昭和45年 11月 実家に2泊 花巻大沢温泉 山水閣 1泊
この年は大阪万国博が開催され我が家族も三組に分かれての旅行になりました
4月20日~家内と長女 万博と南紀勝浦 ホテル浦島 宿泊 帰途=東海市の親戚宅訪問宿泊
4月22日~父母と孫(次女同伴)
6月22日~私 九州一周(別府:杉の井ホテル*宮崎:青島 橘ホテル*霧島 蒼林閣*鹿児島:指宿観光ホテル*熊本阿蘇:赤水温泉 白雲荘*島原雲仙 東洋館*佐賀:嬉野温泉 和多屋別館*福岡:福岡国際ホテル 各1泊⇒飛行機で大阪空港 万博会場へ
会場で家内と長女(ママ疲れたょ~)の感じ
その他
1月24日 家内と長女 常磐ハワイセンター(黄金風呂入浴=この年であったか不明?
父母 2月15日~ 花巻温泉 孫(次女同伴) 9/24日~夏油温泉 孫(次女同伴) 10月8日 十和田湖 高原ホテル 孫(長女同伴) 父母 11月2日 網張温泉 母 11月11日 福島 飯坂温泉 ホテル聚楽 旅行の多い年と記憶する
大雪以来 家に籠もりがちな日が続いている。
昨日は天気も良いし~気温も穏やかな感じで散歩に出る気になって出た。
陽当たりの良い道路は良いが、日蔭は積雪が消えていない場所もある。雪が見え凍って居そうな所は最初から注意歩調で慎重になるけど~それより怖いのは雪が無いが地肌が見えて濡れている所である。
地肌が見えているからホッとして普通歩調になって踏み出したらたちまち足をすくわれそうになる事~度々~。 危険を感じて安全そうな通路を選んでの散歩になってしまった。
しかも何時もの定番コースの堤防に昇ったら前に進み気にはなれない状態。
これじゃ気分よく歩けない。 諦めて町中散歩に変更。 町中も日陰側は凍っていて危険。 陽当たり側を選んで歩いたが、舗道全体が解けているわけでなく人が歩ける部分だけの通路状態。 出逢い橋歩道部 三陸鉄道宮古駅前
駅前広場
転倒しないよう注意しながらの散歩。
距離が短い割には時間がかかりました。
そして何時もより汗をかいたようです。 体が弱り鈍っている感じ実感!
昭和42年~長女と3人で盛岡へ サンビル屋上
11月~ 実家に1泊 長女を連れて孫 紹介を兼ねて出掛ける。
収穫の秋で農業をしている実家ではないが岩手の穀倉地帯に住居して居る為、知り合いの農家から米:りんご:野菜を都合して貰い~以降、父母が健在であった時期は秋には 顏を見せる習慣になって、しばらくはこれが1年1回の旅行代りであった。
収獲の産物を持ち帰る習慣で気付いた事は 宮古で採れる野菜と違って土が違うのかどうか不明であるが味がおいしい事であった。
故に大量に車に積んで帰る途中に~道路もまだ舗装でない時代であったからでこぼこ道の震動と重さに耐え兼ねてスプリングが折れてしまう事もあった。スプリングもその当時は板スプリングで2枚ほど折れていたが運行には支障なく家に辿り付く事は出来た思い出の年もある。
この年は実家に1泊。 翌日の帰途 盛岡 繋温泉 大観 1泊
ちなみに父母は 秋田田沢湖 駒ヶ岳観光ホテル
父は 台湾旅行 * 私は飯坂温泉 ホテル聚楽
昭和43年 10月 実家に1泊 花巻鉛温泉 藤三旅館 1泊
この年は 次女も生まれ親子4人に義母も同伴 5人で出かける
実家に向かう途中の仙人峠トンネル入口部で (ここからの紅葉は素晴らしい!)
ちなみに父母は 伊勢神宮参拝旅行 * 網張温泉 * 熱海温泉 私は 熱海温泉 静観荘
昭和41年 春 2回目の旅行は盛岡 鶯宿温泉 長栄館 1泊
この時 1年に1回は 「旅行をしようね」 と言った約束が出来た記憶があるが~振り返ると気持ちはあるのであるが 子育てや父母の方が商売の跡取りが出来た事を良い事に 「若いもんはこれからいくらでも出来るから~」 等と言われ、父母の方が優先的に出かける機会が多く年に数回は出掛ける年が続く。子供が出来た後、 特に長女は祖父母に連れられて各地の旅先に出掛けた訳であるが~後年、当の本人に聞くとあまり記憶にない模様である。
ちなみにこの年=父母は関西 奈良京都方面へ
なかなか希望通りにはいかない訳で~旅行出来ない年もあった。
2回目の旅行には家内は和服で出かけたのであるが、翌日着付けに帯をキチット巻かれず部屋係の女中さんに手伝って貰う一幕があった。 和服に縁のない私は何の役にも立たなかった訳である~~
家内の追悼を込めて同伴、家族、或いは友人との旅行を顧みる気になりました。
昭和40年11月 結婚
新婚旅行 4泊5日 1日目
仙台観光
青葉城址より仙台市内をバックに…
秋保温泉 岩沼屋ホテル 宿泊
2日目 会津若松 観光
鶴ヶ城をバックに… 東山温泉 東鳳館 宿泊 会津若松に向かう磐越西線~列車が高所に登るほどに雪が降りだし~今年初の雪見になった記憶が残る
3日目 新潟市に一旦下車 タクシーで市内一回り~新潟地震で陥落した昭和大橋は既に復旧していた橋も見せて貰い~日本海も見たくて海岸まで車を回してもらう。
太平洋とは違うどんより暗い印象を受ける
更に羽越本線に乗り換え北上 鶴岡駅下車⇒電車で 湯の浜温泉 宮嶋別館 宿泊 海の上に突き出た旅館で直ぐ部屋の下が波うち際の状態で波の音で寝つきの悪い一夜になった記憶がある
翌4日目 羽越本線⇒奥羽本線⇒花輪線 経由で湯瀬温泉 湯瀬ホテル 宿泊
東北一周のような新婚旅行 後で思う事であったが~移動で慌ただしいスケジュールとなった事で 一か所が二か所に絞ってゆっくり過ごした方が良かったと思う所があった。
これが二人の最初の旅行の始まり~
毎食の献立 毎度 苦労している。
一人っきりだから手抜きしたくなる時もありますが食べない訳には行かず~
「奥さん亡くなってから痩せたと思わない~?」
~なんて噂が飛び交うようなら これも困るし~我ながら頑張っていると自負出来る現在ではあるが~以降どうなるものやら先の事を考えると悲観的要素が大いにありますが……
先日の受診で医者から中性脂肪値が高いと指摘され食事も気を使っている。
野菜、魚は大好きだから摂取しているつもりなのであるが数値が高い=運動(少ない)と飲酒 そして加齢が原因と察しているが数値が高い……
運動と言ってもこの大雪でここ数日家の中、除雪も運動の内と思うが~痛い腰に更に負荷がかかり深刻な痛さに進んでいるみたい……
愚痴混じりのひとりごとがつい出てしまいそう……
食材が段々と少なくなって久し振りに昨日は買い出しの為 外出!
生野菜(玉ネギレタスミニトマト)に特製ドレッシングで胡麻を摺り器で振り掛け夕食の一品に。
他に 麻婆春雨、茄子、もやし炒め
アルコール抜きの夕食で済ます。
無口なほうだから会話が少ないのは苦にならないが~炊事の心配せずに食卓が飾られていた時が無性に恋しいし~それが当たり前と考えていた自分の愚かさに気付かなかった事も無性に情けない。 しかしそれは既にどうにもならない悔やみでしかない~~~ひとりごとでした!
今より若かった頃~何故か…絵を描きたくなって自己流で描いた時期があった。
その絵が何枚か残って居てブログに載せましたが今回で最終回になります。
最終回の絵は~バスルームの壁画です
バスルームが出来たのは確か昭和47年。家をリニュアル大改造した時である。
出来たてのバスルームは白い壁面と 床面は小石散りばめたタイルの良い感じの仕上がりでした。
白壁は風呂場だけに汚れ(カビ)が目立ち その都度 手入れして約1年~防カビペンキを塗って汚れを長引かせる工夫をして来たが、白以外の色で気分転換も良いとカビ掃除した後 色違いのペンキを塗り替えている内に 銭湯にあるような絵を描いたらと思い これも思い立ちで数か月がかりで描き上げた絵である。 数十年経つので多少ペンキ落ちした部分もある。
写体距離が狭い為 全体がカメラに収まらず部分的になる
これがやや全体的かな?正面から写せない為ゆがんだ状態に見えます これで~気が向いた時…過去の絵を終わります