ちょっと昔、ここ関市に「プラッサオンゼ」というブラジル料理とライブの楽しめるお店がありました。 ここは東京の「プラッサオンゼ」にいた地元出身の奥田芳夫さんが、帰郷して開いたお店でした。 残念ながら奥田芳夫さんは、数年前に病気で急逝しました。 みなさんに「よっちゃん」と慕われていたマスターは、この地元関市にサンバやボサノヴァ、その他のラテンミュージック、そしてブラジル料理を浸透させてくれました。 マスターがお店をオープンしたのと、私がワインアドバイザーの資格を取得して仕事を始めたのが、ほぼ同じ頃でしたので、本当にお世話になりました。 当店から歩いて1分のところにある「プラッサオンゼ」では、ワイン会やら、ボージョレパーティーの会場として使わせていただいていました。 いろんなわがままを全て聞いていただいて、本当にマスターの笑顔とやさしさに今でも感謝しています。 私の仕事の始まりを支えてくれたのが、マスターでした。 世界的に有名なパーカッショニスト 「ヤヒロトモヒロ」さんも東京のプラッサオンゼにいた時に、マスターにお世話になったからと、何度も関市に足を運びライブをしてくれました。 ヤヒロさんのパーカッションは本当に素晴らしい、しびれる演奏です。 私にとっては初めての体験、体中にリズムが入ってくる感じ、エネルギーが湧き上がる感じ、地元でこんな素晴らしい演奏が聴けるチャンスをくれたマスターには、いつも感謝していました。 プラッサオンゼには、長谷川きよしさんやエポも何度か来てくれました。 プラッサオンゼには、音楽が好きな人たちがいつも集まり、その中のメンバーでサンバチームを作り、浅草のサンバ・カーニヴァルに参加したり、地元のお祭りにも参加して盛り上げてくれました。 マスターが急に亡くなり、葬儀には多くの方が参列しましたが、サンバチームがマスターの旅立ちの時に泣きながら演奏してくれた姿は、今でも私の目に焼きついています。 1周忌には東京から、ヤヒロさんはじめ素晴らしいメンバーの方々が駆けつけて、追悼ライブをしてくれました。 それぞれがマスターへの思いを語り曲を演奏してくださり、本当に素晴らしいライブでした。 プラッサオンゼで始まったボージョレ・ワインパーティーは、今年15回目を迎えました。 そして、今年ボージョレパーティでボサノヴァを歌いに来てくれた「伊藤ノリコ」さんは、たまたま私の同級生でもありましたが、彼女も関市のプラッサオンゼとは、とても深いかかわりがあったことが先日わかりました。 ヤヒロさんと岐阜でのライブをする予定で、その前に関市のプラッサオンゼで演奏するヤヒロさんと一緒にプラッサに来たことがあるそうです。 そこに、ヤヒロさんと一緒に演奏するギタリスト宮野弘紀さんと出会い、結婚をしたそうです。 まさに、彼女とご主人が知り合うきっかけとなったのが、関市のプラッサオンゼだったそうです。 今年15回の節目に、同級生のボサノヴァシンガー伊藤さんを見つけた時に、マスターの計らいかも?と一人で感動していました。 そして、彼女とプラッサオンゼとの縁を聞いたときに、本当にマスターの計らいだったと確信しました。 プラッサオンゼの建物は、今でもそのまま残っていますが、現在は持ち主が変わり、近々に別のお店に変わるそうです。 でも、プラッサオンゼに集まっていた多くのファンの方たちの心には、これからもずっとやさしくお茶目な“よっちゃん”と音楽が残ることでしょう♪ マスターありがとう! 今年もボージョレのパーティーを無事に終えることができましたよ。 音楽とワインの楽しさ、これからも伝えていくので見守ってくださいね。 |
*~*~*~ アミの想い ~*~*~*~*~*
大切な人たちとの楽しいおしゃべり、幸せな時間
自然の恵みに感謝と喜びあふれる豊かな時間
私たちの笑顔、喜び、幸せが地域に波及して
明るい未来につながることを心から祈っています。
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