2日目、道後温泉の朝ぶろで目覚ましをし、8時出発。
今日は松山の名物、坊っちゃん電車に乗るという。
その時間待ちに道後温泉の周りをぶらぶら。
先達は早朝から、秋山好古のお墓などを見学してきたらしい。
昔の「色里」…「ネオン坂」が、現在「上人坂」という名に変わった。
のぼった先には、宝厳寺。
時宗の開祖「一遍上人」の生誕地と言われている場所。
宝厳寺の本殿は、道後の湯築城の木材を使って建てられているんだそうだ。
中に入ってみると、太い柱木なんかは、普通の木じゃないよなぁって
思いますもん…城に使われていたなら、納得。
当時は人気だった赤穂浪士の討ち入りの絵などが奉納されていた。???
多分この絵の右端真ん中辺りが大石内蔵助?
なぜかこの境内に茂吉の歌碑も~
茂吉の「あらたま」の第一首。
当寺とのかかわりは昭和12年5月12日茂吉が参拝したことによるが、
この歌は、東京代々木ヶ原の秋の斜陽のイメージに孤独な者の
一筋の人生行路を重ねたものといわれる。
歌人山上次郎氏は茂吉の遺髪を受けてこヽにおさめたという。
子規や漱石と言う歌人、俳人のゆかりの多い松山…
市立子規博物館は正岡子規を中心に、夏目漱石や松山市が生んだ
文人たちの業績を集大成した文学系の博物館だそうですが、
いつも道後で宿泊し、そのまま他所へ観光などに行く旅ばかりの
mamaGONは入館したことがなく、今回も残念。(開館時間と合わない)
道後公園内を散策し、伊佐爾波(いさにわ)神社参拝や公園内を巡る。
公園内に置かれた石造湯釜(県指定文化財・通称「湯釜薬師」)湯釜には、
中世、守護だった河野通有の依頼により一遍上人が「南無阿弥陀仏」と
書いたとされている。また、温泉の効験の刻文も残る貴重な文化財だそうだ。
道後温泉の歴史ががっちりと残されていると感じる。
緑の多い公園内には白い睡蓮がいっぱいだ。
我々の足音に驚いたのか、道端にいたカメが走って淵に逃げ込んだのを見た。
カメが走ったのを初めて見たように思う(*^^)v
今回は坊っちゃん電車に乗るための時間調節で公園の散策などをしたが、
面白いものをいっぱい見たな~と満足の朝の散歩!
時間が来たので坊っちゃん電車に乗るために停車場へ行く。
2001年にイベントとして復元運転したらしい。そういえば昔子供たちの
小さな頃に来たときは展示だけだったように思うが、今日はそれに乗る!
当時は石炭で蒸気の力で動いていたが、現在はディーゼルエンジンを
採用し、さらに、煙突から出ている煙に見えるものは、
蒸気を煙に見たてたものだそうだ。環境に配慮した新生「坊っちゃん列車」
漱石の小説「坊つちやん」の中で、軽便鉄道時代の伊予鉄道が
「マッチ箱のような汽車」として登場しており、四国・松山の中学校に
赴任する主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから命名された列車。
道後温泉駅から松山市駅まで約20分…木の床と固いベンチの椅子。
松山駅に着いたらエンジン部分と客車が切り離され、エンジン部分が
人の手と駐車場の回転装置と同じ感じの物で、方向転換をする。
後続の電車の乗務員も動員し、4人の人力でガチャンとつなげる。
なんかとても珍しい楽しいものを見たな~
興味のある人は画像でネットに紹介されているのでどうぞ(*^^)v
お遍路巡りのバスが駅前にスタンバイをしてくれており、次の寺に向かう。
30分ばかり走って51番札所石手寺到着。
国宝の仁王門は、鎌倉時代に造られたもの。本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、
梵鐘も鎌倉時代のもので、重要文化財らしい。
お遍路の元祖・衛門三郎は、死ぬ間際に、弘法大師から石を授かった。
その後、この地方の豪族に生まれた子供が、右手にその石を
握りしめていたという。寺号「石手寺」は、この伝説に由来するらしい。
山門の大きな藁草履と本堂。お勤めを終えて乗ったバスで、
先逹さんが名物の焼きもちを一つづつお接待してくれる。
少しお腹もすいていたので、あっさり美味しかった。
50番、繁多寺は、道後平野が見渡せる高台にあり、松山城を中心とした
松山市内を見渡せる。天気が良ければその向こうに
瀬戸内海を望めるらしいがこの日は無理だった。
鬱蒼とした緑に囲まれた静かなお寺で、鳥の鳴き声が聞こえていた。
12時を少し過ぎたが、次の寺も近いのでもう1ヶ寺お参り。
49番札所、浄土寺へ
お遍路さんが奉納したという草鞋がいっぱいの仁王門をくぐると
本堂と大師堂がある。
境内には子規の「霜月の 空也は骨に 生きにける」の句碑が立っている。
空也の肉体は白骨となっても人々の胸には念仏の教えが今も生きている…
という意味らしい。さすが松山、子規の句碑が多い。
空也上人は平安時代の中期やや前寄り、10世紀にいた僧侶。
阿弥陀如来への信心が篤く、諸国で寺・橋・道などを造りながら信仰を広め、
貴族から庶民まで幅広い層から帰依を受けた。
後年に、踊念仏や六斎念仏の開祖とされる。 (画像はHPからお借りしました)
空也上人の像はすべて、一定の姿をしている。
鹿の角の付いた杖(仲良くしていた鹿が猟師に狩られて、その角と皮を
身に着けているのだという)。
首から下がった鉦(吊って使う鐘ではなく、打ち鳴らす楽器)。
そして、口から吐き出される、小さな6体の阿弥陀如来。
この阿弥陀如来像(ちゃんと針金で固定されている)は、
名号の「南無阿弥陀仏」の一文字ずつを象徴しているのだそうが、
我々は日影や風のよく通る場所を探して読経をするが、この日見た老夫婦は
本堂の軒下に2人が正座し、読経していた。何かずんと胸に応える風景だった。
心のこもったお参りを見せてもらった。
とても長くなったが書き込んでしまおう(*^^)v
昼食は地恵地楽ダイニング…地元の野菜をたっぷり使った健康的な食堂で~
名前は食堂と言うが、おしゃれですごく人がいっぱいのお店だった。
女性にも嬉しい健康的な食材(*^^)v
壁に「よく冷えたトマトあります」と張り紙が~
みんな声をそろえて「食べたい~」と自前でトマトを注文する。
これで3人前…一人302円、ちょっと高かったけれど、
めちゃくちゃ甘かった!(^^)!
今回お終いのお参りは48番札所、西林寺。
ここもそんなに遠くない、松山市内にある。
807年、弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、大師は村人を救うために錫杖を突き、
近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」は
その遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の
「全国の名水百選」にも選ばれているらしい。
杖の淵公園には家族連れがいっぱい来ていて、暑い日だったので
子供たちが歓声をあげて水遊びをしていた。
公園内にもお大師さんがいらっしゃった(^_-)
3時少し前、今回の参拝を終え帰路に。
長いバスの旅がまた始まる。途中休憩など取りながら、
ほとんど全員がぐっすりお休みをして8時少し前、早い目の大阪着。
今度のツアーでmamaGONはずーと気になっていた欠番の寺を周り終え、
本当の結願となった。石手寺以降は、先に周っていたのでご朱印を
2つ目を押してもらったことになる。
またいつか機会があれば、2度目の結願を目指して
お参りできたらうれしいな~と思いつつ、先逹さん、添乗員さん、仲間の
皆さんにお礼を言って9時前帰宅した<(_ _)>