「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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不穏か!と思いきや…

2005-06-30 | ●介護録(~2015.2月)
昨夜の母は、11時近くになってから「チビがいない、どうしよう」と悩み出した。
よくあることなのだけど、なんだか根が深そうで、困った、困ったとイイながら、寝る支度をしていた手も止まり、ソファに座り込み下を向いて、何かを考えている様子。

これは以前、発熱前夜の激しい不穏と似ている…このまま寝ないかもと思った私は、不安いっぱい。とりあえず、母のフトンを敷き、部屋を片付けつつ(ついでに洗顔も済ませて自分の寝支度をしてしまう私は、まだまだ余裕あり??)介護先輩からいただいたアドバイスを思い返す。
「甘いもの…そうだ、アイスユズ茶だ!それから隣に座ってスキンシップ…」
頭のなかであれこれ考える。

とりあえず様子を見に声を掛けてみようと、ソファの後ろから母に近づいた。この時の母の後ろ姿を、私は思い悩んで考え込んでいると信じ切っていたーーー。

私「オカーサン、もう12時近いよ、寝よう」
母「あっ!!すっきりしたーさあ、寝よう」
私「……寝てたの?」
母「うん」

…母はうたた寝していただけだった。
頭の中から「チビがいない」なんてことはすっかり無くなっていた。

不安を山ほど抱えてあれこれ模索していた私って、いったい……


『認知症になるとなぜ不可解な行動をとるのか』

2005-06-29 | ●介護録(~2015.2月)
認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか―深層心理を読み解きケアの方法をさぐる

河出書房新社

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東北福祉大の教授が、認知症の心理に焦点を当てて、いわゆる問題行動がなぜ起こるのか、何を意味しているかをケーススタディ中心に解説したものです。 昨年「痴呆」で本を検索した時に比べると、今年はかなり量が増えたなーと感じた。
その多くはケアマネや介護福祉士資格獲得や、ヘルパー等の介護職従事者のためのHOW TOものだったけど、その中で、私が求めていた、認知症の深層心理に迫るような本がいくつかヒットした。これはその中の一冊。
一般向けなので文章は平易。心理学的に医学的にもっと突っ込みたい人にはやや物足りないかも?

印象に残ったことを少し書いてみたいと思う。
この本では、認知症の基本症状として
1 「先ほど」の記憶を忘れる 2 「見当がつかなくなる」 3 「思考力、判断力、計算力が低下する」の三つをあげ、

周辺症状として、1感情的になる。2 認知症であることがわからない。3 食べられないものを口にしたり、おかしな服装をする。 4 徘徊する 5 意欲・自発性が低下と口数が減る 6 幻覚 7 妄想 8 夕方になると落ち着きがなくなる 
9 作話 10 不潔行為。
をあげている。

この周辺症状は、心理的な要因で起こる事が多いので、認知症になると全ての周辺症状が出るわけでもなく、それでは、例えば、「なぜ、私の母は○○なんだろう」と考える場合に、自分が認知症であったらという仮定で想像するとよいと書いてあった。
それは、自分がいきなり右も左も分からない場所に立っていたとしたらどうするか?ということ。
人それぞれ性格により、うずくまってしまう人、あちこち歩き回る人、いろんな人にとにかく聞いて回る人…などいろいろあるだろうと。
そんな不安な状態の中で示す行動が、こちらから見ると不可解な行動になるということだ。

朝起きて居間に行くと、知らない人が(家族なのだけど)「おはよう」と声をかけてくる……自分は何がどうなっているか分からないのに、相手は親しげに話しかける…ちょっとしたSF映画のような場面を思い浮かべてみれば、その不安は分かりやすい。

この本のなかでは何度も「適切なケア」という言葉で出てくる。それがなされれば問題行動がすんなり治まることもあるという。(口でいうほど簡単ではないと思うけど…)

後半、ケーススタディを紹介し、様々な行動傷害(最近は「問題行動」をそう言い換えるらしい)がなぜ起きるのかを
解説している。
正直、それを読むと、介護者の対応次第とか、それまでの家族関係が反映されていると言われているようで、やっぱりそうくるかーという気持ちがしないでもない。
「適切なケア」さえすれば…というのは、キツイ言葉だ。
では、その適切なケアとは?となると、やはり、ここでも「マニュアルはない」という結論のようだ。
介護者としては「そこが知りたい」という気分だが、AにはBと言い切れるようなものは「ない」というのが現実か、とも思う。

でも、こういう内容を求めていたので、よい本に巡り会ったと思う。
「不可解な行動の深層心理」…今後もっと研究は進むのだろうと思う。

 


TRIX『MODE』

2005-06-27 | ■Music・Book・Movie

夏にピッタリ、オススメのFusionです。
元カシオペアのドラマー熊谷徳明、元T-SQUAREのベーシスト須藤満、私の大好きなキーボーディスト窪田宏サマ。そして若手ギタリスト平井武士の4人で結成されたフュージョン・ユニットTRIXのセカンド・アルバムです。
耳なじみがよいので聴きやすく、爽快感を味わえる星三つ☆☆☆です!!

一曲目、♪あ~まぐり くりくり…ってボーカルが入ります。
フュージョンサウンドにあまぐり??って思ったあなた、ぜひ聴いてみてぇ~。


徘徊が繰り返されると…

2005-06-27 | ●介護録(~2015.2月)
昨日は三回連続の「お出かけ」。連続は珍しくないのだけど(最高記録は一日七回!!)最近徘徊が休止していただけに、二回目の途中、家が近づいたところで「私の家はあっちでしょ」と全く別な方向を指さし、今向かっている家(ホントの我が家。他に家はない)に着いたらすぐに帰るからと言い出した瞬間から、私の体から力が抜けた。足が動かない…いえ、動いてましたが、速度ダウン…もう力が入らない。
もちろんお約束どうりに三回目も行きました。
落ち着いたのは夜7時過ぎ。ようやく夕食です。

距離は短いけど何度も繰り返されるよりは、多少遠くても一回で終わる方が精神的にはヨイかなーと思ったのでした。

いわゆる問題行動もずっと続くわけではない…とよく言われる。
それで、ちょっと徘徊が休止すると、「止まればいいな」と期待してしまう。
冷静に考えると、徘徊が終わる時は、一段進行した時なんだろう。
「ここは家ではないから帰る」というのが母の理由だから、「ここはどこだろう、何かヘン…けど、どうしてイイか分からない」というように「だらか帰る」という思考も出来なくなったときに徘徊は止まるのだろうか?
(でも、被害妄想は昨年の夏ごろでほとんどなくなったから、そんなふうになればいいなと、まだちょっと期待しているんたけど…無理??)

徘徊復活!!

2005-06-25 | ●介護録(~2015.2月)

「徘徊」って言葉はなんだか嫌だけど、「徘徊」に違いないのだし、一言で言い表すにはやはりこの言葉を使おうと最近思いはじめました。

23日付け日記で徘徊が休止中と書いたのに、翌日、つまり昨日から見事に復活いたしました。やはり周期があるらしい母の徘徊。
昼の徘徊時、生ゴミを持って帰ると言い出した。今思えば好きにさせておけば良かったのに、生ゴミ持ってお店に入ったりされるのはイヤ!と思ってしまった私は結構しつこく「明日がゴミの日だから、置いていって」と言ってしまいました。やはりそれが母にはムッときたらしく、その後の不穏を招く結果に…。

夜の外出は、この家にはいられない理由らしいものが次々と繰り出され把握しきれず。
この夜、たまたま外に出ていた近所の方が、母に声をかけた後、わざわざ追いかけて来てくださり、母と話ながら家へと誘導してくださった…けれども、我が家に着くと、私に「中にはいって寝なさい。私はこれから帰るから」と、振り出しに。その方、またまた母に付き合ってくださった。とても対応が手慣れているので経験者かな?という感じが…。
徘徊が簡単に治まるわけではないけれど、一人よりは心強くとても感謝しています
ご近所一周半でやっと家に戻った母は「今の人、なんかヘンだ。普通、道で会ったくらいで一緒に歩いたりしない」としばらく考え込むということに…こういう感覚はしっかりしているらしい認知症の不思議。

さて、今日私は夏モノに取り替えて洗った後、行方不明だったクッションカバーをやっと見つけました。
どこにあったか…というと、取り替えた夏ものカバーの下、つまり、二枚カバーをかけてあったわけです。なぜに、そんな面倒なことをするんだろうか、と首をかしげつつも、
夏カバーをはずして、その下の春秋用カバーをはずしながら、ふと思う。
「これは実はとても合理的?雕霓夏が終わったら、上の夏ものを取ればヨイ。すると下から秋仕様が現れるってことじゃないか?」と…。

 


 

 

 


数日休止中の徘徊

2005-06-23 | ●介護録(~2015.2月)

突然、真夏がやって来て私の体はクタクタです。この三日くらい頭がボッーとしてます。助けて~。
でも、そんな中、日ハムは6連勝!トラもサヨナラ勝ちして首位キープしております。なんて喜ばしいのでしょう


この数日、母の徘徊は止まっています。土曜日から今日まで一度も出ていません。やはり徘徊がないというのはとても楽です。
家の中で繰り広げられる妄想への対応も、もちろん積み重なればストレスですが、外へ出て行かれるよりはずっとマシです。

今日はお風呂へ行ってきました。
私にとってはあまり楽しいことではありません。疲れます。しかし、お風呂へ入ってくれない事のほうが気になるので、ここはやはり気力を振り絞ってお風呂へ…。
私が「銭湯へ行きます」といったせいもあるのでしょう、デイサービスも最近は母の入浴をほぼ諦めているようです。強引に勧めるとテンションが下がるし、そのせいでデイサービス拒否も困るので、ある程度仕方ないと思うのですが、出来ればデイで入浴してもらいたいのが私の本音。

叔母が電話相談で入浴問題を聞いてくれました。回答は「夜でなく昼に入浴する」「入浴剤などで気持ちをひきつける」というもの。どちらも母には効果が薄い気がしています。そうした「ごまかし」的な事をスルスルと受け入れるほど、そういう面の能力は落ちていない母です。
さらに、ケアマネに言ってデイサービスを変えてはどうかとも言っていたようです。
入浴についてはすでにケアマネも承知です。
この入浴問題だけで現在のケアセンターを変えるつもりは私にはありません。果たして事業所を変えただけで母の入浴が解決するのか…。私としては、そういう類の問題ではないと感じているのです。

それにしても、入浴してもシャンプーだけはどうしてもしてくれない母。今日の理由は落ち着いてしていられないというもの。
美容院に連れて行こうかと、いつも思案しています……といっても、これまた簡単にはいかないでしょうけど…。

 


認知症にとっての「情報過多」

2005-06-19 | ●介護録(~2015.2月)
写真は血圧の薬をもらっている内科のモノ。おそらく高齢者への配慮だろうけど、赤字で「朝」と大きく印刷され、「食前、食後」「朝、昼、夜」などには、該当項目を赤丸で囲み、関係ない項目を赤×で、その他、注意事項についても関係のないものを赤線で消すという処置がとられている。
一見とてもわかりやすい。
多分、高齢でも健常者であれば、この袋を見れば、自分がいつ、どのように薬を飲むべきか判断出来るだろう。
(中の薬も朝用は青線付き袋、夜用は赤線付きと区別され「あさ」と書いたシールが貼られている。)

ところが、この「丁寧さ」が母には情報過多であるらしい。

「ねぇ、この薬、朝に○がついてるの。昼と夜に×の印があるんだけど、これは何?訳が分からない」
ある日、母は私にこう言った。この時、初めて私は、親切丁寧なこの印がかえって認知症の母には逆効果であることを知った。
赤印は印刷なのだけど、下の文字が透けて見えている。健常者には気づけない落とし穴。
きっと母に与える薬袋は「朝ごはんの後一包」くらいが丁度良いのだろう。
(もちろん、もうずっと薬の管理は私の役目で、母が薬袋を手にするのは窓口でもらう時だけ)

よく、理解力が落ちているから一度にたくさんの事を言ってはダメと言われるのたけど、ついつい以前の感覚で話してしまうし、実際のところ、どの程度なら理解出来るのか判断に苦しむ。
大抵、分かっていなくてもつじつまを合わせる技術には長けているものだし…。

そういう意味で、私は、この薬の袋が、母の理解力の低下をよく分かる形で示してくれたと感じた。

アルツハイマー100年

2005-06-17 | ●介護録(~2015.2月)
「毎日新聞」のコラムに「アルツハイマー100年」という記事を見つけた。(リンクしようたしたけど失敗…分からないよ~?)

アルツハイマー博士がこの症例を発表して100年目と聞いて正直驚いた。
そんなに昔だったのかと。
日本では「恍惚の人」が発表されてアルツが広く認知されたと書いてあったけれど、私自身は「恍惚の人」についてほとんど記憶がないし、学生時代、福祉科だったけれど、その時でさえ「痴呆」という言葉を聞くことがなかった。

多分、100年前の発表の時は、今のような「アルツハイマー型認知症」というとらえ方はなかっただろうけど…。

「アルツハイマー病」と「アルツハイマー型認知症」はまったく別である…と述べる医師もいるし、両方を一つにして書かれているふうな記事もある。
最近読み始めた本では、ともに脳の疾患としては同じで、65歳以前の発症を「アルツハイマー病」65歳以後を「アルツハイマー型認知症」という…と書いてあった。
この線引きも微妙だな~と思う。
母が認知症だと分かったのは65歳以後だが、では発症は?と考えると、物忘れは確実に65歳以前に
始まっていたと思う。

その記事のなかに「マイ・ファザー」という映画が公開されると書かれてあった。
アウシュビッツで人体実験を行っていたナチスの医師の話。息子の証言で作られた映画だ。その医師をチャールトン・ヘストンが演じたという。
彼は自らをアルツハイマーであると公表している。

私は小学生のころにTVで「猿の惑星」を見て、チャールトン・ヘストンがスキになった。その頃すでにそれなりにオジサンだったけど、とってもスキだった。
アルツハイマーであると公表された時はやはりショックだった。
「マイ・ファザー」…見たいけれど、なんだか胸が締め付けられるようで苦しい…。

介護ドラマから

2005-06-16 | ●介護録(~2015.2月)

先週に続いて、介護者へのケアという内容だった。
コメンテーターとして出演しているのは、家族の会の代表者、精神医学の先生、介護福祉士の三人。
実際に介護経験者である荒木由美子が母親を介護する主婦役。

今回はデイサービスを使っているものの慢性的疲労等で円形脱毛症になり、母親を弟夫婦に預けてリフレッシュするまでのお話。

ドラマは最初、旦那さまも無理解、商売をやっている弟夫婦も非協力的なんだけど、一転、旦那様も子供も協力的になり、家族旅行の間、弟夫婦が母親を預かるという展開になっていく。
家族の理解・協力がなければやっていけないんだよーと、啓蒙する狙いなんでしょう。
理想的だが、ここまでうまく運ぶかなぁ~と思ったり、ひとりで看ている私にはあんまり関係ないなーと思ったり。
介護そのものより、家族に負担をかけることにストレスを感じるという、女性の立場の大変さを感じる。それがない自分はある意味楽なんだと思うことにした

制度の中では介護者へのケアは抜け落ちている」と精神医学の先生。自分が介護者になってずっと思っていたことだけど、そういう問題は制度外のことで、主張すべきことではないと思っていた。

家族の会でもいい、相談窓口でも心療内科でもいい、話をすることが大切と言う話が出ていた。
でも、そういう場所って案外見つからない。電話相談は繋がらない、窓口に行っても行政的な説明で終わったり、Netの掲示板(専門家が回答するタイプ)では説教されたり…。
Yahoo!掲示板を知るまでの私はそんなことの繰り返しだった。

今は、そこで知り合えた介護の先輩とNetを通してケアしてもらっている…そんな感じ。
そう!介護者は介護者同士でお互いをケアしているのかもしれません。それもNetがあればこそ。


祝☆ダルビッシュくん

2005-06-16 | ■ファイターズ

昨夜はとっても忙しかったわ。
だって、BSでハムコイ、しかも黄金ルーキー・ダルちゃんの先発。ケーブルTVGAORAでトラレオ。
さらに、教育TVの「福祉ネットワーク、介護ドラマ」をあいまに覗き、試合終了後、「赤い疑惑」が放送していることを思い出す。

でもなんといっても昨日はダルビッシュ有くんに尽きる。八回まで完投・完封ペースではないですか!!今朝の毎日新聞、一面に彼の写真。何か強い「運」も持っているかもしれない…ワクワク
それにしても、顔小さーーい。

ありがとう、ダルビッシュくん!!!!