「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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微熱

2014-10-31 | ●介護録(~2015.2月)


先週、微熱が出て、針をかえ抗生物質投与
落ち着くと思いますと言われ、落ち着いたように見えていたけど一昨日、また微熱
昨日は入浴もしていたけど、採血したところ炎症が見られ、今日からまた5日間抗生物質投与
前は、カテーテルの針交換で治癒したけど、
今回は、看護師から「おしっこだと思います」と言われてます。

なんていうか…………
病院の前に着いたら、そこから回れ右して帰りたくなる。
現実逃避?
見たくない……
会いたくないじゃなくて、見たくない。

在宅してたるときは常に顔を見るのが普通のことなんだけど、通い介護だと、行かなければ済んでしまう
行かないからといって事態が変わるわけでも、なかったことになるわけでもないんだけど、
見なければ、触れなければ、その間は
知らないよ~
なんにもないよ~
忘れてるふり?

回復するわけじゃない

父はガンで亡くしたけど、それとはまた違う、認知症が進行し老いていく様を、ほぼほぼ最期に向かう様を、なんだか真綿で首を絞められるように見ている感じ。




少しだけ整理

2014-10-28 | ★タティング作品


秋晴れです。
北海道各地は雪ですが……

整理、整理……
なにかに追いたてられるように断捨離。
母の服、靴
もう使わないもの

母が認知症になってから私が買ったものは処分出来るけど、
母が自分で買ったもの、手作りしたものは処分できず。

まあ、いずれ………………


うちの母って、装飾品とか趣味のものとか、ほとんど無い。
なんで?ってくらいない。

唯一無二の趣味兼実用の洋裁の道具くらいか。
糸やファスナーなどの小物と布はすでに叔母や知人にもらって貰った。
まだまだ元気に動き回ってたころだけど、布を見せても糸を出してきても全く無視だったので、使ってくれる人に譲るほうがいいと考えて。

すると、認知症者が大事にしてるものは処分するべきではないと怒られたけど。
あれもこれも見境なく断捨離したわけじゃないんだけどね。

全てが終わった時に、一人で全て処理する自信がないんだよ。
だから手をつけられるところは少しずつ………………


尊厳死とか延命がどうとか軽く言えなくなった。

2014-10-18 | ●介護録(~2015.2月)

先日配信された、アメリカ人の女性が余命宣告され安楽死を選択する決意をしたという記事には予想通りに、
「尊厳が~」とか
「自分も絶対同じ選択をする」というものが。


そんなことは軽々しく言えない
………最近はそう思うようになりました。

自分がその立場になった時、本当に安楽死の選択が出来るのか?
奇跡を信じたいと想うかもしれないし
1日でも長くこの場にいたいともがくかもしれない
その時にならないとわからないよ

第三者でいるときは、なんだって言えてしまう、多分。

尊厳がどうしたとか、延命がどうのとか、今の自分には
「きれい事」に聞こえてしまう。

でも、以前の自分が安楽死を選択した記事を見たら、自分もそうするって簡単に言ってただろうなぁ。

胃ろう選択が、まだ現実味を帯びてない時は
そこまでして生きるのは……っておもってた。

でも、実際に母に対してその選択をしなければならなくなって、
そんな簡単なことじゃないとわかった。
当事者ではなければ、あっさりと、そこまでして生きたくないよね~と言えるんだ。
でも、目の前に突きつけられると
よほど強い信念を持ってるか、
本人と固く約束してるか
確固たるものがないと簡単に答えは出せない。

思考停止
堂々巡り

その意味がよくわかる。


自分なら(胃ろうに)しない
親も嫌だと言っている
……いろんな人がそう言った。

グダグダになってる心にさらにナイフ突き立てられるような?

余命宣告された方が安楽死を選択し、訪問医師がそれを受け入れる記録を読んだことがある。
本の中の一部でそれほど細かく書かれていたわけではなかったけど、
その方は、安楽死について勉強していたし、家族ともしっかり話し合い、訪問医師ともたくさんのやり取りをして、その時を迎えた。

それを読んだ時も
「そうなったら私も安楽死するぅ~」なんて言えることじゃないなって思ったし…………

重いんだ





ほっこりしたい……秋

2014-10-12 | ●介護録(~2015.2月)



心の底からほっこりしたい。

看病とか介護とか、個人の力や思いだけではどうにもならないことだから

受け止めて生きるのはエネルギーがいる。
ひょっとして逃げるのも別な意味でエネルギーがいるのか??

自分のために時間を使っていても
重たいモノが心の片隅に。
○時になったら帰ってくるとか
明日になったらまた始まるとか
楽しいことが終わっての帰り道、現実に引き戻される。

療養型入院中の今、
着替えもパンツ替えも食事介助もないけれど、
終わり行くのを見つめるだけの
コミュニケーションも取れない日々はただ重苦しい。
せめて食事介助でも出来るなら、単なる自己満足であっても、救いになるのに……

ホッコリとは程遠い秋。




THANKS MACK

2014-10-06 | ■ファイターズ



金子誠選手引退セレモニーをガオラで見て
翌日はネットであちこちの記事を読み
涙腺崩壊(T-T)

ここ数年は、もしかして……と毎年覚悟してたけど、稲葉さんが先に引退発表したので、
じゃあマックは無理矢理?あと一年残ってくれるかも?と都合よく願望全開してたけど…………

ああ、寂しいなぁ~

でも引退試合は素敵だった。
1打席目にヒット打ち、そこから連打で先制。
その後の打席でも塁に残りホームベース駆け抜けた。
守備のファインプレーもあり
最後は犠牲フライで打点!
それが背番号と同じ8点目って、漫画みたい!!

惜しむらくは
その日の解説がファイターズOBではなかったこと。
実況アナがマックの話をふっても無言ってのが何度もあり、盛り下げてくれちゃったわ。
何か事情があったのかはわからないけど、テレビを見てる側には、マックとファイターズに恨みでも?なんて感じちゃうよ。
ガンちゃんか金村さんならなぁ………

最後の攻撃は
マックのバットリレーで。
昨夜のローカル番組で、
新しいバットで一打席目のヒットの跡があったのにバットリレーで分からなくなったと笑ってた。

昨日、稲葉さんに花束渡した中田君が涙腺崩壊していて、稲葉さんもマックもそれみてウルウルしていたらしい。
よくメディアに強面キャラ的に書かれる中田だけど、二人とも声を揃えて、やんちゃだけどカワイイ、素直だと言っていたのも印象的でした。


来年のキャンプ中継にマックがいないなんて、楽しみ半減。

ガオラの放送席のほうに座ってくれないかしら?

北海道のメディアはほっておかないだろうけど、来年、マックさんはどこで何をしてるんだろう

気になる…


悔しいね……

2014-10-06 | ●介護録(~2015.2月)
母に
「悔しいね……」と声かけた。
もちろん返事なんてない。

悔しいという言葉は今まで口にしなかったと思う。

進行して、コミュニケーションも取れない、食べられない、言葉もない……そんな状況になって
自然と悔しいね……という言葉が出た。

母と同世代の方が元気に働いている姿、テレビ等で見てしまうと、
認知症になってなかったら……と思ってしまう。
そんなことは今までにもあったけど、なぜか悔しいという感覚にはならなかった。

だけど今はただ寝かされて……話も出来ず……点滴に繋がれて

ホントに切なくて、見てるのが辛くて
せめて意思の疎通が出来たらと思うと、悔しいよ……と思ってしまった。


知り合いに、
「家族だからそう思うかもしれないけど、世間的に見れば
その年齢ならある程度仕方ないって思うところだよ」
と言われたことがある。

確かに
若くして亡くなられたり、重い障害をもつこともあり、そうした場合と比べたら高齢者なんだから……。
元気な高齢者もいるけれど、だれもが90や100までいきられる訳じゃない。
65で逝った父は、チョット早いよね……と言われたけど、
今80の母はそうは言われないだろう。

だけど
認知症は嫌だよ
人ではなくなってしまうような認知症は嫌だ。
認知症になって迎える最期は嫌だ

ただ、本人は楽かもしれない。
余命宣告されるでもなく、自分の状態もわからないのだから。

先日、介護友人さんが医師の講演を聞きに行き、そのなかで、
進行に伴って患者への対応が、励ます→支える→寄り添うと変化し、目に見えない「寄り添う」は人間力が必要という話をされていたそうです。

寄り添うには忍耐力がいる……と感じてたけど、それは確かに具体的に目に見えなくて、頼りなく、成果も感じられないからなんだと凄く納得した。
徘徊に付き合うのは苦痛だし、車椅子移乗や食事介助も大変だけど、やることははっきりしてて、目に見えるものね。

今の私、寄り添うのが苦痛でもあります。
コミュニケーションがとれないので、面会してもむなしさがつきまとい、私を認識しているかもわからないから、行った甲斐も感じとれず…………


だから病院通いに大きなエネルギーが必要デス

でも、行かなきゃ後悔しそうだし
やっぱり淋しさもあるし

介護って
ホントに大変だよ……