19日、今日は水曜日でジムの休館日。
…というわけでジムの友人の案内で堺、狭山市の境界にある陶器山と
天野街道を歩いてきた。実に気持ちのいい冬晴れ!
9時、いつものジムの自転車置き場まで今日の案内をしてくれる友人が
迎えに来てくれ、9時半、泉北ニュータウンの晴美台小学校横から歩き始める。
晴美台小学校はすでに廃校となっているという。こんなところで…?と
思うが、かってのニュータウンは今やお年寄りの街になっているとか…
風は冷たかったが、歩き始めると手袋を脱ぎ、ベストを脱ぎ…という感じ。
この陶器山は泉北・狭山両ニュータウンの境界に沿って続く小高い山で、
標高50m足らずだというの尾根道の両側には雑木林が連なり
所々に眺望がひらけて見晴らし抜群。
岩室から天野山金剛寺に至るこの道は“天野街道”といわれ、
古くから人々が天野山金剛時へ行き交った参詣道だというが、
その一部が遊歩道として整備され「歴史の道・あまの街道」として古道の面影を
残すハイキングコースとなっている。
道沿いには展望台や休憩所、野鳥ガイド板なども設置されており、
自然を身近に楽しめる散策道としてたくさんの人が散策をしていた。
「陶器山」と呼ばれているのは、古代には、この斜面を利用して「登り窯」が
築かれて多くの陶器が焼かれていたからであるらしい。
道中にはお地蔵さまが多く祭られ、天野山金剛寺への参詣道の雰囲気が漂う。
枯れ葉をかさこそ踏みながら、行きかう人に「こんにちわ!」と声をかけ
なんと気持ちの良いこと…
歩き始めて30分くらいだろうか…この辺りから金剛山や二上山、大和葛城山
などが見渡せるという眺望の良い所が日の出の名所でもあるそうで、
季節による日の出の時間、位置などを記した看板があった。
集落に入ったり畑の中を歩いたり、桃やミカンや柿の畑を楽しみながら歩く。
やがて西高野街道と合流し、河内長野駅前で東高野街道と合流して高野山へ
通じるという幕末の文政年間に建てられた古い道標がある。
「右 あまの」「左 かうや」そして、その下に「ゑ」という古い平仮名の
変体文字で書かれているが、崩した字体で書かれているのでよく読めない。
三都神社、青賀原神社などを横目にひたすら歩き続ける。
集落の各家は立派な家が多く庭の植え込みなどもなかなか凝っている。
風も当たらず日当たりのよい所のヒイラギ南天。立派な花がもうこんなに…
蝋梅やタンポポの花も見かけ写真に撮ったが、残念ながらピンボケ(;一_一)
田の中には既にご用済みとなった案山子さんがのんびりと日向ぼっこ…
11時40分、天野山金剛寺の総門着。
早い目のお弁当を近くの原っぱでゆっくりと食べ帰り道へ。
林の中は野鳥の声が聞こえ、枝から枝へ飛びかい足元を歩きに来る鳥も…
鳥の名前などは詳しくないが、先ほど足元を歩いていた目白に似た鳥が
野鳥の看板で「あおじ」という鳥だということを知る(*^_^*)
出発地点着は3時前だった!往復約20キロ…よく歩いたな~
足に少し筋肉痛を感じる。ちょっとストレッチをして車で集合のジムまで
送り届けてもらう(^_-)-☆
楽しかったよ~ ありがとう<m(__)m>