「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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終活は必要最低限で。

2015-02-17 | ●介護録(~2015.2月)
母が療養病棟に入院し、退院はないと言われてから、近い将来にある「その時」のために、葬儀社に相談しようと考えていた。

いわゆる終活をしておかなきゃと思ったのは
自分は一人っ子、母の姉妹は遠方。
現在の住まいは古くからいるわけではなく長い付き合いの御近所さんはない。
認知症になって長く、母の友人付き合いも希薄。
という事情から、家族葬がイチバンいい。
そうなると一番の不安が、その時自分は冷静な判断が出来るか?ということ。
その不安を少しでも解消するには事前に葬儀社に相談するしかないと思っていたから。

でも、なかなか実行出来なかった。
まだ、生きているのに…………と、そんな思いがどうしても出てしまって。

出来たことは、この葬儀社にしようと心の中で決めて電話番号を携帯にメモリすること。

でも……
「その時」
案外、冷静な自分がいて、スムーズに葬儀社に電話していた。あとはプロに任せればいい。
家族葬で簡素に……というポイントだけおさえておけば。

病院からは主な葬儀社の電話番号リストを提示された。
決めてなければそのリストから選択していいんだし、
ほぼ一人で「その時」に立ち合う確率が高かったから、自分が動揺することをとても心配していたけど
かえって、しっかりしなきゃ!という気持ちが働くのでは?
親戚や知人など多くの人が集まるなら、そのなかにしっかり対応してくれる人がいるだろうし
(かえってその場合には、自分の意志を伝えておかないと…)
そんなに心配しなくてもいいのかも?

だから
終活は最低限でいいんだと、今は思う。

葬儀の演出とか、あの人呼んでくれ、あの人は呼ばないで…とか、あまり細かいことを言い残してしまうと、託された家族が負担。
葬儀社もイレギュラーなことにはオプションで手間もお金も掛かる。
託せる家族がいるなら任せればいいんだよ~~とおもう。
どーしても凝った演出などを望むなら生前予約で自分で準備。
せいぜい、棺にコレ入れて…くらいが平和~~

私はお一人様なので
周りになるべく迷惑かけないようにしておかないと…と思う。
で、この間、とりあえず…という気持ちで
直葬で……ということ
納骨堂のあるお寺の名称と電話番号、
家の後片付けは業者に……
程度のことを書いて、裏面が磁石になったクリアファイル?みたいなものに入れて冷蔵庫にペタッとシマシタ。
まあ、ほんとにとりあえず……デス。

今どうにかなったらアレコレ始末しないといけないことが山盛りなんだけど……
死んだら自動でパタパタっと処理してくれるシステムが欲し~~い











納骨も終えて

2015-02-08 | ●介護録(~2015.2月)
先月、24日、四十九日と納骨を終えました。
その2日後に祭壇を撤去してもらったら、その場所がポカーンとあいて、それが目に入るたびに
「あっ………………」と……………………
これはイカンと、そこだけですぐに模様替え。

急ぐことはないけど、色々整理
物置部屋となっている北側の部屋は(自分としてはクローゼットルームと呼んでみたりして)まだまだ寒いので、整理すべきものがをガサッと置いてそのまま放置。
春までこのままかなぁ?

そんなことをゆるゆるし始め、戸籍謄本なども取り寄せて、申請書などをカキカキして印鑑押して、郵送したり、ゆうちょ銀行に行ったり。
あとは、地元の金融機関一ヶ所と市役所に行くだけ。
……と、思っていると、後期高齢者医療なんたら……とか介護保険のなんたら……とまた市役所から封書が届く。

納骨して気が緩んだり
新たな書類が来て、また気持ちが引き戻されたり
そんなこんなのせいなのか、体の曲がり角?のせいなのか
胃腸は壊れるし、なんか微熱出るし、めまいしたりの2月初旬。
整理途中での体調不良だったので(整理は今も継続中)泥棒が入ったみたいな有り様でした。

……………………………………………………………………………………………………

初七日の頃、仕出し屋、仏具店、石材店、贈答品カタログ会社からDMが色々届いてた。
私には用がなかったから、見るとイラッとしていた。
なんか神経逆撫でされた。
もう来なくなったと思ったら、2日前にまて石材店から届いてた。
これは四十九日を過ぎたところでのセールスってことでしょうか?

まあ、商売だから仕方ない。DMは許す。

けど、初七日だったかその翌日だったか
仕出し屋と仏具店の人がいきなりピンポーン
お参りしたいって…………
見ず知らずの人な訳で
思わず「はぁ?」でした。

もちろん断ったけど
線香あげたあとに「ところで仏壇ですが……」ってセールスするわけでしょ?
仕事とはいえ、なんだかなぁ~って思う。

仏壇どうしよう?お墓どうしよう?と思っているときにはグッドタイミングな訪問という場合もあるんだろうけど。

うちみたいに、高齢者である程度覚悟していてもいやな気分だから
若くして突然……なんて場合にDMやセールス訪問があったら
思わず怒鳴り付けたくなりそう。
さすがに業者もそういうご家庭には配慮するのかしら?








病院退去時の忘れ物

2015-01-20 | ●介護録(~2015.2月)
未払いの入院費を払いに行くと
忘れ物があるので病棟まで行くようにと、会計の方に言われた。

嫌だな……
このまま知らんぷりして帰りたい
……と思ったけど、そんなわけにもいかないので二階に向かった。

病院に行くのが嫌で、本当は去年のうちに行く予定だったのをダラダラと延ばしていたわけで、会計だけならまだしも病棟に行くなんて……

一般病棟を抜けて療養病棟に近づくと
足がちょっと震えてきた。
療養病棟のナースステーション手前に個室があり、そこは、母が最期に移された場所
一般病棟から行くとこの個室の前を通らなければならない。
そこまで考えてなかった……
(別なエレベーターから行けば通らない)

どうしたって、あの日が甦る。

忘れ物はバレエシューズ。

あの日、私が着いたときには、荷物は全てまとめた後。
忘れたのはわたしじゃない。
思わず、ちゃんとチェックしてよ~と言いたくなる
来たくなかったよ、ここには。

バレエシューズを受け取ってロビーに戻った時には、確実に体内で何かが起こっていた。
もちろん倒れるような事態ではないけれど、
心拍数?血圧?
なんかわからないけど、少しの間座って休んだ。
悲しいわけではなかったのに涙が意味もなく流れた

出来るなら処分してもらいたかった。
とはいえ、あちらも「こっちで処分しましょうか」とも言えないだろうし、私も会計で「処分してほしいと伝えて」とも言えない。

仕方ないよね

忘れ物には要注意






介護終了、手続きのまとめ

2015-01-15 | ●介護録(~2015.2月)
まだ手続きは途中です。
ネットで調べたり、電話で問合せが終わったところ。

うちの場合、
母とは同居、そして母が世帯主。
相続人は私だけ。


1.ネット上で手続き完了したもの

NHK の契約者変更
電気(北海道電力)の名義人変更

ともに、HPで入力するだけ。
うちの場合、料金は両者とも私名義のカード引き落としなので、その手続きはなし。


2. 特に書類を揃える必要がないもの

ガス、上下水道の名義人変更
ガスは利用しているガス会社、上下水道は役所に電話で終了。
こちらは母名義の通帳から引き落としだったので、その変更手続きを郵送で行った。

3.色々書類が必要なもの

年金関係。
うちの場合は、共済の遺族年金と国民年金。
共済は札幌なので全て郵送で処理
国民年金は年金事務所か市役所。
それぞれ、戸籍謄本、戸籍抄本や、住民票、死亡診断書(コピー)等々必要で、ここは電話で確認したほうが安心

NTT
HP 上から変更申請の書類をダウンロードして記入
戸籍謄本、戸籍抄本、死亡診断書を用意して郵送
これも料金は私のカードから引き落としなのでその手続きはなし。

ゆうちょ
HPから相続確認表をダウンロード(窓口でももらえる)
記入し、死亡の年月日が確認出来るものも持参して窓口へ提出。
その後、必要書類などを知らせる書類が郵送されるので、書類を揃えて再び窓口へ。
戸籍謄本、印鑑証明(相続人の)が必要になると思われる。

その他金融関係
取引している銀行にどんな書類が必要か確認。
うちが取引している銀行は、戸籍謄本と印鑑証明が必要ということでした。
別の支店で作った総合口座、定期等もいっぺんに手続き可能でした。


で、私はこれから書類集め。
住民票は市役所でいいんだけど、本籍が別の町なので戸籍謄本、戸籍抄本はここではとれません。
まあ、ちょいちょいっと行ける距離だし、郵送でも取り寄せ可能。
自治体のHPで申請書がダウンロード可能です。

なんだかんだで面倒なんですが
それほど急ぎのものはなく
国民年金は五年以内だそうで……
父のときは急いだような記憶があるけど、多分、母が遺族年金を受けとるので、サクサクと手続きしなくては!ということだったんでしょう。

それにしても、戸籍謄本やらなんやら何通も……
ああ、もっと簡単ならいいのに……







♪空に星があるように

2015-01-11 | ●介護録(~2015.2月)

BEGIN 空に星があるように CD音源

ラジオから
「母が101才で大往生……」というメール投稿が流れてきた。

101才なら、もう十分って思えるだろうな……と思いながら聞いていた。

するとパーソナリティーが、
「人は大往生というけれど、いつまでも生きていてほしいと思うのが子の思い」
と。
パーソナリティーのお母様は93才で健在とか

そして流れたのはBEGINの「空に星があるように」

この曲、ちゃんと聞いたことなかったなぁ
BEGINがオリジナルではないのはわかってたけど。
どんな風にも解釈出来る歌詞……そんな印象で
数日ぶりにポロポロと泣きました。

親戚や知人と電話で話すと
「元気で安心した」とか
「しっかりしてるから大丈夫だね」
と言われる。

なんか違う……

電話をもらって始終メソメソするわけもない。

もちろん、昨日まで元気だった家族を突然の事故で失い、見てられないほど憔悴する……というような状況でもない

受け止めることは出来る

そんな感じ?

色々手付かずな雑事
終わらせないと落ち着かないけど、中断中

 


2015年があけ、1月3日は四七日

2015-01-01 | ●介護録(~2015.2月)

2015年があけました。
喪中の私は……おとなしくしております。

手紙やメールや電話等々、いろいろ気遣ってくれた方々
ここにコメントくださったネット仲間の方々
このブログを長く読んでいただいていて初コメをくださった方々
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします


先週土曜日に三七日が終わり、三日の土曜日には四七日。
早いな…
……にしても、信仰心のない私には七日ごとって、なんだか大変。
でも、おりく膳の用意も慣れたし、あっという間に四十九日がやってきそう。

朝は、まず祭壇の周りの花たちの世話
豪華~~頂いた花たちと果物
夏と違って日持ちがする。
菊とマーガレットはかなり根性があるけど、ポイントに使われているPink系の花たちが先に枯れて
真っ白なアレンジメントになっていくので昨日、Pinkのカーネーションを買い足した


私はあまり母の祭壇の前にゆっくりとすわっていません。
座れない…というのが正しいかも。
遺影が……見てるの辛いから、お供えしてお線香つけたらそそくさと立ち去る……

だけど、四十九日が過ぎてこの祭壇がなくなるのもなんか寂しいな…って
矛盾している

寂しい…と考えだすと地の果てまで沈んでしまいそうだからすぐに考えるのをやめる
なにかとバタバタやっていれば今まで通りの日常

時々
あっ、もうどんなときににもスマホ握りしめてなくていいんだ…と思う
人混みの中でバックに入れていると着信音を聞き逃すのではないかと不安だったり
家電がなるとドキドキしたり
もうそんな心配はない
近くのスーパーとかコンピに行く程度ならスマホを置いていってもかまわない


7日朝五時に家電がなったあの時
あれはちょっと忘れられないかも……

五時とはいえ、12月
まだ真っ暗で、私の中では6日の夜中みたいな感覚
こんな時間に来る電話は病院しかない
そう思いつつ子機のディスプレイ見ればやはり病院の名前
子機を充電器からとったはいいけど
どこをどうすれば通話状態になるんだっけ?と少しの間子機を手にしたまま固まってしまった

「急変したのですぐ来てください」

着替えている間は心臓がバクパクしていた
ついに来た…という気がした
落ち着け落ち着け…と言い聞かせ…

今年はずっと、すぐに飛び出せるように
着替えは常に茶の間の椅子の上
バックにも財布と鍵などを入れたまま

出来るなら、こんなふうではなく
容態が……と言われて数日見守って看取りが出来ることを望んだけど
「いきなりきそう」
そんな予感もあった

退院はないと言われてから
たとえば
「来年の春には○○を新しくしようかな」みいなことを思うたびに
「来年……?来年の私は今と同じ状態でいるの?」
と考えていた
秋になって、来年のカレンダーとか手帳を見ると
「当たり前のように年越し出来るのか?」
と思った
だから2015年のことを考えるのは嫌だったな~~
だけど、12月に母が誕生日を迎えた時には、このまま年越しするような気になっていたっけ
かなわなかったけど


こんなことを書く予定ではなかったのになぁ………



 


気がつけばChristmas

2014-12-26 | ●介護録(~2015.2月)


すでに26日
Christmasは終わってた。
ここからは年末モードかぁ

手続きが気になって、でもなかなかやる気にもなれず
それでもなんとかゆっくり一つ一つ
問合せなど済ませ、やるべきことはわかったので
あとは、戸籍謄本など必要なものを用意して手続きを済ませればいい。
やるべきことが見えて一息
気がつけばクリスマス
このあとの作業は来年に。

年明けまではタラタラと過ごして心のリハビリかな?

そのあとには四十九日。
納骨が待っている。
それまでにお位牌も作らないと。

ホントに休ませてくれない。

家族が亡くなると、その瞬間から、心が疲弊している遺族が一番忙しくなる。
その方がいい、悲しむ暇がない
……とも言えるけど、
ストレスでもある

寒いよ~北海道……



「逢いたくていま」……MISIAの歌声が切なすぎる

2014-12-18 | ●介護録(~2015.2月)
みなさん、本当に暖かい言葉をありがとうございました。
読むと泣けてきて…………。
7日以前の記事に頂いたコメントも含め、お一人お一人に返信出来なくてごめんなさい。
今回はお許し下さい。

13日に初七日を終え、今週はパワー切れです。
片付けとか手続きとか、ガガッーと出来なくて、チョロチョロと少しずつ手をつけてるけど、なかなか進みません。

祭壇は茶の間の隣にあるので
茶の間で普通にTV付けてたりすると
病院通いをしていた日々と変わりない気もします。
私の場合、認知症が進行した母との生活は、その頃から一人暮らしみたいなものだったなぁとしみじみ思ったり……。

実は13日は、栗山監督の講演会にいく予定でした。
入場無料で先着1000名。先月中に整理券も届いていて
「喪中だけど行きたいなたぁ、行ってもいいかな?」と思ったんです。
でも、まさかの初七日!
無理だ………………
何でしょ?!この持ってなさ加減!
意地悪だわ~~散々介護して最後まで…………なんてね。

今日、ブログ開設から3592日。
介護生活になって始めたブログ。10年近い。
長かったのか短かったのか?

月曜日、ウォークマンをスピーカーに繋いで、シャッフルで聞いていたら、MISIAの「逢いたくていま」が流れてきた
どちらかというと、楽曲はメロディ重視で、この曲も普段は特に歌詞を気にしてなかったのに……

「今、逢いたい あなたに 伝えたいことがたくさんある」

「今、逢いたい あなたに 聞いてほしいこと一杯ある」

MISIAのあの歌唱力で歌われたらたまらなくて、棺に花を入れた時と同じくらいに泣いてしまった。
もう何年も、認知症が進行してからまともな会話が出来なかったから、
この歌詞は…………心に響き過ぎる。
しばらく聞けない
以前、エレクトーンで弾いたこともあるけれど…………封印
(エレクトーンは歌詞がないから大丈夫か?)

最後に、奇跡が起きて話が出来ていたら…………
それはそれで辛いのかな?

さて、このブログ、どうしようか?


永眠

2014-12-14 | ●介護録(~2015.2月)
12月7日 午前5時45分 母は認知症から解放されました。

前日まで、何らかわりなく
7日朝、病院から突然の電話
「急変」の知らせ。
おそらくその時点で亡くなっていたんでしょう。

私が到着した時、個室に移されていた母は鼻から酸素を送られて「生かされて」いました。

明らかに生きているそれとは違う顔色に、ああ、やっぱり終わったんだという意識と、酸素を送られている姿に
まだ大丈夫なの?生きてるんだよね?という意識が一度に頭を駆け巡ったけど
それは一瞬
思いのほか冷静な自分がいました。

介護が終わったんだ…………
ほっとした?
…………う~ん、それほど単純でもない

悲しい?寂しい?
もちろん

でも
携帯が今鳴るかも?と思う日々、
重たい心を引きずって病院に通う日々から解放されたという感覚も確かにあって…………


昨日、初七日を終えたばかりでまだ色々やることがあり、
変な疲れもあり
気が張っているかもしれない自分

時々、ジワッと涙が……


きっと後悔ばかりが残るだろうと思っていたけど、不思議とそれがありません。
もう私に出来ることはなかった…………。

二度目の入院からほぼ一年
在宅でいきなり亡くなっていたらもっと辛かったんだろうけど、私は
療養病棟に入ってもう退院はないと言われた日
たくさん泣いて
そこから心の準備をしていたのだと思います。


認知症、在宅介護、それらを通してネットの世界で出会い、
一緒に泣いて、笑って、愚痴って、怒って
痛みや切なさを共有した介護仲間やエールをくれた理解者のみなさん
たくさんの言葉を、心を、励ましをありがとうございました。
私の介護生活は終わりました。












誕生日

2014-12-01 | ●介護録(~2015.2月)

12月1日
今日は母の誕生日
雪がいっさいない
降っているのは雨
12月には見えない風景

去年の今頃は
一般病棟から療養病棟に移ったばかりだった。

もう食べられないとわかって
あの頃私はもう母が誕生日を迎えることはないんだろうと思っていた。

たまたま読んでいた本に
胃ろう、鼻から、中心静脈注射の平均余命の統計が載っていて
中心静脈注射は8ヶ月
夏か……と、ぼんやり思いながら
8月のファイターズの試合は見られないのかな?
なんて思ったりして…………何考えてたんだろ?

無事に野球観戦もして
12月
今年も私は年賀状を書くんだろうか?


答えがないのは知っていたけど言ってみた

「今日、誕生日だよ」



♪おめでとう 今日までたどり着いたんだよ
辛いことの方が よくあるけれど
ありがとう 理由は何もないんだよ
あなたという人がいることでいいんだよ
~from熊木杏里『誕生日』


熊木杏里/誕生日 歌詞入り