12月3日シアター・コクーンで、イプセン作「民衆の敵」を見た(英訳からの翻訳:広田敦郎、演出:ジョナサン・マンビィ)。
温泉の発見に沸くノルウェー南部の港町。医師トマス・ストックマン(堤真一)は、町の資本となるこの温泉が、工場の排水により汚染されて
いる事実を突き止め、告発を試みる。このことは、彼の実兄であり市長であるペテル(段田安則)、妻カトリーネ(安蘭けい)、新聞編集者
ホヴスタ(谷原章介)、船長ホルステル(木場勝己)ら、あらゆる階層を巻き込み、思わぬ方向へ加速していく。トマスは市民に真実を伝える
べく集会を開くが・・・。トマスが真実の先に見つけた正義とは・・・。(チラシより)
天井と周囲の壁に水道管が張り巡らされている。
音楽は趣味がいいが、やたら叙情的。
幕間中などの群舞は、意味が分からない。必要性も感じないし、趣味でもない。
この作品は2015年8月にオフィスコットーネの上演で見たことあり(上演台本:フジノサツコ、演出:森新太郎)。
あの時は、登場人物もセリフも大胆にカットされていた。何しろトマスには3人の子供がいるはずが全員カットされ、その代わりというわけか、
妻カトリーネが臨月のおなかを抱えていた。だがもちろんコンパクトになって主題がくっきり浮かび上がり、効果的ではあった。
今回は、その点、原作に忠実。一家のにぎやかな暮らしぶりが伝わって来る。
翻訳について。1939年発行の古い和訳(竹山道雄訳)を読んで臨んだので、読まずに見た前回と違って話の内容はよく分かったが、
今回の訳は当然ながら現代的なので、まるで印象が違うところもある。
4幕で、トマスがホヴスタのことを「無神論者」と言ったために民衆が騒ぎ出し、本人も必死で否定するシーンがあるが、その「無神論者」
という決定的な言葉が「革新的」だか「改革派」だかになっていて驚いた。それだったら別に大騒ぎすることもないだろうに。
原文はどうなっているのだろう。
町民集会で、トマスは最後に十字架上のイエスの言葉を口にする。しかも故意にかうっかりしてか、間違えて引用する。
だが戯曲では「『・・・』とは断じて言わんぞ」と言うのだが、「とは断じて言わんぞ」がカットされる。
前回の上演もそうだった。なぜ?これでは意味が逆になるのに。日本人には理解しにくいだろうからと忖度したのだろうか?
5幕はトマスの書斎が舞台だが、それが屋根裏のような部屋になっており、人々は出入りのたびに狭い階段を登り降りする(実際は、舞台
の床の穴から出入りする)。
役者では、兄ペテル役の段田安則が、期待通りの好演。
この作品は百年以上前に書かれたというのに、テーマは非常に現代的であり、「社会派ドラマの金字塔」というチラシの文句は正しい。
イプセンはこれを、前作「幽霊」への悪評に対する反駁として一気に書き上げた由。
「幽霊」も見たことがあるが、この作品に関する限り、作者の意図が、どうもよく分からない。
これは決して、一人の英雄が大衆に理解されずに迫害されるというような単純な話ではない。
主人公は純粋ではあるが、単純で世間知らずで脇が甘い。傍で見ていて恥ずかしいくらいだ。
作者は、彼に対しても容赦なく皮肉な眼差しを向けている。
複雑な、一筋縄ではいかない戯曲だ。
温泉の発見に沸くノルウェー南部の港町。医師トマス・ストックマン(堤真一)は、町の資本となるこの温泉が、工場の排水により汚染されて
いる事実を突き止め、告発を試みる。このことは、彼の実兄であり市長であるペテル(段田安則)、妻カトリーネ(安蘭けい)、新聞編集者
ホヴスタ(谷原章介)、船長ホルステル(木場勝己)ら、あらゆる階層を巻き込み、思わぬ方向へ加速していく。トマスは市民に真実を伝える
べく集会を開くが・・・。トマスが真実の先に見つけた正義とは・・・。(チラシより)
天井と周囲の壁に水道管が張り巡らされている。
音楽は趣味がいいが、やたら叙情的。
幕間中などの群舞は、意味が分からない。必要性も感じないし、趣味でもない。
この作品は2015年8月にオフィスコットーネの上演で見たことあり(上演台本:フジノサツコ、演出:森新太郎)。
あの時は、登場人物もセリフも大胆にカットされていた。何しろトマスには3人の子供がいるはずが全員カットされ、その代わりというわけか、
妻カトリーネが臨月のおなかを抱えていた。だがもちろんコンパクトになって主題がくっきり浮かび上がり、効果的ではあった。
今回は、その点、原作に忠実。一家のにぎやかな暮らしぶりが伝わって来る。
翻訳について。1939年発行の古い和訳(竹山道雄訳)を読んで臨んだので、読まずに見た前回と違って話の内容はよく分かったが、
今回の訳は当然ながら現代的なので、まるで印象が違うところもある。
4幕で、トマスがホヴスタのことを「無神論者」と言ったために民衆が騒ぎ出し、本人も必死で否定するシーンがあるが、その「無神論者」
という決定的な言葉が「革新的」だか「改革派」だかになっていて驚いた。それだったら別に大騒ぎすることもないだろうに。
原文はどうなっているのだろう。
町民集会で、トマスは最後に十字架上のイエスの言葉を口にする。しかも故意にかうっかりしてか、間違えて引用する。
だが戯曲では「『・・・』とは断じて言わんぞ」と言うのだが、「とは断じて言わんぞ」がカットされる。
前回の上演もそうだった。なぜ?これでは意味が逆になるのに。日本人には理解しにくいだろうからと忖度したのだろうか?
5幕はトマスの書斎が舞台だが、それが屋根裏のような部屋になっており、人々は出入りのたびに狭い階段を登り降りする(実際は、舞台
の床の穴から出入りする)。
役者では、兄ペテル役の段田安則が、期待通りの好演。
この作品は百年以上前に書かれたというのに、テーマは非常に現代的であり、「社会派ドラマの金字塔」というチラシの文句は正しい。
イプセンはこれを、前作「幽霊」への悪評に対する反駁として一気に書き上げた由。
「幽霊」も見たことがあるが、この作品に関する限り、作者の意図が、どうもよく分からない。
これは決して、一人の英雄が大衆に理解されずに迫害されるというような単純な話ではない。
主人公は純粋ではあるが、単純で世間知らずで脇が甘い。傍で見ていて恥ずかしいくらいだ。
作者は、彼に対しても容赦なく皮肉な眼差しを向けている。
複雑な、一筋縄ではいかない戯曲だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます