「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

良いお年を

2006-12-30 | ●介護録(~2015.2月)

無事に(…でもないかな)一年が終わります。ここをのぞいてくださった皆様、ありがとうございました

我が家の場合、年明け早々に介護認定更新のための受診、調査がありまして、落ち着かない日々が始まります。
考えてみれば、最優先事項が「介護関係」で、その合間をついて自分の予定を立てる毎日なんだなーと……それを結局は何年も続けるわけですね。

そんな生活にも人間は慣れていき、そこそこうまく泳げるようになるらしく、たまの自由に幸せを感じたり、ひよっとすると、介護生活ゆえに、無職状態であるがゆえに出来るのかもしれない「アレコレ」なんだ…なんてプラス思考も働いてくるみたいです。

明日はネットをする暇があるかどうかわからないので一日早く年末のご挨拶とします。
いつもお世話になっているネット仲間のみなさんのところを訪問してご挨拶出来ればいいけれど、出来なかったらゴメンナサイ。来年もよろしく。

みなさん、良いお年をお迎えください

P・S
本日、テレビ朝日系列北海道ローカルで、ナント、時間ぶっ通し、ファイターズ特番があります


出た!外出モード

2006-12-29 | ●介護録(~2015.2月)
階段を降りて数歩で引き返すことに成功したから「はいかい」の「は」の字程度のものだったけど、三回連続。

退院して十数日、来るモノが来だしたかな…。

いずれ…と覚悟はしていたけど、やっぱりイヤですね。

食事の用意が出来たのに、「食べない」と言い出したことでちよっともめたのでそのための不穏→徘徊。
まっ、私が蒔いたタネかもしれない。

だんだんこっちもイライラ感の蓄積が出てきたのかな。
一ヶ月半の自由…その間のリフレッシュで「おだやか介護」が出来たのは10程度……こんなもんか~忍耐力ないなーと思う。
このあと、年末年始がやってくる。今年は31日から3日まで家にいることになる。どうやって過ごそうかな。

着替えた…と思ったら

2006-12-28 | ●介護録(~2015.2月)
珍しく自分からサクサクとパシャマになった昨夜。「おっ、いい感じ」と思ったら、今度は布団に入らない。

あれこれと誘ってみたけど、何がひっかかるのか、「どうしよう」とかいいながら、茶の間の座布団を片づけてみたり、なかなか寝ようとはしなかった。
声を掛けると「どこで寝ようと勝手。そんな権利(布団には入れと私が言う権利)はない」なんて怒り出しちやった。

母がソファで眠りだしたのは夜中の二時。その一時間後、ムクムクと起き、「やっと布団で寝てくれるのかな」と思ったら、電気をつけて片づけをし出した。
さすがに眠りを妨げられた私もイライラし、一時自分の部屋に批難。部屋のイスで寝ることに。

結局、この日、母が布団に入ったのは明け方だった。
そして一日、パシャマのまま。

ステンドグラスぽい切り絵は友達のパパさんの作。また貰ってしまいました。さすが元美術教師
繊細な作業デス。私には出来そうもありません……切っちゃイケナイところをバシバシ切りそう

頑張る介護って

2006-12-27 | ●介護録(~2015.2月)
全国的に荒れ模様。今日は北海道も雨です。普通なら雪のはずなのに…雨だなんて…明日の朝がコワイ。アイスバーンか?!

母が退院して約10日。(まだ10日か…という感じ。もっとたっていりような…)今日はじめて「家に帰るわ」の一言が出た(未遂)。

最初の二日はとても素直だった、従順だった。歯磨きも着替えも薬も余足しのいうことをそのまま受け入れていた。
しかしこれは環境の変化による不安?がもたらしてものだったのかも。
その後、以前の感じに戻って、歯磨きや着替えは、はねつけられた。

服を着たままの就寝が続いた数日。
最初、私は少し意地になって何度も何度も「歯をみがこう」「パジャマ着替えよう」を繰り返してみた。声かけが成功したのは一度だけだった。
三日目から降参。

声かけしていた間は、俗に言う「がんばりすぎ介護」だからそんなにおもいつめないで、服着たままだって死にはしないよ…と他人にいわれるだろう。
なすがままにしている間は「がんばらない介護」ってことになるのかな。

自分でひたすら声かけしていた時も特に思い詰めて頑張っていたのではなくて、最初の二日はいい感じだったし、入院中はしっかりは歯磨きも着替えもしていたんだろうし、なんとか継続させたいなーってことでやってみただけ。

ムリして…というのではなく、やりたくてヤリ倒すことが人にはある。
好きなことなら寝ないでも完成させたい…とか、やらないほうが返ってストレスになるような。
なんかそんな気分に似ていた。
分かってるけど、ちよっと意地になりつつ、なんとか、完璧にやり終えて母を布団に入れたいって思った。そうしないとなんか気が済まないような…。

そして、やり尽くしてやはり難しいと再認識したので、自分の気が済んだみたい。
もう、どうぞ、いつまでもその服のままで寝て、起きて…生きてください。いつかまた我が家でもスンナリ着替えて眠る日もあるでしょう。

簡単に「頑張るな」っていうのも善し悪しかなーと思った。
頑張った後に答えは出るんだ。それで疲れたらその時に「頑張らなくていいよ」といってあげればいい。
とりあえず、やるべきことの最善を尽くしたいと介護者が思っているときは、頑張る人を応援すればいいんじゃないのかな。

どうも私は「ガバラナイ介護」という言葉がキライらしい。
カン張りすぎはよくないけど、やはり介護にガンバリは必要だと思っている。

友達のアリンコちゃん(仮名…って当然か)から手作りジャムをもらった。
ちょうどシナモンパウダーがあったのでふりかけて食べた。アップルパイのようでとってもおいしかった。3時間かけて煮込んだそうだ。ご苦労様デス。わたしはただ頂いて食べるだけの人ヘヘ。

『母のいる場所』久田恵著

2006-12-26 | ●介護録(~2015.2月)
母のいる場所―シルバーヴィラ向山物語

文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

著者はノンフィクション書き下ろしのために「シルバーヴィラ向山」の取材をしていた。そしてそこに自分の母親を入居させることになった。

この本は介護としての者著者の想いと、シルバーヴィラという有料老人ホームのあれこれ、人間模様を書いたモノで、美談的体験談とはちよっと違っている。

在宅介護に限界を感じて入居するところから始まり、在宅介護の大変さにはそれほどリアルに触れていない。
入居にあたっての手続きやら家の整理、その時の兄姉との関係(著者は末っ子)、あるいは、80代の父親とのあれこれ…そんなことが書かれているので、「しんみり」というより「ゼーゼーハーハー」という感じ。
介護していると、サービス一つ使うにもアレコレと段取りがあり、ドタバタがあり、そしてメイン介護者以外との確執もあり、サービスが始まってもしばらくは安定せず…と、感傷的なこととは別な、息切れしそうなことがたくさんある。

このシルバーヴィラは介護保険導入前からあり、「高齢者専用長期滞在型ホテル」という看板が掲げられている。
道路を挟んだ向かいに「アプランドル向山」という自立型の施設も建っていて、著者の父親はこちらに入居し、著者本人は近くにアパートを借りるという形でスタートし、後に、実家を処分し、シルバーヴィラの近くに家を購入、父親との同居生活に戻る。

この施設は、とても対応がフレキシブル。門限もないし、地域にも開放され、人の出入りも自由(1990年代のことなので今だったらセキュリティーが問われそう)
介護の必要な人も、そうでない人も一律で月に17万円←今ならもっと高いんだろうし…この金額を払える人でなきゃ入れないのよね……。
介護のあるなしでも金額が同じというのは、相互扶助の意味合い。入居後に要介護状態になっても支払いが多くなることはない。

介護保険導入後も、あれこれ知恵を絞って今までの形を崩さないようにしていたけど、介護保険前からある施設等は、それまでうまく機能していた自分たちのやり方がバツになるわけで、行政に振り回されてることになり、それがヨイのか悪いのか……。

このホームは東京にある。
お金の問題はともかくとして、これを読んでいると、こういうホームなら入ってもいい…と想った。

そこに親を入居させ、近くに中古で家を購入し…という著者は介護環境としては恵まれているほうだと思う。

著者の母親は脳疾患で介護度5、失語症がある。「母の言葉が聞きたい」という文がちょっと胸に響く。

PC復活!!

2006-12-25 | ▼ユルユル日常
無事にディスプレイが戻って参りました
LCDパネルとなんか内部の部品が不良ってことでした。保証期間なので無料…ほっ

クリスマスが過ぎてもクリスマスバージョンのままのHPなんてイヤダなーと思っていたんで、ギリギリ間に合って良かった、良かった。

パソの復活とともに、年賀状をつくらなくっちゃ…と思い出す。
あーん、なんだか面倒だな~

お掃除もしなくっちゃならないしーなんだかバタバタ…。

こうして私はまた「時間が足りない」と思う日々になるのかしら。母の入院中はたっぷり時間があったのに、あればあったで油断してダラダラ…。
介護生活の再開で時間を有効に使おうって気になったけど、そうなるとなったで、時間がないと激しく思う。

母が退院して一週間。この間、眠剤を飲んだり飲まなかったりの日々。
で、思った。飲んだ日は寝言を言わないがいびきが激しい。飲まなかった日はいびきはないが寝言が出る……そんな気がなんとなく……まだ未確定だけど。

デイサービス再開

2006-12-22 | ●介護録(~2015.2月)
★以前と変わりなくデイサービスで一日過ごした様子。
帰ってから疲れもみせず、なんだかパワー全開(>_<)
もうちょっと疲れて寝てくれるといいんだけどなぁ

私は以前の介護生活パターンに戻って、自分のペースも取り戻した感じ。
時間に制限があると思うと予定をこなそうという気分になるらしい。

★PCは今日修理完了の連絡が来た。あと少しの辛抱。

★ハングル検定不合格…6点足りなかった。全滅だと思った聞き取りは必要最低点クリアしてた。筆記でもう少し点が取れていれば…。慣用表現あと二つくらい記憶してたらなぁ。
言い訳その1…レベルが思ったより激しく上がってた。
言い訳その2…試験10日前に母が入院してラストスパートが出来なかったのよ~~…それ以前にちゃんと勉強してろってコトだけどf^_^;
来年6月再挑戦?…うーん、メンドーだなぁ

アルツの4つの薬(携帯)

2006-12-21 | ●介護録(~2015.2月)
★この間NHKで認知症特番があった。

NHKの番組は2時間3時間やってるわりには物足りないと思うことが多い…というのが私の感想。

チラッと見たときちょうどやっていたのが薬のこと
アメリカではアリセプトを含めて4つの薬から選択可能。
日本は必要なデータが(600件?)集まらないとかで認可されてない。
韓国や台湾は使ってるらしく日本より進んでいる、そういう意味では後進国ですね~とニタニタしてた先生。
な~に笑ってんだよぉ(-_-メ)
母にはもう遅いだろうし、認知症は命にかかわることではないけど、なーんか、スタジオののんびりムードがムカツク。
NHKはこういう場合に、出演者が誰も突っ込まない。だから私みたいなへそ曲がりは物足りなくなるんだな。

★夜、母が急に服をぬぎだした。
寝るつもりだろうと思ったら、お風呂に入ると言う。
(@_@)どーしたの?入院生活で何かが変わった?
しかし、入るといったらとにかく今入らないといけない。
急いで洗って沸かして…(-.-;)入浴してくれるのはいいけど、振り回される私……疲れた。

退院三日のあれこれ(携帯)

2006-12-20 | ●介護録(~2015.2月)
★転倒怖さから母と同じ部屋で寝ることに(-_-)zzz…
別の部屋で寝ているとあらゆる物音に反応し目が覚める。同じ部屋ならホントに起きた気配だけに反応出来てヨイかも…とプラスに考えた。そしてそれはそのとおりだった。でも、母のイビキと寝言になかなか眠れなかった一日目。翌日しっかり眠れたのは慣れ?

眠剤は飲んだ日も飲まなかった日も夜中のトイレは変わらない。

★三日目で紛失物二つ。昨夜は携帯も無くすとこだった(-.-;)

★幸いにも、夕食後に必ず始まった「帰る」パターンは今はナイ。
★今日から再開したヘルパーさん。「久しぶり」と母。なんとなく記憶のなかにあるらしい。
…でもさ、母の入院中の誰も(ヘルパーもデイの迎えも)来ない気楽さは、やはりイイなぁ…

★金曜からデイサービスも開始デス。

母、帰る。(ビゴ携帯)

2006-12-18 | ●介護録(~2015.2月)
★迎えにいった時、母は看護助手とお掃除に熱中…一応入院患者のはずなのに…f^_^;

家に戻ると、「帰ってきたわ~」と一言。でも退院したというより、買い物から帰って来たという感じ。

一ヶ月後受診。内科薬とアリセプト、退院したら即もらいに行かないとダメかと思ったら、しっかり出ていた。さらに就寝前にも薬が…知らなかった…入院中飲んでたんだ。やっぱ必要なんだろうか?
夕食をこたつテーブルで座って食べてから足の引きずりが大きくなった。気になる。

★パソコンのディスプレイは修理に出すことになりました。しばらくパソなし生活です。