被災翌日の自宅近辺の状況
本当に長い震災後の日々でした。
家を流され、命を落とした方々に比べれば、店と自宅と遠く離れた畑の3か所とも被害を受けましたが~大規模半壊の被災は恵まれた方と考えるべきと受け止めております。
地震津波の当日、何かに捕まって居なければおぼつかないほどの激震、すぐ停電になったのが、今にして思えば幸いしました。
店に居た私は停電で直ぐ閉店行動をとり、家内の居る自宅へ向かいました。途中、車の渋滞道路を目にしていた所為もあって、避難に車はまずいと思いながら、とりあえず大事と思われるものをかき集めて…徒歩で避難所へ
病後で不調の家内と腰の痛みで歩行も順調ではない私がヨタヨタした姿であったと思われる状態で避難所と決めている宮古小学校に向かう。
車、人の混雑する中を急いでいると後方で 「そこまで水が来ている」 と叫ぶ声!! その声を聞いて 「まさか?」 と水を直接見ていない事もあり、気持ちの中にここまで来るはずがない疑心であったが、途中の水路の水が道路に溢れんばかりの勢いで膨れ上がる瞬間から、ヨタヨタ歩行が確実に変わったと思います!!
学校の体育館に大勢の人が集って間もなく校庭にジワジワと水が広がる光景を見てただ事ではない感じを改めて知りました。
それから約20日間避難所生活。 寒かったし当初は食べ物も飲み物も少なく、どうなる事かと先が思いやられる心細い気持ちに陥りました。
翌日、痛い足腰をかばいながら店の検分へ出かけるが、道中、地上全体が泥で足を滑らすくらいのぬかるみ、至る所に車や流失物が散乱、車が三台も重なったり、こんな狭い通路や、細い水路にはまって居る光景は~「どうしてこうなるの」 と驚きと不思議さを持って眺めながら進むが、それらが道路をふさいで回り道を容儀なくさせられながらシャッターが下り曲がった店やガラスが大破した場所を見ながらようやく店にたどり着いた。シャッターの損傷は見られない我が店にほっとーしながら開けてみてびっくり!! 1歩も中に足を踏み入れられないほどに商品やケースが散乱。その日は一人では中に入れず見るだけで退散。 車もどこへ流されたか約1週間行方不明でした。