「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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お引っ越し

2017-02-26 | ▼ユルユル日常
引っ越すことにしました。
といっても、同じアパートの隣の部屋に移るというとても楽な引越しです。

隣の部屋は1部屋少なくて当然家賃もお安くなります。

介護終わりが近づいてきた時から、いずれ一人になったら、今の部屋は一つ多いなぁ~引越ししたほうがらいいのかな?
と考えてはいたのです。

が、
このアパートとても場所がよい。
交通の便、買い物、病院、銀行などなど。
部屋もキレイだし暖かいし
それを踏まえて家賃を言うと、たいていの人はそのままいたほうがお得では?という。

それに正直、家探しも引越しもエネルギーがいる。
1部屋減るから色々処分も必要だし、とりあえず現状維持ね、と自分に言い聞かせていた私……。
(母の遺品、この2年でちょこちょこ処分しているものの、まだ保留しているものもあり、それに手をつけるのはそれなりに決心が……)

しかし今回は大屋さんのほうからお話をいただくという、棚からぼたもち的引越し。
向こうからやって来た!
乗るしかあるまい!
ということで来月はお引っ越しデス(*^▽^*)

カギをいただいたらチマチマと運ぶつもり。

本当はもっとゆっくりのつもりでいたんだけど、予定より早くお隣があくことになり、実は今ちよっと焦っております(^-^;

思いきってガッツリ捨てたり売ったりしてから移動するともりでいたけど余裕がなくなってきた。

考えてみれば、遠くに引越すわけではないのでゴミを抱えたまま部屋移動して、あとでゆっくり捨ててもよいのよね。

もう少し暖かい季節に引越ししたかったよ~(T-T)


そう言えば今朝の夢に父が出てきて
「なぜ引っ越すことを黙っていた!」と怒ってた。
サラリーマン時代のスーツ姿で仕事から帰った来るなり怒鳴るという感じのシチュエーション。
そんなこと言ったって、死んじゃってるのにどう相談するんだよ~
確かに、仏壇に向かって引越しの報告なんてしてないけどさ。

ここ数日、遺品の見直しなんかしてるせいか、けっこう、両親が夢に登場。
精神衛生上、あんまりよくない……あとに響く……。

でもとにかく
この春のテーマは断捨離、引越し、シンプルな暮らし。

心えぐられた?!アプリ「心のノート」

2017-02-23 | ▼ユルユル日常
「心のノート」というAndroidアプリをタブレットに入れてみた。

その日の気持ちを8つの中から選択し(嬉しい、安らぎ、不安……というような8つ)
「何があったのですか?」「その気持ちになったのはなぜ?」という二つの質問と、選択した「気持ち」によって違う質問一つに答える形で文章入力。
「保存」すると、おそらく選択した「気持ち」によってランダムに選ばれると思われる「言葉」が読める
……というアプリ。

「言葉」は曹洞宗の教えからの「心の道しるべ」
それほど宗教色は感じない。ACジャパンのCMぽいノリ?


アプリを入れて二日目に
特に何があったわけではないけど、妙に寂しくなってしまい「悲しい」を選択。
質問には
「何があった?」→泣いた
「その気持ちになったのは?」→さみしくなった、切なくなった、突然に。
「明日できる楽しみなことは?」→何もない
と答えて保存。
そしてあらわれた言葉は……


大切な人を亡くしたあなた……から始まる短い文章だった。


ストライク過ぎて胸をグリグリえぐられて…………
癒されたかといえば、なんだか逆効果。涙がブワァー~ですよ。

「死」に関連することは一言も書いてないから、まさかこんな言葉がセレクトされるとは思ってもいなくて不意打ちをくらったような……。


「言葉」は 52話あり、いくつかのカテゴリにわかれている。
(リストになっているので好きなものを読むことも出来る)

たまたまドンピシャ過ぎる?言葉が現れて
おそるべし心のノート!と思ったけれど
選択する「気持ち」が八つでは、
今日の気持ちに該当するものがない……ということでアプリは放置状態。
(心の道しるべをザッと読んだらアンインストールかな?)

でも、心の整理という意味で、質問に答える形で書くというのはきっと良いことだろう。
それで簡単に癒されたり悟っとり変われるものでもないけれど。





介護のための嘘

2017-02-21 | ●介護回想(2015~)
ある冊子に認知症介護のコツとして

正論で「説得」しても認知症患者には通じないが、「納得」してくれればうまくいく。そのための方法は、簡単に言えば「嘘をつく」ことだという話が載っていた。

それをその筆者(介護の専門家です。お名前とか忘れました、ごめんなさい)は
「寄り添う嘘」
と表現していた。

ようするに嘘も方便ということだけど、
嘘も方便はなんとなくトンガって聞こえるけど、寄り添う嘘は丸くて優しく聞こえる。


その例として

デイサービス拒否する元教授には、大学からの迎えだと言い、スタッフはみんなその方を先生と呼ぶ。するとその日からデイサービス拒否はなくなった。

会社に行かなくては……と徘徊する夫には、今日は日曜日だよ……と言うことで納得させる。

等々が紹介されていた。

頭ごなしにダメ!と言うと逆効果なのは介護経験者はみんなよく知ってる。
嘘も方便方式は対処法としては、唯一なのではないかとさえ思う。
それを「寄り添う嘘」と表現するのはヨイことかも?


実際にその寄り添う嘘を実行する時は

そこに書かれているのは成功例で、このままどの認知症にも効果があるわけじゃないことを心に止めてておくことでしょうか?

これで徘徊を止められる~なんて喜んだら、うまくいかず100倍落ち込むことになってしまうもの。

下手をすると、あなたのやり方が悪いからだ……なんて言う人もいるから。

私も幾つも試した。
そして失敗した。

タクシー呼ぶのでちょっとここで待って……
といえば
自分で外で拾うと言って待ってはくれなかったし、
出掛ける前にお茶でも……
といえば
そんな暇はない!と機嫌が悪くなってしまったし

簡単ではないんですよね。

そして思わぬコトが徘徊抑止になることもあり、それが見つかるかどうかは運を天に任せるしかないのかも?
(見つかっても効果が継続するとも限らない)


たまに

こうやれば絶対大丈夫!みたいに言う人もいる。

そういう言い方は危険デス。
絶対なんてない。

介護者をぬか喜びさせないでくださいね。




コンポ破壊!

2017-02-17 | ▼ユルユル日常
破壊といってもハンマーで叩き割ったわけではないですが……
ネジをチマチマと外して……
でも、最終的には、ベリベリっと壊して、中のCDとMDを救出。

突然、電源のオンオフ以外の操作を受け付けなくなってしまった。

テープとMDとCDが聞ける便利モノ……というところでどれくらい古いかはお分かりかと思いますが、当然、修理受け付けも部品保持期間も終了。

壊すしかない。

でも、ちょっと面白かった。
こういうこと初めてだったし。



もうコンポを買うことはないだろうなぁ

今回のことでちょっと調べてたら、壊れたコンポなどもジャンク品として買い取りするところがあると知ってびっくり。
部品調達用とか実験用?などに需要があるんだとか。

コンポがなくなると(これはミニコンポだったけれど)多少とはいえその分スペースがあく。
スッキリしていい。

実は引越することに決めたので……
行き先は…………
同じアパートの隣の部屋。
なんてお手軽な引越。

一部屋減って家賃も下がるわけです。

独り暮しになったから部屋が一つ多いと思い続けていましたが、ここは場所がよくて動きたくないなぁという気持ちも。
それに一部屋分のモノ減らしはそれなりに大変で、いまだ捨てられないモノ(なんたかんだで思い出を引きずったり)もあり、なかなか決心出来ずにいたところ、大屋さんからお話をいただいたので、乗っかりました。

決めたからにはエイッ!という感じで断捨離しなければ。

とはいえ、なかなか進まない。

色々ね、複雑な思い……。

忘れた頃に届く

2017-02-11 | ■ファイターズ


封筒にファイターズの文字

すっかり忘れてました。
昨年の日本一パレード募金のご褒美。ピンバッジ。(+日程表も入ってた)
だって、デカイ封筒で送られてきたんだもの、なんだ?と思うよ。

日程表は確か去年も大谷君だったような?
もう、あれもこれもそれも大谷君。
(Instagramでは杉谷君、大人気だけどね)


昨夜は町内の役員会。
約10年前、介護中なので役員会などはすべて欠席、会費集めと回覧板回しのみということで班長をやったので、今回が初役員会。
引っ越ししてほどなく母は認知症になり、私はご近所付き合いなんてないままに介護生活になったから、町内の人のお顔と名前も一致しない。

しかし、徘徊していた母のことは印象深く残っている方もいて、色々聞かれ、話すことは嫌ではないのでペラペラしゃべって来ましたが、私より年上の方ばかり、母世代のかたもいたし、90代の親がどうのこうのといっても認知症じゃないし、
関心をお持ちなのだけど、

私には
やはり他人事で興味本意?な感じがして、話しているうちに辛くなってしまった。
徘徊していた時の話も出て、責められたわけではないけれど、ここでも私はご迷惑をかけて……と謝る立場で……それはもうイヤ、苦しい。

こういう場所に出てくる方は、年齢を重ねても健康な方、時間と余裕のある方なんだから、介護と無縁で、80越えてもシャンとしている人ばかりなのは当然なんだよね……しみじみ……

……まだ無理だ、わたし。
こういう場でヘラヘラするのは。

帰りにセブンでデザート買って、夜11時から、AXNで「シカゴファイアー」を見て気分一新……したらなんだか眠れなくなって、今日は一日眠かった。

夕方、叔母から(母の妹)電話。
なにやら母との思い出がクルクルまわる……。




思い出はそこにある

2017-02-06 | ●介護回想(2015~)
今年は ほぼ日手帳オリジナルを使っている。
一日一ページのこの手帳には、毎日、著名人や一般人の、ちょっといい話、ためになる言葉、クスッと笑えるエピソード等々載っている。
それをパラパラとみていたら

8/13日のページに

お父様が亡くなった後に、妹さんが冷静に見えるお兄さんに、
どうしてそんなに冷静なの?おもいだすことはないの?
と聞いたらお兄さんが、

思い出すというのは一瞬でも忘れた人が言う言葉。父を忘れたことはない、だから思い出すこともない。いつも父はここにいるから

と答えた……という話が載っていた。

ああ、そうだな……と思った。
「思い出」には自らアクセスするのであって、
「思い出す」のとは確かに違う。

亡くなった家族のことは、
「忘れている」わけではない。意識して思い出すものでもない。
かといって、四六時中、考えているのとも違う。

私は……
「いつもここにいてくれる」
という感触をもってはいない。(持てない?よくわからない)
よく、亡くなったことでより身近にいつも側にいるような気がする……と聞くけれど、そんな風には思えていない。

でも、
忘れていることを「思い出す」のとも確実に違う。
そういう意味では確かに思い出はいつもそこにあるんだと思う。
(そこってどこ?ということはさておき……(^-^;)


なるほど……と強く強く納得しながら、そのあとでちょっと思ったことがある。

このお兄さんは強い。そしてとても前向き。
それはとても素敵なことだけど、これに拍手喝采してしまうと
悲しい、淋しい、切ない……と思ってはイケナイってなりそう。
このお兄さんは頼もしいけれど、妹さんは泣けなくなるんじゃないのか?とそんなことを思ってしまった。

世間の空気は総じて早く立ち直ることをヨシとする。
元気に暮らすことが供養。
介護を終えた私には必ず、終わったんだからあとは気楽に自分のために……という言葉が向けられる。
yellなんどけど……
それが辛いなと思うこともある。

泣いていいよって空気にはならないんだなぁ

……私は泣きたいけれど


気楽でいいでしょ~~って何度言われたか?
言われたらyesと答える。
気楽か否か?と問われたら気楽だもの。

まあ、でも、エールとして当たり障りなく賭けられる言葉は「気楽」かもしれないなぁ、多分。
逆の立場なら私もそう言ったのかも。

難しい。