ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

[老婆心]もう一度確認して

2021-12-21 08:35:09 | エッセー

 昨夜友人からの長電話で「私達もう老婆なのよね。でも、一段落したら、また

外国へ行きたいね」と言う言葉を思い出した。今は死語に近くなったが、年齢的は

老婆に違いないと思ったら、何故か急に「老婆心」と言う言葉が気になった。

パソコンで検索してみたら、「老婆と言うのは誰が見ても、年を取っている女性」

で、老婆心と言う意味は「必要以上に世話を焼く」「度を超してあれこれ世話をやく」

の意味で、女性は年とともに心配性になる、その気持ちがこの言葉の語源のようだ。

また老婆心だから、男性は使えないと思っている人もあるようだが、この言葉は

性別に関係なく使える。それは、「念のため」「余計なお世話だと思うが」

「お節介は分っているけれど」などの意味だ。でも自分より年長の人には、「僭越ですが」

「少々おこがましいのですが」などが、それに代わる言葉だ。

しかし言葉は本当に難しいけど実に面白い。私は辞書を引くのが大好きで、電子辞書も

あるが、やっぱり紙をめくるのが好きだ。この頃新しい言葉はネットで調べることが

多くなった。でも、それらは「玉石混淆」で、その言葉を文章に表したり、人前で話し

たりするときは、それを鵜呑みにせず、必ず辞書で調べることにしている。

それにしても・・・自分にはほとんど「老婆心がない」ことに気づいたが、年長な

だけで、お説教やお節介をする人もいるが、それは言われた人が多分不快に感じる

のではないだろうか?私はカウンセリングの時も、聞かれれば丁寧に答えるが

「私はこう思う」とか「こうすべき」など、一切言ったことはない。

いずれにしても・・・好意でアドバイスしたつもりが「大きなお世話」とか「いちいち

うるさいんだよ」など思われることも多いとか。世の中に流れに遅れがち、価値観や

考え方の格差などあり、私は「老婆心は一切使わない」ことに決めている。

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「グランマ・モーゼス」をもっと知りたくて

2021-12-19 20:54:47 | エッセー

世田谷美術館で現在「グランマモーゼス展」を開催している、がそれに際して

新代田区民センターで「絵から読み解く素敵な100年人生~グランマモーゼスの生き方」

と言うセミナーがあった。グランマ・モーゼスはアメリカの農家の主婦で、元々色々な

意味で大変器用な人だったようだ。長年刺繍画を作っていたが、高齢になり指が動かなくなり

娘さんに勧められて絵を描くようになったそうだ。その絵が素晴らしいため大変人気があり

そのためアメリカで有名になり、大統領に直接お茶に招待されたり、切手にまでなった女性だ。

画家として有名になり活躍したのは、何と80歳からだそうで、101歳で亡くなる3か月前まで

絵を描いていたのだと今日の講座で知った。1961年で101歳で亡くなったが、現在とは違い

もっと寿命が短かった時代なので、相当ご長寿だったのも人気に拍車をかけたようだ。

私がグランマ・モーゼスを知ったのは、伊勢丹美術館だったが、その時代は小田急デパート

にも、西武デパートにも美術館があった。多分30年前頃だと思うが、その頃はまだ寿命も

短く価値観も全く違っていた。私は指導と経営をしていたが、年齢的にこれからはどう

すべきかと絶えず考えていた。その時何気なく新宿の伊勢丹美術館で見たのが、「グランマ

モーゼス」の絵だった。素朴でメルヘンチックなその絵は、とても好きだと思った。

その日モーゼスの経歴を読んで、私はまだそれよりずっと若い私が、悩むことなんて

何もないと大変勇気づけられた。

会場で売っていたモーゼスの画集を買ってきたが、今でも元気がなくなると、取り出し

て眺めるのがこの画集だ。新宿の損保美術館には、ゴッホ、セザンヌ、モーゼスの絵も

常備展示してあったので時々行った。40階以上にあったので新宿が一望に見え、お天気

が良いと千葉の方まで見えるそうで、とても近いし私が大好きな美術館だった。

でも、新しくなってから高層階でなくなったようで、まだ一度も行っていない。

それにしても・・・・・ある意味私の人生の恩師でもある「グランマ・モーゼス」の絵に

沢山出会えるのをとても楽しみにしている。

 

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二人だけの旅行は人生の最後

2021-12-18 20:02:53 | エッセー

 夫は認知症になってから、間もなく満10年を迎える、緩やかだが

少しづつ以前と態度が変わり、進行していると感じる。

過去の他の余病と合わせて考えても、夫が生きていてくれるだけで

私は幸せだと思う。去年は二人で箱根と、北海道はツアーで行ったが

娘も一緒に行くと言ったので随分助かった。

二人だけで個人旅行するのは、私だけのケアでは無理になり、多分今回

が最後だと思い私達がもっと好みの旅にした。

サフィール踊り子号はすべてグリーン車だが、車両の上にも大きなガラス

張りで、空の雲や、周りの樹木なども座ったままで見える。

座席もとても素敵だった。サフィール踊り子号の乗り心地はとても

良かった。夫もご機嫌そうだった、ラウンジへコーヒーを飲みに行ったが

ランチのみだそうでちょっとがっかり。

ホテルは洋室を頼んであったが、海に面した広々した明るく眺望のよい

とても素敵な部屋で嬉しかった。最近ことに感じることだが、夫は体力も

気力も衰えたようで、口数も少なくなった。でも、やはり楽しそうだった。

ホテルの部屋で見ただんだん暮れていく自然、大きなお月様はとても

美しかった。また、明けて行く空もずっと見ていたが、とても雄大で

感動的だった。私達は結婚生活66年間、海外も国内も2人だけで随分色

々な旅をした。今回が二人だけの最後旅行と、ちょっと淋しく感じたが

お天気にも恵まれて、ステキな思い出になった。

 

 

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私の霊体験(6)

2021-12-17 07:42:58 | エッセー

 次から次にと仕事が入り忙しい毎日でしたが、その頃ヨーガ教室を四谷にも開き

ダンススタオを合わせると、スタッフが26人になっていました。

 カウンセリング一時中止して、ヨーガやダンスの指導、その他色々入る仕事に対応

していました。その頃東大医学部教授の石川中先生が開催していた、神楽坂の研究所で

時々勉強していましたが、そこは東京に初めてできた東大病院の診療内科の患者さん

が大変多かったです。石川先生は「あなたのような元気な人が来てくれると助かるよ」

よく仰って下さいました。

石川先生も参加した富士山の麓にある、研修所で開催された1泊のワークショップ

に出席しました。東京から出たバスに途中では、神奈川、静岡などからも参加した

人も多く、大学教授、医師、カウンセラー、ケースワーカー、東大病院の心療内科の

患者さん達もいました。当日は物凄い豪雨でしたが、ワークショップが終わった時

東京から参加した少人数で雑談しましたが、石川先生は「確かに霊の存在はないとは

言えない、でも立場上あまりそんな話はできないけれど・・・」と話されました。

次の日は素晴らしい晴れで、芝生の上での研修があり、私は生まれて初めて「宇宙と

の一体感」を感じました。

 その後の不思議な体験は、京都の知恩院の研修所で開催された1泊2日の「ダンス

セラピー」のワークショップに参加したときのことです。

そのワークショップの中で私が(淋しいな)と感じた時の夜「僕が守ってあげるからね」と

頭の中でハッキリ声が聞こえたことでした。あれはきっと私の空耳だったのだと思いました。

でも、次の日もまた、私がそんな精神状態になったときに同じ言葉がハッキリ聞こえのです。

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冬ざれの新宿御苑

2021-12-16 06:18:29 | エッセー

 午前中に自分のレッスンも家事も済ませ、美味しいお昼を作って食べた

日差しは明るく、空は真っ青に澄んでいて、しかもとても暖かい。

すると、急にどこかえ行きたくなったが、私は都会の雑踏が大好きで、(新宿へ行こう

そうだ生母のお墓参りへ行こう)と思ったのは、お彼岸には行かなかったからだ。

実母のお墓は四谷3丁目なので、行きは丸ノ内線で、帰りはバスにしようと家を

飛び出したのは1時半頃。

お墓は地下鉄「四谷3丁目」から歩いて5分程で、20歳代にたった一度だけ会った

母に、お花を手向けていつものように「産んでくれて有難うございました」と挨拶

をした。笹寺を出て新宿通りを歩いていたら、30分に1本の都バスが来るのが見え

「ラッキー」と走り飛び乗った。新宿西口行は、青春時代よく夫と歩いた新宿通りを

通るが、バスにのってまた突然気が変わった、新宿御苑を通り抜けて帰ろうと思った。

 

バスを降りて大木戸門から入ったが、園内は暖かい日差しで、まるで春のよう

だった。人影も少ないが全く風もなく、私はコートを脱いで歩いた。

 大木戸門の近くの辺りはビニールシートが広くはってあり、工事をしていた。

新宿門へ向かいながら、少し奥の道を歩いたが、園内は枯れ木が多く季語の「冬ざれ」

風景だった。一人で歩いている人もいたが、温かい日差しで静かでのどかな雰囲気で

私は茶色い広い芝生広場の、柔らかい足元の感触の心地よさを感じながら歩いた。

咲いていたお花は、水仙、皇帝ダリア、多分梅?のような小さな花が終わりかけ

で、黄色い花も咲いていたが名前は分からない。認知症の夫がいても私は自由な

時間がある。急に思いついて母のお墓参りや、新宿御苑を歩いたりできるなんて・・・

新宿駅へ向きながら(ヤッパリ私幸せなのだ)と、改めて思った空がキレイで暖かく

ゆったりと時間が流れた素敵な散歩だった。

 

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