「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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病院退去時の忘れ物

2015-01-20 | ●介護録(~2015.2月)
未払いの入院費を払いに行くと
忘れ物があるので病棟まで行くようにと、会計の方に言われた。

嫌だな……
このまま知らんぷりして帰りたい
……と思ったけど、そんなわけにもいかないので二階に向かった。

病院に行くのが嫌で、本当は去年のうちに行く予定だったのをダラダラと延ばしていたわけで、会計だけならまだしも病棟に行くなんて……

一般病棟を抜けて療養病棟に近づくと
足がちょっと震えてきた。
療養病棟のナースステーション手前に個室があり、そこは、母が最期に移された場所
一般病棟から行くとこの個室の前を通らなければならない。
そこまで考えてなかった……
(別なエレベーターから行けば通らない)

どうしたって、あの日が甦る。

忘れ物はバレエシューズ。

あの日、私が着いたときには、荷物は全てまとめた後。
忘れたのはわたしじゃない。
思わず、ちゃんとチェックしてよ~と言いたくなる
来たくなかったよ、ここには。

バレエシューズを受け取ってロビーに戻った時には、確実に体内で何かが起こっていた。
もちろん倒れるような事態ではないけれど、
心拍数?血圧?
なんかわからないけど、少しの間座って休んだ。
悲しいわけではなかったのに涙が意味もなく流れた

出来るなら処分してもらいたかった。
とはいえ、あちらも「こっちで処分しましょうか」とも言えないだろうし、私も会計で「処分してほしいと伝えて」とも言えない。

仕方ないよね

忘れ物には要注意






介護終了、手続きのまとめ

2015-01-15 | ●介護録(~2015.2月)
まだ手続きは途中です。
ネットで調べたり、電話で問合せが終わったところ。

うちの場合、
母とは同居、そして母が世帯主。
相続人は私だけ。


1.ネット上で手続き完了したもの

NHK の契約者変更
電気(北海道電力)の名義人変更

ともに、HPで入力するだけ。
うちの場合、料金は両者とも私名義のカード引き落としなので、その手続きはなし。


2. 特に書類を揃える必要がないもの

ガス、上下水道の名義人変更
ガスは利用しているガス会社、上下水道は役所に電話で終了。
こちらは母名義の通帳から引き落としだったので、その変更手続きを郵送で行った。

3.色々書類が必要なもの

年金関係。
うちの場合は、共済の遺族年金と国民年金。
共済は札幌なので全て郵送で処理
国民年金は年金事務所か市役所。
それぞれ、戸籍謄本、戸籍抄本や、住民票、死亡診断書(コピー)等々必要で、ここは電話で確認したほうが安心

NTT
HP 上から変更申請の書類をダウンロードして記入
戸籍謄本、戸籍抄本、死亡診断書を用意して郵送
これも料金は私のカードから引き落としなのでその手続きはなし。

ゆうちょ
HPから相続確認表をダウンロード(窓口でももらえる)
記入し、死亡の年月日が確認出来るものも持参して窓口へ提出。
その後、必要書類などを知らせる書類が郵送されるので、書類を揃えて再び窓口へ。
戸籍謄本、印鑑証明(相続人の)が必要になると思われる。

その他金融関係
取引している銀行にどんな書類が必要か確認。
うちが取引している銀行は、戸籍謄本と印鑑証明が必要ということでした。
別の支店で作った総合口座、定期等もいっぺんに手続き可能でした。


で、私はこれから書類集め。
住民票は市役所でいいんだけど、本籍が別の町なので戸籍謄本、戸籍抄本はここではとれません。
まあ、ちょいちょいっと行ける距離だし、郵送でも取り寄せ可能。
自治体のHPで申請書がダウンロード可能です。

なんだかんだで面倒なんですが
それほど急ぎのものはなく
国民年金は五年以内だそうで……
父のときは急いだような記憶があるけど、多分、母が遺族年金を受けとるので、サクサクと手続きしなくては!ということだったんでしょう。

それにしても、戸籍謄本やらなんやら何通も……
ああ、もっと簡単ならいいのに……







♪空に星があるように

2015-01-11 | ●介護録(~2015.2月)

BEGIN 空に星があるように CD音源

ラジオから
「母が101才で大往生……」というメール投稿が流れてきた。

101才なら、もう十分って思えるだろうな……と思いながら聞いていた。

するとパーソナリティーが、
「人は大往生というけれど、いつまでも生きていてほしいと思うのが子の思い」
と。
パーソナリティーのお母様は93才で健在とか

そして流れたのはBEGINの「空に星があるように」

この曲、ちゃんと聞いたことなかったなぁ
BEGINがオリジナルではないのはわかってたけど。
どんな風にも解釈出来る歌詞……そんな印象で
数日ぶりにポロポロと泣きました。

親戚や知人と電話で話すと
「元気で安心した」とか
「しっかりしてるから大丈夫だね」
と言われる。

なんか違う……

電話をもらって始終メソメソするわけもない。

もちろん、昨日まで元気だった家族を突然の事故で失い、見てられないほど憔悴する……というような状況でもない

受け止めることは出来る

そんな感じ?

色々手付かずな雑事
終わらせないと落ち着かないけど、中断中

 


2015年があけ、1月3日は四七日

2015-01-01 | ●介護録(~2015.2月)

2015年があけました。
喪中の私は……おとなしくしております。

手紙やメールや電話等々、いろいろ気遣ってくれた方々
ここにコメントくださったネット仲間の方々
このブログを長く読んでいただいていて初コメをくださった方々
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします


先週土曜日に三七日が終わり、三日の土曜日には四七日。
早いな…
……にしても、信仰心のない私には七日ごとって、なんだか大変。
でも、おりく膳の用意も慣れたし、あっという間に四十九日がやってきそう。

朝は、まず祭壇の周りの花たちの世話
豪華~~頂いた花たちと果物
夏と違って日持ちがする。
菊とマーガレットはかなり根性があるけど、ポイントに使われているPink系の花たちが先に枯れて
真っ白なアレンジメントになっていくので昨日、Pinkのカーネーションを買い足した


私はあまり母の祭壇の前にゆっくりとすわっていません。
座れない…というのが正しいかも。
遺影が……見てるの辛いから、お供えしてお線香つけたらそそくさと立ち去る……

だけど、四十九日が過ぎてこの祭壇がなくなるのもなんか寂しいな…って
矛盾している

寂しい…と考えだすと地の果てまで沈んでしまいそうだからすぐに考えるのをやめる
なにかとバタバタやっていれば今まで通りの日常

時々
あっ、もうどんなときににもスマホ握りしめてなくていいんだ…と思う
人混みの中でバックに入れていると着信音を聞き逃すのではないかと不安だったり
家電がなるとドキドキしたり
もうそんな心配はない
近くのスーパーとかコンピに行く程度ならスマホを置いていってもかまわない


7日朝五時に家電がなったあの時
あれはちょっと忘れられないかも……

五時とはいえ、12月
まだ真っ暗で、私の中では6日の夜中みたいな感覚
こんな時間に来る電話は病院しかない
そう思いつつ子機のディスプレイ見ればやはり病院の名前
子機を充電器からとったはいいけど
どこをどうすれば通話状態になるんだっけ?と少しの間子機を手にしたまま固まってしまった

「急変したのですぐ来てください」

着替えている間は心臓がバクパクしていた
ついに来た…という気がした
落ち着け落ち着け…と言い聞かせ…

今年はずっと、すぐに飛び出せるように
着替えは常に茶の間の椅子の上
バックにも財布と鍵などを入れたまま

出来るなら、こんなふうではなく
容態が……と言われて数日見守って看取りが出来ることを望んだけど
「いきなりきそう」
そんな予感もあった

退院はないと言われてから
たとえば
「来年の春には○○を新しくしようかな」みいなことを思うたびに
「来年……?来年の私は今と同じ状態でいるの?」
と考えていた
秋になって、来年のカレンダーとか手帳を見ると
「当たり前のように年越し出来るのか?」
と思った
だから2015年のことを考えるのは嫌だったな~~
だけど、12月に母が誕生日を迎えた時には、このまま年越しするような気になっていたっけ
かなわなかったけど


こんなことを書く予定ではなかったのになぁ………