「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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食費全額負担。

2005-08-31 | ●介護録(~2015.2月)
デイサービスから介護保険改正後の食費負担に伴うアンケート用紙を渡された。

一日の食費は、
現在、食事提供加算390円の1割39円+デイが設定している食材料費300円=399円。
改正後、食事提供加算390円全額負担+食材料費300円=690円になる。

こういう話でよく言われるのは「家にいても食費はかかっている」ってこと。でもね、家で食べてたら一回690円もかからないでしょ。
「いや、調理師さんが作ってくれて、スタッフの介助があって…」って言われるだろうな。光熱費もあるし…。
細かいこと言い出すと、例えば外食したって一回690円もかけずに済ませることは出来るし、母は食事介助はいらないし……なんて思ってしまう。

アンケートは690円を高いと思うか?、食材料費をもっと下げた方がヨイと思うか?、食費がかかるならデイの利用回数を減らすか?などといった内容。

安いにこしたことはない。
しかし、食費がかさむからといって安易に利用回数を減らせる状況でない人は多いはず。「高くなるけど仕方ない」我が家の場合はそうなる。
だからといって食材料費を安くしてくれ、というのも考えてしまう。

年金を受給していない方などは回数を減らさざるを得ない人もいるかもしれない。
グループホームなどは今でも月10万以上かかるのに、さらに敷居が高くなるわけ?

食事提供加算ってどうやって算出されているのか分からないけど、介護の現場で働く人達の給料はけして高くはないようだから、この数字を小さくすると従事者の給料に影響が出る…なんてのも気の毒。

お弁当制にする?午後から利用にする?

なんだか足下見られてるみたい。高くなったって利用しなきゃ困るでしょ…って。

作品№6「七夕」

2005-08-30 | ●母&ヘルパー作品
6月の作品がかなり手間取り、「七夕」作品が8月完成となってしまいました。
20×20程度の壁掛けです。

前回作品では背景部分(額縁のようにバイアスでくるむ作業など)に手間取ったので、今回は、背景土台だけ私が先に作っておきました。
それでも、Tヘルパーさんには持ち帰りで下準備してもらっていました。

さて完成した作品に母は…
「この女の子、きかない顔してるわ。うちと同じで女が強い」だって。
顔を作ったのは自分なのに。

制作現場

2005-08-30 | ●介護録(~2015.2月)
母、最後の仕上げ中。

月曜日はTヘルパーと、水曜日はM介護福祉士さんと二時間手芸をしている。
キットのやや複雑な作品は今回を最後とし、これからはフェルトマスコットとフェリシモで注文中の布100枚セットを使った、もっと単純なものに。

例えば、マスコット作りでは、二枚のフエルトをステッチで縫い合わせることはわかるけど、最初に、○○を作りましょう…と話していても、すぐに忘れるので、全体像をつかめない。そのため、綿の入れ口は残してステッチしなくてはならないのに、全部縫い合わせてしまう…ということになる。でも、そのステッチは目はキレイに揃い、手早い。
そんな状況。

キット作品ではヘルパーさんにちょっと負担がかかってしまった。

手芸…いつまで続けられるのかな?

銭湯勧誘Try Again

2005-08-30 | ●介護録(~2015.2月)

…ということで、月曜夕刻、銭湯へ誘いました。成功です
(改めて書きますと、自宅のお風呂は必ず「やめた」というので確実なのは銭湯)

日曜日と何が違うのか、わかりません。「母の気分」それしかない。

今回はわりと落ち着いて入浴。特に問題行動もなく平穏でした。銭湯に行くだけで、なんでこんなに気を使わねばならんのだーと言いたいところだけど、入ってくれれば、とりあえずそれでイイ。

銭湯までの道中、しきりに「家を建てるなら…」と語っていた母。
父は結局家を建てずに他界。生前、私は定年になったら建てるつもりなのだろうと思っていたけど、本人は最初から持ち家に興味がなかったらしい。
母のその頃の感覚で、「このままほっておいたらオトーサンはいつまで経っても家を建てないから、私たちで話を決めてしまうしかない」という前提で話していた。
現在の私の心境は、ここで家を移ったら、母の不穏がどうなるか、今でさえ、ここは家ではないから帰ると言う母なのだから…この状態で家を替えるのは無理、ということ。

虚しいことと思いながら、とりあえず話を合わせた。


例えば今日、母との一日

2005-08-28 | ●介護録(~2015.2月)
午前中の母はわりと落ち着いている。私が「娘」と認識されいるかどうかは別として…。

12時前「昼を食べに行こう」と母が誘う。家で食べるか外食かは母しだい。私はそれに合わせる。
近くのパン屋のカフェコーナーはセルフで安いので助かっている。
今日はオムライス+サラダ+アイスティー。
今日初めて食べるわけでもないのに「このサラダどうやって食べるの」と母。
スプーンとフォークを前にして混乱したのか?家では和洋中なんでも大抵は箸だから仕方ないか。

ランチ後スーパーへ。
買い物をしていると私とは「所帯が別」という感覚になる。
買い物は一人の方が楽。
〔おんなじ家に帰るんじゃないの〕とタメイキしている私の横で母は「おばーちゃん、こういうの好きなんだ。一つ買っていてあげよう」なんて言ってる。
バームクーヘンとカットしたパイナップル、共に二個ずつお買い上げ。

夕刻、家出モード。

「ここがあなたの家だと誰も言ってくれないから、居られない」という理由。
あれこれ納得してくれそうな理屈を並べてみる。話しているうちにイライラし、声が大きくなる。
母の場合「○年前に契約して、きちんと家賃払っているからここにいて大丈夫なんだよ」と説明すると「じゃ、大いばりで居ていいのね」となることもあるので、ついホントのことを一生懸命言ってしまう…。

東ルートを歩く。
15分くらいの所で気づかれる。「あなたは帰って」の繰り返し。
途中、病院の敷地に入り、その中庭へ進んだ。
「そこは行き止まりだよ」と言うと面白くなかったらしく「昨日は通れた」と答えた。
自分でもなぜ歩いているのか分からなくなっているのだろう、適当な理由を妄想し(それは大抵自分が被害者)文句を言いながら歩く母。
ただ腹が立つ…。なるべく母と距離を置き歩く。

家に戻るルートの途中でスイッチが切り替わる。
「このままM町に行く?」と聞く母に「ご飯を食べてからにしよう」と提案し無事帰宅。
気持ちはまだイライラしているが、テンションを上げて母ともに夕食作り。
役目を与えないと凹む母。私には疲れる夕食作り。

後でお風呂に行こうかと提案。よい返事。
母の気分の変わらぬうちにと用意する。
しかし、いざ行く段階になって「具合が悪くなったからやめる」と言い出した。
ぬか喜びさせられ当然ヨイ気分なわけがない…たとえ病気と分かっていても。

銭湯道具を片付けて、阪神戦を見る。勝ってて良かった~(ハムも勝ったし♪)
野球中継を一緒に見ながら質問してくる母。具合なんてどこも悪くない。

やがて寝る態勢へ。
シャワーはもちろんパス。けれども、今夜は自ら顔も洗い歯も磨いてくれた。
10時過ぎ就寝。母が寝た後は安心して私の時間が持てるので、早寝は歓迎。

そして私の一日は終わる。明日もデイはない。

エレクトーンを弾く足

2005-08-28 | ■ELECTONE
太い足を隠すためパンツ姿でパチリ。スゴイ態勢でシャッター切ってます。

私の華麗なる足さばきをご覧ください……あっ静止画でした。
まぁ、どのみち華麗な足さばきにはほど遠いので静止画で丁度良いですね。
スゴイ人々は足の「つま先とかかと」を両方つかってベースランニングします。
私にはとてもマネ出来ません。
つま先onlyで、ドーソソードドーソソー~などと動かしてます。

左足は当然のことながらヒザを軸にして動かします。間違っても、太ももから、腰からドスンドスンと動かしてはいけません。これではリズムに乗れません。

左足…結構無理してるかもしれません。…だから若年性慢性腰痛なんて診断をもらってしまったのでしょうか?(エレのせいかどうかは不明ですが)
これ、20代の時の診断だから、今だったら若年性が取れるんだろうな~~

顔も洗わない

2005-08-27 | ●介護録(~2015.2月)

最近の母、入浴どころか、顔も洗わず歯も磨かないで寝てしまうことが多くなっている。
問題は、身辺自立が出来ているから、身の回りのことはほぼ自分でやること。
私が手を出し、口を出すことはもってのほかなのだ。
「出来ない」ならば、こっちがどうとでも対応出来る。洗えないなら介助してもいい、濡れタオルを用意して拭いたっていい。
でも「出来ない」ではなく「やらない(やりたくない)」のだから困る。

今夜、お風呂に入ると自分からいい出した。
ところが用意が整うと「眠いからやめる」
それならば洗顔だけでもと促すと、最初は快い返事だったのに、トイレに行って戻った時にはもう気持ちが変わっている。
「さっき洗った」だの「歯は昨日磨いた」だの言いまくる。
オマケにティッシュで歯をこすって「汚れてない」ときたもんだ。 give up


徒然なるままに…

2005-08-27 | ▼ユルユル日常
「カテゴリー」の横に記事数が出るようになったので、カテゴリ分類を増やして整理した。
なんで今までこの機能がなかったのか不思議よね。他のブログには大抵あるのに。

昨日、TVで林キャプテンを見た。(アジア選手権?でいいのかな?の団結式)彼の表情を見ながら、案外、彼らは私たちが心配するほど凹んでなくて、自分たちが現実に成し遂げた二連覇は揺るぎないという確固たる思いがあるような気がして安心した。

…と、駒苫に思いをはせていたら、トラが…トラが……大丈夫なのかー?!
落合中日に負けるなんてイヤだゾ。
ハムは…小笠原が頑張っている…が、遅すぎた。

これから狭いベランダの片付けをします。

ひきこもり・その2

2005-08-26 | ▼ユルユル日常
友人の協力を得ながら、私は従妹のひきこもりに関して動き出し、先日、従妹の住む市の相談機関に電話をした。知りうる限りの情報を提供した。
当然のことながら、相談員はもっとくわしい状況を知りたがり、両親が行動を起こすことを求めた。
私に出来ることは、叔母夫婦を促すこと。
とにかく手紙を書いた。

本人が「もういいから」と言ってもそれは本心ではなく、本人が望まないのに親が勝手に動いた結果、もっと心を閉ざすのではと、恐れることなく相談に行って欲しいこと。
10年あまりのひきこもりであり、このままでは自力で社会復帰は不可能なこと。
どこかパワーダウン気味の叔母になんとか気力を奮い立たせて欲しいと願いながら…。

私は相談の入り口でドアを開けた。あとは叔母夫婦が一歩足を進めるしかない。

NHKのHP「ひきこもり情報」から家族のためのアドバイスも印刷して同封した。

第三者的に見ると、この10年あまり一度も相談機関を訪れず、病院にも行かず、ひきこもりの情報も集めていない(「本人が出て行く気にならないと」なとど言っていたから、ひきこもりについて調べていないと思う)状況が信じられない…という思いもあるのだけど、当事者になると、案外、こんなものかもれないとも思う。

私がわりとサクサク動けたのも従姉という立場で、第三者的に「これこれこういう状態で」って苦もなく相談できる精神状態だからだろうし…。

そういえば介護番組で大学の先生が、「介護が必要になる前に介護保険制度について知っておく、施設入所が必要になる前に施設について情報を得ておくコトが大事。当事者になってしまうと余裕がなくなる」といってたっけ。

これから私は従妹に手紙を書くつもり。
「誰かが自分のことを気にしてくれている」と思うのはヨイことだそうだ。
ただ、言葉を選ばないといけないから、ちょっと気が重い。

なんだかなー(駒苫の話)

2005-08-26 | ■ファイターズ
この話題が頭をよぎると、林キャプテンの顔が思い浮かんじゃう。
駒苫に知り合いがいるわけでも、苫小牧に縁があるわけでもないんだけど……。

今朝のTVを見ていたら、暴力を受けた生徒の父親が、校長と部長の謝罪を受け入れて「これで少し胸のつかえがとれた」(←言葉違ったかも。こういうニュアンス)とコメントしていると放送されていた。

なんだかなー……。
子供が暴力を受けた親としては当然の思いかもしれないけど…。

暴力受けた側の生徒はどんなふうに思っているんだろ。同じ野球部員として…。
卒業まで、「熱かった夏」を他の部員と共有していけるのだろうか。

調査する、という高野連の態度に対して、「高野連はいつから警察になったのか。そういう権限はないばすだ」というコメンテーターの発言があった。

不祥事に対する処罰のあり方そのものを考えさせられる。

なんだか胸が痛い。