこの日、母がデイに行っている間にお風呂に入った私は…よりによってなにも今日でなくても……+なんでこんな時間からお風呂へ…という思いがフツフツ…。

それでも、せっかくのチャンスなので、立ち上がった。用意をはじめた。
すると…母は、「なんだか面倒だね」といい、そのままソファで横になってしまった。
……なんだよ、せっかく支度したのに……
じゃ、今夜はナシ、と、別の用事をしていると、しばらくして起きた母が「お風呂行かないの」……あーあ、いやになっちゃうなー。

行ってきました。

その帰りもなんだかかなり認識力欠如だったけど、家に戻ってから落ち着く事はなく、10時頃から徘徊モード。
一回目は私の母親を捜すといって出て行き、二回目はこの家に居るわけにはいかないという理由。徘徊終了は11時30分。二回目はかなり歩いたけど、途中でユーターン。足取りは軽く真っ直ぐに家に向かって行く母は迷いがない。私が後追いする必要はなかったろうな…。

あれから1時間、母の神経は冴えてしまったようで、眠る気配がない。
私も寝るわけにはいかない

デイサービスのいろいろ

2005-09-27 | ●介護録(~2015.2月)

いろいろ…といっても、病院のデイケアと介護支援センターのデイサービス二カ所しか経験ないわけですが、その二カ所は対照的なので、ちょっと比較してみたいと思います。

あっ、その前に「デイケア」を利用する場合は、医療機関でリハビリをする場所で預かってくれるデイサービスとは違うということを頭に置いたほうがヨイです。プログラムに支障をきたすと嫌われる場合があります…母の場合ですけどネ。そんなデイケアばかりじゃないでしょうけど、デイサービスとは違うという意識は必要かも…。

デイサービスその1…組織も大きくスタッフも多く、訪問介護にも対応し、ケアマネもいる。
デイサービスその2…認知症対応で小規模。デイサービスだけを運営している。

最初にお世話になったのはその1のアイリス。組織がしっかりしているという安心感あり。そのせいか人気がある(そのため、母のデイの回数を増やそうとしたら空きがなかった)認知症専門ではない。

長所…訪問介護のヘルパーもケアマネもアイリスだったので連携が出来、改めて説明する必要がない。
スタッフが充実しているので「何か」の時に対応して貰える。
バスでの送迎時間はほぼ一定。拒否で時間がかかると、二号車、三号車で対応。
連絡ノート有り。

短所…大人数なので個別対応に限界あり。母の場合、スタッフが同じポロシャツ姿なので、拒否が出る時「この服の人が来ると連れて行かれる」となることがあった。
利用者が多いので希望の曜日を選べない。

その2は、古くから老人ホームK苑をやっている法人の運営。K苑はショートステイも対応。他に二つのデイサービスを運営。母が行っているのは「うららか」という新しい所。認知症対応を目的に一軒家を利用している。

長所…一人or二人をピストン送迎しているので拒否で時間がかかっても問題がない。融通がきく。
現在は認知症以外の方も利用しているが、主として認知症中心。
少人数なので個別対応可能。
スタッフが私服で一軒家という環境が母の場合はプラスか?
ショートステイも同じ運営母体なで、デイの後、帰宅せずにショートへという対応も可。

短所…スタッフが少人数で手間取っても応援スタッフがすぐに対応出来ないい。
ピストン送迎は時間がルーズになる時がある。
連絡ノートがない。その日がどうだったか分からないという点は不便。 (でも毎回持たせなくていいので気楽でもある)

どちらが良い悪いではなく、その人にとってどちらが合っているか、ということなんでしょうね。試してみなければ分からない部分も大きいです。ただ、こうした、生の声を、これからサービスを受けようという人たちが情報として受け取れるシステムがあればいいなーと思います。
少しでも内情が分かれば、「AよりBの方が合いそう」と考えることが出来るんじゃないだろうか。


二つの話が上手に一つに

2005-09-26 | ●介護録(~2015.2月)
昼のTV番組で、最初に「自民党造反議員」がどうしたこうした、という話をやっていた。選挙運動中の模様も流れた。
次に、五ヶ月前のあの107名の犠牲者を出した列車脱線事故で、娘さんをなくされたお父様が、その思いを語っていた。

一つ一つの話は、それなりの理解をして(自民党造反議員云々はあやしいけど)、娘さんを亡くしたお父様の話には涙していた母である。

しかし、母の中では、この二つの話が見事に合体していた。

悲しむお父様と選挙運動が一つになり、「子供が選挙で頑張ってくれると思っていたのにダメになったんだね」と母。

それはそれなりに、筋道が通った話として出来上がっていた。

認知症は不思議。
脳が萎縮していくのに、理屈の通ったモノを作り上げてしまうのは、なくした機能を代替する能力ゆえなのでしょうか?

認知症の母と避難出来るか!?

2005-09-26 | ●介護録(~2015.2月)

被災高齢者のケア(下)受け皿足りない「認知症」 : 変えたい介護 : 介護・老後 : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

大きな地震、台風のニュースを見るといつも、今、もしどこかに避難することになったらどうなるだろうと思っていた。幸い、母は体が丈夫であり、今のところは自力で逃げる事も出来るし、地震だから避難するとその場では理解してくれるだろう。

でも、避難所で生活することになったらどうだろう。「地震で避難した」と認知してくれるのか。多分、「いつ帰るの」とか「なんでここにいるの」なんてことを言い出すに違いない。
ニュースにあるように、他人の荷物を触るなんてこともありそうだ。
私は母から目が離せない。思わず、トイレにも自由に行けないなーとか、「○○を貰ってくるから、ちょっと待ってて」なんてことも無理よねーと想像してしまう。
長く住んでいたM町なら知り合いもたくさんいるけれど、今の場所はそうはいかない。

母は進行するかもしれないし、私は心身共に疲れ果ててしまいそうだ。

私一人で、いったいどうなるんだろー……。
大きな地震が続くと毎回そんな不安に襲われる。そして、避難所風景を見ながら、この中にきっと認知症の方もいるだろう…と思いをはせる。
母が生きている間、大きな災害がきませんように


倍賞美津子『ユキエ』

2005-09-25 | ●介護録(~2015.2月)
ユキエ

ポニーキャニオン

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senaさんから教えてもらった映画です。

~ユキエは戦後米軍パイロットのリチャードと結婚。勘当され日本を出た。二人の息子にも恵まれ幸せな暮らし…。晩年、リチャードは共同経営者の裏切りにあい、なにもかも失ってしまう。そしてユキエはアルツハイマーに。リチャードは自分の無実が証明されれば、また、日本に帰れば治るのではないか…とかんがえる~

いくつか、こんなんじゃないわーと思う場面はありました。
例えば、ユキエが友人に「私、徘徊するようになったのよ」と楽しげに話したり、
リチャードが仕事で出る間、迷子になったときのためにと名札を首からさげてやり、中からは開けられない鍵をする。でもユキエはその名札を一度も自分ではずさなかった…だったら鍵はいらないんじゃないのーと思ったり。また、自分はなんでもないんだ、ここは老人ホームじゃないんだから鍵をかけるなと訴えるシーンは、健常者が不当な扱いをされて感情的に、悲しく、せつなく、怒りを込めて訴える雰囲気で、認知症者は、病識がないのだから、ちょっと違うなーと…、そんなことは感じた。

でも、この作品はこれでいいのかなーと…。
それに、非常に穏やかな認知症というのもあるらしいので、多少の問題行動があってもユキエのように過ごせる人もいるのかもしれない。

結局、この映画は「夫婦愛」の物語。介護の現実、問題行動の大変さはあまり前面に出てきません。
問題行動をサラリと流したことで、私はかえって一つの物語として見ることが出来ました。

ユキエは息子に言います。
この病気はあなたたちとの「Slow Good-bye」だと思うと。
ホントにこんなこと言われたら、悲しい。でも、介護する甲斐があると思えるだろうか。

この状態、いつ切り替わる?

2005-09-25 | ●介護録(~2015.2月)
午前11時を過ぎたころから不穏です。
昼になり、母から「食べに行こう」と誘われた。言われたとおりにした法が無難だから出かける用意をしたけれど、その後の母は……。
「みんなが帰って来ないから行けない」ということで、ずっーーーと「待ち」の状態。
帰ってくる人々というのは、「娘」であり「チビたち」であり「二階の人々」である。
やがて、チビさがしに外へ出て行き、捜しているはずの「チビ」はいつしか「運動靴」になり、ゴミステーションで靴探しがはじまった。
その運動靴はいつしか、どなたかが借りていってしまい、その人が返したくて我が家を捜しているばすだからと、玄関の外で待つのだという話へ…。

なんとか家の中に連れてきたけれど、ずっとなにやら心配事を口にしている。

それから30分…。

「ご飯食べに行かないの?」と誘ってみた。
「あら、忘れていたわ」と明るい母。今度は大丈夫…とおもったのだけど、いざいど行こうとすると、「娘がいない、どこ行ったかしら」ということで、再び「待ち」状態。

さて、私はいったいいつお昼にありつけるでしょうか?

追伸…さらに時間は過ぎ、二時半。まだスイッチ切り替わらず