「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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臨終時の不思議(父のこと)

2006-11-28 | ▼ユルユル日常
介護とはまったく何も関係ないのだけど、病院通いなどしているせいか、父の臨終のことを思い出したので、ちょっと書きます。
なくなったその日の偶然?必然?…ちょっと不思議だなーと思うこと(別に霊的な話ではありません)

父の入院は七月。亡くなったのは年明け一月八日。年越しはムリと言われていたけど乗り越え(大した生命力だと医師も驚いた)年越しした。

いつ逝ってもおかしくないとはいえ、医師から「危ない」とか「危篤」とか言われてもいない時期、モルヒネの強い作用で寝ていても常に体が動いているのでベットから落ちる心配があり「明日から夜もずっとついてほしい」と看護師から言われたその日の夜に父は亡くなった。

面会は8時までだが、とりあえずこの日は母が泊まる前提なので、裏口のカギの開け閉めを中からやれるからと、私は面会時間を過ぎても病院に残っていた。いつもは8時で母も私も帰る。こんな形になったのはこの日が初めて。

そして、10時を過ぎた頃、あんなに激しく動いていた父の動きが止まった。
私と母は父を見守りながらもオシャベリをしていたので、「アレ、なんか静かになったよ」…こんな感じである。ただ眠ったかのように静かになった。

人が死ぬ時って、あっけないものだ。
死期が近づいてからは、モルヒネ効果でまともな話をしないままサヨナラした。

父は、母と私が揃っている時間帯に(しかもいつもなら家に帰っている時間)しかも24時間のつきそいをしないですむように配慮したかのように亡くなった。

後で主治医が言った。
その日の五時の回診で「なにか不都合はないか」と言ったら「ないです。ありがとうございます」と答えたので「もしや…」と思ったのだと。
それは医師の経験からくるものだろう。死に逝く人は何かを悟ったようにそれらしい言動をするらしい。

父が意識的に「今日死ぬ」と思ったとは考えにくいけど、何か力が働いて「ありがとう」の言葉を言わせ、私と母とを10時過ぎまで病室に居させた…と、そんな気がしてならない。

私には霊感なんてないので霊的現象はない。
ただ、お通夜、本堂で親せきみんなで飲み食いしていた夜中、ろうそくの煙が一度だけ、妙な形に流れて天井へ消えた。
きっと空調の関係か何かだろうけど、その不思議な煙の流れに全員が「今、あの世にいったんじゃないか」なんて思ったのだった。

ストレスなし生活

2006-11-27 | ●介護録(~2015.2月)
入院したばかりの頃は、ちゃんと入院生活出来るのかとか、手術への不安や術後の回復程度がきになっていた。

術後2Wが過ぎて、痛みはあるものの、母は介助なしでも足を引きずりつつも自力で歩いている。
ワーカーの説明では、「歩行能力はワンランク下がり、車イスにはならないと思うが杖が必要」と言われていたけど、杖は一度も使っていない。

そんな状況になって、私の頭の中で何が起こっているかというと「もしや退院は時間の問題か」ということ。
そこには、母がいない間に片づけてしまいたいアレコレを急いでやって仕舞わなきゃ…ということもあるけれど、それ以上に、
「この快適な生活が終わる」という思い。

家の中にストレスがない平穏な一日。自分のペースを誰にもジャマされない。
これは、「単なる一人暮らしの快適さ」とは訳が違う。

一般の人にはワカラナイだろう。
丸一日、イライラすることがない、腹も立たない、モノ探しをする必要もない、母のスケジュールに合わせて生活しなくていい、徘徊の心配も、夜中に起きられることもない……この当たり前の快適さ。

今の私に介護ストレスはない。
病院へ行かなくては…なんて程度のことは大したストレスではない。

そして、それは、きっともうそんなに遠くはない未来に終わるのだと思う。
マズイ。
この快適さに慣れ切ってしまわないようにしなくっちゃ。
覚悟をして気持ち切り替えておかなくっちゃ。

今、茶の間に、ちよっとしたクリスマスグッズを飾っている。
これだって母がいたら毎日グッズを巡って戦っていたに違いない…なんて考えると、戻ってくるのは正月明けでもいいくらいだ。

なんて気楽な年末年始……になるかどうかは回復次第。

「おかあさん、まだ若いでしょ」…だからなんだよ!

2006-11-25 | ●介護録(~2015.2月)
母の病院のデイルームで顔を合わせたオバサンは、顔を打って歯を折り、顔面が真っ黒になったとかで入院されたらしい。
母が健常者ではないことには気づいていて、塗り絵をしていると「どんなふうに塗ったの?見せて頂戴」とやってきた。
なんでもウエルカムの母は楽しげに会話をしている。
母をホメながら…多分思ったよりうまく塗っていることに小さい驚きがあったと思う…私にも「うまく塗るのね」と同意を求めてくる。
「お母さん、まだ若いのにね……」
イヤダ、イヤだ、絶対言われるこの言葉。
72歳が若いのかどうか微妙だけど、確かに、この病院で介護を必要としている他の方に比べたら若い。
「72です」と答えれば
「私より若いわ。私は75よ」と………なんだよ、威張りたいのか
この程度の会話は慣れっこ。もっーーと失礼なこと言われたら言い返してもいいけど、この程度は相手にも悪気なんてないから困る。でも、小さくタメイキつきたくなる。

ノロウイルスの影響がまだあるのか、下痢が治まり、胃の具合の悪さも解消されたと思ったら、また腸がおかしい

古い布団を新しくすることにした。長く使っていた重い布団と、使われないままに眠っている布団。整理したら押し入れがたっぷりとあく。
掛け布団二枚を下取りして新しいものに、3枚の布団の綿に羊毛を混ぜて打ち直し加工で敷き布団二枚にすることにした。使えない布団も全部引き取って貰えてスッキリ。
「若いのに布団を整理しようなんて思ってえらいね~」などと言われた……果たして幾つに見られたのだろうか(?_?)

ハムから小笠原を奪いながら、それでもまだ戦力が足りないとわめくW会長……
あちこちの球団からスターを奪い取り続けたこの数年、まだ続けるのか…といい加減あきれる。
とはいえ、その巨人の戦略に乗っかる選手がいて成立することだから、巨人だけが悪いとも言えない。
球団のことを、球界のことを一番考えているのは純粋にファンだけかも。
なんでもほしがる巨人はキライだー
なんだかんだいっても結局巨人がいいっていう選手も嫌いだー

リハビリ総合実施計画書

2006-11-23 | ●介護録(~2015.2月)
「リハビリテーション総合実施計画書」なるものを病院から貰った。
母の現在の状態からリハビリの目標、具体的アプローチなとについて書かれたものだ。

「痴呆」という項目にチエックがはいっていて、MMSE8/30(30分の8ってこと)と書き込みがあった。
長谷川式スケール?と思ったけど、どう略してもMMSEにはならないのでネットで検索。すると出てきたのは「ミニメンタルステート試験」というもの。長谷川式と同じく30点が満点で23点以下は認知症の疑い。
母は8点ってことだ……そうか……と、タメイキ(今更だけど)
(それにしてもこのミニ~について書かれているページにはたくさんの認知症検査が載っている。つくづく、他方病院の悲しさを思う。母が精神科で受けたテストは長谷川式だけ。そけも初診時のみ)

そして、さまざまな日常の活動について「自立、見守り、一部介助、全介助」といったチエック欄がある。あくまで入院中のことだけど、第三者の客観的な判断でチエックされているのを見るのはよい機会。

リハをするにあたっては、母の認知症の程度を把握することも必要なことだろうけど、精神科ではない病院での思わぬ副産物で(CT画像も含めて)、それを思うと、なぜ本来の精神科で、このような客観的データをいただけないのか…と思う。

認知症の問題行動等と向き合うときには精神科とか心療内科の範疇になるんたろうけど、脳の機能的障害(?)というような面から見ると、MRIだとか、血流がどうしたとか、萎縮がどうだ、という部分の診断が必要になり、それが治療に結び着くとはいえないけれど、患者の家族としては「知りたい」こと。
両方が備わった病院が理想なんだろうな~

P・S
リハの到達目標のところに、「復職」という項目がある。母の場合、「その他」にチェックがついていて、カッコ書きで仕事内容のところに「隠居」と手書きされていた。なんか笑った認知症による必然的隠居

病院と介護支援と私とリハ状況

2006-11-22 | ●介護録(~2015.2月)
午前5時、母は一人でベットを出て東病棟から西病棟まで歩いた上、階段を降りたところで保護された。
ベットにはセンサーがあり、降りようとベット左側に重みがかかれば反応する。ところがこのときは無反応。母はベット中央から、センサー部分をさけて足を伸ばして床に降り立った??そんなバカな……よく階段を降りたモノだと感心する。

こんなふうに動いている母なので紺肉の硬直もなくリハは順調。
母は無意識のままに手術したほうにも力をかけてしまうので痛みを感じ、慌ててバランスを崩す…という怖さがある。
でも、正座状態から立つことも出来るし、階段も一歩ずつ(介助つき)昇降出来る。
術後2Wなので痛みはまだあるはずなで、リハをしながら経過観察。
退院についてはまだ未定。

…という状況の中、ケアマネより「予約した12月のショートをどうしますか?とK苑から電話が入った」という連絡。
K苑からは「退院してすぐには在宅はムリですよね」という話もあり、退院もしくは一時帰宅になった場合、在宅がムリなら責任をもって預からねば…と、その辺のことをきにしているのでは?と思う。
翌日には私に直接、今の母の状態を尋ねる電話もあった。

ケアマネが病院のワーカーに退院のメドの確認電話をいれたところ、ワーカーは「娘さんが先生から直接話を聞かないと安心できないと思っている」ととってしまったらしく話が大きくなってしまった私自身はのんびり構えていたんたけど。

複数の人間がそれぞれの立場で動いていると、話は複雑化すると再確認。援助の手が逆にややこしい事態をうむこともあるのね。なんか疲れた。

看護師の話によれば、もう少しリハビリをして日常生活の訓練をしたうえで退院すれば、その後に通院リハをする必要はなく、今までのような介護サーピスを受けることに問題ないという。

家の中はともかく、一番の心配は階段で、これは一人での昇降は危険。といっても階段×ではないので、思いきった住環境の整備が絶対必要というわけではない。
よりベターを思うなら、手すりがいるといいとか、布団よりベットが楽…とか、一緒の部屋で寝た方が安全…とか、座る生活よりテーブル…とか、階段はさけて一階に住むほうがいいとか考える余地はある。

まず多少の模様替えをし、ベットにしようかな~と思い巡らせているこのごろ。
まず、布団を軽いモノに替えよう
でね…病院帰りに寄る家具店の「テーブルとイス二脚のセット」がね……気に入ってしまったこの際だから……どうしようかな~

周りが……

2006-11-21 | ▼ユルユル日常
なんだかんだと慌ただしく、11月も下旬。

安藤美姫がフィギュアのグランプリファイナルに出場決定…なんてニュースで耳にすると、「アレ、ついこの間、浅田真央が出て、でも、トリノには行けないって騒いでいたような…」と思う。
一年、早すぎ

母は抜糸もすみ経過は順調らしい。

来月の予約したままのショートをどうする?といった話も出たり、K苑からもどんな状況なのかと問い合わせが来て、退院した場合しばらくは在宅はムリではないか?という話が出たり(これはケアマネとの間で出たらしい)、つまり、その場合には責任をもってみてくれるという意味なのか?はっきりしないままだけど、周りもアレコレ考えて先走る。
「どうですか?」と聞かれても私だってシラン。
そんなに慌てないでよ~。

階段クリアになるのか?がワカラナイとこの家に住み続けられるのかもワカラナイ。
これまでのようなこたつテーブル生活でも問題ないのか?布団かベットか?…それによっては生活環境を変えることもあるかもしれない。

そのへん、まだ何も見えてないから、ちよっと待ってーーー!と周りに言いたい。

とっても易しい大人の塗り絵

2006-11-20 | ●小技・グッズ
きいちのぬりえ―秋・冬編

小学館

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ノロウイルスからも回復し、やっと生活がまともになりました。みなさん、いろいろありがとう。

昨日、↑のぬりえを買い(100均で色鉛筆をゲットして)病院に持っていった。
家にいると、私の誘いなど「今忙しいの」とかなんとか言って受け入れない母だけど、今は素直、他にするべきこともないせいか、思ったよりスムーズ。

「カワイイ、カワイイ」といいながら、約一時間程度。
「塗る技術」的なものは昔と変わりないけど、「ここもスカートだから同じ色で塗ったほうがいいよ」などとサポートがないと、どうしていいか分からなくなる。

流行の「大人の塗り絵」は母には難しいと思うので、この「きいちのぬりえ」はちょうどヨイかも。
やっとみると、案外、塗るところが少なくてすぐ終わります。

母達が昼間集まるナースステーション(オープンタイプでドアも窓もない)のテーブルは壁でうまく隠れるようになっている。
ラジカセからは、いわゆる「文部省唱歌」などのテープが小さく流れていたりもする。
介護福祉士さんもいる。
安心、お任せだ。

文化箏(習う予定なので)のライブを見に行った。道新(北海道新聞のこと)文化センターの受講生の発表会で約15分文化箏の教室も舞台に立った。先生が真ん中で着物着て弾いていた…ってことは、まだ生徒さんだけで奏でるレベルにないってことかしら?
曲に合わせて小三くらいの女の子が踊ったり、歌ったりして、なんだか演奏よりその子のほうが目立っていた。
……演奏は…………流れるように~とはいかず………しかし、その女の子の演技で全体の演出としては○?
「ならいたーい」とか「やってみたーい」という熱さのないまま、冷静に習おうとしている私…続くのか??

ノロウイルス発生!!

2006-11-17 | ●介護録(~2015.2月)
激しい(←あえてそう言いたがる私(^_^;)下痢の後、三日あいたので、とにかく今日は病院へ行ってきました。

そしたら……

ノロウイルス発生の張り紙!!!ヒェーーーーーそれって、もしかして私……そうなのぉぉぉ~

「下痢に嘔吐に発熱」…発熱はなかったと思う…アヤシイ汗はかいたけど血の気が引いたので冷や汗だろうし(手のひらが真っ白だったわ)…嘔吐はかろうじて踏みとどまった。でも、やはりあの下痢は普通じゃない。

病院内ではなく外からの感染、発症した患者さんもすでに回復に向かっているという。
今日は病室に入るのにしっかり手洗い消毒させられました。帰りもね。

あっ、うちの母はいたって元気です。
なんで私が感染するんだろ……あーあ。
実はまだ胃がヘンです。気持ち悪いです。まったく食べられないわけではないんたけど、食欲はほとんどナシ。
DIVAさんのお話では下痢にはヨークルとやゼリーはダメなんですね。悪いもんばかり食べていた……(>_<)

今は…お茶づけに漬け物だったら食べられそうな気分。

プチダウン

2006-11-16 | ▼ユルユル日常
(x_x)ヒドイ下痢に見舞われてしまい火曜、水曜とダウン気味でした。風邪がお腹にきたときの状態にとても似ているので、もしかして風邪?とも思うけど、他にそれらしい症状も風邪的予兆もないので……どうなんだろ?
吐かなかっただけマシだったかな。
血圧一気に下降したみたいで、死ぬかと思ったー←大げさ(^_^;

ヨーグルト、プリン、野菜ジュース……程度しか食べてないし食べたくないし、まだちよっと下ってるから食べるのもコワイな。

後で、ゼリー状の飲料買ってこよう~

母は、とくに私が行かなくても何も感じないようで、私が顔を出しても「あら、行ってきたの」なんて言ってるだけ。
洗濯物チエックに出かけるようなもの。

その点では嬉しくないけど気楽。

介護的お世話をしてくれる方もいるので安心。
しかし妙に多弁な母は、やはりそれなりに気を遣っているのかな、と思う。

そして、私を前にしながら「A子(←私だ)、どこいったかしら」などと言っていた母が、目の前のジイサン相手に「この子はまだ一人なんですよ」と、いきなりノーマルになる。
それまで「魚雷にあたってどうしたこうした」と語っていたジイサンまで「それはいかん、早くいい人を…」などと言い出す
………なんでこういうときたけ……←イジメ?




お腹にタネ??

2006-11-13 | ●介護録(~2015.2月)
病院では母をはじめ介護の必要と思われる年配者数人が詰め所に集められていたりする。

あるおばあさんは先月100歳になった!あるおじいさんは私に戦争の話をする。
もう一人のおばあさんは、母が語りかけるととにかく笑う。
その中でマシンガントークの母一人。話すことは、あることないこと、ないこと、ないこと……。

ベットにはコールセンサーがついていて脇のほうに体が流れるとコールされる。それを知らなかった私はベットの脇に腰掛けてしまったーーー

テレビを見ながら話していると(そのテレビが釣り番組だったせいか?)
母「お腹きりに行かなきゃ」
私「えっ、どうして」
母「お腹を切ってタネをとらないと」
私「お腹切ったら、痛いよ」
母「でも、タネが腐ってしまうのよ」
私「ほっておいても、おっきいほうで出るんじゃないの」
母「出るけど、それは痛いでしょ」
……お腹きるほうが痛いとおもうんたけどね~~。

あまり痛みはないらしく立ち上がって「いたたっ…」という感じ。車イスにも自分で移るし、短い距離なら手をとってもらいながら歩いているみたい。
どうやら、手術前から歩いていたことで筋肉の硬直がないので楽らしい。

ワーカーと話すと最初に「どこまでをリハの目標にしますか」と聞かれる。初めてのことなので、思わず心の中で「えっ?」と思う。
若ければ事故以前のような社会復帰…なんだろうけど、母みたいな立場だと、車いすでイイ…とか、家の中で歩ければ…とか、杖をもってでも外に出られるように…とか、イロイロあるってことのようだ。
こっちとしては「…というより、母のケガの場合、どこまで治るモノなの?」ってのが先…なにしろシャキシャキ歩いていたから、治るモノならば事故以前に治って欲しいし。

歩行能力は骨折前より1ランク下がると思っていればヨイらしいが、結局は個人差。

例えば階段もOKになってほしいけどダメなら考える…と思ってたら、そうではなくて、階段が必要だから階段用のリハもする、ということらしい。
最大90日。それ以上の場合は訪問リハ。
最近決められたことだよね。あまり気にしていなかったけど、自分に降りかかってきた。
この病院はかなり広い範囲を訪問してくれる。以前済んでいた町でもOKなくらいだ。
地方にいくほど訪問リハの人手がなくて、退院させられても受け皿がないことを以前新聞で読んだ。
障害者自立支援法もそうだけど、なぜ、環境が整わないうちに始めてしまうのだろう?