「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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入浴、決行

2007-02-27 | ●介護録(~2015.2月)
母が寝たので、入浴しようと、お風呂を洗いお湯を入れ始めた。

…すると母が起きてきた。ゲッ

どうしよう入りたい…明日も明後日もデイじゃないので昼間ゆっくりはいることは不可能。金曜日まで待つのはイヤだ…ここ二ヶ月徘徊は止まっているし、テレビを見ているし、大丈夫かな~大丈夫よね…ヨシ入ろう

…といいうことで速攻、入りました。

…無事終了。良かった、ホッ

おめでとう~
ありがとう~



おバンツその後

2007-02-25 | ●介護録(~2015.2月)
介護メモを振り返ると、失禁が出だしたのは12日。毎晩ではなく、二晩続いたかと思うと、三日四日何事もなくそしてまた二晩…という感じ。

その前後、何があったか…と考えると、整形外科検診、内科受診、どちらもレントゲン撮影などがあった。
デイで吐いたのもこの頃。
そして脳神経外科にまで行くハメになり、ここではMRIをとり、何時間も待たされた。
こういうことが母の状態をおかしくしたと言い切れないけど、潜在意識はストレスためてるかもしれない。
そしてそのあとにショートステイ。

さかのぼると、退院後、私が母と同じ部屋に寝る体制にしてみたり、いろいろ問題があったのでまた離れて寝る形に戻したりと、落ち着かない環境を作っていたかもしれない。
退院後の体調は、やはり環境の変化のせいかあまりヨイとはいえなかった。

…いえ、だから、そのせいで「失禁」といってるわけではないんだけど、妙に進行して見えるのは、そんなことが影響しているのかな~と……いや、ホントに普通に、急に進行しただけかもしれないし…。

ショートから帰った日、翌朝のバンツ洗いは覚悟したけど、布団は守りたいから、とりあえずシーツ二枚、シーツの下にビニルを敷いた。普通ならこのビニールが違和感を伴うとろこだけど、幸い、母は感じない。
実は、ショートから帰って一時間後くらいに、うたた寝した母がその後おパンツをぬらした。
それは失禁というカワイイものではなく、「床におもらし」だった。

……凹んだ…「どうしよう~この先どうなるの~~失禁パツンでは間に合わないかも~~」と。
その晩も翌日の晩もドキドキしなから寝た。翌朝のバンツ洗いだけでなく、床とか、トイレが大変ことになっているかも…と。

でも、結局、無事だった。何もなかった

とはいえ、明日は分からない
一時的なものならどんなにいいだろう…と少しの期待はもっている。でも、もう覚悟もしている。
除菌作用のあるものや消臭スプレーもゲットしたし、後は失禁おパンツと防水シーツが届けばOK…24日到着だと思っていたのに…北海道は遠いな~~~。

もう、床に水たまりがあっても動じないよ
家族介護者ってのは、こうやって経験して、一度は慌て、落ち込み、どうしよう~と悩みながら、なんとなく対応の仕方を覚え、落ち着いていくものなんだろうな…フゥー

父との会話?

2007-02-23 | ●介護録(~2015.2月)
母はソファでうたた寝していた。
寝言を言い出した。何をいっているよくわからなかったけど、なにやらゴチャゴチャ言ったあとに
「オトーサン、ねぇー、オトーサンてば!!」
と父を呼び、その後
「死んだの?もう死んだの?」
と確認するような声のトーン。その後に
「ふーーん」
で終了。

父は確かに死んでいる。でも母は普段、父は生きているつもりでいる。この寝言はなんだろう。

まるで死んだ父と会話して、母が何か父に訴えたのだけど、父は
「オレはもう死んでいるから出来ない」とかなんとか答え、それに対して母が
「もう死んだの?」と確認し
「そうだ」と言われ
「フーン」と答えた。

……というふうに聞こえた夜の出来事…ちょっとコワイ。

それとも、夢うつつによって、潜在意識の中にうもれた父の死が意識領域に出てきたのでしょうか?



それは……

2007-02-22 | ●介護録(~2015.2月)
■17年間半身不随の夫の介護をしてきた90近い方、それで町から表彰を受けたことがあるそうだ。

へっーーー17年、在宅介護をしてきたら表彰されちゃうんだ。びっくりだな。表彰されるようなことなんだ、介護って?
うーーん、多分この人は介護しつつ町に貢献するようなこともなさったんたろう。きっとそうに違いない。
年代が90位の方だから、介護していたのはずっと前のこと。その当時は在宅介護なんて言葉もないし、珍しいことだったのかもしれない。
今の時代にそんなこといってたら、年がら年中表彰してなきゃならないものね。

■でも、この表彰された方はそれを誇りにしているらしい。

表彰されたコトにではなく、「17年の介護をやり通したこと」にだろう…と私は思うけど、それを伝えている文章は表彰されたことが誇り…というふうにとれてしまう。
文を書いたのはその方の息子さんだ。

■今はその方自身が介護を受ける身だ。施設はイヤだからと一人で自宅にいる。近くに住む兄弟が毎日交代で泊まりに行っているという。
文を書いたご本人は遠くに住んでいるらしい。

当然被介護者はワガママを言う。いろんな要望も出てくる。
それに対して息子さんは、不平不満が出るのも生きてればこそ……と言う。母の言葉は尊い……と言う。

私の感想を言っていいですか?

この息子さんは介護をしていないのだ、と私は思う。
近くに住む兄妹が交代で泊まっているのだ。彼は泊まっていないのだ。
だから言える美しい言葉だ。
その兄妹さんたちから苦労話は出ないんだろうか?

一人暮らしが出来るのだから認知症ではないだろう。年相応の衰えによる介護かもしれないから、私の場合と単純に比較して想像してはいけないかもしれないけど…介護の大変さを知っていたら、不平不満が生きていればこそだなんていえないと思うよ。そりゃ、生きていてくれるのは嬉しいけどね。


認定更新変わりなく「3」

2007-02-21 | ●介護録(~2015.2月)
昨日、やっと更新結果か通知が来ました。これまでと変わりなく「3」。まあ、妥当なところかな。
調査を受けた頃は失禁もなかったし、骨折後というだけで特に大き変化はなかったもの。
今、失禁が出てきたし、言動のおかしさもアップしたけど、この程度で介護度は上がらないような気もする…でも、ケアマネ曰くうちは「同じ3でも重い3」らしい

介護度3の上

紙オムツには一定の条件クリアで市から助成金が出る(紙オムツを捨てる時のゴミ袋への助成だったかな?)
そして、一年に二度布団のクリーニングが無料になる。

これまでどちらも我が家にはいらないサービスだったけどこれからは違う。
確か、年度初めに助成金申請の案内などきていたような記憶がある。
タクシー券も4月だった。去年の春は病院通いにタクシーが必要な状況ではなかったから申し込まなかった。そうしたら秋に骨折。しかしもう遅い。4月中しか申請は認められない。

…なんて考えたら、4月中っていう期間限定ってヘン。
被介護者の状況は毎年春に変わるわけじゃない。4月は平気でも5月は違うかもしれないじゃないの。

…それに失禁パンツにも助成金がほしい。長崎屋は1890円。しかし何mlまで対応なのか表示がなかった。やはりセシールが安いということで注文しようとしたら在庫ナシ。そんなに売れているのか…
しょうこさん情報ではジャスコが一枚980円。でも、帯広にはジャスコはないの
これからネットでまた少し捜すけど、昨日調べたケンコーコムもイオンも値段は変わらなかったから、大人しく地元で買うことになりそう。ショートステイ中はこんなこと考えたくないんだけど…


げっ、トイレ蓋カバーにまで…

2007-02-20 | ●介護録(~2015.2月)
今朝、母はタイツを脱いでいた(服着たまま就寝)…ということはおパンツも脱いでいる…ということは濡れている…ということだ。

やはり濡れたパンツが丸めてある。「ギリギリおパンツでとどまっている」という状況。

トイレの中をチエックすると、トイレふたカバーが濡れている。そして、タンクに続く陶器部分に小さな水たまり…えっ
これってどういうこと

トイレカバーはしばらく封印だ

二月に入って、私はなんとなく母が進行している…という感触を持っていた。
徘徊は消えているけど、話すことがますますつじつまが合わなくなり、妄想のグレードアップが感じられた。
おかしな行動も増えた。

入院・手術・退院ということがかかわっているのかしら?
入院中は母はとても素直だった。特に進行したとは思えなかった。
退院後の母もしばらくはとても素直だった。やがて本来の姿に戻ったように感じたけど、めまいだの嘔吐だのという体調変化が出ていた。
デイでは元気がないと言われるし。
もしも骨折がなかったら…?と考えてしまった。結果は分からないけど。

迷っている暇はない。早急にあらゆる準備をしなくては。とりあえず今日からショートで救われた。でもショート期間中に介護のあれこれはしたくないなーー。

着替えに手を貸すことをすんなり受け入れてくれるタイプならいいけれど、母はまったくダメ。汚れたら取り替える…これを簡単にさせてくれると介護者は楽だ。その都度対応すればいいのだから。(もちろん汚れたモノの始末はイヤだけど)
そこを拒否されるから「手だてはあるのに行いがたい」→「納得いく介護が出来ない・未然に防げない」→「不衛生、始末に手がかかる」→「イライラする、常に気に掛かる」ということになる。
ああ、だから、パットだろうとリハビリパンツだろうと受け入れて

夜の憂鬱―〈介護〉

2007-02-19 | ●介護録(~2015.2月)
母の寝言やチョコチヨコ起きに睡眠不足となり、自分の部屋に戻って寝ることにして三週間程度。

しかし、ここ最近はチョコチョコ起きが発生すると、私の部屋まで侵入するようになってしまった
スリッパはいてパタパタと居間とトイレの出入り…これも何度も続くのでため息ものではあったけど、ついには私の部屋まできたか
安眠妨害だ。睡眠薬の出番?!

朝、よく見ると、私の部屋からモノがなくなっていた。
当然、母の寝ている部屋も、あーんなコトやこーんなコトになっている。相変わらず捜し物も絶えない。

そして、この10日程度の間に夜間失禁が三度。今のところは布団までは達していないけど、毎晩、今日は大丈夫か…と気になる日々。
しっかり寝る日は朝まで爆睡で失禁がない日もそれなりに続くのだけど…。

尿取りパットは自分ではずしてしまうかも…パットをトイレに捨てたりしたら困る…と考えて、失禁対応パンツを買うことにした。
セシールでは30ml~50ml対応が二枚組(M)で2000円ちょっと。在宅支援センター扱いのものを調べて貰ったら、一枚で二千円近くしたので、ここはセシールでそろえようか…と、その前に明日長崎屋で一応チエック。
wii探しより失禁パンツ対策が優先だ~~ああ、そうだ、防水シートも買っておかなきゃ。
wiiは地道に地元で予約かな。いつ手に入るか分からないけど…。

日本の古い唄はちょっと退屈―〈文化箏〉

2007-02-19 | ■ELECTONE
少しは箏に慣れてきたかしらん?
しかし楽譜(数字譜)を見ていると、手元がおろそか。暗譜して弦を見て弾いたほうが楽だ。今は、数字譜を頭の中でドレミに直して弾いている。そうするとミスしないで弾ける。
鍵盤だったら、体が手が自然に動くのに。コード(和音)だっていちいち確認しなくたって反応するのに……あ~あ、イライラする

こんな調子なので、箏を弾くとすご~~く疲れる
そんなことも原因か、この間はレッスンをさぼった。母の失禁があっていろいろ考えているうちに疲れちっゃたんだけど……

今弾いているのは「さくら」「荒城の月」「お江戸日本橋」「うれしいひなまつり」「黒田節」などなど。
……………だから~~~つまらないんだよ~

仕方ないんだ、初心者だし。それに、「陰音階」で調弦してあるので、こういう日本の昔からの短調の曲が一番弾きやすいのです。
中級のテキストをみたけど、弾きたいと思ったのは「エーデルワイス」くらい。「北国の春」だとか演歌がのっている………いやーーーー

先生が教えているカルチャーセンターはやはり年配者がメインなので、こういう曲を喜んで弾いてるいるらしいのだけど、私の場合、初級のテキストも昔からあるらしき知らない曲が半分くらいある。
文化箏を広く普及させたいなら、選曲もなんとかしたほうがいいと思うわ。
長調の曲用に調弦し直して弾く場合もあるけど、それもチューリップやちょうちょう、など、まるで小学一年生 アレンジもイマイチ…な気が……と不満タラタラになってしまった。腕をあげてから文句を言えと叱られそうだ

お琴のカットは「レースの壁紙」さんのもの。見つけて感動。(ブックマークにリンクはってあります。)

脳神経外科受診のハメに…

2007-02-17 | ●介護録(~2015.2月)
金曜日、デイからが掛かってきて(母はデイに行っている)脳神経外科を受診を勧められた。

経緯は、一月にめまいと嘔吐で耳鼻科受診。診断結果は単なる起立性貧血。体調が整えば治るという医師の言葉通り、めまいはもう出ていない。
けれども一週間くらい前デイでまた嘔吐。家ではなんの問題もなく嘔吐後も食欲はある。そして金曜日、入浴時に耳の後ろに打撲痕を発見。頭を打ってるかもと言われ脳神経外科へ行くよう勧められたのだ。

私は母が元気がないとはちっーーとも思ってないんたけど、デイのスタッフはやたら「元気がない」と言う。この辺のズレはなんなの(?_?)
打撲はその色から数日前のものだと思うし、めまいと嘔吐はそれ以前の症状だし、結びつくものなのか…?
…と想いながらも、看護師の勧めというのもあり午後から脳神経外科を受診。

予約ナシ外来だったこともあり二時少し前に受付して、診察を受けたのは五時過ぎ
検査を終えてからの持ち時間、その長さに母はだんだん不穏になった。妄想に花が咲き「帰る」だとか「○○へ行かなきゃ」と、それを止めるのにちよっと恥ずかしい思いもした。

ものの五分もせずに診察終了。
「めまいと嘔吐はセット、頭を打った形跡もなく何も問題ない」ということで、医師の態度は「何しに来たの」みたいで…(混んだので本来は休みの先生が出てきたので多分機嫌悪かったんだと思う)

…ホラやっぱり、なんでもないじゃーん……と、ちよっとムッとする私。

母も疲れきって、タクシーを呼んで到着するまでの数分が待てない。
タクシーの中ではせん妄状態?のようで、みえもしないものが見えていたし、訳の分からないことばかり話してた

なんだかな~~~とっーーーてもソンした気分。
予定がみんなぶっとんだ…って大した予定はないけどね…あーあ

これも異常ナシだったから言えること。腹を立てたらバチがあたるな~
だって、骨折の時は、あまく見て何も対処しなかったせいで骨折発覚が一週間遅れたわけだし…仕方ないね。

今日のトイレは??

2007-02-14 | ●介護録(~2015.2月)
トイレ問題に関するいろいろなアドバイス、みなさん、ありがとう。心強いです。

で、今日の母はというと、昨夜は10時頃に就寝(服のまま)一度も起きることなく朝まで爆睡。
もしや、寝ている間に…と心配しましたが、それもなく、朝、普通に起きて普通にトレイに行き(迷うことなく)普通に用を済ませた模様。

まだ失禁等は毎日のコトではない感じ。でも、その頻度は確実に増えているので、今からいろんな場合を想定して考えていかなきゃならないんだろうなー。

そういう身体介護については今まで心配がなかったのでまったく知識がなく、昨日は、衛生面、臭い問題、消毒……漠然といろんなとを考えて、ちよっとつかれてしまいました。

こういうときネットは便利で、排泄介護のQ&Aを調べたり、介護用品のお店でどんな商品をあるのか知識を仕入れたり、家いながらサクサクと出来る。
(ついでに任天堂wiiの入荷状況もチエックする…みーんな売り切れだーやっぱりね)

トイレのドア問題、電気問題…その辺も考えることはたくさんある。上にも書いたように、今朝はまったく迷いなく、認知症前のようにトイレを済ませている母。
結局、こういう日があるものだから、私も、大丈夫かもと油断する。
で、今のところ大事にはなってない。
なってないから、今のうちに対処しておくのがヨイのよね、きっと。

人を感知するとドアをあけて「トイレはここです」と音声が出て、手指ししてくれるロボット求む…