「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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母と子供

2005-10-31 | ●介護録(~2015.2月)
今朝も4時か5時に起き出した母が玄関でゴソゴソしていたので、目が覚めた。
どうしたのか聞いてみると
「Kさん(母のイトコの家)の子供が来てるから」と外に出ようとしいたのだ。

玄関を出たり入ったりはよくあること。その理由はずっとこの「Kさんのところの子供」だったの?
普段、「子供がいない」とか「預かった」っていうのもそうだったのかな?

K家とはそれほど親交があるわけではない。冠婚葬祭で会う程度で私などは顔もよく覚えきれないくらい。

ただ、このK宅は、母一家が終戦目前に大阪から北海道に来たときにお世話になった家。(母の母親の姉の嫁ぎ先)
K家の子供たち(母のイトコ、年齢差はよく分からないけど母より下のはず)とはキョウダイのような感覚で生活していたかもしれない。

もう一つ思い当たるのは母自身の流産。私が生まれる前に二度流産している。以前の母は、二人に男女どちらでもいい名前…確か一人は「しのぶちゃん」…をつけて流産した日なんだろうけど、命日として手を合わせていた。

こういうことが「子供」に固執することに影響しているんだろうか…

もう一人欲しいぃぃぃ

2005-10-31 | ●介護録(~2015.2月)

六時過ぎ、母の徘徊が始まった。きっかけは私とのイザコザ。

憎らしかったのは、家から100mくらい歩くとユーターンして逆方向、また100Mくらいで逆方向っていうのを繰り返されたこと。後を追ってる私を無視して通り過ぎて逆に歩くわけ。それを繰り返して家に戻るんだけど、本人はカギを持っていないから後から追いついた私が開ける。すると、私が開けた事が気に入らないらしく、歩きだしてしまう。「あなたが開けたんだからあなただけ入れば」ってこと。

もしも、家の中に誰がいて、母のピンポンで迎え入れてくれたら、ひよっとするとその場でおさまったかも…ってこの時は痛烈に思った

結局、この後の徘徊は一時間。内容は亡くなった祖父さがし。近くの店で祖父を知らないかと尋ねる母。私は離れて見ていた。店の人が「知りませんね」と言えば仕方なくもどるだろうから、その場面に出て行きたくないな~と思って…。
でも、店の人、一生懸命母の質問を聞いている。つじつまが合わないこと言ってるからなんとか意味を分かってあげようという親切心。これじゃいつまでたっても終わらないので、仕方なくその場に出て行った……。
親切なのはありがたいけど、この時ばかりはあっさりと「知らないですね」と言ってくればいいのに~と思ってしまった。
店を出た母は「あの人は何か知っていて隠している。ホントに知らなかったらあっさり知らないというはずだ」ときたもんだ親切が裏目。

 

 

 


チョコボールでお買い物?

2005-10-30 | ●介護録(~2015.2月)

夕方近く、例のごとくMへ帰るモードになった母。それはなんとか止めたのだけど、そのままサイフ一つもって買い物に行くと言い出した。

母の持つサイフの中身はチョコボールだ。

私「お金持っていかないと買い物出来ないよ。それ、チョコだから」
母「これで買えるものだけ買ってくる」
私「チョコでは買い物出来ないから」
母「そんなこと知ってる、子供じゃないんだから」
私「だったらお金持って行かなきゃ」
母「これで買えるものだけ……」
私「チョコで買い物はで…」
母「そんなこと分かってる…」
私「だったらお金を…」………Repeat…Repeat……

 

 

 


予定は未定

2005-10-30 | ●介護録(~2015.2月)
デイのない日曜日、数日前からこの日の計画を考えていた。
朝はゆっくり起きるとして、プランチ気分で外食し、帰りに白玉とあずきとびんの栗を買って、母と栗入りぜんざいでも作ろうか、それともデパートまで行って買い物しようか……と。
とにかく、何か外に出る形を作った方がいいだろうと。

しかーし、予定はあくまで予定なのね

母は朝からイマイチで、食事に誘っても「○○が食べに来るから」とか「○○を待ってから」と、二時間の間何度誘ってもスイッチが切り替わる事はなかった。
最後には私がパーマをかけに行くっていうから待っていたのに…と言う話になり、「パーマなんてかけないよ」という私にそれはそれは何度も念押し。
「じゃ、これから絶対パーマはかけないのね!?」……なんでそうなる??

そんなこんなで昼抜きのまま夕方です

あれこれ考えていた自分がアホらしい。ムダな抵抗ってことで、これからは先走った計画はしないことにしよう。

オマケに母に床にひざをついて挨拶された。
暴力をふるわれたわけでも、罵られたわけでもないけど、これはこれでせつなく身にしみる

ビゴ家サスペンス劇場?!

2005-10-29 | ●介護録(~2015.2月)
イスラエルの船に衝突され転覆した船のその後の話をNEWSで見た母が「何かあったの?」と私に聞いた。「警告は鳴っていたっていう証言もあるから…」と事故の説明をした私。
おそらくその「なんかあやしい」ってことが引っかかったのだろう。

サスペンス劇場「ビゴ母えん罪事件」始まり~始まり~

船のお見舞いに行かないの?と尋ねられた母は、「なぜ、自分が」とクビをひねる。お見舞いをするよう母に言った女性はなんだかあやしい。
それを断って家に戻れば、また別な人から「大変なことになってたいる」と言われた。どうやら自分が疑われているらしい。さきほどの女性がしつこく見舞いに行けと言ったのは自分に罪をかぶせるためらしいと気づく。
再び、別な人の話「今、殺人計画がある」。自分も巻き込まれそうだと母は思った。
「そんな話、冗談じゃない…」
と、母は思い……なんだかしらないが、その場は収まり事なきをえたらしい。

失われていく能力の補完、記憶がないことを埋めるための作り話…そういう理屈は分かるのたけど、なぜにこんなややこしいサスペンス劇場もどきの話が浮かぶのか、不思議。

☆……☆……☆……☆……☆……☆

昨夜も試験があるから学校に行けとしつこく言われた私。学校は夜に行っても入れない、と言っても「昨日の夜入られたから平気」と答える。まあ、大抵の話はこの調子で固定される。
しかし昨夜は丁度その時間帯にスカパーで「寺貫」がオンエア。このドラマは母の記憶にあり「オモシロイ」という感覚も残っているらしく、一時間TVを見てから「寝ようか」という流れになった。
「阪神優勝」と「寺貫」という二つの武器入手?!!

実親の介護は…。

2005-10-28 | ●介護録(~2015.2月)
実母の介護では「情」の部分が大きい。幼い頃からずっと積み上げてきた記憶があり、母はどんなふうになっても「母」であってほしいという気持ちが働く。
義理の場合には、ある程度の年齢になってからの、ある意味ワンクッションおいた関係。
義理だから、ちよっとした行き違いや言葉が後々まで響く場合もあるようだ。逆に、たまに感謝の言葉を言われて心が救われることもあるらしい。
私の場合、改まって感謝を言われる時は私が「他人」なので、辛い。

リラックス旅行で一緒だったNさんは姑の介護中。旦那さんが一人っ子なのでその点は楽だと言っていた。
お姑さんが、最近オムツが必要になり、身内にオムツ交換されることを拒否するのでどうにもならなくなりGHに入居となった。

Nさんは介護そのものより、「実母の症状にまいってしまう旦那」を見ていることと、姑と旦那の間に入ってその場を納める役割に精神的に追いつめられたと言っていた。

祖父の晩年、年末年始を我が家で数日過ごしたことがある。90を過ぎていた祖父には年相応のポケがあったけれど私は特にイライラはしなかった。(伯父や叔母もいるのになんでうちばっかり…っていうイライラはあったけど)
母はカラ返事ばかりで何もしないでボーとしている祖父にイライラしていた。
私はそんな母に「おじいちゃんは言っても分からないし出来ないから」なんて言って世話をしていた。親ではなく祖父だったから出来たのだと思う。(単純なボケだったこともある)

だけど、母親の認知症には…なかなか寛容に冷静になれずにいる。

秋は栗

2005-10-28 | ■Sweets
和菓子はほとんど買わないけどこの季節になると「栗入りナントカ」っていうのが出るので手が出る。
期間限定といわれると食べたい。

柳月の10月の創作菓子「秋衣」
お味は…普通においしかったです。

なんてことを思っていたら今日、京都の「おたべ」から案内が来た。春に八つ橋を注文したところ。
11月の限定発売。栗の八つ橋と黒ごま八つ橋。「京都の秋は紅と黒」なんだそうだ。
こういうの見せられると食べたくなるなぁ~。

「八つ橋」っていうと修学旅行。「京都へ行ったら食べる」…まるで学校の伝統。決まり事みたいなノリだった。

私の高校は11月に修学旅行だった。京都はトレーナー一枚でよかったけど、帰りの津軽海峡は大荒れ、北海道は雪が降っていたっけ。

夜中に起こされて

2005-10-28 | ●介護録(~2015.2月)
眠いよ……。

昨夜の母は夜一時頃起き出した(服も着替えている)。寝付いてから二時間もたっていないのに。最初はトイレか思ったけど、いつまでたってもガタガタと何かしている気配。
ムダと知りつつ一応「どうしたの?夜中だよ」と言ってみた。
「そうだよ、夜中だよ。お父さんがまだ帰らないし、ちよっと整理していた」と憮然とした表情で言われ「そんなに音がするの?」と不機嫌に返された。
イライラしているけどあまり言っても仕方ないから「聞こえるよ」とだけ言い置いて部屋に戻った。

おそらく母はソファでまた寝たと思う。
そして、それから何度も私は物音で目が覚めた。
台所をいじっているらしき音、玄関を出たり入ったりする音……。何度起こされたろう。

薬の副作用で夜中二時間おきにトイレに立たれるので慢性の寝不足だと言っていた方がいた。
私は、今のところ年に数える程度、まだ救われている。


プレーオフってどうよ?

2005-10-27 | ■ファイターズ
タンポポさんの日記の藤川から聞いたというタクシー運転手さんの話は興味深い。実戦から離れたバッターの感覚がいかに鈍るか、藤川が金本に投げたときぜんぜん当たらなかったらしい…。

とにかく日程あきすぎ。阪神が負けたからってわけじゃないけど、パの覇者が決まるまで少し長すぎるのは問題じゃないのかな。
プレーオフの分を考えてセの日程をゆっくりめにするとか、なんか必要よ。

さて、プレーオフ制度ですが、私が時々やってる携帯のコンテンツ「日本のスイッチ」(毎日新聞)で先週プレーオフを問う質問がありました。
結果は…
「おもしろい制度」…39%。「おかしな制度」…60%。(この週は約44000人回答で私とまったく同じ答えの人は715人だった)

この時私は「おもしろい」ほうにチェックした。なぜかというと、二年続けて日ハムが三位争いをして、とてもエキサイティングだったから。
そう!この制度はプレーオフ進出権利を争う球団と、進出を果たした二位と三位の球団にとって、すっごくオモシロイ制度なのだ。
ということは逆に、一位のチームにってこんな理不尽な制度はないってことになる。
ホークスが二年連続して日本シリーズに出られなかった…というのを阪神に置き換えたら、ホント、冗談じゃないわって思うだろうな~。

でもこれは考え方を変えればすむことだとも思うな。今までのように一位から六位って思うからオカシイのであって、順位つけなきゃいいんじゃない?
AクラスとBクラスに分けるだけ。Aクラスもしくは勝率五割以上でプレーオフ、とかさ。ヘンかな??それか、前期と後期に分けるか。

だけど日ハムの三位争いが面白かったことだけは確か。そして、セリーグが消化試合しているときにハムがプレーオフしていた時は完全にセのことは忘れていたのも確か。

うーん、そうか、結局、好きなチームが勝ってればオモシロイってことかも。
ヘンな結論に達しました…スミマセン…




阪神はいったい……。

2005-10-27 | ■ファイターズ
こーんな負け方があっていいんでしょうか!
アジアも制し、V2だと思っていた勢いがガラガラと音を立てて崩れました…ガラガラ…ガラガラ…。

追いつ追われつの試合になると思っていたのに、いったい阪神に何があったのでしょう。
ロッテとのチーム力の差があれほどあるはずはない。
ナンカヘン。

日本一になったらHPの音楽を「六甲おろし」にしようと思いクラシック風なんてどうよ、と思いながら作っていたのに…←これって著作権ひっかかるん?
幻の「Classic六甲」となりました~。