宮古友鱗会定期大会の最終大会(平日組)に参加。
第1回大会に参加後、家内の入院、そして死去に見舞われて釣りどころではない過酷な月日を過ごし、顧みれば三か月強、その関連に専念しなければならなかった。
四十九日も過ぎて、一段落したつもりではあるが~一段落と言葉で片付けられない心に受けたショックはまだまだ続くだろうと自分の心が読める心境がある。
三か月ぶりの釣り、猛暑の影響で水温はまだまだ高く魚の食いは悪い事は聞いていたが~誠にその通りで~汲み上げた海水はぬるま湯の暖かさ!
そのような条件下の中、魚信は確かに少なかったが、久方ぶりの釣り人の私に同情してくれたのか大きなソイ(47センチ1350g)が釣れて呉れた。他にアイナメ1、カレイ2で検量上限5匹は釣れなかったが総体重量2950gと船中一の釣果となっつた
でも悲しいかな!大物を釣っても喜んで食べて呉れた家内は居ない。
ひとり寂しく釣魚の調理に帰宅後取り掛かる。
今日の釣魚
47センチ1350gのソイ~そしてアイナメ
仲良く並んで~
カレイも一緒に
只今から変身ショウ~カレイは煮つけ予定
ソイは お刺身・煮つけ・粗の予定 ハラスは塩振り焼き
アイナメとソイのお刺身用
お刺身は3軒分に~お皿は私一人用
魚に関わった今日一日でした。
長女が帰って本当の独り暮らしが始まった。
長女が居た時は家の何処かに人の気配ばかりではなく、現実に居る事実が根底にあるし、動く度に音がついて回り、その音を耳にするだけで人が、家族が居る安堵があったが……
さすがに一人だけになると家が静かになった。
自分が動き作業する時に出る音だけで、時に物が落ちたり、人がいる時は気にもしない小さな音にも逆に敏感になって、見回る事がある。
テレビを見たりパソコンに向かっている時や新聞を見ている時はまだ良い。その対象に夢中になっているから気が紛れている。 すべき事柄を終えて一段落してホッとした後の~何もしない時間が出来る時があるではないですか?
何もしないなら~考える事もしなければよろしいのですが~そんな時に限って色々考えてしまう時間に変わってしまうのですね私は!
それを吹っ切るように激しいスポーツでもして考えないようにすれば一番いいのでしょうが~そんな体力も既になく、外に出て人と接し会話したり、趣味に時間をつぶせと言って来たが、ここに来て言われる立場になって、そのつもりで前向きに考えているし、四十九日も過ぎたからその方向に考えている。 ~が、しかし1日は24時間。意外と長いですよ! 必ずや自我に陥る時間があります。
今後の課題です。
先日訪ねて来られた弔問客様から頂いたユリが満開です。
家内の死亡後は自我を忘れて悲しみよりも如何に葬儀を進行させるべきかに没頭の連続。
火葬・通夜・告別式と連続して行われるものと思いながらも その中に友引日があるので1日は延びる事になると想像していたが、火葬場の都合、お寺さんの都合 等で5日を要す日程が組まれた。
以前は祭壇から客への接待一切を自宅で行うのが通例であった頃を思えば~今は一切を代行してくれる葬儀業者があり、その会館内で接待、宿泊も出来るから助かる。
子供たちも主体的に役目をこなしてくれて総体的には大きなミスもなく葬式一切を済ます事が出来た。
一段落した後、ご苦労会で協力をねぎらった後、長女を残して他の子供、孫たちはそれぞれの家庭に帰って行った。
身内がこれ程揃う事は久しい事で~この顔ぶれを見わたして、もし、家内がここに居たらどんなに喜んだ顔をするだろなぁと思わずには居られない。
しばらくは死んだことが信じられない感覚があって、そんな自分をどう処していいのか戸惑う。
葬儀が終わった後はそんな気持ちを吹っ切るように積極的に市役所、銀行、郵便局、保険会社、病院、司法書士事務所としておかなければならない残務に精を出すが、なかなかスムースに1回では用が足りない複雑さに辛抱強く携わる。
そうこうしている内に四十九日を8月10日に行い新盆を13日から16日にかけて済まして、本四十九日である21日も過ぎて~ようやく大きな一つの山を越えた気分になっております。
長女もそれを機に帰宅し~本当の一人ぽっち生活が始まったばかりです。
まぁー本当に長い事 傍に居て呉れた長女が帰る日が来た。
私の胆嚢摘出手術入院の時にも、闘病中の母だけでは心配だと言って~退院した後もしばらく手伝って呉れて帰った、その数か月後に今度は母の入院となって6月6日以降7月末日まで~一旦、帰った後 四十九日の法要の為、9日に再来し今日22日まで居て呉れた。
嬉しい事であるが親として この様に長期にわたって居て呉れる事は何かにつけて助かるし嬉しい事なのであるが~嫁いだ先の旦那の事を考えると果たして如何なものかと~滞在中にも何度か問う事であったが 「大丈夫!大丈夫!」 の言葉と共に4姉妹弟の中で 「今一番自由が効くのは私しかいないじゃない」 「了解済みだから心配しないで!」 と言われれば 帰ってくれとも言われず甘えて滞在して貰う結果になった。
ブログ上でも一言 長女ばかりでは無しに 旦那様とご両親様 に ご配慮頂いた事 感謝申し上げます。 ありがとうございました。
母の入院中は毎日病院通いに看病、慣れるに従いどちらが親なのか逆転したような~弱る母を励ます意味を込めての言葉と思うが場面も見られる事があった。
長女が居ない時 家内は 「怒られているようで気を使うわ」 と病気で小さくなった声を更に小さな声で訴えるのである。 「怒っているのではなく大きな声で励ましているんだよ」 と解釈すると小さくうなずく仕草。
最後に近い数日間は徹夜を含む看病になったが、39日間の入院の中でいろんな場面が思い出される。それを思う時、涙が浮かぶ。
朝食の出る前に病院へ行くのであるが、今日は元気な顔で居て欲しい願望で その通りであればホッーとし、そうでない時は時間をかけて落ち着くの待って 口内炎がひどいので 先ず口中掃除、うがいから始まり、洗顔等の世話をして、食事になるのであるが おかゆ食であるからスプーンで1杯~2杯程度。おかずは食べないに等しい。
ほどんと点滴頼り。体力は著しく落ちて入院後数日でベットの人になってしまった。
夕食は午後から看病に入った長女と、昼食の為 帰宅して再院した私の二人で世話をするスケジュールであったが、何時も19時前後一通りの身の回りを整えて 「じゃー又明日ね!」 とお互いに手を振りながら別れてくるのであるが、日につれてその時間が近づいて来ると不機嫌な表情をするようになる~が、こちらも帰って夕飯支度等仕事がある為、何時までも居る訳にはいかず、気持ちの中には居てやりたいのであるが~なだめて帰る事があった。 今思えば~後悔の一つになる。
哀れで悲しく寂しい事に 「家に帰れるのかなぁー」 「家に帰りたい」 「歩いて帰れるのかなぁー」 「何でこんなにだるいのだろう、力が入らない」 等々 体力の弱まりを自覚しながら願望を口にしていたのだろうと推察されて悲しい!
でも孫たちが見舞いに揃って来た時には会話も弾み、にこやかな笑顔を見せて声も何時もより大きい声を出して応対していた姿が、目に浮かぶ。 「好い顔していたよ」 と教えたい。
家に帰りたい言葉を実現出来なかった事が頭にあり、せめてもと斎苑に向かう前に自宅周りを一回りして貰って 「家に来たよ」 と 遺影と遺体に向かって声を掛ける事もしました。
家内の死亡が7月4日。それからが慌ただしい日が続き、内外に気を遣いながらのスケジュールをこなし、一段落した頃、定期的に通っている掛かりつけの医院の薬が無くなり通院したのが7月24日。血液検査、尿検査後~先生と面談に幾つかの正常値に当てはまらない項目の中、クレアチニンの値だけが長期データーの中で異常な点を指摘され、先生の方が驚いた表情で直ちに入院検査が必要との宣言。
一瞬、「マジー」 の心持ち、何の自覚症状もないのにどうして??? それは家内の死でショックを受け、大分精神面で参っているのは自覚出来てはいたが~入院するほどとは考えてもいない事であった。
それでも真剣な顔の先生を見ると信じて従うよりしょうがないと思わざるを得ない事に~幸い長女がしばらく居て呉れる事に、居て呉れる内が良いだろうと判断して、翌日の入院を承諾。
CT,X線、心電の検査。10時から翌10時までの24時間の尿採取。食事指導等の説明と検査等を受けて入院が始まる。
特に何をすることもなく、特に痛い所もない事で誠に退屈な横になっている生活が始まった。定期的に血圧、体温、時に血液採取を伴う。
ベットに横になって過ごし、塩分控えめの病院食事を規則正しく食し、間食一切なし、水分補給は大目にと言う事でそれに従った結果、1日の放尿回数とその量がほぼ確認出来た。 今まで受診の度に1日何回おしっこしますか?の問いに確実ではないあいまいな回数を回答していたが~今回この入院でほぼ8~9回。量も驚くほど出している事に気付く。その量にその位は補給しなくてはならない事にも気付く。
7月28日 一時的数値の上昇でこの入院中に正常値に戻り、退院の許可に繋がる。 入院しなくてはならない事に驚いたが、結果的には退屈であったが入院中の一時休養が幸いして良い方向に向かったと解釈出来そうで先生も退院許可の時に「入院を薦めた事が良かったね」の一言がありました。
病院食の紹介2題
ご飯が少なく次の食事が待ち遠しかった!
人が一人亡くなると言う事は前にも経験がある事ではあるが~養父、養母の亡くなった時は40歳代と50歳代の時で体力的にも精神的にも無理のきく時代で葬儀を無事こなしたと自負しているが、それは直ぐ傍に家内と言う強い味方が居たから自信を持って行動が出来たと言える面が大いに有る。
それが今回はその強い味方が信じたくない事であるが、手の届かぬ向こうの世界へ旅立ち~悲しいかな~相談も助言も 出来ないし、受けられもしない。
歳も七十代半ば、体力的にも、何より精神面でのダメージは計り知れない。
然しそれだからと言って知らない振りをする訳には行かないし、精一杯気力を出して、子供たちの協力を得て、ひとつひとつやるべき手順を踏んで一連の関連行事である火葬通夜葬儀初七日忌明け納骨四十九日新盆を済ます事が出来ました。
心に大きくはびこっていた事柄をほぼやり終えて幾らかは心が落ち着き始めております。
一時は思い出す度、あるいは友人や知人に優しい声を掛けられるとつい涙が溢れて抑えきれない困惑の時もありますし、今もそれは直ってはいませんが~とにかく涙もろくなっている自分を自覚せざるを得ません。
人が亡くなると言う事は一番愛して居て呉れた人に大きな大きな悲しみと負担をかけると言う事のように思います。
私の経験から友人には奥様を大事にそして貴方も長生きするように薦めるつもりです。
気がかりの行事を終えて幾らかホッーとしていますが、これから一人ぽっちで頑張れる気力が何時まで続くかは不明ですので不安が心の片隅に厳然とありますが、出来るだけそうならないように注意しながら暮らす覚悟では居りますが…どうなるかは神のみぞ知る所でしょうね???
登紀ちゃん!まさか祭壇に祭られようとは思っていなかったでしょうね!
誠に残念です!
新盆には多くの人が来てくれましたよ
墓参りには孫たちが…
晩年少し嗜んだ話を聞いて~長女がワインも供えて呉れたよ
近辺をさまようと言われる死後の四十九日~精一杯尽くしたつもりで過ごしたと思っている。 まだまだやりたい事を残したこの世と思われるが四十九日の間の残された身内の思いを察して未練を残さず浄土へ進んで欲しいと願う。