「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護回想録:メニューを投げ捨てようとした私

2014-07-27 | ●介護録(~2015.2月)
何年も前、母が元気に歩き回ってた頃。

私を娘と認識してない昼時、母はよく、「ご馳走するから食べに行こう」と私を誘った。
(娘の時の私にはわざわざご馳走という単語は使わない)

近くのパン屋にカフェコーナーがあり、手頃な値段でオムライスやサンドイッチ、デザートなど食べられて、ランチに時々利用していた。

誘われると、ああ、また今他人か…と思うけど、訂正などしても無駄なのは承知だしお腹もすくので、母に合わせて食べに行った。

この時大切なのは、あくまでも母がご馳走したという形を取ること。
お安いカフェコーナーは食券を買って呼ばれたらセルフで取りに行く方式。でも母は理解してない。

メニューを見て注文を決めたら、
私が注文してこようか?と、さりげなく言う。
すると母はお願いね…という感じで財布を手渡す。
この財布にそこそこの紙幣を入れて管理してたのは当然私。
レジに行き注文を終え席に戻ったら財布を返す。
任務完了!
大抵、食事してるうちに母の認識?も変わりパンを買って帰宅…ということが多かった。

が、ある日
カフェコーナーの席に着かず、パン売り場をウロウロ
買いたいふうでもなく…
私の言うことにも聞く耳もたずでコントロール不能。
しかも昼時のこのパン屋は混んでいる。
レジは行列。
ちょっとしたスキに私は母の姿を見失った。

どこー?!

店の周りにも姿なく…
家に戻ってみたら玄関に向かう母がいた。

ホッとすると同時にムラムラっと。
「なんで勝手に出て行くの!」
怒ってしまったので母は不機嫌に。

玄関に入らず歩き出す。
追う私。
ふと見れば母の手にはパン屋のメニューが!

「なんでこんなもの持ってくるのぉ!!」

母の手から取り上げる

母は訳が分からず、さらに不機嫌になりズンズンズンズン歩き出す。

無視できるならそんな楽なことはないけど迷子になって困るのは私。
友人が(冗談半分だろうけど)私には無理~無視する~おいて行く~なんて言ってたけど
実際警察の世話になったことがある身としては、ついて歩くより数倍嫌な思いをするってわかってるから…

前を行く母を追わなきゃと思うと同時に、手の中のメニューに、
なんなのよコレ、わたしが返しに行くわけ?
ああ、やだ、もうやだ!
と、心砕けた私は、メニューを歩道の脇に投げ捨てた!

そして母の後を追って……
数歩。
まだ完全崩壊してなかったらしい私はメニューを拾いに戻りました(T_T)

そして、家に戻ってから
私はすぐにメニューを返しにいかなかった。

なかったことにしたかったんだと思う。

翌日か翌々日か、返しに行った時も
メニューをテーブルの所定の位置に戻すだけで謝罪もしなかった。
が、
普通にパンを買いレジにいったら
お母さんがメニューを持っていったんだけど……と指摘されてしまった。
返却したことを告げて謝った。

それ以上何も言われなかったけれど、ひねくれた私は

母が店を出て行くのを見てたわけ?
じゃあ私がさがしてたのもわかってたよね

……と、内心ムカムカ。
まあ、八つ当たりデス

声をかけてほしかったヨ
止めてほしかったヨ
勝手な言い分。

メニューを投げ捨てたことを、後々、ある人に話したら

その時、精神的に普通じゃなかったんだよ

と言われ
ああ、普通はごく当たり前にサクッとメニューを返しにいくことを考えるよなぁ~と気づいた。
大惨事というようなことでもないし、
認知症の母が…といえば、許してもらえるだろうから。

なのに、返すのどうのじゃなく投げ捨てた私。

拾いに戻る理性があって良かったけど。


北欧、3日で退院か…

2014-07-24 | ●介護録(~2015.2月)
病院のデイルームで新聞を読んでいたら
北欧(デンマークだったかな?)の介護の話が出てて

解説していた女性のお母様、90才で腰を折って入院、3日で退院しリハビリ……

日本なら、90、腰、と聞いただけで、ああ、もう寝たきりかな?と思うところ。

3日で退院が普通という言い方をしていた。
在宅できっちりヘルパーさんなど来てくれるから出来ることなんだろう。

以前読んだ本では、(北欧のどの国かは忘れた)
家族が介護する場合には手当てがでるし、介護職は公務員同等扱いと書いてあった。

もちろん、税金たっぷりとられるわけだけど。


3日で退院したら、表情がなくなるだの、歩けなくなるだのないだろうな…と、しんみり考えてたら、
近くを横切った看護師さんに

「具合悪いんですか?大丈夫?」と言われてしまいました(*_*;
そんなに深刻そうな顔してたのかな?

まあね~
切ないわ~と考えてたから。

入院するときは、毎日ちゃんと起きて車椅子に座って
笑ったし、言葉も少しはあったわけで。
それがあっという間になくなって…

もちろん、母の認知症がもっと軽いレベルなら状態は違うだろうというのもわかってるんだ。


来月5日は野球観戦です。
正直、先月までは、8月、のんきに野球行ってられるんだろうか?と思っていたんだけど、この感じだと大丈夫そう。

…でも
金子マックは出てないし
守備下手になったファイターズ、楽しくないんだよ~
よく3位にいるなぁ
終盤、落ちていくのか、留まるのか?
留まっても、今のチームでは、サクッとCS敗退しそう。








雷なるし、お腹壊すし、タオルは持ち主不明だし

2014-07-18 | ●介護録(~2015.2月)

めちゃめちゃ暑かった昨日…
夕方に雷と大雨
病院行こうとしていたときだったから、ちょっと様子をみることに。

………するとなんか急にお腹が~~~~痛い…痛い……

いろいろ?!済まして落ち着いたけど、すぐに完全回復とはならなかったので
胃が~~
お腹が~~と思いながらベッドに
気づいたら六時
寝てたらしい

今日も曇ってるのにドヨンと暑い……(-_-;)

………………………………………

母がお世話になっている病院は看護師、介護職、事務その他…
すれ違うと「こんにちは」と声かけしてくれる。
顔見知りだろうとなかろうと、ほぼみんなといっていいくらい。

母が骨折して初めてここにお世話になったんだけど
一階ロビーでボッーと座っていたら
廊下からこっちに向かって歩いてきた事務職らしき男性が
「こんにちは」と私に声かけながら通り過ぎていき
えっ?知り合い?と、驚いたのを今も覚えている。

そして、そのときの主治医
とにかく人当たりが柔らかく、優しく、なんでも聞ける、そんな先生。

当時の母は介護度3程度だったので何かと大変で
退院後の定期検診に連れて行くのは大仕事
その頃は小規模多機能ではなかったので通院のヘルプはしてもらえない
もう毎月、イライラしながら通院していたのだけど
診察が始まって主治医に接すると
自分のトゲトゲな心がマシュマロになるくらい。
自分はこの先生に救われているな~~と感じていた。

先日、デイルームでボッとしいたら、廊下の先で
その主治医が知り合いらしい患者さんに声を掛けているところを目にした
変わらない優しい言葉、声でした。


人によっては
マイナスイメージを持っている人もいるんだろうけど
私はよいイメージ

小規模多機能も同じ法人だから
何をするにしても連絡がスムーズだったし介護者としては楽…というのもある。


それでも…
療養病棟で長くお世話になるってのは………やっぱり……タメイキ
出来きることなら、やはり「病院」ではなく「介護施設」がよいな…と思ったりする。
少しでも普通の家に近い方が…と。
といっても本人がどう感じているかは不明なんだけど。

母は四人部屋
先週だったか「これ、ビゴさんちのですか?」と介護職の方に聞かれた
花柄のタオル。
うちのではなかったから「違います」と答えた
名前が書いてないので誰のかわからないという

その数日後
そのタオルがうちのロッカーの洗濯物入れの中に入っていたので
帰り際に、そのことを伝えたら
「すみません」といいながら点検していた介護職が
「○○(うちの名字)って書いてあります」という
えっ………………
見たらサインペンで○○って書いてある。
でも、うちのではない!
うちの名字はよくある名前なので
「ほかの○○さんじゃないですか?」と言ったけども
この病棟に○○さんはうちだけだという

なにかの行き違いで
「ビゴさんちのではない」が「ビゴさんちのタオル」に化けて
「名前、かいておきましょ」ってことになったんだろけど

うーーーーん、こういうのはなんかややこしい。

だって、その二日後
またそのタオル、うちのロッカーに入ってたんだもの

この日は帰るまで看護師も介護職にも会わなかったので
タオルは病室の窓際の椅子に掛けて帰ってきたんだけど
またうちのロッカーに入ってるような予感

名前書くのはやめてほしいわ~~

迷子のタオルはいったい誰の?

 


介護度3くらいの頃に母が書いた手紙

2014-07-14 | ●介護録(~2015.2月)

『今まで長い間
長し(「流し」のこと)の要事(この場合は「用事」)
どうもありがとう
これからも宜しくね
どうもありがとう
これからも あきないで遊びに来てね(「来」は旧漢字で書かれていた)
待っているよ
釧路(「路」は「足」しか書いてない)から来る(旧漢字)のを待っているよ
首を長くして待っているよ
家方(意味不明)首を長くして待っているよ』

↑は、骨折で入院中の母が書いたもの
まだまだ元気だったので
手術前、一般病棟にいる時
夕方の、看護師が最も手薄になる時間に
いわば、「見張り」のため毎日面会していた

(折れているにも関わらず歩く母。
折れた大腿骨骨頭が骨盤にカポンとはまり?歩けてしまうのでした)

時間をもてあますので、手紙でも書いたら?
と、ミニ便せんを母に渡したら
書き出したのが↑の手紙

母が字を書くことはほとんどなくなっていたので保管していた。



解説すると

「流しの用事」をやっているのは「私」
そして「私」は母と同居
だけど「遊びに来てね」となっている

「釧路から来る」のは母のすぐ下の妹夫婦
その妹がやってきて家事などやってくれている
…という認識らしい

母は介護認定を受けた最初のころから
私を
「妹」だったり「他人」だったり
あるいは、「私」であっても「子供のまま」であることが多かった。
果たして一日24時間、どのくらい「娘」を「娘」として見ていたのか?

少なくともこの手紙を書いている時は
いつもいろいろやってくれる人は娘ではなく妹という認識だったわけで
…ということは
このとき母の隣にいた「私」は何者?
「娘である私」?
それとも全くの他人?病院の人?

この手紙を見たときの思いは記憶している
まだ漢字もかけるし文章も書けるんだ…という思い
ああ、でも私のことやはりわかってないんだな…という思い
悔しいような悲しいような…
なぜ、叔母(妹)なの?
叔母の名前は母の口からよく出ていた
逆に、私は名前を呼ばれることが少なくなるばかり……

まあ、そんなことも今は昔…
他人様でもコミュニケーションをとれた頃がなつかしい
………そんな風に思うほどになってしまったデス(T_T)



 


介護:アルツハイマー3期って何?

2014-07-09 | ●介護録(~2015.2月)
先日、米ドラマを見ていたら
検死官が遺体の脳の状態を見ていたら

「神経が…(なんていってたか忘れてた)」

「アルツハイマーか!」

「3期よ。」

というような会話がなされていた。

思わずテレビに向かって
「3期って何?!それって何?」と突っ込んだ

アメリカでは、脳とか神経の状態をみて、アルツハイマー○期です…とかって診断するんでしょうか?


母が介護度3の初期くらいで骨折入院したときに、医師にお願いして骨折とは全く無関係のCTスキャンしてもらった。

結果、脳の萎縮は年齢相応。

認知症ってのは、脳の萎縮だけではわからないものなんだなぁ~というところで納得。

その数年後
痙攣を起こして、初MRI。
すでに介護度は5
医師の話は
「知的活動がほとんどなされてない」だった。

私の地元だと
脳梗塞などで倒れたのでなければ、
認知症ならばこの病院って言われてる市内の病院に行くことが多い。
そこにはCTもMRIもない。
脳の状態がわかったからって認知症が治るわけではないけど、
一般論ではなく、母の脳が今どうなってるのかを知りたいと、その頃は激しく思った。

脳の○○が著しく萎縮している、だから××な行動障害が出る

というような答えが欲しかったのだ。
実際はそんな単純ではないだろけど。


とはいえ脳の不思議

医学的にはかなり脳の機能が衰えているのに、そうとは思えない能力を見せるケースも多々あるらしい。

願わくば自分の親もそんな不思議の一人であれば…とか
奇跡のように進行しない…とか、ドラマのようなことを思ったりもしたけれど……
まあ、そんなことはそうそう起きはしないのだ。