ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
母が入院中の四人部屋にお一人胃瘻の方がいる。
今月半ば頃からで、夕食時に看護師さんがその用意をしにやって来て、この間まで点滴だったその方が胃ろうになったのが分かった。
以前ネットで、栄養をセッティングされるその光景がなんともいえない…というような書き込みを読んだけど、私は特にそんなネガティブな感じはしなかった。
胃ろうになった場合、受け入れる施設は限られてしまう。
デイやショートにしても同じ。
母が利用していた小規模多機能は胃ろうok
今後は看取りにも対応していくということだった。
小規模のケアマネや管理者は、母がまた小規模利用できるようにとエールをくれている。
実際、いろうの方の利用もあるらしい。
管理者は、胃ろうで在宅の場合、当然、介護者の負担は大きいし、緊急時のことを考えたら不安だろうけど、緊急時の対応に関しては、
在宅も施設も大きな差はないと言っていた。
在宅でも、緊急の対応について環境を整えておけば良いのだと。
どこにいても、何かが起きる時は起きるわけで、ただ病院だとその処置が迅速に行われるということ。
まあ、だから、胃瘻だろうと何だろうと、在宅出来ないことはないということで…
でも、一方、ある時点でプロに任せるべきという声も聞くので
在宅介護にこだわるのは、私のエゴなんだろうか?と思ったりもした。
「プロの介護のほうが快適かもしれないし…いやでも、手が回らないことも多々ある」
とかなんとかあれこれ考えた。
管理者は、エゴなんてことは絶対にないと言ってくれたけど、
世間では、在宅は結果みんなが不幸になる…とっいったり、すごく軽く何で施設にいれないのか?と言ったりもするので、
気持ちがザワザワしてしまう。
自分が経験した上での意見ならともかく、介護者の立場になっていないのに安易に、なぜ施設?なぜ在宅?なぜそのサービス?などと言うのはやめた方が…と思う。
…話がずれてしまった
結局、点滴のまま年越しとなった母。
今後どのタイミングで嚥下訓練になるのやら。
というか嚥下訓練あるんだろうか?
出来るんだろうか?
食べることは忘れたりしないのか?
胃ろうになったら負担が…と言われるものの、今のところ、何がどう大変かはよくわからない。
むしろ、トロミ食作るより気が楽な感じがしないでもない……
A Merry Christmas to you!
♪サイレントイブ
辛島美登里さんの「サイレントイブ」のエレクトーンアレンジ。
アレンジ、レジスト:ヤマハサイトよりDL
演奏:管理人
ミスタッチあり、さびに入るときリズムとずれてる気がするけど
これ以上弾きこむ根性はないので、自己満足したところでup。
胃ろうは無駄な延命か否か?
と言う思考回路で向き合っている時には、
高齢者に胃ろうをするのは日本だけ…という話などが頭の中で回るばかり。
前回も書いたように「善か悪か」という感覚で。
結局、胃ろう選択だよね…ってところに着地した時の思考はシンプルで
機械につながれているわけでもないのだから外からの栄養を拒否すると、極端な話、餓死するのを見守るようなもの?
…いうところから始まった。
当然、餓死させることなどありえなく、胃ろう拒否なら鼻から…という話になり
だったら本人的には胃ろうのほうが楽なわけで。
それとも、外から栄養をすべて拒否して、リスク承知で口から栄養を取る?
結果、またすぐに誤嚥性肺炎になったり窒息したり……そんな不安と向かい合っていられるのか?と考えると、それは無理。
仮に母が、目も開けない、口もあけない、手足も動かさないというならば考え方は違っていたと思うけど…
胃ろうになったら全てがどうにかなるわけでもないし、必要ない状態になったと思えた時にやめれば、今、胃ろう選択することがイコール無駄な延命ではないんじゃないのか?
…と、自分を納得させてみるこの頃…。
もう一回つづく。
認知症が進み、終末ケアというものを考え出した頃
私は
何か病気にならない限りは、脳の萎縮が進んで寝たきり、反応もなくなって、寝てばかりだったり、目も口もあけないtような、そんな状況をイメージしていた
枯れるように死ぬのが一番楽なのだと本で読んだ。
だったら、終末に向かい枯れていこうとする人に、延命はいらない
そう考えていた。
が…
母は、身体的にまだ枯れる手前(に見える)
リハビリで立っている。
手も足も動く。
言葉はちゃんと出ないけど何か声はだす
口も開ける。エア食べしてる。
この状況で食べることに障害が出るなんて想像していなかった。
誤嚥性肺炎になった後でさえ、嚥下能力がそこまで落ちているとは思っていなかった。
認識不足
嚥下能力というものについて何も知らなかったし、在宅していながら、母の嚥下能力が落ちている認識もあまりなかった。
大きいものは小さく切る、硬いものは避ける…程度の意識だけ。
トロミ食での在宅になって、現実が見えたような感じ
そして一ヶ月で嚥下障害、胃ろう選択話が出て
正直、思考がついていかなかった。
想像していなかった状態での胃ろう選択の話
最初は胃瘻は不要な延命?という意識が自分の思考を支配していた
極端にいうと、善か悪か?…というような感覚だったように思う。
つづく
雪はない。でも、家の前はアイスバーン。
寒い…………。
胃ろう。
ネットで検索。
反対を唱える人のほとんどは、人としての尊厳……………そんな観点から。
多くの人は、メリットとデメリットを並べつつ、正解はない、後悔しないようによく考えて…とエールを送る。
胃ろう選択した介護家族の二つのコメント。
在宅しているある人は、胃瘻により栄養状態が良くなって褥瘡予防になったという。そして、被介護者の表情も好転。自分はせっせと被介護者のために栄養注入!
病院にいる被介護者を見ているある家族介護者は、病室全員が胃ろう、時間になると看護師がご飯ですよと言ってセッティング。何とも言えない光景だという。
小規模の管理者さんにこの話をした。胃瘻受け入れ可能な老人ホームに入っても、病院とあまり変わらないと思うかもしれないと管理者は言っていた。
母が、意識もなく、目も開けない、口もあけない、動かないというならば、延命はいらないと考えるかもしれない。でも今の母はそうじゃない。
昨日もエア食べしてた母。
嚥下機能ってなんで落ちるんだ!?
認知症者の最後の楽しみなのに。…というより、もうそこまで脳が壊れてるから、そろそろ終わろうねってサイン?
何も進展がないので報告することもなく、どんよりな心も同じまま。
昨日は母の誕生日。小規模に通っていたらお祝いもあったろうに…
先日、その小規模の管理者とイロイロ話しました。介護職や介護家族の目線と、医療関係者の目線の違いとか、胃ろうのこと。細かい話はおいおいに。
この間、また不用品整理をした。年末だし、ちょうどいいんだけど、何だか私、母が入院すると不用品整理をしているみたい。身の周りをコンパクトにしなきゃって、そんな気分になるらしい。
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ファイターズの鶴岡選手がFAでソフバンへいった。
選手の権利だから外野はつべこべいうなと突っ込まれるとこだけども、悩み抜いて決断し、球団とファンに感謝しているというのなら、ファンフェスには出るべき。選手会長なんだし。メジャー挑戦のl選手は、ファンフェスで挨拶し、胴上げされて去るのにくらべ、国内FA選手はファンとの接触を避けるように去る…………ヒチョリ、ツルちゃんと続いた流れ、あんまり歓迎できない。
ファンフェス前に発表して、ファンフェスで最後の挨拶して去るのってダメなモン?ヤッパリまずいのかな?
だいたい宣言したことで出て行くもんだとみんな思ってるわけだしさ。
それにしても
SBはパの巨人阪神になってしまい、金持球団が得するFA。ちょっとシラケ気味。補強の上限決めればいいのに。
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母は四人部屋。私以外、息子さんがやって来る。これもちょっと珍しい。
ある息子さんは、ちょっと過激に、タンを出せ!と叱咤する。ちゃんと出して欲しいがゆえだろうけど…。でもその方、ファブリーズか何かを持ってきてて、必ず、部屋の窓のカーテンと入り口のカーテンにシュッシュしてかえる。