母が亡くなった時は(病院で)ほとんど泣いていないので、正確にいうと、号泣した納棺の時と同じくらい、もしかしてそれよりも泣いた日の話。
その日は、母の療養病棟入院が決まった日。
前日まで、来週には退院と言われていたにも関わらず、週末、食事中に激しくむせて大変な状態になったらしく(私自身は見ていない)、思っていたより飲み込みの力が落ちているということで、療養病棟行きとなった。
(この時のわたし、心の中で、あんな早さであんな量を食べさせてたらそうなるよ!……と思っていた。)
帰宅してコートも脱がず、ストーブをつけることも忘れて、大泣きした。
私の介護、終わった……
療養病棟に入ったら正面玄関から出る人はいません(死んで出ていく)。
と、数年前に、ケイレンが出て診察してもらった医師が言った。
脳萎縮が進んでいずれ食べられなくなるので、その時には療養病棟に入いるように。という話の最後のしめくくりが↑の言葉。
なかなかキツイ人だなぁと思って聞いていた。
そういう覚悟も必要だけど、もう少し言い方はないのか?と。
でも、その女医さんのいうとおりにナリマシタ。
一番避けたかった療養病棟での最期
でも、結局そうなってしまうんだ。
もう私ものやれることはなにもない。
介護終了。
ごめんね…………
どうしても、自分のせいでこうなってしまった……という思いがわいたし、
ものすごく寂しかったし……
とにかく、号泣した。
何か声に出しながら…ひとりごと?……泣いた記憶が……
そして、自分を納得させた。
それから1年の療養病棟通いは、切ないだけ。
統計的に、胃ろうなら、鼻からなら、点滴ならどのくらい生きるのかは本で読んだことがあったので、そんなに長くはないことは覚悟していた。
多くの人が、寝たきりで食べられもせずに生きていたって仕方ない安楽死を……と軽々しく言うけれど
本当に身近な人がそうなった時にも、同じように言えるのか?と聞いてみたい。
仮に安楽死が認められて、でも本人の意志確認が出来ないときに、家族のあなたは、ためらいなく、どうぞすぐ安楽死させてくださいといえるのか?
とても苦しいことだと思う。
私はやっぱり、認知症が進んで療養病棟に入ってしまっても、それでも母に一日でも長く生きて……って思っていた。
その日は、母の療養病棟入院が決まった日。
前日まで、来週には退院と言われていたにも関わらず、週末、食事中に激しくむせて大変な状態になったらしく(私自身は見ていない)、思っていたより飲み込みの力が落ちているということで、療養病棟行きとなった。
(この時のわたし、心の中で、あんな早さであんな量を食べさせてたらそうなるよ!……と思っていた。)
帰宅してコートも脱がず、ストーブをつけることも忘れて、大泣きした。
私の介護、終わった……
療養病棟に入ったら正面玄関から出る人はいません(死んで出ていく)。
と、数年前に、ケイレンが出て診察してもらった医師が言った。
脳萎縮が進んでいずれ食べられなくなるので、その時には療養病棟に入いるように。という話の最後のしめくくりが↑の言葉。
なかなかキツイ人だなぁと思って聞いていた。
そういう覚悟も必要だけど、もう少し言い方はないのか?と。
でも、その女医さんのいうとおりにナリマシタ。
一番避けたかった療養病棟での最期
でも、結局そうなってしまうんだ。
もう私ものやれることはなにもない。
介護終了。
ごめんね…………
どうしても、自分のせいでこうなってしまった……という思いがわいたし、
ものすごく寂しかったし……
とにかく、号泣した。
何か声に出しながら…ひとりごと?……泣いた記憶が……
そして、自分を納得させた。
それから1年の療養病棟通いは、切ないだけ。
統計的に、胃ろうなら、鼻からなら、点滴ならどのくらい生きるのかは本で読んだことがあったので、そんなに長くはないことは覚悟していた。
多くの人が、寝たきりで食べられもせずに生きていたって仕方ない安楽死を……と軽々しく言うけれど
本当に身近な人がそうなった時にも、同じように言えるのか?と聞いてみたい。
仮に安楽死が認められて、でも本人の意志確認が出来ないときに、家族のあなたは、ためらいなく、どうぞすぐ安楽死させてくださいといえるのか?
とても苦しいことだと思う。
私はやっぱり、認知症が進んで療養病棟に入ってしまっても、それでも母に一日でも長く生きて……って思っていた。
私だけじゃなかった……って(当然、同じような立場の人はたくさんいるとわかってるのに)思えて、嬉しいといったらへんですが、ありがたいコメントです。
まだ半年ですか……。
わたしは、それくらいの時期まではあまり泣くこともなく、たんたんと過ごしてました。
ジワッとくると別なことに意識を切り換えていました。多分、そこにドップリとつかったら余計に悲しくなると自分でストップ掛けていたのだと思います。
たから今のほうがよく泣いてます。
どっぷり浸かってしまえ~~という感じで、会いたいよって声にも出して涙が出てもおかまいなしで流れ放題。
それも時が流れたから出来ることなのかな?
きっと、時間の経過とともに、懐かしく思っても涙が出るようなこともなく……と変わっていくのでしょうね。
いざという時の処置をどうするのか、
いざという時に 心肺蘇生するか だなんて、、、
そらしてくださいよっ と。
人工呼吸器 つけるかだなんて、、、
もうね、想像できなくて、返答もできなくて、
でも、訳が分からなくても、家に居られなくても、
生きていてほしいと思う。
気が変になりそうだった。
いきなり言われても想像出来ないよ
単に心肺蘇生しますか?と聞かれても、どんな状況で?って、色々あるじゃないですか?って突っ込みたくなるわ
療養病棟ではなぜ聞かれないのだろう?
まちがいなく、そこは最期の場所なのに。
言われることって、高齢者の場合、見回りに行ったときにはすでに……ということがありますから……これくらい。
とにかく、自分ではない人の最期を時を決断する立場になるのって、普通に想像して苦しいだろうと。
そういうことがリアルに迫ってない人は、宋なんで生きてても仕方ないんだから安楽死……とか言えちゃうだろうなぁと、昔の自分もそうだったと思うのです。
こういう時はホントに言葉がみつかりません。
気持ちは痛いほどよくわかるし、コメント書いてるだけで泣きそうになるけど。
どんな言葉も慰めにはならないですよね。
みんな、早く前を向いて元気に、それが供養だからっていうけれど、
わたしはそれが辛かったから、案山子さんには、心のままに悲しんで……と言います。
時が癒してくれるけれど、掛かる時間は人それぞれ。
悲しむことは悪いことじゃないと思っています。
お母様のご冥福をお祈りします。