「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

「春になったら」……

2016-02-29 | ▼ユルユル日常
先日、介護者仲間のブロガーさんからのコメント返信に

北海道には春になったらといういいフレーズがありますね

という一文がありました。

意識したことなかったけど

ホント

いいフレーズ


もちろん、日本全国で、春になったら……というフレーズは使われるだろうけど

雪解けがあって
景色がガラリと変わり
ダウンを脱ぎ捨て
何より滑りにくいのが優先の冬靴ともサヨナラ

そんな北海道では


春になったら

……そのフレーズは

なんだかまるで夢を語るような…………甘いささやき?


待ち遠しい

春になったら………


変われないかもしれない私だけど
気持ちだけは

…明日から3月

でも、

今日はこんなです







小さく幸せ

2016-02-27 | ▼ユルユル日常
嫌なこと、悪いことばかりが記憶に残るよ……

とつぶやいたら

電話の向こうで友人は

幸せって小さいんだって

と言った


な~~んにもなかった一日を

幸せ

と思わないと

馬力のない今は毎日がネガティブ思考になりそうだし。


介護しているときは
何事もなく一日が終ることに(無事にデイに行き予定通りに帰ってきて、夜ご飯完食そして快眠)
ホッとした。
ケイレンしたり誤えん性肺炎になったあとはとくに。



とりあえず
ストーブ交換終了。
一年ぶりに美容院に行けた。

ファイターズキャンプも打ち上げ

二月が終る
気分だけ春が近くにやって来た?!







荷おろし症候群から抜け出すための時間

2016-02-25 | ●介護回想(2015~)
知人Aさんに一年ぶりに会いました。

実は介護が終わり、ウツウツしてまして……と話したら

Aさんも
過去、お父様が亡くなったあと二年半くらいそんな状態だったと……

病院に通っていたので、しばらく、その地域に行けなかったり、
人と会うのが億劫で、その方は自分がオーナーのお仕事をしているのだけど、それもままならず、スタッフの力を借りてなんとか切り抜けたらしい。

「どうしてもやらなければいけないことは、なんとかこなしつつ……という感じデス」
といった私に

そうそう!と共感してくれた。

二年半か……


わたし、電子レンジを買いに家電量販店に行きたいのだけど
その店は
向かいが母の入院していた病院
道路挟んで隣が老健
出来れば行きたくない。
今はまだそんな思いです。

不思議なことに
母が亡くなった2週間後くらいには入院費を払いにいき、3月?くらいには洗濯機を買いに量販店にも行けた。

その時は
さほど悲しいとか苦しいとか思うこともなく
案外平気だわ~~と思ってたんだけど。


Aさんはオーナーとしてバリバリ仕事をされてる方。
私は勝手に
そんな環境にある場合は荷おろし症候群なんぞにはならずに乗り越えていけるのだろうと思っていたけれど
人の心はそんなに単純ではないらしい。

介護というのは
概ね長く、関わる質というのもかなり厚く重くなる。
被介護者が高齢、まして認知症となると、様々なところで、介護者が判断し、決定権を持つことにもなる。
他人(家族だけど自分ではない人という意味で)の生き方、暮らし方、生存権?にまで責任を持つことになって……
でも
その他人の意思を確認することはおそらく出来ないまま、治癒することはなく大抵は自分より先に亡くなって
介護者は残される
たとえまわりが、お母さんは分かってるよ……と言ってくれたとしても……なんの確証もないままに。

その辺が重さなのかな?
もちろん人によるだろうけど


荷おろしはそう簡単にはいかなくて

軽くなったはずの肩なのに
慢性化した肩凝り同様に
見えない重みが心にもっさり………………

息苦しいなぁ……と思うこともある。

Aさんは「ザ・ひきこもりだった」と言う。
私は「今もまだ半冬眠中デス」なんて返す。

でも、
ああ、私だけじゃないんだな……
時間はかかるものなんだ……
と思えて、少し楽になった気がした。









ストーブ、不調(T-T)

2016-02-21 | ▼ユルユル日常
18日に修理してもらったんですけど
ダメみたい

温度下げたら消えた
灯油臭い

このストーブ
アパートの備品
97年製
もうとっくに寿命でしょ?

もう三回くらい修理した
代金は管理会社持ちだけども。

自分のなら買い換えてる

北海道の冬にストーブ不具合なんて…………死ぬ……



この手の製品は三年~五年でススが詰まる

と、業者さん。

97年整…………

18日の修理後に
「とりあえず三年は大丈夫ですね」
と言ったら
「その前に部品がダメになるだろう。今回は替えてないけども、替えたい部品がいくらでもあるから」
と業者さん。

そんな……と思ったらわすが二日で不具合

新しくしてくれよ~~(T-T)

夢見が悪く……

2016-02-21 | ▼ユルユル日常
わりとハッキリクッキリ、ストーリー性のあるカラー夢を見る私

今日の夢は

この世にいないはずの母が登場。
はっきり存在し、話もして、触れることもできて
そして何より
健常者!(これは初だ)

しかし夢の中の私
自分のタンスのなかに母の服があるのに気づき
「なぜ母の服がここにある?」と考えて

そうだ、処分することが出来なくて残した服をここにしまったんだ
母は死んだんだ……

と気づいてしまった。

だったらなぜ見える?話せる?触れられる?


ここから先はとても複雑な心境に。

この世にいないはずの母が見えている自分……
おかしい……
どうしよう~

見えるわけがない、はなせるわけがない
あれは幻なんだからしっかりしないとマズイ!

と、自分に言い聞かせ……茶の間に戻る

でもやっぱり母が……そこにいる。

ああ、どうしよう?私おかしくなってしまった……

恐怖

でも……

オカシイと自覚しているならいいのかも?大丈夫かも?
わかった上でこのまま生活していけば……

なんて思う。

だけど、オカシイ自分がやっぱりコワイ

鏡をのぞくと、そこに母は映っている
ということは……?

やがて鏡には母以外に二人の女性の姿も現れた。
50年代みたいなワンピース姿だ。

誰?

もはやホラー…………

ってところで目が覚めた。


ああ、夢でよかった
私、おかしくなったわけではなかった……とホッとした。
かなり真剣にホッとした。



夢の内容があまりにハッキリしていたので
認知症ではない母の姿が切なくて……
悲しくて寂しくて辛くて
泣けて

テンションだだ下がりな一日となってしまった。

こんなだからエネルギーが満タンにならないんだよ。

今夜は夢を見ませんように。


介護に不満ありアンケート

2016-02-13 | ●介護回想(2015~)
なんとかという研究機関が千人くらい?の介護サービス利用者にアンケート。(利用者&家族)

リンク貼ろうとしたけれど、元ニュースさがせなくて、とりあえずこのまま進みます。

まず、見出しをパっと見たときに
スタッフの介護の仕方に不満ありというイメージがした。

記事を読むと、不満の%の多いものがいくつかかかれていて

その分析?解説?として
施設でのスタッフ間の申し送り的なことがスムースに行われていないんじゃないのか?
というようなアンケート実施機関の人の話が載っていた。


で、私は最初

介護スタッフも千差万別。
経験値の高い人もいればそうでない人もいる。
家族介護も数年になれば、資格を持ったスタッフよりも経験が……なんてこともある。
それに
スキルより相性だったりもするので、単純にあのスタッフの介護は×なんて言えない
介護って出会いなんだよ~もうそれ運命~

なんて思ったけど……

アンケート結果をよく見ると
上位は

自己負担額が高い
利用回数に制限がある
だった。

その次に
介護者によってサービスに違い

そのあとには
保険外であるために拒否される
などが挙げられていた。


結局

介護保険制度への不満がほとんどではないですか?!

確かに何でもオーケーには出来ないだろうけど
制度への不満なら改善は出来るはずで……

改善してください。

改悪ではなくて改善。


保険制度が出来る前から介護していた方が言いました。
「前のほうが良かったよ。色々対応してくれた。今は保険外だからダメと言われる」と。

施設職員も言いました。
「前は措置費だったから、それをどう使うかは施設ごとに自由。だから、利用者さんが望み、こちらも対応出来ると思えばやるたけど、今は制度の壁が……」と。


「保険制度によって、利用者さん、サービスという受け取り方が強くなったのはプラス」
と言っていたことも書き加えておきます。


それから~

自己負担が高いという不満が一位でありながら
保険外のサービスも利用したいという答も%高かった。
これはどういうことだろう?
保険での自己負担が高いという不満があったら、普通は、保険外なんて高くてイヤ!となりそうな気がするんだけど…………?



harvestgold

2016-02-11 | ▼ユルユル日常
今日は祝日

仕事をしていた時も土日祝日関係なく生きてきた

介護中は当然そんなもんは関係無い

介護が終わって1年……未だ社会復帰しきれていないので、今も土日祝日関係なく毎日が日曜みたいなもの
しかも
おひとりさまなのでダラダラしようと思えばいくらでもダラダラMAX

それはイカンと思い

日々、それなりにちゃんと生活している(つもり)

でも、今日は世の中が祝日なので(いいよね~~と思い)
ストーブをつけてからもう一度ベッドに戻り、部屋が暖まってもしばらくヌクヌク、ダラダラ過した。

(寒いよ~。昨日灯油入れてもらった。今年初。五月くらいまではストーブたくから、あと何回くらい灯油を入れるかな?)

もっとダラダラしたかったけど

空腹に勝てず。


テレビはガオラがファイターズキャンプ中継。
マックコーチ(金子さん)が映ると嬉しい
昨日は稲葉さんの姿も

今日は練習試合
相手は某隣の国のチーム
さすがに練習試合で反日剥き出しってことはないようだけど?

大谷君、投げていた。
順調。



三つ平行して作業中。

黄土色?した糸はリズベスの糸。
色名はharvestgold
母が好きな色……。

認知症になる前に、札幌のカナリヤさんで、こんな色の服地を買った母。
レース模様みたいな生地で(厚みはある)それなりにお値段もしたような記憶。
何を作ろうか悩んで迷って
結果
手をつけないままに認知症。
しばらくそのままにしていたけれど
叔母が東京に移住する時に譲った
私は洋裁が全くダメだから持っていても宝の持ち腐れ。

人生何が起きるか分からない

これ!と思ったらすぐにやらないとダメですね……









介護:行動障害、根本原因を解消しないとダメって言われてもね……

2016-02-09 | ●介護回想(2015~)
先程、チョロチョロと認知症関連サイトを見ていたら

介護している家族さんは大変……とエールをくれながら
様々ある問題行動(行動障害)にどう対処しようか?という話で

例えば

徘徊する→ドアに鍵をかけよう
妄想がある→適当にごまかして忘れさせよう

などと対応してしまうと
解決にならなずに繰り返すだけと書かれてた。

じゃ、どうする?

根本原因を見つけなきゃ!
ということで

原因として
心理的な要素(不安、さびしさ、怒り など)
周囲の働きかけの問題(いきなり手をつかんだなど)
体の不調
薬の影響
環境
以前の習慣

が挙げられていて、それをクリアして解決へ
……ということだった。

もちろん、素人の家族だけでは無理だからケアマネなどの力を借りて。


クスリのせいとか体調、周囲の働きかけの問題ならば解決も可能

でも心理的な問題、以前の習慣、環境は
難しい

仮に以前の○○習慣のせいだ!と判明したとしても
難しい


母は
以前住んでいた町に帰ろうとしてよく出ていった
分かってたよ
でも、解決なんて出来なかった。

もう、その町に家はない

なんて言っても通じない

一度帰って元の家を見るなりすると納得、もしくは満足?するかもとデイのスタッフが連れて行ったこともあったけど、徘徊は止まらない。

タクシーに乗って何度も帰ってしまった。


解決なんて無理……と私は思う。

結果として、一番波風立たない方法は
出たい時には黙って出して、こっそり着いていき
適度なところで声をかける
そのときのリアクションで大丈夫と感じられたら
何事もなかったように自宅への道を行く。
ダメそうならまた歩く。
時間は掛かるけど一番安全だった。

ついて歩く家族にはほぼ拷問……。


うまく解決する人もいるのかもしれないけれど

根本原因をクリアして……なんてサイトを見ると
どうしても

キレイゴト

に思えてしまう
ひねくれた私

まだまだ足腰元気な時に認知症になったから徘徊には悩まされた。
介護者として精神的に一番苦しい時期。

たくさん歩いた。

本人、疲れを感じないらしい。
炎天下でも、寒い冬でも。


でも

永遠に続く徘徊はない。

いずれ止める。

いずれ終る。






介護回想:あなたはだ~れ?

2016-02-07 | ●介護回想(2015~)
(この話を書いたことがあったかどうか記憶がない)

介護認定を受けたあとか、まだ受診出来ずにいたときか
もしくは、まだ認知症(当時は痴呆と言っていた)とは思っていないけれども、なんか変?と考えていたころか?

とにかく初期の頃
いつもと違う言葉づかいで話しかけられて
?……と思ったけれど、次の瞬間にはいつも通りで、なんでもないのか?と私も混乱していた時期でもあったように記憶している。

そんなある日

「あなた、○○さんとどういう関係なんでしょうか?」
と母に言われた。

○○は父の名前

体中、電気が走った。

母は
紙と鉛筆を持って私のところにやって来た。
○○さんとの関係を書いて……ということだった。
言い方は柔らかだったけど
私はなんだかとても怖かった

娘ではないことに慣れてしまった時ならば、受け止めて流せるけれど、その時はまだ無理。
あまりの展開に心がついていかない。
本当に分かってないんだというショック。
そして
まだうまく受け止めてかわせない自分はストレートに向き合ったら、必死になって「私は娘よ!」と言いたくなることも分かってた。
ただ、それをやったら事態はもっと悪くなるくらいの理解はあった。

逃げる

それが一番と思った。
向き合う勇気もないし
口を開いたらグチャグチャになりそうだったし。

仮に事実を紙に書いたら(系図みたく)嘘をついていると責められる?
ならば適当な作り話で遠い親戚にでもしておく?
追及されると困るけど。
実際はあまりに急なので作り話も思い付かなかったけど……


逃げた。
「今から出掛けるので帰ってきたら書きますから」と言って。

それでとりあえず納得してくれたから救われた。

この頃は短時間なら母を一人にしてもほぼ大丈夫だったから、私はホントに出掛けた。
確か本屋か家電量販店か近くの店に行ったはず。

関係を書かされる事態から逃げるとともに
母から逃げた
その現実から逃げた
自分を保つために逃げた


忘れられないデス、あの日のこと。


不思議なことに、このとき以外母から
あなたはだれ?的な聞き方をされたことはない。

幸いに……というべきか?

あの時以外、母の中で私が娘ではない時間には
妹やら何やら、とにかく、なんらかのツジツマが合う誰かに変身でもしていたのか?!
どう見えていたんだろ?
脳のマジック?

「学校行かなくていいの?」とか
「大人になったら買いなさい」なんて言われたこともあったっけ。

自分の子供はまだ幼児みたいな話をしていたときもある。
その時、母には私がどう見えていたの?

いろんなことが不明のまま……誰にも答えはわからないまま
全部終わった。

Tatting:Two layer tatted flower

2016-02-05 | ★タティングパターン
なんか出来たので
ヨシとした。

作り方、正しいのかよくわからないけど



お試しなので、余っていた太レース糸(エミーグランデ カラーズ)でやってみた。
久しぶりの太糸
もこもこ感が心地いい
(冬だからか?)


Cariad-tatting.co.uk - Free tatting patterns!


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奥が深いゾ
タティング