「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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デイケアでの作品

2005-05-30 | ●介護録(~2015.2月)
厚紙と色画用紙で作ったランドセル型の小物入れ。
母は、帰って10分もしないうちに、これを自分が作って持って帰ったことを忘れている。

「これなに?」
「オカーサン、今日、作ったんでしょ」
「まさか。こんなもの私が作るわけないでしょ」
「……。」

母にとっては「こんなもの」なのである。まあ、確かに、紙製だし、すぐに壊れそうだし、小さな子供ならちょっとは喜んでくれるかなーっていうようなモノではある。

母はよく「あれこれ指図されて作るのは嫌だ」とか「こういうことはキライ。なんも面白くない」などと言う。もっと高度なものを作れるのに…と不満を感じるのだろう。
でも、現実はそんな簡単なものもフォローかなければ作れない。

ふと思う。これから発達していくわけでもない母。残された機能や能力をさび付かせないために必要なことではあるけれど、回復するのでもなし、ストレス感じながらやり続けることにどれくらいの意義があるのだろうか……って…。

物語はあざやかに…

2005-05-29 | ●介護録(~2015.2月)
午後、母が家を出た。すぐに追いかけると、わりと早い段階で気づかれたのだが、その時の反応が
「どこいくの?」だったので、拒否反応がないとわかり、適当なことを答えて一緒に歩いた。
母曰く…
「さっき、M町の友達が近くに来ているって電話が来たの。私はいなかったんだけど、お父さん(故人、私の父、母には旦那のことだ)が出て、言っておくからってことだったんだけど、今、そのひとの家に電話したけど出ないから、入れ違いになったのよ。とにかく捜さなきゃ」
ということらしい。

例えば、この話に私が「電話なんて来たかな?」というような勘違いではないかと指摘するような方向で話をもっていくと、しっかりと、それに対して理屈をつけて別な物語を作る。
「いや、それは○○だったから、××なのよ」という感じで…。
何を言っても途切れることなく、物語はどんどんと作られているのだ。
こっちが、詰まって何も言えなくなるくらいに、早い回転。

もちろん、その物語は時間の経過とともに忘れられまったく別な内容になってるのだけど、常にこんな調子なので、今日初めて聞くはずのニュースだって、母には、昨日聞いた話だし、新しく出来た観光施設だって、この間行ってきた所なのである。

これらはみんな「思いこみ」って症状なんだろうけど、でもね、どうしてそこまで、なんでも聞いたことがあって、行ったことがあって、知ってなきゃならないんだろ??
別に新らしい観光地なんて、私が「いいな、行ってみたいね」って言ったら「そうだね、行きたいね」でいいんじゃない??…分かんないなぁ~

「理解したい」母

2005-05-28 | ●介護録(~2015.2月)
今朝のデイは拒否が強く、バスの迎えは断念。改めてスタッフが車で迎えに来てくれた。
その時スタッフが(今日のデイは買い物リクレーション)
「○○さんとの買い物手伝ってほしいんだ。僕が車イス押すからK子(母)さん、カゴ持ってくれるかな」というような事を言った。
私の側に来て「行きたくない」とは言うものの、スタッフに対してはヨイ人になるので
「私なんかで役に立つの」といいながら、とりあえずは出かける態勢になっている。

「じゃ、行くわ」とイイながら、「えーと、そしたら、何をしたらいいのかしら」と困惑して、気持ちがウロウロし、次の行動になかなかうつらない母を見て私は「母は何をするにしろ、どこに行って、何のために、何をするのか、出来るのか、それには何を持って行けばいいのか納得したいのだ」と思った。

理解力低下は甚だしい。でも、理解したい思いは強い。だから、納得しないうちは動きたくないのだろう。
そういう側面から母を見ると「本人も混乱し不安で辛い」という時期にあるのかもしれない。
もっと進行して、何をやらされようが、どこに行こうが、判断も何も出来なくなった方が本人は幸せ?

母には母なりの、現実とは違うのだけど、自分の生活環境や役割というか立場があって、でも、日常はそれとは違う形で流れ、いきなりデイの迎えがきて役割を与えられ、理解しがたいことが繰り広げられているということだろうか。
「理解できない、理解したい」というのもせつないだろうけど、
「理解出来ない」のが母の現実。
だから、今日も私とスタッフは、それに目をつぶり、ごまかし、ごまかし母をその気にさせるのだ…



天使と悪魔

2005-05-27 | ●介護録(~2015.2月)
医療SWに「お母さんの出来ることは奪わないように」と言われた時、なんでそんなこと言うのだろうと思った。当然じゃんと思った。
けれど、今は違う。あえてそう口にしたワーカーの意図も分かる。
あのとき、私がなんで?と思ったのは、単に、あのときの母がまだイロイロなことを普通に出来ていたから。

今は……。

例えば、母はゴミ箱のゴミを集めようとする。「ゴミ箱のゴミ」のように目に付く事には手が出るケースが多い。
結果は分かっている。分別なんて適当、思うがままに始末する。収集日でなくてもゴミステーションに出してしまう。(ゴミステーションが、道路一つ挟んだ向かいにあるし…(!_+))

こんな時の私は…

☆天使のささやき……どんな結果になろうともオカーサンが一生懸命やっているんだから、このまま静かに見守ってあげよう。やらないでーって言うのもおかしいし、後でやり直せばいいんだから。

★悪魔のささやき……やだよーどうせ二度手間だもん。後で、私は臭いゴミを仕分け直さなきゃならないんだよ。気持ち悪いじゃん。だからさー、出来ないんだからやらないでよ。私がやった方がいいんだから。ホラ、今のうちに、ダメ!って言っちゃえ。

どっちも私。でも、実際は、「悪魔のささやき」は心の中だけ。口には出せないよね。その時の雰囲気で、やんわりと「オカーサン、それは燃えないゴミだからね」と念を押すくらい。
ストレス溜まります、仕方ないけど

落ち着いている…こんな日もある。

2005-05-26 | ●介護録(~2015.2月)
朝から落ち着いていた。
新聞を読み、片付けをしていた。それも、昔の母を思わせるような、しっかりした片付け。
こんな日があるから、「不穏を予測してあらかじめ安定剤を飲ませる」ということが私には出来ない。タイミングが分からない。

午後からは手芸の時間。やっぱり私が相手の時とは違う。
ヘルパーが「○○子さん、こんにちは~」と来た瞬間から、脳が活性化するらしい。
布などにすぐに集中し、「こういう場合は、○○にしたほうがキレイに仕上がるのよ」などと講釈が始まる。
おしゃべりも弾む。
気も使っている。

そんな様子を見ながら、なんだかため息…。

午後四時、ヘルパーさんが帰って30分。まだ落ち着きを保っている。
このまま夜までもって欲しいな~



安定剤。

2005-05-25 | ●介護録(~2015.2月)
デイケアから電話が来た。その日の診察で医師が「落ち着いてるから薬はいらない」という話になり、家で飲んでいるかどうかの確認だった。
家ではほとんど飲んでいないので、今まで処方された分の残りがあり、今月は安定剤と眠剤をストップして欲しいと連絡してあったのに先週しっかり処方されてしまった。
なので、今後、家で安定剤を飲む、飲まないにかかわらず、一度止めて欲しいのだと訴えた。

その時に、安定剤を飲むタイミングを聞いた。
「不穏時用」と記されているその薬。けれども不穏になってから飲んでも効かない。一日一回と言われているから朝から飲んでしまったら、夜になって不穏が出た時には再び飲んでもいいのか?素人の私には疑問がいっぱいある。
この日の看護師の答えは(以前の人とは変わっていた)
「不穏になってから飲んでも効きません。デイでは必ず飲んでもらい、それでなんとか「帰る」ことを止めているのです。デイでは昼過ぎから帰ると言い出すと分かっているので早いうちに飲ませる。しかし、家では、薬を飲ませること自体も大変になるし、家族が飲まなくてもなんとかなると思うなら、それでいい。飲ませなさいと強制するものではない」というものだった。
…結局???のままの私。
不穏になってからでは効き目がない薬が不穏時用に処方…まぁ仕方ないかな。
家族が大丈夫と思うなら…って……ぜんぜん大丈夫ではないけど、不穏になってからでは遅いと言われ、では朝からのませちゃうの?って疑問をなげても的確な答えはなかったし。それは介護者しだいってことかしら?

ともかく、薬を飲ませることも私にはイベントっていうくらい大変なことなので、普段は忘れてるくらいに安定剤のことを無視している私である。
朝の血圧とアリセプトと一緒に飲ませたほうがいいんだろうか?薬の成分が体内にあるのは五時間程度と聞いたけど…

玉砕?!

2005-05-24 | ●介護録(~2015.2月)
このところ母の外出モードが強いので、なんとかそれをとどめたくて、ヘルパーとの手芸をまねて、母を手芸に誘ってみた。
出だしは良かった。
「かわいいねー」と興味はあるようだ。「こういうの楽しいから」とも言っている。
しかし……。
ホンの一枚型紙を切っただけで、
「さぁ、私はもう行かなきゃ。あとは今度来た時に手伝うから、それまで一人でやってて」ときたもんだーヘ(^^ヘ)
「どこ行くの?一緒にやってくれないの~」と訴えるも
「おばーちゃんから頼まれてるし…ナンタラカンタラ~」と、まるで相手にしてくれなかった。

結局、私ではダメなのだ。
ヘルパーさんはお客様、せっかく来てくれたからしっかりお相手して、接待もする。
だけど私は…どんなに他人状態であっても…本能的に(?)遠慮のない相手なのだ。
…もはやムダな努力はすまい、と思う。悲しい現実だ。

この後、母の家出に付き合うこと1時間半。小雨の中を西へ南へ歩き続けた…

朝からお出かけモード

2005-05-23 | ●介護録(~2015.2月)
今朝の母はどうやら午前5時頃には起きていたようだ。私は夢うつつ…なにやら物音がしたのだけど「夢?」と思いつつまた眠ってしまった。その後、五時半、六時半と玄関のドアの音で目が覚め(すぐに戻ってきた)、夢だと思ったさっきの物音も現実だったのだと、ようやく頭が動き出した。

こんなふうに早く起きていたせいなのだろう、九時から「家出モード」になってしまった。
この家にはいられないのだそうだ。誰かが出て行けと言うのだそうだ。それは私なのだろうか?
母がこの家を拒否すると、いつも、私は自分のせいなのかと思う。もちろん出て行けと言ったことはないのだけど…。

近所を一回りして、百円ショップでお買い物。ようやく不穏が治まる。
デイケアの日なので、母の後を追う私は焦っていた。(問題なく間に合ったけど)
家に戻ると、本人のなかでは「もうお昼でしょ」という感じ。
あんまり早起きされるのも困りものだ。

ところで、内科から出る薬が一つ増えてしまった。コレステロールの薬だ。一粒を夕方に飲む。
思わずため息…
朝の薬を飲んでもらうのだって大変な努力がいるのに、さらに夕方まで……。
思えば、朝一度だけだったことが楽な方だったのよね。薬が増える可能性は大いにあったのに、まったく考えていなかった私…浅はか…

お風呂に行ってきたけど…。

2005-05-22 | ●介護録(~2015.2月)
正直言うと、「疲れた、もう行きたくないよ~」…である。
着替えやバスタオルetc用意するのに手がかかるのは仕方ないのだけど、なんていうか…「中途半端に自立している」ので、さっさと私が済ませてしまえない。何が必要か判断があやふやになっているのだけど、それでも自分がやるのだという意識は強い。
だから、私が用意している横で不要なものを持ってくる。それは今日必要ないよと言えば、片付けに行くが、一分もしないうちに、また待ってくる。
ふと見るとバスタオルを三枚もカバンにつめていたり…。
かえって、なーんにもしなくなってくれたら楽なのにィィィと思ってしまう。

とりあえずほぼ一ヶ月ぶりに母は体を洗った…洗ってくれた。髪はシャンプーしてくれなかった。
「熱いからイヤ」
「人が見てるからシャンプーはしない。家でやる」
「風呂桶、うちから持ってきたんだから持って帰らなきゃ」
「このバスタオルは私のではないの。だから使えない」
よその方が使っている場所、風呂桶、なんでも勝手に使ってしまう…。「薬でこうなってるの?」と聞かれる始末。
(こうならないために薬飲んでるんだけどね…)

銭湯は限界か?
なんとかデイサービスで入って欲しい。こんな銭湯通いを続ける自信はなくなってしまった




交番に行きました…(×_×)

2005-05-21 | ●介護録(~2015.2月)
午後から不穏が続き、あれこれ妄想に振り回され、切れかかりベットで泣き伏している時に、母が出て行く音がした。三度目。
また戻るだろうという思い半分、マズイかもという思い半分……でも追いかける気力喪失。
やられました。1時間経過…これは迷子にか、またタクシーでMへ行ったか。
そして携帯がなる…S交番から。(車で5分程度)

S交番にお世話になるのは初めて。いつものH交番に比べると優しい対応。
引き取りの手続きは同じでも、言い方一つでこんなに気持ちが違うものだと知られされる。

H交番の電話はとても事務的「印鑑を持ってきてください。時間はどのくらいかかりますか」。
また、「あなた、なにやってたの?」とか「まだらボケか。もう顔覚えたからいいけどな」と言われて警察がキライになった。捜索依頼をした時も「Mにいってるかも」という私の話を取り合ってくれなかった。認知症者が一人でそこまでいくはずないと思っていたのだろうか?。

S交番の電話は「じゃ、迎えにきてくれますか」という感じ。そして最後に「気をつけて来てください。お母さんは元気ですから」と付け加えた。
書類に印鑑を押したり、いろいろ聞かれるのは同じだけど、冷たい言葉はなかった。たったこれだけのことだけど、こっちの気分は大きく違う。ここだけしか知らなかったら「おまわりさんは優しいなー」と思うだろうなー。
ただ、いつもどういう経緯で出て行ったのかの説明がムズカシイ。
おそらく「なぜ一人で外に出すのか」ということだろう。でも、私が他人になり同行を拒否されるフクザツな状況は一言では説明出来ない。
「8割がた、自分で帰ってくるし何度も出たり入ったりしていたので様子を見ていたら……」てな話でやめておく。別にこれも嘘ではないし。

さて今回、最後に警察官が「おばーちゃん、娘さんのとこに帰ろう」と言ったとき、母は「おばーちゃんなんてあんまり言われたことない」とちょっと反論を試みた。
その気持ち、私は分かるゾ。
だって、その警察官はどうみても50代。そんな年代の他人に「おばーちゃん」と言われるのはイヤだよね。
春山社長の話ではないが、保育所言葉なのだ。認知症の高齢者だから?
でも、見当識障害はあっても、他のところはそんなにボケてないのよ、うちの母…とお巡りさんに言いたくなったのでした。