赤い椅子

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またまた・・・

2006-10-30 20:05:12 | ノンジャンル
昨日、日曜日…秋晴れのよい天気でした。
日ごろサボっている用事をいっぱい済ませ、午後からは庭弄りをし、
秋、冬の花を植え、チューリップなどの球根を埋めました。
これで少し肩の荷が下りたかな~  
まだまだせねばならない事だらけだけれど…

夕食を済ませ、「功名が辻」を見て、娘と「亡国のイージス」を見るべく
はや目にお風呂も済ませました。

10時半ごろ、なんだかお腹が張ってきました。痛くなってきました。
来たな~来たな~例の腹痛が…と思いながらトイレに駆け込み、
そこで痛くて動けなくなり、脂汗をかいてへたり込みました。

夫と娘がばたばたしながら電話で病院の手配をしていますが、断られています。
4月に起こった腹痛のときの近くの救急病院は気分的に行きたくないです。
仕方がなく救急車という手をとりました。

2階のトイレから動けない身体を担架に乗せて、
救急車まで3人で運んでくれました。(重たかっただろうな~)
以前も腹痛の検査に行った隣のS市の市民病院に、OKを取ってくれました。

救急車はすごくゆれます。
乗るのはこれで2度目です。
15年ほど前に息子がバイクで怪我をして運んでもらいました。

なぜか心電図をとったり(痛くて堪らないのに…)血液検査、血圧、検温を
経てようやく痛み止めの点滴をしてくれました。
15分ほどで嘘のように収まり、エコーやCT検査に担架で行きました。

1時半頃点滴が終わりかけた頃、また痛んできました。
痛み止め点滴の追加です。
終われば3時でした。待っている夫と娘は大変だったと思います。

とりあえず明日(もう今日です)もう一度内科の診察を受けてください…
ということで今日行ってきました。

昨日の検査結果を見た内科医は、結果には全く問題はないと…
悪い原因は見付からない。
胆嚢の形が影響しているかどうかも断定はできない。
もし痛んだら痛み止めを飲んで、様子を見ましょう…という。

もう何回こんなことを繰り返しているのだろう?
今年は2回目。年に1回くらいは必ず起こってくる腹痛。
かかりつけの診療所の医師は、「胆嚢の形が人と違いいびつのせいだろう」
そこにいろんな原因が重なり、胆汁が溜まり痛むのでは…と。

もうこんな痛みはいやだから、胆嚢をとっても…と今日の医師に言うと
それも断定は出来ない。お腹を切って全部調べることは不可能だと。

今日はもう痛みは全くありません。少し胃の辺り、鳩尾辺りが重いだけです。
人間がへそ曲がりだから胆嚢までへそ曲がりだ…と家族に笑われています。

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昭和天皇を描いた『太陽』

2006-10-24 20:46:08 | ノンジャンル
今朝、掃除のために開け放した窓から、昨日の雨に洗われた
花水木の紅葉が日に輝いてきれいでした。
いつも我が家の紅葉はこの木からです。



午後は夫と映画に行きました。
敗戦のときの昭和天皇を描いたロシア映画です。
なぜロシアなのか?、なぜ上映する映画館が少ないのか?
などなどで却って見て見たい映画のひとつでした。
たまたま堺の埋立地のず~と奥にある映画館で上映の情報を得たので
行きました。

天皇が映画の題材になること自体が先ず初めてでしょう。
敗戦で現人神から人間になった…という劇的な体験をされたわけですが
皇后や子供たちを避難させた別居状態の中で、
アルバムを見ながら子供の写真に口づけをする、粗末なベットに横たわり
空襲で焦土になった東京の姿にうなされる姿など人間味あふれた天皇でした。

人間宣言をした後、皇后との再会の場面で皇后に頭をゆだねて
甘えるところなど、何か底知れぬ重たいものから吹っ切れたという
爽快さにも心打たれました。

第二次世界大戦の責任がどうだとか、米国侵略がどうだとか、
敗戦国の苦しみだとかは語られていませんが、
一人の人としての昭和天皇の苦悩、人間性に触れた作品でした。
天皇役のイッセー尾形の演じる不思議な魅力もありました。

平日ということもあり、劇場内はたぶん60歳以上の人が
13~4人という、ガラガラ状態でした。


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ランプの集い

2006-10-22 21:40:09 | ノンジャンル
昨日夕方からシャドーさん家のランプの集いにお邪魔して来ました。
手入れの行き届いた広い庭に、日が暮れてシャドーさんの陶芸仲間の
皆さんの作ったランプにろうそくで点火です。
暖かい優しい明かりと、庭の虫の音と…とってもロマンチックでした。

焼肉、すき焼き他陶芸仲間の皆さんの心のこもったもてなしに
お腹の皮がよじれるくらいたくさんのご馳走になりました。

ご主人のお友達、シャドーさんの弟さん夫婦(緑チーム)など
総勢15人、時間の経つのも忘れて楽しく過ごさせていただきました。



フラッシュを焚いたら肝心の明かりが見えません…それで~



…とこんな具合です。



これはシャドーさんの作品だそうです。

シャドーさんご夫婦、kodemariさんご夫婦、陶芸のお仲間の皆さん、
大変お世話になりました。楽しかったです!
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紀伊上臈ホトトギス

2006-10-18 20:22:17 | ノンジャンル
今年は咲いてくれないのかな~と心配をしていた黄色のホトトギスが
咲きました。
普通のホトトギスより花は大きいです。黄色が上品で、
中はまだら模様です。これは紫のホトトギスと一緒です。
「黄花ホトトギス」というのもあるようですが、
我が家のは「紀伊上臈ホトトギス」です。
花は俯いて咲きます。上臈は貴婦人、高僧の意味だそうです。
なかなか珍しい花で平地にはあまり見かけない山野草です。
3年ほど前に花屋さんで一鉢残っているのを「珍しい花だよ」と
勧められて買ってきました。日陰のほうが好きな花です。




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伊勢へ同窓会 Ⅱ

2006-10-17 20:43:19 | ノンジャンル
いろんなおしゃべりで、つい興奮気味で眠りが浅かったが、6時過ぎ起きる。
海に面した窓がもうすでに明るい。日の出には少し遅かったようだ。

鳥羽湾めぐりは天気がよく潮風が心地よかった。





2日目の目的の始めは鳥羽の御木本真珠島、50年前と同じ場所、
ここの御木本幸吉翁の銅像の前で当時と同じように写真を撮ること。
50年前の写真は雨の中。レインコートなんてしゃれたものもなく、
みんながナイロンの風呂敷を肩や頭にかぶっている。
感慨にふけりながら銅像を見る旧友たち。



真珠島では海女の実演を見せていた。
水温21度という。もぐっては貝を取って上がってきて、
大きく深呼吸をし、しばらく休んでまたもぐる。



2つ目の目的、二見浦の夫婦岩で写真を取ること。
当時は別の日だったらしく夫婦岩の写真は晴れている。
子どもの頃は何でも大きく目に映るものらしい。
「この夫婦岩も子どもの頃のイメージより小さく感じる」
「波で小さくなったのかな~?」などととんでもないことを喋りながら
「はいチーズ!」 岩の上に海鵜が2羽…夫婦だろうか?



最終目的、当時の宿泊旅館を訪ねること。
二見浦の「いろは旅館」海岸の松林も印象にある。
旅館の建物はそのままありました。懐かしい建物です。
幹事が帳場に行き、先代の女将に会い当時の宿帳を確認してきました。
この日も一組の修学旅行生が宿泊予定だそうです。



この辺りを歩くとお正月でもないのに玄関には注連飾りがあります。
年末に焼き、また新年には新しいものと変えるそうです。

…注連縄飾りは正月のものであり一般には松の内が過ぎればはずされますが、
伊勢市周辺や志摩では一年間かけたままで過ごす風習があるそうです。
この由来は、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、
貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。
ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、
子孫代々疫病から免れると言い残した」ということにあり、
蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。
家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符とのこと。 
ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、
さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったそうです。
(伊勢市観光協会ホームページより転載) …



さすが神様のお膝元です。

3時前、近鉄鳥羽駅で関東方面に帰る2人を見送り帰途に着く。
幼馴染というのは、こんなにも懐かしく暖かいものなんだ…
またいつ会えるかな~と言いながら別れる。楽しい2日間だった。


コメント (2)
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