ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
BEGIN 空に星があるように CD音源
ラジオから
「母が101才で大往生……」というメール投稿が流れてきた。
101才なら、もう十分って思えるだろうな……と思いながら聞いていた。
するとパーソナリティーが、
「人は大往生というけれど、いつまでも生きていてほしいと思うのが子の思い」
と。
パーソナリティーのお母様は93才で健在とか
そして流れたのはBEGINの「空に星があるように」
この曲、ちゃんと聞いたことなかったなぁ
BEGINがオリジナルではないのはわかってたけど。
どんな風にも解釈出来る歌詞……そんな印象で
数日ぶりにポロポロと泣きました。
親戚や知人と電話で話すと
「元気で安心した」とか
「しっかりしてるから大丈夫だね」
と言われる。
なんか違う……
電話をもらって始終メソメソするわけもない。
もちろん、昨日まで元気だった家族を突然の事故で失い、見てられないほど憔悴する……というような状況でもない
受け止めることは出来る
そんな感じ?
色々手付かずな雑事
終わらせないと落ち着かないけど、中断中
2015年があけました。
喪中の私は……おとなしくしております。
手紙やメールや電話等々、いろいろ気遣ってくれた方々
ここにコメントくださったネット仲間の方々
このブログを長く読んでいただいていて初コメをくださった方々
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします
先週土曜日に三七日が終わり、三日の土曜日には四七日。
早いな…
……にしても、信仰心のない私には七日ごとって、なんだか大変。
でも、おりく膳の用意も慣れたし、あっという間に四十九日がやってきそう。
朝は、まず祭壇の周りの花たちの世話
豪華~~頂いた花たちと果物
夏と違って日持ちがする。
菊とマーガレットはかなり根性があるけど、ポイントに使われているPink系の花たちが先に枯れて
真っ白なアレンジメントになっていくので昨日、Pinkのカーネーションを買い足した
私はあまり母の祭壇の前にゆっくりとすわっていません。
座れない…というのが正しいかも。
遺影が……見てるの辛いから、お供えしてお線香つけたらそそくさと立ち去る……
だけど、四十九日が過ぎてこの祭壇がなくなるのもなんか寂しいな…って
矛盾している
寂しい…と考えだすと地の果てまで沈んでしまいそうだからすぐに考えるのをやめる
なにかとバタバタやっていれば今まで通りの日常
時々
あっ、もうどんなときににもスマホ握りしめてなくていいんだ…と思う
人混みの中でバックに入れていると着信音を聞き逃すのではないかと不安だったり
家電がなるとドキドキしたり
もうそんな心配はない
近くのスーパーとかコンピに行く程度ならスマホを置いていってもかまわない
7日朝五時に家電がなったあの時
あれはちょっと忘れられないかも……
五時とはいえ、12月
まだ真っ暗で、私の中では6日の夜中みたいな感覚
こんな時間に来る電話は病院しかない
そう思いつつ子機のディスプレイ見ればやはり病院の名前
子機を充電器からとったはいいけど
どこをどうすれば通話状態になるんだっけ?と少しの間子機を手にしたまま固まってしまった
「急変したのですぐ来てください」
着替えている間は心臓がバクパクしていた
ついに来た…という気がした
落ち着け落ち着け…と言い聞かせ…
今年はずっと、すぐに飛び出せるように
着替えは常に茶の間の椅子の上
バックにも財布と鍵などを入れたまま
出来るなら、こんなふうではなく
容態が……と言われて数日見守って看取りが出来ることを望んだけど
「いきなりきそう」
そんな予感もあった
退院はないと言われてから
たとえば
「来年の春には○○を新しくしようかな」みいなことを思うたびに
「来年……?来年の私は今と同じ状態でいるの?」
と考えていた
秋になって、来年のカレンダーとか手帳を見ると
「当たり前のように年越し出来るのか?」
と思った
だから2015年のことを考えるのは嫌だったな~~
だけど、12月に母が誕生日を迎えた時には、このまま年越しするような気になっていたっけ
かなわなかったけど
こんなことを書く予定ではなかったのになぁ………
12月1日
今日は母の誕生日
雪がいっさいない
降っているのは雨
12月には見えない風景
去年の今頃は
一般病棟から療養病棟に移ったばかりだった。
もう食べられないとわかって
あの頃私はもう母が誕生日を迎えることはないんだろうと思っていた。
たまたま読んでいた本に
胃ろう、鼻から、中心静脈注射の平均余命の統計が載っていて
中心静脈注射は8ヶ月
夏か……と、ぼんやり思いながら
8月のファイターズの試合は見られないのかな?
なんて思ったりして…………何考えてたんだろ?
無事に野球観戦もして
12月
今年も私は年賀状を書くんだろうか?
答えがないのは知っていたけど言ってみた
「今日、誕生日だよ」
♪おめでとう 今日までたどり着いたんだよ
辛いことの方が よくあるけれど
ありがとう 理由は何もないんだよ
あなたという人がいることでいいんだよ
~from熊木杏里『誕生日』
熊木杏里/誕生日 歌詞入り