ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

10月27日

2022-10-27 06:21:24 | エッセー

 朝6時室温は21℃、ベランダに出てみたが寒さは感じない。夜中に

目覚めてさんざん考えたのは、昨夜友人にさんざん焚き付けられた

ためかも知れない。「過去に何冊本を出したの?」「あんなに華やかに

活動していたのに」「勿体ないよ」などなど・・・確かにそう思うが

私のエネルギーの大部分は、認知症歴満10年この3月に緊急入院する

とき「このままでは余命は2週間」と、主治医に言われた夫の介護に

向けられているが、事に食生活により注意している。

私が一所懸命やると、それらはすぐに顕著に表れるからやり甲斐がある

けれど、元々情熱家の私はそれだけではなく、いつも心の中に燃えてる

ものがある。長年のヨーガ、ダンスの指導者、心理カウンセラー

ヒーラ-、物書き、また、その他心身両面のさまざまな指導経験など。

おそらく普通の人は多分できないであろう「満10年間唯の一度も、夫を

怒らせずに介護した経験」など。はんぱではないノウハウがある。

 

何度も「勿体ない」をくり返して旧友は、落ち込んで気分を転換しつつ

ある私の心に火をつけてくれた。私が一番したい仕事は本を書くこと。

 この時流や環境から諦めていたし、まったく依頼はないし売り込むのは

苦手だ。ほんの数日前に画期的な方法を思いついたが、それは全女性に

関わる問題だが、それを軸にもう一度レジメを作って、アプローチして

みようかと今思っているが・・・

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気持ちがリフレッシュした小旅行

2022-10-25 15:50:28 | エッセー

 夫がデイホームへ出かけたので、今日は私の自由時間だ。映画を見よう

と近くの映画を調べたが、私の好みに合わない。(さてどうしよう?)と

考えていたら、「奥さんの夢を見たから電話した」と、留守電に入って

いた知人を思い出した。昨日は忙しくて電話できなかったと、電話を

しようとを思ったら、急にSさんに会いたくなった。

 Sさんは我が家を30年間以上手伝ってくれた人で、家庭内のことも

最もよく知っている人だ。今は新松田の広い家で一人暮らしだが

加齢のため足や腰が悪くなって止めたが、時々電話で話し合う仲だ。

 連絡してから身支度してすぐに家を飛び出した。

 梅が丘10時2分、途中で急行に乗り換えて新松田には11時18分着。

彼女は私より2歳年上で、杖をついていたが未だに健康そのものだそ

うだ。二人で駅前のお店で食事しながら、さんざんおしゃべりしたが

私達は気が合うのでお互いに何でも話せるので、本当に楽しかった。

 帰りは松田駅から新宿行のロマンスカーにしたが、ロマンスカーは

ブルーで一番後ろの車両で、2人しか乗っていなかった。

 車掌さんにどこから来たのか聞いたら、御殿場だそうで「富士山号」

このカラーは初めて乗ったが、ロマンスカーは大好きなので嬉しくなった。

 

車窓からは里山や林が見えて、わずか1時間あまりだが、旅行気分に

なれて幸せな気持ちになった。外を眺めながらいろいろな事を考えたが

高齢なのに健康で行動が素早く、色々な面で私ほど幸せな人はあまり

いないのではと改めて思った。すると、自分の心の中でくすぶっていた

「うつうつとした感情」は、雲散霧消していたが、何とも単純だと思う

でもそんな自分が大好きだ。新宿に着いてロマンスカ―を撮っていたら

後ろから来たさっきの車掌さんが「有難うございました」と、声をかけて

くれ、また嬉しくなった小旅行だった。

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老年的超越はできないけれど・・・

2022-10-24 07:51:45 | エッセー

「老年的超越〔ロウネンテキ、チョウエツ〕」とは、超高齢になって

至るとされる主観的幸福感だそうだを指す。老化に伴う各種能力の衰え

を否定的に捉えず、現状を肯定し多幸感を抱くという心理的適応だ

そうだ。元はエリクソン学派の発達理論を拡張し、80歳を超える高齢者

の発達段階として提唱された概念である」

 

 エイジプジティブ研究家として捉えると、自分は末期高齢者だと

思うが「老年的超越感」は、それはすべての人が得られる訳ではない

と思う。「もうこの年だからどうでも良いや、これで十分幸せだし」

とは、どうしても思えない。物凄くスピードの早い現代についていく

のは大変だ、でも「分からない、分からない」と何もしなければ、ます

ます時代との隔世感が強くなる。

 

 年齢を重ねることは、死ぬのはまったく恐ろしくない私でも、決して

楽しいことではない。でも、その中から何か新しい気づきを得て、それ

らを生きる目標にしたいと思うのが私の価値観だ。

 早朝またヒラメキを得た。それがどう発展するか分からないが、新しい

目標ができたので、それについて研究してみようと思った。

 誰にも迷惑をかけなる訳ではないし、早速ネットで色々調べたが

もしかしたらお役に立てるかもしれない、と希望的な観測をしている。

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深大寺植物園へ

2022-10-23 17:25:15 | エッセー

 深大寺植物園へ行こうと思ってネットで調べ、梅が丘を9時26分に新宿

行に乗り下北沢と明大前駅で乗り換え、つつじが丘に着いたのは30分後

だった。電車を調べて乗ると、時間を実に効率よく使える、バスに乗り

換えて深大寺植物園へ着いた。日曜日なので混むと思ったが、そうでも

なく園内は静かだった。お目当ての池には見たことがなかった、まるで

器のような植物があり、その花から葉が広がっているのを興味深く眺めた。

 夫は脚が弱くなったので心配したが、最近妙に元気なので誘ったが

園内にはところどころにベンチがあるので、時々休みながら歩いた。

 雑木林には子供の頃よく見た、もぐらが掘ったような土が盛り上

がっていた。澄んだ空気、明るい日差し、美しい空、風も全くなく

本当に素晴らしいお天気だった。薔薇園はとてもきれいで、夫は大喜び

だったが、多分夫がここを歩けるのは最後ではないかと思った。

でも逡巡したが、思いきって来てよかったと思った。

 植物公園内を散策しながら通り抜け、深大寺方面に歩くのは相当な

距離だったが、夫は休み休みだが元気に歩いてくれた。

 有名な深大寺そばを昼食にし、2人で昼間からビールを飲んだが

その間夫は「幸せだね」と何度か行った。そう長く生きる訳ではない

私達老夫婦は、何時も「これからはできるだけ楽しく生きようね」と

話しているが、何もかも忘れてしまう無邪気で子供のような夫。

昔娘は「パパはまるでママの保護者のようだね」とよく言った。

 今は立場が逆転しているが、秋晴れが素晴らしく、バラがとても

きれいで幸せな日だった。

 

 

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自分をコントロールする難しさ

2022-10-22 05:03:03 | エッセー

 昨日ある女性だけの英語教室を見学へ行ったが、そこは世田谷区内で

梅が丘からはバスを乗り継いで行ける。でもあまり時間がかかっては

通えないと、早めに行って帰りのバス亭を確認した。

 すると、広い道路の反対側で横断歩道まで遠く、さらにバス停まで

信じられない程遠かった。帰りの時間を考えたら、とても通う気が

なくなった。あまりに時間がかかるので、見学の約束をしたが

「早めに来て場所を確認しましたが、あまりにも遠すぎて通えないと

判断しました。ご縁がないと思い帰ります。ごめんなさい」と、お断り

のメールをして帰りのバスに乗った。

 すると、「お仲間が待っているので、すぐに来て下さい」とメールが

入ったが、すでに走行中の帰りのバスだった。私は小田急線の梅が丘

に住んでいるが、その広い通りはあまりにも無機的だった。

 同じ世田谷区でもこれ程雰囲気が違う、異次元のような街があるの

だと思った。今自分の中で起きている感情をセーブするため、色々行動

しているが、夫の介護を続けるためには平常心が絶対に必要だ。

 多分ふつうの人より多いノウハウも、毎晩夜中に起きている状態が

続くと自分が危ないと思う。それにしても・・・

 私の価値観は一体どこへ行ったのだろう?

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