「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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うまくいかない(-_-メ)

2007-01-31 | ●介護録(~2015.2月)
ホントにやる気が出ないんです。どうも風邪気味らしい…咳が出る。自分のことなのによくわかんない……(!_+)。

だけど、行けてない整形外科に行かねばと、自分を奮い立たせ、今朝はその心づもりで起き、私がガサゴゾやることで母も起きてきて、よーし、この調子だ、着替えて、ご飯食べたら速攻で出かけるゾーと思ったら………また寝てしまった
ご飯食べようよ~と声を掛けてみたけど、「食べるよ、起きるよ」と返事だけ。現在熟睡中。

なんで、なんで、なんで?
病院行きを狙い定めると寝入ってしまう母。読心術でもつかってるのか

もう、病院なんてシラン。行きたくないし。
足がダルイとたまに言う母…早く行かなくっちゃともう一人の私がせかす。
でも、イヤダ。
あ~放棄したい。この役割。

忍耐力ダウン?

2007-01-29 | ●介護録(~2015.2月)
かんデス。
以前なら10我慢出来たことが、今は7とか8で耐えられず、口をついて出る言葉。

部屋にいって吐き出していた罵声。
母がいない時にながしていた涙。
今は、それを母の目の前でやってしまう。
泣きながら、叫びなから、モノ探ししながら、母にあたって……。

後悔もします。でも、またやってしまう。
最近、それが増えた。

介護生活が続いた結果なのか。最初の一年は、サービスを使って楽になったことで救われた。でも、もう使えるサービスは使っているし、今更、私が楽になる要素がない。
そして、母もグレードアップしていく(当初の予想から比べればその進行はとても遅いけど)

自分を弁護してやれば、キツイ生活が複数年続いたら、人間、やはりへばってしまうよね…ってことでしょうか。
どこまで耐えられる?介護は精神力との戦い?

凹み具合も深くなり、なかなか復活出来ない精神状態のまま、ズルズルとそれをひきずって復活したつもりで暮らしているけど…………。

P・S
なかなかみなさんのブログを回れません。そんな状態の私なのに、来てくださる方々に感謝です。ありがとう。

窃盗…ってわけじゃないけどさ…

2007-01-28 | ●介護録(~2015.2月)
イのスタッフから電話で「もしかして運転免許証がK子さんのバックにはいってなかったでしようか」と問い合わせ。

母のバックは帰ってきてすぐに中の下着を取り出したし、その時に怪しいブツはなにもなかったけど……と、そこでもしや…と思い当たる。
ハンカチとチリ紙(あくまでちり紙なのだ。ポケットテイッシュだと使い方がわからなくなるので)を入れているポーチの中かも

………ありました

以前も同じようなことがあった。
話があって我が家にきたスタッフの上着をハンガーに掛けてあげるわ…と言った母(こういうことは気がつく)ついでに(?)ポケットの中の免許証を我が家の引き出しに……
あるいは、送迎車に同乗している他の利用者さんの下着も自分のバックへいれてしまったり……

相手がデイのスタッフであるかぎり、それほど大問題にはならない。事情を分かっている人々だし、むしろ「私が無造作に置いていたのがわるかったんですよ」といってくれる。確かに、これは、周りが気をつけるしかないコト。

でも、間違って一般の方相手にこんなことしてしまったらどうよ?事情を話せば理解してくれる方もいるだろうけど、そうじゃない人もいるだろうな~、家族がしっかりみてろよ…みたいな。それに、もしも、何か大きな事に発展してしまったら「認知症だから許して」では済まされないことだって、ないとはいえない……考えたらコワイ

Y掲示板でも万引き(本人はそういう意識ではない)が話題になっていたことがあった。
たとえば、万引き程度(程度というのはなんだけと…)なら、事情説明してお金の後払いとか何か対応を考えることも可能。それでお店側の理解も得られるかもしれない。(あくまで「かも」)
でも、誰かを傷つけてしまったり、あるいは火の扱いがまずくて火事になるとか、そうなったら、事情説明で許されることじゃなくなってしまう。

……そんなことがないことを祈るばかりデス

力尽きた夕ご飯

2007-01-25 | ●介護録(~2015.2月)
いつものことなんだけどね……夕飯のしたくしている時に母があれこれやってくれちやって、二度手間だったりイライラしたり。

昨夜もその調子。
調理しながら母の動きを目で追い……それでもやっぱり、テーブルにセットしたはずのモノが行方知れずになったり、使いたいキッチンツールが出てこなかったりして、あれもこれも処置しなくてはならなくて…

とどめは、母が手を出そうとした事を未然に防ごうと
「あっ、それは違うよ~」と慌てて母のほうに近づこうして、冷凍のロールキャベツをバラバラと床にぶちまけ…
再び同じような場面で、今度は鍋をぶちまけた…

あ~あ~あ~~~ああ~~力尽きた。

何が悪いんだ、誰が悪いんだ?
仕方なくお玉に当たり散らした私………ホントに疲れた。

その上、昨夜は母の寝言やらトイレ起きやらで熟睡できず。こういう日に限って母は朝早くから始動

グニグニした想い

2007-01-24 | ●介護録(~2015.2月)

イライラ、イライラ、イライラ……
ムカムカ、ムカムカ、ムカムカ……

だってここは私の生活空間でもあるんだから。
余計なことをしてほしくない。

これは私のワガママ?

日常の細かなこと。
介護の精神的疲労の理由にものぼらないような些細な事。

でもこういうのが私はキツイ。
積み重なるし、人に話してもあまり分かって貰えなさそうな小さなことだから


立場

2007-01-24 | ●介護録(~2015.2月)
認知症本人も介護者も介護職の人も書き込んでいるBBSをチラリとみた。コメントはためらった。やはり書けない。

とくに介護者は、認知症者本人の「思い」に対して、こちらの「思い」もあるにしても、そこをオブラートに包みつつ、さりげなく、気を遣ってるなぁというのがわかった。

そこはまるで「ドレスアップして周りに気を遣いながらコース料理を食べている」ような感じ。
介護者だけのBBSやプログでの関係は「こたつテーブルでみかん」なの。

対立構造ってわけではないけど、認知症者本人と家族介護者という立場は、例えばお店とお客みたいな関係で、だけど、同じ土俵の上にたって意見交換…ってわけにもいかないと思う。

書き込んでいる認知症者は当然、病識のある人で、記憶障害などありつつも、ご自分のこと、立場、周りの対応、そういうことをしっかりわかっている人たち。
だからこそ、「こうしてほしい」「こういう対応が望み」というような思いもたくさんある。
それは理解出来るけど、私は介護者だから、被介護者の「思い」ばかりを優先して暮らしていけない現実を感じている。

きっとだから平行線。

被介護者には被介護者のためだけの、介護者には介護者のためだけの支援と救済が必要ってことだろうな。





介護事件の加害者

2007-01-22 | ●介護録(~2015.2月)
テレビの情報だけど(これはねつ造じゃないだろうな~)介護疲れ殺人などの事件の加害者は7割が男性
基本的にどうしても介護っていうのは男性よりは女性のほうが適性はあるんだろう。まして老老介護の場合、年代的に昭和一桁生まれとか、仕事第一主義に生きてきたオトーサンたちがいきなり家事と介護をやるわけだからストレスも溜まるだろう。

テレビで紹介していた人は70代後半。奥さんは介護度5、本人も病院通いをしている。そんな状況なのに、この方の場合、介護サービスを一つも使っていない。

こういう心理って理解するのが難しい。
共倒れになったら困るよ…と主治医も心配しているのだけど聞く耳もたないようだ。自分が倒れるまでは…という決意?とりあえず生きている間はという刹那的な感じ?あまり先を見ていないってことかな。 (中には見栄が強かったり、ハジだという思いでサービスを拒否する人もいる。)

私たち世代だと、介護が終わった後というものを意識している。人生もうすぐ終わりなんて感覚もないから、「今この時」も自分のためにも生きたいと思う。
老老介護の男性にはそういう部分が希薄なのかしら?女性なら介護中でも自分の老後も楽しみたいと思うようなきがするけど…

でもね~困ったオトーサンたちだ。サービスを使えば解決するかもしれないこともたくさんあるのに。周りの方がハラハラ心配してるだろうに。

もちろんサービスを使えば全てがクリアになるわけじゃない。楽になるわけじゃないけどね。

今日の新聞に在宅介護のコツがのっていた。目新しいことは何もなくて、「使えるサービスを使って自分の時間を大切に。仕事をしている人は出来るだけやめない方法を考え、汚れた下着は使い捨て、心の余裕をお金で買うつもりで」って話だった。

うーん、サービスは使ってるし、自分の時間も大事にしようと常々考えているし……。それでもやっぱりなくならないストレス。どうしても出てくる孤独感。無気力感。イライラウツウツ…。
これはもう多少ガンバラなくては乗り越えられないよ。

今更の謝罪

2007-01-20 | ●介護録(~2015.2月)
骨折後初ショート。その骨折時に最初に我が家に電話をよこした男性もやってきた。(「朝起きたら足を引きずっていた。転倒はしていない。日曜なので病院へいがすに様子をみていていいか」と言ってきた人)

謝罪があった。
骨折に関してはどこでなるかわからないし、引きずりがあるにしても歩いていたので病院へ行く緊急性も感じなかったのは理解できる。
ただ、骨折判明後にケアマネが連絡しても「ショートから戻ってから骨折したのではないか」とか「家族が病院へいかなくてはもいいといった」と言われ、私が連絡するまであちらから電話一本もなかったことに対してはちよっと首をひねる。

でも、退院して一ヶ月過ぎたし、もういい…と思っていた。
「はっきりしないこともあったので、調べて…」と話が始まったところで、私の心の中「ハッキリしないってなんだよ!!」とカチン。
「調べたら、こちらの話(最初の電話)が説明不足だった」……説明不足??得意だよなーこういうセリフ。「話の行き違いがあった」っていうのも何度も言われたモン。 そうかなー私にとっては事実は一つ。あの人は「転倒してない」と言い切った。これだけ。説明不足でもなんでもない。

忘れていたことを蒸し返された気分。で、いろいろ頭の中で考えていたら「ショート迎えのついでに謝罪かよ」と思ってしまった。
これまでも電話で別な人とは話している。それは謝罪目的の電話ではないけど、謝罪も受けた。そしてそういう話になるたびに「一度伺って謝罪をしようとおもっているのですが…忙しくて…」と言う。忙しいのは分かる。でも、そういう言い訳は言わない方がいいよ
病院にも一度関係者が来たし、入院治療費は支払ってくれたわだから、それでもう終わりってことでいい。
つまり改めて出向く気はないってことなんだからさ。もういいよ。

久しぶりの精神科受診

2007-01-20 | ●介護録(~2015.2月)
骨折入院でアリセプトもその病院から出ていたので、精神科はご無沙汰していた。

初診以来二度目のテストがおこなれた。
横で見ていた限り、大きく変わったと思えるのは、引き算が怪しげになっていたこと。
以前はなんの問題もなくクリアしていたけど、今回は「100-7は」と言われて母が最初に出した答えは97。三度目くらいに93が出たけれど、7という数字に呪縛されているような感じだった。

ただ、今回は、年齢や日付がまったく出てこないことを本人が自覚し、「どうしよう、情けない、恥ずかしい」と言いながら、ホントに一生懸命考えていて、隣で黙って聞いていると、かわいそうで、「もうやめて」と言いたくなった。
いつもなら「65歳」だとか、「平成○年」だとか適当な数字を言って、それに対して疑問も待たず、平然としているし、初診時のテストの時も多分、適当なことを言っていたと思う。
今回のあの「自覚」はなんなのだろう。
テストをした男性ワーカー、声が大きくてちよっと威圧的で怖かったし、母の頭もかなりパニックだったんじゃないだろうか。
そして、少しだけ尾を引いて、ちょっと落ち込んでいた。

整形外科入院中から出ている睡眠薬について先生に聞いてみた。
母に処方されているのは、眠りを持続させるタイプのもので、それなりに寝付ける人が飲むと翌朝まで残るということだった。
病院ではそれでも良かったのだろう。でも、日常生活をすることを思うとちよっと困る。
飲まなくても母は寝る。ただ寝言もあり眠りは浅いだろうと感じ、睡眠薬が必要か?とおもったのだけど、精神科の医師は寝言はあまり気にしなくていいという見解だった。
少し様子を見よう…っていうか、この薬を出しているのは整形外科だから、そちらでも相談してみなくっちゃならないけど。