箱根駒ヶ岳の山頂エリアでも、最も高い標高1,356mに位置している箱根元宮。
ロープウェイの山頂駅を出ると、すぐ目前に飛び込んでくるのが、この丘の上に
祀られている社。社への道は2ルートあるが、大半の人は中央広場から鳥居の前へ
上っていける正面側から進み、もう1方の道は駅へ戻るための帰路で使用していた。
中央広場から続く参道の入口には、箱根元宮の由緒も掲げられている。
発祥は、およそ2,400年前の縄文時代末期。孝昭天皇の御代として
聖占仙人が、駒ヶ岳山頂に神仙宮を開いたのが箱根元宮の始まり。
里宮として箱根神社ができたのは、奈良時代(757年)になってからと
だいぶ後だ。例大祭ならび鑽火御神火祭は10月24日に行われている。
ロープウェイの駅の方にも、より簡易的に記された案内が貼られていた。
専門用語が多い事に変わりないが、こちらの方がまだ分かり易いだろう。
参道を上って、鳥居の前まで到着。鳥居の脇には駒ヶ岳山頂遺跡と刻まれた
石碑や、小さな石造りの祠。さらに白馬の伝説が残る馬降石も祀られている。
鳥居の前から振り返って眺める、駒ヶ岳山頂一帯の風景。見渡す限り広がる緑。
冬には雪で辺り一面が真っ白になるようだが、冬季に訪れるのは難易度が高い。
そして鳥居の先に建つ社。現在のものは箱根神社の奥宮として
昭和39年(1964年)に堤康次郎氏の寄進によって建てられたもの。
今では山頂駅とならんで、駒ヶ岳に残された貴重な建造物だ。
社を右側へ回り込むと、なにやら朽ちた小屋も残っている。
社から左裏側には駒ヶ岳山頂と刻まれた石碑とガレ場。明らかに
人工的に形成されたであろう四角い岩が、いくつも転がっていた。
そんなガレ場に生息していた、左側の足が2本無いザトウムシ。
探せば他にもアサギマダラを始めとした様々な昆虫がいるだろう。
レジャー開発が進んだ半世紀前とは異なり、現在の駒ヶ岳は自然を
再生させる形での整備へとシフトし、より元来の姿に近づいている。
ロープウェー頂上駅へ戻る 箱根園目次 相模湾展望広場へ進む
ロープウェイの山頂駅を出ると、すぐ目前に飛び込んでくるのが、この丘の上に
祀られている社。社への道は2ルートあるが、大半の人は中央広場から鳥居の前へ
上っていける正面側から進み、もう1方の道は駅へ戻るための帰路で使用していた。
中央広場から続く参道の入口には、箱根元宮の由緒も掲げられている。
発祥は、およそ2,400年前の縄文時代末期。孝昭天皇の御代として
聖占仙人が、駒ヶ岳山頂に神仙宮を開いたのが箱根元宮の始まり。
里宮として箱根神社ができたのは、奈良時代(757年)になってからと
だいぶ後だ。例大祭ならび鑽火御神火祭は10月24日に行われている。
ロープウェイの駅の方にも、より簡易的に記された案内が貼られていた。
専門用語が多い事に変わりないが、こちらの方がまだ分かり易いだろう。
参道を上って、鳥居の前まで到着。鳥居の脇には駒ヶ岳山頂遺跡と刻まれた
石碑や、小さな石造りの祠。さらに白馬の伝説が残る馬降石も祀られている。
鳥居の前から振り返って眺める、駒ヶ岳山頂一帯の風景。見渡す限り広がる緑。
冬には雪で辺り一面が真っ白になるようだが、冬季に訪れるのは難易度が高い。
そして鳥居の先に建つ社。現在のものは箱根神社の奥宮として
昭和39年(1964年)に堤康次郎氏の寄進によって建てられたもの。
今では山頂駅とならんで、駒ヶ岳に残された貴重な建造物だ。
社を右側へ回り込むと、なにやら朽ちた小屋も残っている。
社から左裏側には駒ヶ岳山頂と刻まれた石碑とガレ場。明らかに
人工的に形成されたであろう四角い岩が、いくつも転がっていた。
そんなガレ場に生息していた、左側の足が2本無いザトウムシ。
探せば他にもアサギマダラを始めとした様々な昆虫がいるだろう。
レジャー開発が進んだ半世紀前とは異なり、現在の駒ヶ岳は自然を
再生させる形での整備へとシフトし、より元来の姿に近づいている。
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