「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

ながーい間の思い込み

2017-09-14 | ●介護回想(2015~)
父の命日は1月8日。
1月に住職の訪問があるので、わたしは、ずっーーーーーと、命日のためと思ってた。

母の命日が12月7日で、去年が3回忌。
今年は、12月に母、年明けに父と続くことになるのか?と思い、先日の秋分の日の訪問時に、
両親の命日を一緒にするのはどうなんでしょう?と聞いてみた。

住職は何か小さなノートなような本のようなものを、パタパタと開いてから、父の23回忌は○年で、母の七回忌は○年で、まだ先だけど、早いほうに併せて一度にしてかまわないよ……と。

ということは今年の12月の母の命日に訪問はない?

あれ?○回忌の時だけの話?


そうなんです。

1月の訪問は、新年のお参りだったのでした。

命日、関係なかった…………。
思い込みってこわいわ
いつ訪問するかを知らせるハガキをよく見れば書いてあるはず。


とりあえずホッとした。


仏壇守りもなかなか大変です。

うちの親は、介護も経験せず、お寺関係も母が父のことを何年かやったくらい。
全部、背負ったわたし。

なんだかもう疲れたワ


母が亡くなった時より泣いた日

2017-09-04 | ●介護回想(2015~)
母が亡くなった時は(病院で)ほとんど泣いていないので、正確にいうと、号泣した納棺の時と同じくらい、もしかしてそれよりも泣いた日の話。

その日は、母の療養病棟入院が決まった日。

前日まで、来週には退院と言われていたにも関わらず、週末、食事中に激しくむせて大変な状態になったらしく(私自身は見ていない)、思っていたより飲み込みの力が落ちているということで、療養病棟行きとなった。
(この時のわたし、心の中で、あんな早さであんな量を食べさせてたらそうなるよ!……と思っていた。)

帰宅してコートも脱がず、ストーブをつけることも忘れて、大泣きした。

私の介護、終わった……


療養病棟に入ったら正面玄関から出る人はいません(死んで出ていく)。

と、数年前に、ケイレンが出て診察してもらった医師が言った。
脳萎縮が進んでいずれ食べられなくなるので、その時には療養病棟に入いるように。という話の最後のしめくくりが↑の言葉。

なかなかキツイ人だなぁと思って聞いていた。
そういう覚悟も必要だけど、もう少し言い方はないのか?と。

でも、その女医さんのいうとおりにナリマシタ。



一番避けたかった療養病棟での最期

でも、結局そうなってしまうんだ。
もう私ものやれることはなにもない。
介護終了。
ごめんね…………
どうしても、自分のせいでこうなってしまった……という思いがわいたし、
ものすごく寂しかったし……
とにかく、号泣した。
何か声に出しながら…ひとりごと?……泣いた記憶が……

そして、自分を納得させた。

それから1年の療養病棟通いは、切ないだけ。

統計的に、胃ろうなら、鼻からなら、点滴ならどのくらい生きるのかは本で読んだことがあったので、そんなに長くはないことは覚悟していた。

多くの人が、寝たきりで食べられもせずに生きていたって仕方ない安楽死を……と軽々しく言うけれど

本当に身近な人がそうなった時にも、同じように言えるのか?と聞いてみたい。
仮に安楽死が認められて、でも本人の意志確認が出来ないときに、家族のあなたは、ためらいなく、どうぞすぐ安楽死させてくださいといえるのか?

とても苦しいことだと思う。

私はやっぱり、認知症が進んで療養病棟に入ってしまっても、それでも母に一日でも長く生きて……って思っていた。






サービスを変えたり施設を移ることの煩わしさ

2017-08-31 | ●介護回想(2015~)
こちら側が、
ここは合わないかも?……と思っての変更ならともかく、

あちらの事情となると
新しい施設をさがしたり、見学に行ったり、面談したり、手続きしたり、入居型だったら軽い引越し作業だったりが、
通常の何倍ものストレスになる。

最近、親が介護施設を変わらなくてはならなくなった知り合いがいて、
年齢的に(90代)ここで最期……と思っていたから、また移動~~とかなりガックリきていた。
(移動の理由は書きませんが施設側からの要望)


母が最初に通っていたデイサービスでは、回数増やすには空きがないというので別なところへ変わろうとケアマネに言われ、少人数制のところへかわったのだけど、
あとになって
空きはあったけれど動き回る母に対応出来ないというのが理由であることを知った。
そこをぼやかしたのはケアマネの優しさかな?
(まあ、結局、わかってしまったけど)


その後も
そのデイサービスの閉鎖、小規模多機能への移動、
入院を経て老健入所と、何回も手続き等々してきたけれど、
ほぼ、こちらの意思ではなくて仕方なく……だった
しょうがない状況になっちゃうんだよね。


最終的には特養になるのか、家で看取れるか?なんて思っていたけど、療養病棟が最期の場所となった。
一番避けたかったのに。


おひとりさまな私は、どのタイミングで、どんな施設を選択すべきなのか?
自分で判断出来るうちに対処出来ればいいんだけど、先がわからないからホントに難しい。
年齢で無理矢理区切るか
体調がどうにかなったら考えるのか

多分、自分で「この時」って決めて動いたほうが体力的にも精神的にもいいんだろうな~~。
体を壊してから仕方なく……だと(頭がしっかりしてる場合)ストレス感じてしまうかも?
認知症にならないうちに(なるのかどうかは神のみぞしる)どこかに入らなきゃ~~と思ってみたり……。

色々切ない。


介護を知らないゆえの無謀

2017-08-22 | ●介護回想(2015~)
少し前に、父方の祖父の三十三回忌?(でいいのか?)法要があった。

でも、集まるのは子供、つまり孫の私は参加しなくてよいということだったから、話を聞いたあと、すっかり忘れていた。

先日、叔父に会ったとき、その法要の話が出た。

法要は叔父Aの自宅で行った。
叔父B(私が会った叔父)は、叔父Aの自宅に向かう途中に特養に寄り、祖母を連れてきてくれと言われた。

祖母は101才。車椅子。年相応の呆けはあるけどいわゆるアルツハイマーなどではない。

特養の車椅子を借りてそのまま連れていったのかと思いきや、乗用車に乗せかえて、車椅子ももたず、法要へ。

車に移すだけでも大変で……と叔父Bはいっていたけど、
みんな自分で介護をしてないから、特養で祖母の状態は見ているのに実感がないんだろう。
なーんにも考えずに、簡単に「連れてきて」「わかった」…………

で、叔父Aの自宅に着いたって、車から降ろし家に入るのも大変なこと。

介護経験のないみなさん、どうしていいかわからず見てるだけ。

叔父Bの奥さんが(叔母ですが)、週三回くらい地元の介護施設の清掃の仕事をしている。
一番、介護が身近。
結局、この叔母が孤軍奮闘。
帰ってから叔父Bはかなり叔母から文句をいわれたらしい。
そりゃそうだろう。

無謀だな……って私は思う。

私には、車椅子から乗用車に乗るときに、意味がわからず抵抗する祖母に手こずる叔父や、
自宅に着いたはいいけど、どうやって車から降ろして車椅子もないままに玄関から部屋まで行くのか、なにもできずに突っ立ってる叔父たちの姿や
そんな人達にイライラしながらなんとか頑張る叔母の姿が
リアルに想像出来ちゃって

申し訳ないけど、呼ばれてなくてよかった……と思っている。

介護-A所属ケアマネ、Bデイサービス、C主治医

2017-08-09 | ●介護回想(2015~)
先日行った整形外科病院は母もお世話になったことがあり、
そのことを考えたいたら、母が風邪をこじらせてC内科(主治医)を受診したときのことを思い出した。

母はまだ小規模多機能が始まる前に介護サービスを受け出したので、
風邪をこじらせたその時は、
ケアマネはA事業所所属(はじめはここのデイに通っていた)
デイサービスはB事業所の認知症対応少人数
主治医はC病院
という感じ。

高熱だったので診察後医師は、訪問看護を手配し2日間(3日だったか?)朝にバイタルチェックすることを決めた。
看護師さんが来てくれるなら安心だし、私はハイハイと言われるがまま。

ところが、訪問看護側から連絡を受けたケアマネが勝手に決められたと怒って私に電話してきた。
言い方としては私に対してではなく医師に怒っていたようだった。
ケアマネとは関係は良好だったから、直接私に、医師が~~と言ったんだろうと思う。
イマイチな関係だったら、ケアマネが黙ってイライラしたか、聞かされた私がシコリになって関係悪化したかもしれないけど、後々もそういうことはなかった。

誰が悪いということでもないと思うけど、私はちょっと板挟み状態。
介護者の立場としては
医療と福祉、仲良くしてください……という感じ。
(訪問看護は、介護保険からと医療保険からの利用、どちらでもOKなんだよね、確か)


ケアマネとデイサービスの事業所が違うのも面倒の一つで、私→デイサービスへ連絡一つで済むところを、私→ケアマネ→デイサービス→ケアマネ→私と手間がかかる。
日常的に母を見ているわけではないケアマネとデイサービスの責任者の意見が合わないときも介護者は戸惑う……

そういうことが解消されたのは小規模多機能に移ってから。
そこの管理者がケアマネ兼任。
何につけ、そこに電話一本で全て完了する。

そしてしその小規模多機能は、D医療法人が経営していて、他にも病院、老健、グループホーム等々広く展開。
ここに移るときにケアマネが、
将来のことを考えたらいろんな施設を持っていることがプラス……と言っていたけれど、当時の私はピンとこなかった。
小規模多機能に移るとケアマネが変わることのほうが不安だったし。

そして数年
母の進行と共に、ケアマネの言った意味がわかった。

小規模多機能なら、風邪でデイにいけない日にも家にヘルプに来てもらえる。
通院のヘルプもしてくれる
看護師も常駐している。
急な泊まりも対応してもらえる。

誤えん性肺炎での入院→老健半年→在宅で小規模多機能という時も、同じ法人なので情報の共有があり、医療ケースワーカと小規模多機能のケアマネと老健のワーカとがサクサクと話を進めてくれるので、介護者の私はほとんどストレスなく手続き等々を終えられた。

これはかなり楽である。
ツーカーという感じ?

アルツハイマー型認知症は確実に進行する。
それを思うと小規模多機能の利用なり、それなりに様々にサービスを展開しているところをはじめから選択するのはアリだと思う。
あとが楽、絶対に。
ただ、小規模多機能は限度額の定額制なので、初期の認知症だと週2回のデイサービスでいいのに高くつく…………ということになってしまう…………(今もそうだよね?)
逆にいえば、毎日通っても定額制なんだけど。

色々微妙だ……。

まあ、どんなサービスでも、100%大満足というわけにはいかないし。
こちらが、ここがいい!と思っても、受け入れて貰えない場合もあるし。

よりベターを探す……ということでしょうか?



認知症者への声かけは短くゆっくりと……。

2017-07-13 | ●介護回想(2015~)
ゆっくりと | 認知症を知り、認知症と生きるe-65.net


短い言葉でゆっくりと……
というのはよく聞いていた。
ただ具体的にはよくわからなかった。
どうしても、普通のペースで話しかけてしまう。

何とはなしにネットを見ていたら↑のページに行き当たった。


「公園に行こうよ、天気もいいし、
散歩するのも身体にいいから行きましょうよ」

という声かけが認知症の人には

「公園に行く……
天気がいい……
散歩……体にいい……」

となって、混乱してしまうということ。


よく考えれば上の文章には

1 公園に行こう
2 天気がいい
3 散歩しよう
4 散歩は体にいい

ということが入ってるけど、健常者はなんの問題もなく、その内容を理解している。

ふと思った
英会話のヒアリングで、こんな会話が流れたら、苦手な私は

うん?公園に行こうっていったよね、天気がいいともいってるのか?で、散歩?健康がどうしたとかも言った?
なんてなりそうだな~~と。

でも、1文ずつ聞かされたら、少しはましに聞き取れるかも。


いつだったか、母の言葉がほぼ宇宙語になったとき、私はわざと、自分も意味不明な言葉を発してみたことがある。
(けしてイジメたわけではありません)
すると、母はとても奇妙な顔つきになって黙ってしまった。

ということは
私の言葉はちゃんと聞こえてる、しっかり理解出来ないにしても日本語として響いていたということだと思う。
だから時に、「寒い」とか「痛い」とか「危ない」とかの単語が出たのだろう。(大抵、ネガティブな単語)
そして多分
何か返事もしていたのだろう。
私にはそれが「宇宙語」だったけど。
(宇宙語だから介護するわたしは楽になった。何を言ってるか分からないから。わかると、それは違うでしょ!とか反応してしまうので)


お仕事として認知症者と接する人とは違い、家族介護者に、常に、短くゆっくりね……と言うのは酷だと私は思う。
分かっていてもなかなか厳しい。
こういうことをあまり言われると
「なにがなんでもやらなければいけない!私が頑張らなくてはダメだ。出来ない自分がおかしいの?」
なんて気持ちになって追い詰められる

心のどこかに留め置いて、余裕のあるときに……って、それくらいで勘弁してほしいな。

うまく実行できるかどうかは別にして

こういうことを知っているだけでもプラスになることはあるはずだから。






介護者カウンセリングなんてのがあったら?

2017-06-28 | ●介護回想(2015~)
米ドラマ(FBIものとか)よくみるのですけど
カウンセリングの話がよく出てくる

発砲射殺した捜査官とかカウンセリングを義務付けられているからストーリーの中で、
義務なんだから行きなさい!
いや、問題ない!
というやりとりはよくある。

それ以外にも

ごく普通に仕事して生活してる登場人物が定期的にカウンセラーのもとに通っていたり(そういうことが必要な感じには見えない元気そうなキャラでも)
子供の時に母親がなくなり、その時にカウンセリングを受けたことがある……とか
仕事でトラブルが起きたあとカウンセリングに通うことになったり
離婚の危機乗り越えのために夫婦でカウンセリングうけたり。


日本も、心療内科が一般的になったし、「街の?カウンセリング」なようなところもあって、専門家に頼るハードルは昔よりは低くなったようには思うけれど、

ちょっとカウンセリングに行ってくる~~

というほどハードル低くはない……


美容院に行くくらいにハードルが低かったら……


先日も米ドラマでカウンセリングの場面があって
本人が話す気になるまでずっと待っていたカウンセラーが
何回目かのセッションで
君が話さないと何もはじまらないんだよ……と声かけ
そして本人号泣

泣くと色々解けていく色々片付く
一気に全てが片付くわけではないけど、楽になっていく
でも、普通の生活では、なかなか泣けない。

もしも、介護しているときに
ハードル低く行ける在宅介護者カウンセリング的なものがあったら
もう少し楽になれたかな?
グチャグチャにたまった介護のあれこれをそこで吐き出して、もちろん解決はしないけれど、心のケアをして、明日からの介護のエネルギーを充填。

安定剤を使っている介護者さんもたくさんいる。

私は、母のために通っていた内科の先生に、思わず、私に安定剤ください!と、訴えたことがあったけど、先生はそのとき、薬は勧めないよ……という感じで色々話をしてくれて、どうしても必要ならいつでも出すから……ということでその日はそのまま帰宅。
結局、私はこの先生との時間で(結果として先生の話を聞いてる時間のほうが長かったけど)癒されたらしい。

(いい先生なんだけど、実はとてもコワイ。)

そんな程度に心が疲れた私には医療機関ではなく街のカウンセリングでも十分だったのかも?


介護中は、
介護者が気軽に訪ねて行けるサロンみたいなところがほしいと考えていた。
そこにいるのは同じ介護者や介護終了者、もしくは介護職経験者。
お茶会しながら愚痴を言う。
プロではないけど、共感しあえるので癒しにはなる。

認知症カフェは、認知症も一緒にだから、それとは別に介護者オンリーのカフェもいいよね。

(あれ?介護者カウンセリングのはずがカフェの話になってしまった)

故人を偲ぶ

2017-06-06 | ●介護回想(2015~)
知人が
しばらくぶりに会った兄弟姉妹で亡くなった親の思い出を語り合った……という話を聞いて

あっ、私に欠けているのはコレか
と思った

あの時、こうだったよね~~ああだったよね~~
あんなこと言ってたよね~~
……と、家族でちょっと故人を懐かしむ……


これがない。

自分の中でたまる
もやもや


友人、知人との会話の中で親の話が出ることはあるけど~~
介護や認知症のことで母のことを話題にすることはあるけど~~

しみじみ故人を懐かしむのとは違う

親戚ならば、まあ少しは昔の話だったり、こういう人だったね……という話はするけれど…………

でも、やっぱりなんか違う


心の中で偲ぶのもアリだけど
声に出して、言葉にして誰かと語るのとは違うし……

その中間にあるのがこのblogだったりするのかな?
外に向けて発信
想いを言葉にする

弱音を吐くのも自由


ということで


会いたいよ~~~~~~






夢で会えても

2017-05-31 | ●介護回想(2015~)
最近、母がよく夢にあらわれる。
それが最近の夢のなかの母は健常者。


亡くなってしばらくは全く夢に現れず、たまには出て来てよ~と思ったくらい。

半年過ぎくらいから?(時期は忘れた……)夢に登場するようになったけど、その頃は決まって認知症介護度3くらいの母。
このレベルで進行ナシなら寿命まで介護出来そう……と思う夢。


そして
なぜか今、健常者。


これがなかなか切ない。
目が覚めると
認知症になる前の母だ……という思いがドッ~と込み上げるから泣きたくなる。

長い間
健常な母を見ていない。
普通に話せる母は遥か思い出の彼方。

懐かしい

会いたいよ、認知症ではない母に。


夢の中では幸せだった。
でも現実ではないんだよね
もう会えない

今さら健常者な母なん


夢であえても…………切なかった。


えん下能力の判定は肺炎発症のあとだった。

2017-05-29 | ●介護回想(2015~)
口腔ケアで高齢者に多い誤嚥性肺炎を予防!|オーラルプラス|アサヒグループ食品



私は正直、母の介護中、口腔ケアがどれくらい大切かわかってなかった。
誤えん性肺炎についても知らなかった。
母ののみ込み能力がどれくらい落ちているかもわからなかった。


(認知症の場合、介護度が3あたりまでは拒否が激しく歯磨きさせることがそもそも難しい。そこを越えると拒否はなくなるけど、歯磨きの意味がわからないから嫌がるしうがいもで来ないしでそれはそれで大変)


結局、肺炎になって二週間入院後に在宅復帰前リハビリのために入った老健で、えん下機能の検査をし、その時初めてそうした機能の低下やら口腔ケアやら、あれとかこれとか教えられた

遅いよ!

と、正直思った。

経験なしの在宅介護のマイナス面かもしれない。

なんだかんだ、起こってから調べる、尋ねる、考える
シロウト介護はそんなもんだ。

心の奥で
ケアマネさん、介護スタッフさん、もっと早めに情報ください……と思った。
ケースを紹介して、こういう危険性があるんだよって。

まあ、でも、
ないかもしれない危険性だから、むやみに家族を脅す?ようなことになってもいけないとか、
いつそうなるかわからないから情報を伝えるタイミングがわかりにくいとか、難しい側面もあるのかも?

その辺がうまくいけば、
高齢者の場合、老化とともに進行しよくなることはないから、備えあれば憂いなしで、介護の始まりに、進行するとともに予想されるコトは全て情報として伝えたほうがいい……とは思う。


認知症の場合、
数年後にはこうなります……みたいなことは、介護が始まったばかりの時は確かにあまり聞きたくないかもしれない。
そもそも認知症発症がショッキングだものね。

でも
やがて現実が目の前に……
もちろん人により進行の仕方も症状も違いはあるけれど
受け入れて介護をすることになるのはみんな同じ

情報も知識もあったほうがいい。
心の準備も出来るにこしたことはない。