「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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赤の果実

2005-03-31 | ▼ユルユル日常
コエンザイムQ10入りのキャンディーを買った。「赤の果実のCoQ10」(アサヒフーズアンドヘルスケア)。
アセロラとグランベリーとラズベリーの三種類。
どうなんでしょうね~~。
まぁ、飴だから、口寂しい時にいいんじゃない、というわけです。
ビタミンCとか、ブルーベリーとか、カテキン式とか、そんな健康的な飴をつまんでいる。

「赤の果実」はコープ宅配のカタログで見つけた。
カタログでの買い物の利点の一つは、こうやって、商品を発見できること。普通に買い物していたら多分見過ごしている物にも巡り会える。
でも、油断すると必要ないものまで手が伸びる。計画して買い物しているつもりでも、気がつくと冷凍庫が満杯で、翌週はセーブして買い物したら、今度は足りない!!なんてことにもなる。
力(?!)加減が難しい。

近く、うちから五分程度のところに地元スーパーが移転してくる。信号を渡ることもなくいける。
うーん、コープ宅配は必要ない?…かな?
でも、貴重な自分の時間を上手に使うためには、宅配も大事なツールです。ネット注文も可能のなったことだしね。


エレのコンサート

2005-03-28 | ■ELECTONE
何年ぶりかでエレクトーンのコンサートへ行った。

元々エレクトーンプレイヤーで、今はキーボーディスト&アレンジャー&作曲家の窪田宏サマ。最近はジャズセッションなどのお仕事が多いみたい。
彼は、北海道、私の住む街出身。故郷でライブをするのはとても照れるようだ。

彼がエレクトーンプレイヤーとしてデビューして、それまで、ピアニスト的にどこか上品に、音楽家というイメージで、スタンダードナンバーやクラシックアレンジ、ジャズ、そしてエレクトーンならではの音色をいかしたオリジナル曲を弾くという形が、もっとガシュアルで、ファンキーなものに変わった。
ロックのようにフュージョンバンドのように、ステージがライブのノリになって、彼に憧れてプレイヤーを目指す男の子がすごく増えた。で、どんどんプロが生まれた。
一時、彼はエレクトーン界のカリスマみたいだった。
初めて演奏を見たとき、そのペース、左足さばきに倒れそうになった。凄かった。なんであんなに動くんだろ。ランニングベースのすさまじさ

今回のステージは以前よりジャズ色が濃くなったかな。
以前の曲は、エレクトーンで弾いてみたい、弾いてみようと気になり、曲集を買って弾いたけれど、最近はジャズジャズしてるので、聞いてところで、あっ、無理って思う。聞く専門。

てなわけで、息抜きしました。

そもそもこのブログは、「介護詩」を中心に…とおもったものなのに(HPの「ひとりごと」も合わせよう心づもりもあったけど)息抜き日記ばかり書いてるわ。

今日の昼、テレ朝系列の局で「ぺ・ヨンジュン劇場」っていうのがある。全国?北海道だけかな?
「裸足の青春」を一挙三話分放送だよー…毎日やるのかな?



あずきゼリー

2005-03-25 | ■Sweets
あずきゼリーを食べた……130円なり♪

近くのパン屋のカフェコーナーはセルフなので、安い。その他デザートもみんな130円。(種類は少ないし、豪華なものはないけど)
ハーブティーが210円(カップ二杯分はある)というのも嬉しい

あずきゼリーは、当然、地元のおいしい食材を使ったデザートというのが売り。いかにも北海道・十勝よね。
トッピングはソフトクリーム。けっこう濃厚。
小豆のゼリー部分がかなり甘さを抑えてあるので、ソフトと一緒に食べてちょうどヨイ。

以前、母と食べた時、母は律儀に(?)上から順にソフトクリームばかりを食べるので「ゼリーも一緒に食べないと、後で困るよ」と一応声を掛けてみる。
最初は「あら、そうなの」と言い、混ぜて食べるのだけど、やはり、そのうち元に戻る。
案の定「もういらないから、食べて」と渡されたのは、あずきゼリーだけが残されたモノだった
だから~~ソフトと一緒に食べないとおいしくないんだってば………

いつも私は、母の残した物処理係
太るってば!!
結局、一人で食べた方が気楽なのね。

もうすぐ春よ♪

2005-03-22 | ▼ユルユル日常
そうなの、気分転換しなくっちゃ!!

クヨクヨしてても、明日は来るのです。そうだよね。どんなに気持ち沈んで、エネルギーがゼロよーって思っていても、世の中は回る。明日は来る。生きてる私はお腹も減って、「あっ、新庄君だ」とか「来月、ファイアー・エムブレムの新作が出るゾ」とか、そんなことを思いついたりするんだもん。

以前、父の余命を聞いた直後、朝起きると「やっぱり夢じゃなかった」って思ったとけど、そんな毎日でも、私は仕事に行き、ご飯を食べて、好きな小説やマンガの新刊を待ち、CDを買い、今までと違う日常を感じながら、今までと同じペースで生きていることが何かとても不思議な感覚だったのを覚えている。

カナシイ日々が続くのだけど、人は悲しいだけでは死ねないし、狂うことも出来ないし、太陽が昇って新しい朝がくるように、やっぱり、私はいつもと同じように生きていくんだなーと、そんなことを感じた。

今の私も同じた。
どんなに凹んでいても、世界は動く。私の心情とはまったく関係なく、変わりない日常が動いていく。違うのは「期限」が不明ということ。
ドカンと感情を吐き出して泣いたその後に、「あっ、洗濯しなきゃ」って思う自分がいる。
あ~正常だよ、と思う。

ささやかな贅沢。明日のデイの間のフリータイム、何をしよう、どこに行こう…って、考える
瞬間が好き。
春になると、フットワークが軽くなる。
移動時間が短くなる。
ワクワクワクワク……って、今、何が出来るか考えている。制約があると欲望は大きくなるらしい。結局大したことは出来ないんだけどそれでもいい

そうそう、昨年出たエレクトーン・STAGEAを展示会で見てきたら…喉から手が出るほどに欲しくなった。
エレクトーンは一生の友……って、最近弾いてないんたけど。
たくさんあったレパートリーも片っ端から忘れている気持ちだけガンガンいってるけど、手と足はついていってない?!



介護する私の心

2005-03-18 | ●介護録(~2015.2月)
なぜ世の中には、協力しないくせに口だけ出して、それで立派な人間だと思っているような人種がいるんだろ。そういう輩が親戚の中にいるから始末が悪い。

どんなに年齢がいってても、立場が上であっても、実際に介護をしたことがないんだから、なんの説得力もないのよ。
それは、本で読んだこと?それともTVで見たの?理想論とか、こうあるべきとか、知ったかぶりして言わないで。
だったら、どうぞ、あなたが実践してみてください。そして完璧にやり遂げるのなら、私は頭を下げます。

あれもこれも、みんな介護者の責任なの?
介護者だって人格のある、普通に生きてる人間なのに、まるで、介護のためだけに存在しているように、責められなければならないの?

何かあっても、認知症患者は守られる。周りは誰も悪く言わない。優しく接してくれる。笑って許してくれる。
その分、介護者には、
「どういう経緯でこうなったの?」
「あなたは見てなかったの?」
と、大変だねといいながら、「ちゃんと見てなきゃ…」という気持ちが見え隠れ。
そして最後に決まって追い打ちを掛ける
「優しくしてあげてね」と。
疲れ切った心に、ダブルパンチだよね。
さらに口だけの親戚が説教など始めたら、傷口広げて、私の感情をズタズタにしていくだけ。

捜索願を出し、イライラしながら連絡を待ち、やっと迎えに行った先で、「優しくしてあげて」
「優しく?!これ以上、どうしろって?」本音。
口を開いたら言いたくなるかもしれない。
「お母さんが迷子にならなければ、私はこんな思いしなくて済んだのに」って。
だから沈黙する。心が落ち着くまではそうやって自分を抑える。

「自分の親だから」「育てて貰ったでしょ」
そういわれると、反抗期の子供みたいに「特に頼んで産んで貰った訳じゃない」と言いたくなる。
何しろ、母は「娘なんて産んだ覚えはない」とはっきり私に言う。
「勝手に産んでおいて、これだけ毎日世話してるのに、産んでないだの、親子なわけがないって言われて。私も産んで欲しくなかったよ」本気でそう思い、泣きながら生まれたことを呪うこともある。

きっと世の中は美談を望んでる。
辛い介護を前向きに明るく捉え、被介護者に愛情を注ぎ「介護生活で多くのことを学びました」とか「介護することで得たものもたくさんあります」とか…。
得たモノってなんだろ?
例えば出会い。例えば認知症の症状や介護制度への知識。経験。♪人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから~と「贈る言葉」にあるように、人の痛みを分かる人間になった?
でも、認知症についての知識も介護の経験も特になくても生きていける。知らずに一生終えるならその方が幸せに決まってる。
出会いは、時に宝物。ただ、介護の世界を知らなければ知らないで、別なところで別な出会いはするだろう。
人の痛みも、多少想像力のある人間なら、思いやるとか、さりげなくサポートするとか、出来ないこともない。

あえて介護を経験して良かった、と言えるほどの心の広さは今のところない。

介護者は「私、介護はイヤです。ホントはやめたいです。逃げたいです。でも仕方ありません。だからやります。きれい事だけではすみません。腹がたって、早く何もかも終わればいいのにと思うこともあります。自分のための生活だってしたいです。あれもやりたい、これもやりたい。ほぼ毎日を母優先で過ごします。犠牲になっていると感じるのはそんなに悪いことですか。私にも私の生があるんですけど…」
そんなことをつぶやくことも許されていないのだろうか…。

阪神VS日ハム…どうする応援?!

2005-03-14 | ■ファイターズ
ものすごーーーーく困る

父に洗脳されてから「巨人は悪い人、阪神はいい人」と思い続けていた幼児期。野球に目覚めた高校時代…そして優勝、すっか身に付いた猛虎魂。

だけど、だけど、北海道に日ハムがやって来た!新庄君もやって来た!これはもう応援するしかない去年のプレイオフの盛り上がりったら、もう~~~。

だけど今年から交流戦…困る、とっても困る
オープン戦でさえ複雑な気持ちなのに。
たとえ新庄君がホームランを打っても、阪神のピッチャーが打たれたと思えば喜べない。
そっか……阪神日ハムの試合は、どっちに点数が入っても、ただ静かに事態を受け止めるだけってことね。
盛り上がれず、喜べず…ヘンな野球観戦(-.-)
でも、逆に言えば、必ずどちらかが一勝するのだから、へこむこともないってことか???

疲れちゃったぁ~

2005-03-09 | ●介護録(~2015.2月)
不穏は七日から今日も続いていた。
病院にいったけど、薬は関係ないと断定された。
二度も同じ状況で、同じ変化が出たのに、ただの偶然?

風邪くらいで認知症が進行するのか?それこそあり得ないよ~。

母の安定剤は軽く、即効性があるという。軽いから悪影響はないのだという。でもね、即効性というけど、母は二時間もたってからウトウトするのよ。
これが即効性??
だから薬は当てにならないよ。
月曜日はデイケアでの服用後、最後までまったく眠くならなかったという。
それは「まれに眠らない人もいる」んだって。

うちの母は、すべてが希な例外らしい。
二度の不思議症状もただの偶然らしい。

医師が断定するんだから、あり得ないというんだから、信じるしかない。

でもでもでもでも……ホラ、私、釈然としてないよ。
飲ませていいのか、これからも?コワイよ~。

医者曰く、一日三回飲む人もいるのだそうだ。
デイの迎えに拒否が出るなら朝からサッサと飲ませなさい…だって。
病院は薬、薬、薬の世界だ。薬で大人しくさせるのだ。
そりゃ、普通にすこやかに落ち着くならいいけどね。
別な不穏が出ている…私にはそう見えた。風邪という体調不良+安定剤の作用という気分が抜けない。

そして今日はさらに眠剤が出た。
薬づけ…。風邪薬もあるし

不穏が続く…

2005-03-08 | ●介護録(~2015.2月)
昨夜からずっと、母の不穏状態が続く。
多分、昨日デイケアで飲んだ安定剤のせい。安定剤は五時間で体内から消えると看護師は言う。だけど、母の場合(体調にもよるのか?)丸一日、あるいは2日、いつもと違う状態になる。


私はその状態がたまらなく嫌で、不安で、恐くて、安易に薬を使うデイケアに釈然としない思いがある。

薬の作用がある間、母は介護度が上がったような状態になる。
あれもこれも、出来なくなる。
妙な妄想がいつもよりパワーアップして現れる。

イライラする。
次から次へと、なんで私を苦しめるの。
お願いだから寝て。

不安だ…。
この後、何が起こるの?

デイケア・スタッフへ
お願いだから、落ち着きがなくなったからと言って、すぐに薬を飲ませるのはやめてください。
身体に出る変化、安定剤を飲んでふらつき等が出るのは仕方ないこと…なんて軽々しく言わないで。
今の薬で様子を見ましょうなんて簡単に決めないで

はき出したい思い

2005-03-05 | ●介護録(~2015.2月)
もうたくさんだー、もうイヤだー、解放してー、一人にしてーと、ここ数日思っていた。
頼むから、何もしないで、手を出すのはやめてーと怒鳴りたかった

ゴミの分別もそうだ。結局二度手間なんだから、やってくれてもありがたくない。後で、資源ゴミの中から燃えるゴミを分別しながら、腹が立ってくるだけなんだから。

考えも付かない場所からとんでもないモノが見つかるのも、もうたくさん
自分でやっておきながら、誰かがイジワルしているって?被害妄想ももうたくさん
他人扱いも、夜の散歩も、繰り返される毎日同じ質問も、もうあきあき。

どうして私は毎日こんなことをしなくちゃならないの?

「産んだ覚えはない」「お家に帰ったら」
頼みもしないのに産んでおいて、サッサと忘れて、なのに、私は、そんな母を扶養する義務がある。

全てがイヤです

こんなこと書くと、実の親に対して…と思われるんだろうか
冷たい娘だと思われるんだろうか
だけど、私は、はき出さないとおかしくなる。

世に中には、優しい気持ちで介護にあたっている人もいるのだろう。私だって優しくなりたいけど、どうにもストレスがたまって優しくなれない時がある。

解放されたいな…、自由になりたいな…、好きな所に好きな時間に行きたいな…

やっぱり認知症、なったもん勝ちだ
 

介護は続くよどこまでも

2005-03-02 | ●介護録(~2015.2月)
否定してはいけません、受け入れましょう、話は合わせて逆らわず、言うとおりにしてあげて、不安を取り除き、優しく接して……Etc.

認知症の介護は一言でいうなら「忍耐」だと私は思う。

こんなに耐えて、頑張っているのに……でも、その努力もなにも相手には通じない。
それどころか、イジワルな人にされたり、泥棒扱いされたり、報われないことこの上ない。いえ、報われないどころか、こっちの心までズタズタにされる。

認知症以外の介護ならば、家族として会話が成立し、お互いを思いやり、頑張った分報われるのでは、と私は思う。
何より、心を通わせる事が出来るのはうらやましい。
そんな状況なら、出来るだけのことをやってあげて、そして、(順番からいけば親が先だから)悔いなく最期を看取って、いい思い出を作れるかもしれない。
でも、認知症は……。

今、私には、母との嫌な思い出が蓄積されている。
報われず、苛立ち、怒り、切なく、悲しく、腹が立ち……。
そういう思いばかりだ。

それを打ち消す手段の一つとして、介護詩を作っているような状態。
考えたら、これも哀しい作業。

どうして、専門家は簡単に介護者に
「○○してあげましょう」とか「こういう対応が必要です」とか「相手の気持ちになって考え、接してあげましょう」っていうんだろ。
家族が認知症になり困惑している段階の介護者に、介護のあるべき姿、理想の介護を、いきなり突きつけるのは、何かが違う。

いつか、全て受容して、おだやかな気持ちになれる日も来るかも知れないけど、最初は無理なんだもの。
「辛くて、受け止めかねて、泣いて、わめいて、イライラしても、それが当たり前の反応。少しずつ受け入れていきましょう」って言ってくれる専門家はなかなかいない。
最初の最初は、手探りだから、そんな一言が必要だと思うんたけど……。