「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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火を噴いたァ―〈介護〉

2006-09-30 | ●介護録(~2015.2月)
誰がって、私がです。大したことがあったわけではないけど、バコーンと爆発。あっ、でも母がデイに行った後なので、一人でわめいていただけ。

いつものように、モノがなくなっていた。
箱ティシッュ、リモコン、例のガラスの小瓶。いつもは寝る前に目につかない場所に移動しておくのに、昨日は忘れてしまった。
朝イチでもの探し

気を取り直して朝食の用意をし母をデイに送り出し、金村サンの「阪神優勝の芽が復活」という話をニタニタ気分で見終わり、仏壇に牛乳でもあげて(父は朝は牛乳だったので)お香をたこうかな~と、仏壇置きの引き戸の中を見たら………ナイ。この間ゲットした香皿と香立が。

仏壇に置きっぱなしにしていたら母が目を付けると分かっていたから、(実際、たまたま置いたままのを見た母は、どこかに移動しようとしたり、食器と一緒に洗おうとしたり…)母がいる時は必ず仏壇置きの引き戸に片づけるようにしていた。
その引き戸に母が手を触れることは何年も無かったのに、なんで今になって……。

防衛策を講じていたつもりだったから妙に腹が立った……それぱ自分への怒り?「もっとわかりにくいところに隠すべき」という……大泣きしてしまった
こんな小さなコトをきっかけに、なんだか全てがイヤになってしまう。
小さな香立(2㎝くらいのもの)はなくされたらさがせないと思っていたから、現実になってしまったことが悔しかった?

悔し泣きして母をののしり、モノを床に投げつけ、大捜索して無事に見つかった。
その過程で、なんでこれがここに?…というモノも発見。

母と暮らしていく限り、自分の好む暮らし方なんてムリなんだろうな。とにかくシンプルに生活する。インテリアがどうのこうのなんていってたらストレスが増すだけだ。
だけど、私も暮らしている。私の生活空間でもある。
まだ、その辺の割り切りは出来ないみたい。

家の前の工事が…―〈介護〉

2006-09-29 | ●介護録(~2015.2月)
家の前で工事が始まった。今まで空き地だったけど家が建つ。多分アパート、うちの大家さんの土地だし。

朝から、工事の男性がワサワサと来ているのを見て、母が不穏になった。
最初は「○○がいない」ってことから始まって、外に出た母。
そこで目にした工事のオジサンたちが、「アヤシイ人」という認識になってしまったらしい。
「変な人が入ってくるからここにはいられない」という理屈で、しばらく不安定になった。
玄関を出て二階から、工事現場をずっと監視しようという態勢。
「あの人たちが、イヤな人たちなのだ」と文句イイ通しだ。

ああ、認知症ってやっかいだ~ただの工事なのに、いつもと違う光景がこんな妄想に発展してしまうなんて。
こういう状態を見ていると、地域の中で普通の暮らしをするということがとても困難なのだという気がしてくる。
いつもと違う回りの出来事、セールスマンや勧誘の電話、郵便や宅配は一見認知症には見えない母相手に当たり前のように話しを始める……。
これら全てをいっさいシャットアウトしなくては安定は望めない。
そんな意味からも、介護度2や3の時は、ちよっと細かくて複雑なヤッカイ事があるといえる。
進行してまえば、こういうやっかいさは無くなるだろう。たけど、その時は、コミュニケーションが取れなくなって、寝たきりということだ。

先が見えるといえば見える。やっばり残酷な病気だ。

今日から運命の甲子園決戦

2006-09-29 | ■ファイターズ

こんなに野球が盛り上がった年って過去にあったのだろうか?だってもう10月よ~普通は消化試合よね~スゴイな~
今年はWBCから始まって野球が楽しい一年でした……って、まだ振り返っちゃイカン

昨日はローカルに森本選手、ヒルマン監督など出演。
ヒルマン監督は来年も札幌にいたいと言っていたわ。この方好きです。歌もうまいのよね~(関係ないけど…)
「プレーオフを勝ち進めば、金村さんも戻ってくるし」と語っていたダルちゃん。私服の彼は…美しい
ハムを追いかけて東京から札幌へやってきてスポーツカフェを開いたオジサンがいます。表彰ものです。

そしてそして、今日から運命の甲子園ですよ。ああ、新庄の願いが通じるといいなぁ~。どっちを応援すべきかとても困るけど、なんか幸せ……まだ決まってないけど…。
大好きな二つの球団がこんな形で夢をくれたことに感謝します。
この際、野球盛り上げのために、日本シリーズはトラハムってことで、ダメですかね?ダだよね…スミマセン…。


サイコー!!―〈Baseball〉

2006-09-27 | ■ファイターズ

祝!シーズン一等賞Fighters、おめでとう、ありがとう

今日はNHKを見ながら音声はラジオの応援実況。音のほうが早いから、画面ではストライクかボールかわからないうちにラジオから「からぶり~!」の声が

それにしても、母の口がよく回り……ピッチャーが交代して投球練習し出したとき、キヤッチャーが右手をあげた。すると「どうして手をあげるの?」とか……頼むから少し黙ってくれよ~という感じ。
でも、ビールかけは喜んで見てた。新庄君の顔しか知らない母だけど。

試合終了後は新庄の引退セレモニー(ケーブルでGAORAを視聴していて良かった~)
真っ暗な中にスポットライトを浴びた新庄。ドームには阪神時代から今までの歴史が流れ、最後に、グローブ、タオル、リストバンド、そしてユニホームをそっと置いて去っていきました(百恵ちゃんみたい…)
泣けた…新庄も泣いてたみたい。
彼は今日だけ背番号63。嬉しいな
会見で「名古屋の人には悪いけど、甲子園でやりたい」と言っていた。ああ、彼の強運でなんとかそうならないものかな~
タイガースは今日も勝って、ホントに強いんだけど、中日も負けない。
野球を盛り上げるにはやっぱりハムVS阪神だよね~~と個人的願望。

今日の試合ですごかったのはダルビッシュ。彼はただものではないですね。
ビールかけの小笠原…ひょうきん。

地元に球団があるっていいな。阪神が優勝しても何も放送が見られない。でも、ハムの場合はこれから特番がゴザイマス。眠れません。

新庄引退セレモニー

 ユニフォーム置いてます

 ユニフォーム下のTシャツにメッセージ


簡単に言われると…―〈介護〉

2006-09-27 | ●介護録(~2015.2月)
黒柳徹子さんの妹さんが北海道のローカル番組にコメンテイーターとして出演している。
先日、お母様が亡くなくなった。黒柳母サマは北海道滝川市の生まれだそうで、番組内で追悼コーナーがあった。

黒柳徹子妹さんは、入院していたお母様の看護(介護?…うーん、入院しているし看護でいいのかな)で一ヶ月半くらいお仕事を休んでいたみたい。

90を過ぎていたから、いわゆる大往生。

で、黒柳妹さんは、言った。
「やり終えた充実感があり、(看護?介護?)やる前より一回り大きくなった(?成長した?だったかな)ような気がしている」
というような内容のことを。
その表情はすがすがしくもあった。

大往生のお母様、ありがとう、ありがとうと言って亡くなったという。
そんなお母様に最後の一ヶ月半寄り添って、やりきった充実感。満足感。きっと幸せに旅立ったろう…と思えるような安堵感。

だから……仕事でも子育てでも、頑張ってやりきって欲しい…みたいなこともおっしゃっていた。

……認知症介護中の私は思った。
「ああ、簡単に充実感だの、一回り成長だのと、公共の電波で言わないでほしい。申し訳ないけど、たった一ヶ月半の看護、90を越えた母親の大往生を見送ったということだけで、そんなに語らないで」と。

ひよっとすると、私が意識しすぎかも知れない。
他の誰かに聞いたら、そんなに深い話、してなかったよ…と言うかも知れない。
でも、そう聞こえた、そう思ってしまった。

金村さん、その後―〈Baseball〉

2006-09-26 | ■ファイターズ
今夜はTVH(テレビ東京系)でハム戦の中継。
その途中母から
「足代をはらわなくっちゃならないから一緒に行って」とのお誘い。
足代とはなんじゃ
「この試合、終わってからね」と私。まだ中盤だけど今すぐにでも終わるように言った。
「うん」と母。
アラ、素直。
ってことで、そのままお出かけの話はどこかに消えた…メデタシ、メデタシ

中継は途中までだったのでラジオに切り替え。金村の話が出た。
監督批判はマスコミ報道そのままホントだったようだ。すぐにガンちゃんのところに金村から「やってしまった…どうしよう」という電話が入ったそうだ。
心から反省しているならちゃんと謝罪をしろ…ってことで、金村さん、実行したようです。
200万円の罰金とプレーオフ出場停止。……ちよっとキツイなぁ~と思うけど仕方ないかな。
今日ドームに来て全員の前で謝りたいという意志があったようだけど、これは球団が「試合に集中させたい」ということで留めたらしく、解説の金石さんもがんちゃんも、「みんなの顔を見て謝った方がスッキリしたのでは」という気持ちがあるようだったけど、裏を返せば「そこまでしなくてもみんな分かっているゾ」という信頼の現れかも?ということだった。
金村本人は日本シリーズ出場を想定してトレーニングに入ったそうです。
ヒルマン監督からも「金村については以前と何も変わらない。愛情をもっている」というような話があり「不協和音」というような最悪の事態は避けられたみたい。

金村~ここで一回り、おっきな器のエースになるんだよ~~

今日と明日、札幌ドームは「ありがとうシリーズ」(この間の西武戦は「全員集合シリーズ」。みんなに応援グッズが配られた)試合終了後、金子選手会長からありがとうの「挨拶」がありました。

……ああ、明日の試合、見に行きたい…たい…たい…たい…たい……
ビールかけがあるかもしれない……。夜中に特番もあるかもしれない……。
ハムのファンになってわずか三年。トラの時は何年かかったことかでも、そのトラも今夜も勝利だよ~


エースであるなら―〈Baseball〉

2006-09-25 | ■ファイターズ
土曜日の私、中日が勝ったと思いこんでいたので、昨日、阪神が勝って3ゲーム差と知ってビックリ。うっそ~~4ゲーム差じゃないの~~う、うれしいぃぃぃぃ

で、ハムですよ。星二つ落としたピッチャー崩れ。でも、これはあること。100%打たれないピッチャ-なんていない。当然、継投に関しては監督が「自分の責任」と言っている。
なのに、金村…あなたっていったい……
かりにもエースという立場で、この状況で、何いってんの?と私は言いたい。

五年連続の二ケタ勝利がかかっていた。それが投手にとってどれくらい大事なことか私には分からない。
でもね、今、チームの状態はどうよ?ってこと。

「外国人監督だから個人の成績なんてどうでもいいんだろ、許せない」って発言、ホントだとしたら、許せないのは監督ではなく金村のほうだな~私は。
ハッキリ言って、今のハム、個人成績よりチームの勝利。

エースが言っていいのかな~。何がエースなんだかな~。エースの名札(←そんなものあるのか?)ムギュとはがしちゃうぞー

残り数試合って時に10勝目をくれ、っていうのが今季の成績の現実。
開幕投手で、エースで、舞台は整っているのに、力出し切れなかったのは監督のせいじゃないでしょ。
リリーフ陣に助けて貰ったことだってあるでしょ。
後ろがしっかりしてるから、勝利投手の権利獲得まで投げればいい!って思ってこられたんでしょ。

彼もあせっていたのかしら?ダルちゃんや武田、八木と若い力が頑張ってるから。それで、思わず出た監督批判かな?オフレコのつもりだったらちよっとカワイソウだけど。(チームのために顔で笑っても、心でチクショーってのはありだろうし)

とにかくこの時期に不協和音はイヤだから、それこそエースらしく、自分で蒔いたタネ、自分で刈ってね

I'm tired!!―〈介護〉

2006-09-25 | ●介護録(~2015.2月)
疲れた……。やっと日曜日が終わった。ほんとに疲れた。体力というより頭が疲れた。

徘徊から始まって、テンション高いまま午後を過ぎ、不穏…というか大妄想大会っていうか…。
それに、ガラスの小瓶を巡る追いかけっこは続き、(あきらめない私今朝もやっぱり小瓶だけナイ。なぜかな~ほかにも新しく置いた飾り物はあるのに)
その他、細かなことがアレコレ重なる。
テンション高いせいかオシャベリも激しく、もちろん全部「ナイコト」なので「聞く」っていう作業がツライ……
「そうの活用」も思い浮かべたけど、ムりぃぃぃ。
最終的に質問をされる。こういう時の「答え」のコツは?どう答えても反対の理屈を返されるので……。

なんだか神経ビリビリの一日。
こんな日は「ああ、もうダメ~。私は介護に向いてない。」とか思う。

救いは9時すぎにサッサと寝てくれたこと。幸い、夜中に起きることもなく七時まで寝てくれた。

気を取り直して、月曜日。こんな時に限って、またイライラすることが。
あの、因縁の(と、私は勝手に思っている)病院のデイケア「寿限無」から「お迎えの~」というが来た。
どういうことよ?もうやめて一年以上経過しているっていうのに。
同じ時期にアイリスのデイサービスから今のところに移ったのだけど、アイリスからそんな間違い電話が来たことはない…というよりこれが当たり前。
なのに寿限無ときたら二回目。どんな仕組みになっているか知らないけど、月曜日のリストにまだ母の名前があるというわけ?どういう管理をしてんのよ?
そっちの都合でやめざるを得ない形になったのにいい加減にしてくれ

…てことで、ちょっと休憩します。コメント返信、またあとでします

母、テンションたかーい―〈介護〉

2006-09-24 | ●介護録(~2015.2月)
ショートより帰ってきて数日(そのせいなのかどうかは不明)、なんだかテンション高い。元々話好きではあるけれど、とにかくよくしゃべってる。
CM一つ一つに反応する。
私に対する質問も多く、ちゃんと答えないと結構シツコイ。

でも~徘徊よりはいいよね~~

母がショートにいる間に茶の間の飾りモノを変えた。それは元々母の領域。認知症発症後も母は時折、飾りの位置を替えたり、別の部屋のものと取り替えたりしていた。でも、「なぜこんなものをここに?」ということも増えて、キレイに飾りたくなったので、家にあるものを引っ張り出し、ちょっとモダンに飾ってみた(←本人はそのつもり)。
それから、仏壇の(脱仏壇はなかなか出来ないのでせめて)線香立てなどのいかにもという感じの仏具をやめた。新しい香皿と香立、それにキャンドルプレート買った。香皿は四角い陶器製の薄いブルーで香立は小さなネコ型。

覚悟はしていた。母があれこれ手を出して動かす可能性は80%はあると。
やっぱり…だった。
母が特に気にしているのは、茶の間に飾ったガラスの小瓶二つと香立。

ここ数日、母と追いかけっこ。
気がつくと姿をくらます小瓶を探し求めて元に戻す私。一息ついてまた気づくとナイ。
香皿&香立は使うときだけ置き、後は隠すことにしたけど、うっかりしていると、母がネコの香立を手にして「この子、どうするの~~」なんて始まる。
それでも私はまだしばらくは、母との追いかけっこを続けるつもり。
きっとそのうちなじんで気にならなくなるはず…それまではタメイキつきつつ、心でののしりながらガンバル。

出来れば、自分にとって気持ちのいい暮らしをしたいから

「認知症の介護のために知っておきたい大切なこと」5

2006-09-23 | ●介護録(~2015.2月)
認知症の介護のために知っておきたい大切なこと―パーソンセンタードケア入門

筒井書房

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第14章「さいごのお別れをした後は…」より (青文字は引用)

家族介護者は二度、もしく三度のお別れを経験する…と書かれている。最初のお別れは、「認知症の発症そのもの」
身内の認知症発症を「別れ」と感じるかどうかは人によるだろう。確かに以前とかわってしまった親や配偶者を、「失った」ととらえるのか、「どうであろうと親は親」と感じるのか…。

二度目のお別れは、施設への入所。自宅介護がどんなに大変だったとしてもそこに喪失感はあり、施設などに訪ねることにも痛みは伴うから。

最後は当然ながら命の終わり。死ぬまで「その人のまま」で居続けた人を亡くすより、その対応は困難で感情は複雑。多分、これでよかったのか…というような思いに悩まされるのだろう。

「自分の感情をそのままに感じなさい」
「必要な支援を得られるように措置を講じる必要があるでしょう」
「自分にゆとりと時間を与えてください」

「悲しみは川のようなものです。独自のコースをとり、自分のペースで進むものです。この単純な教訓を心に留めておきましょう。『川の流れに逆らってはいけません』」

おもわず「あ~あ~川の流れのよう~に~」と歌ってしまいそう。

この本の書き方は「こんなふうに出来たらいいなぁ」と思わせる部分がある。
多分、介護者を突き放していないから。介護者を無視して一方的に「こうしましょう」という書き方をしていないから。
理想的だし、ムズカシイし、私にはムリ…と思うけど、 うまくいけば、気持ちいいだろうなぁ~なんて思わせる…そんな本でありました。

…………………………

今日は午前中に家事を済ませてお風呂にはいり、1時近くに街に出てあれこれあれこれ…あっという間に、三時。三時半に家に戻り、もう一仕事するつもりが、ノソノソしている間に4時。母が帰る間で残り30分!夕飯の下準備…ああ、なんて一日は早いのでしょうか
結局、母が帰るまでに下ごしらえが終わらなかったので、中途半端の台所に目がいった母が、なんだかんだと手をだして…「ああ、それは鍋にいれないで~~」というようなことに。鬼の居ぬ間に…と思ったことが裏目デス…