赤い椅子

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紅葉の終わり

2016-11-28 14:26:00 | ノンジャンル
11月24日、友人と湖北の鶏足寺の紅葉を見に行こうと
急きょ決定。9時半大阪駅集合。木之本着12時少し前。

まずは紅葉よりランチ…!(^^)!すし慶という北国街道の老舗へ~
サバ寿司の老舗料亭(*^^)v 分厚くて虹色に光った鯖の棒寿司セット!
すし飯の間に挟んだ実山椒の爽やかな風味が、美味しさをより一層
引き立てている。酢加減もばっちり!






早い目到着だったのでお部屋の写真も人がいなくてばっちり。
部屋も料理も贅沢だった(^_-)-☆

食後空いていたので蔵を改造した部屋もちょっと見せてもらった。


蔵の扉の分厚さ…判るでしょうか? 
実は岸和田の五風荘にもこれに似た部屋がある。

食後、木之本の街道を歩く。木之本は北国街道の宿場町として開けたが
木之本地蔵院の門前町としてもにぎわった。
旧北国街道は、次第に近代化しつつあるが、平入、瓦葺で、袖壁や
連子格子のついた民家も多く、宿場町の落着いた佇まいを
よく残している。
町並みには、油屋・醤油醸造元・造り酒屋などがあり、
また裏通りに入ると紅殼格子の町家や長屋門なども見られる。

木之本宿は昭和の初めまで中央に小川が流れ、
柳の木が植えられた宿場だったらしいが、いまは埋められている。
でも風情の残る素敵な街道歩きだった。







切妻屋根の平入りの、伝統的な町家が点在する現在の木之本宿の
町並みには、かつて本陣を務めていたお屋敷で、
現在は薬局を営んでおられるお宅があり、
古めかしい木製の薬の看板が掲げられているし、
ガラス窓などかつての面影を彷彿とさせる、豊かな風情をたたえている。

和菓子屋さんも素朴で、思わず一個ずつサンキライの葉に包まれた菓子を
(名前を聞いたが忘れたけれど)買って食べ、土産に栗蒸しようかんを買う。

駅前に戻り本来の目的の鶏足寺へ、バスのない時間だったので
タクシーに乗る。この寺は山上にあった己高山鶏足寺の別院のひとつで、
中世には僧兵を擁する大寺だった。

タクシーの運転手さんが教えてくれた道は、隣り合わせの石道寺から
坂を下りながら散策するコース。
普段は静かな山寺だというのに、紅葉のシーズンには観光バスでにぎわう。

23日の祭日の人出はすごかったらしい。
駅前や要所要所にボランティアの人が立ち、地域おこしの役割を
担っているようだ。

紅葉は少し盛りを過ぎていたが、きれいだった。
着いた頃は湖北独特のしぐれなどがあったが、
紅葉見物のころにはきれいに晴れた青空だった!





参道の石段、両側の苔むした石垣、塔頭あとのたたずまいと
200本もあるという紅葉のコントラストがきれいだった(^_-)-☆
真中の通路は紅葉保存のため立ち入り禁止(^_-)  今はもみじさまだ!
27日のテレビでライトアップのLIVEがあったが、その時はこの道を
レポーターが歩いていたが~


茶畑やひこばえの田の道をのんびり下りながら、匂いにつられて屋台で
五平餅を食べた。本当はお腹がいっぱいなのに~



唐辛子の畑…真っ赤できれいだったな~ 
夫のお土産に百円の銀杏を買う(*^^)v

世代閣、己高閣という宝物殿で湖北の仏像をたくさん見せていただき、
帰りはシャトルバスに乗り木の本駅まで…約3時間かかって自宅着!
コメント (2)
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靄の中~

2016-11-23 17:54:00 | ノンジャンル
早朝6時過ぎに長女夫妻のお迎えが来る。
洞川のごろごろ水を汲むためのタンクやペットボトルを
いっぱい積みこんで出発!

渋滞もなく8時半前に天川村の駐車場到着。
靄で辺りがかすんでいる、つり橋を渡ってさ~出発(^_-)



大峰山脈北部の大展望・観音峰 (1347、6M)を目指して
こんな感じの中を歩く。
実はカメラの充電をせずに行ったら、初めの1枚だけで電池切れ( 一一)
大峰山系の山々が見渡せる眺望の良い山だと、教えてもらったけれど~
雨に降られないだけラッキーだったと思わなくては…

麓の紅葉はきれいだったが山ははもうすでに散り果てたあと!
観音の水という湧水を通過し、小さな沢を2つ越え、整備された階段など登り、
植林を超えてブナの自然林に入るが、ここもふかふかの落ち葉を踏んで
歩くことに~

南北朝時代の後醍醐天皇やその御子遺跡などがあり、ゆっくり散策すれば
なかなか奥深いところだが…今日はひたすら歩く(*^^)v

分岐点があり岩屋があるというので登ってみると
窟は、天川の民が護良親王(天皇の御子)をかくまった岩屋で
仏像が祀ってあり、内部は横に広がっている。
室戸岬の空海が悟りを開いたという岩屋に似ている。

元に戻り落ち葉のさくさくした音を聞きながら、登山口から1時間半。
急坂と階段を繰り返しながら九十九折れに進むややきつい所をを通過。
しばらく歩くと、木々の向こう側が開けて明るくなってきたら
観音峰展望台だ。今日は眺望は悪いが稲村ヶ岳や八経ヶ岳、弥山そして
遠くは関西空港、高野山までの方位標識がある。見えるのだろうか?



この展望台の石のひび割れ歯、落雷によるものらしい。い。。                                      
展望台を過ぎると、整備されていた登山道はうってかわり、
まともな道はついていない。目印のテープが頼りですが、たどりつつゆく。



荒れ気味の地面をほぼ等高線に垂直に進む急坂。
2人は地図を見ながら先導。
斜面がきついのと、足元がすべるので大変だった。筋肉痛間違いなし!

展望台を出発してからおよそ40分。
馬の背を渡り、ふたたび登り返したその先に、観音峰の山頂があった。
山頂部は林の中の小広場…という感じのあっけないところ。
木々に阻まれて、ほぼ展望はない。

あとから来た若いグループの1人が「なんやこれなんや!」…同感です(*^^)v
 
三角点の石の周りにシートを引き、お弁当にしたが…
さてお湯を沸かしてラ―メンでも…という段になりバーナー部分を
忘れてきたことに気づいて温かいものは残念(@_@;)

下りはなにやかや言っても早く、2時前には下の駐車場着。
ゆっくり靴などをはきかえ、ストレッチなどをして水を汲みに~

恐ろしいほどの量(3軒分)のごろごろ水を汲み、名水コーヒーを飲んで
4時過ぎ帰路へ。
水を汲む人、靴を洗う人…作業分担で娘の婿が4人分の靴を洗ってくれた。
名水での靴洗い…申し訳なかったが…きれいになった(*^^)v

カメラの電池切れでHPから画像をお借りしました。
花の時期、紅葉の時期、雪山の時期…みんな素晴らしい山だと思う。
是非リベンジを~と約束をする。


コメント (3)
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南から北の方へ紀州街道

2016-11-11 23:10:00 | ノンジャンル
11月7日、秋晴れに友人たちと紀州街道の探検に…
生まれ育って25年ばかり暮らした街、貝塚と蛸地蔵界隈…
何とか案内できるだろうとひと日の案内を買って出たわけ。

まずは友のリクエストで南海線二色の浜で下車し、
紀州街道沿いの甘納豆店へ…



3代目の当主は実は従弟。夫婦二人で手作りをしている店である。
無添加で甘過ぎず、食べだしたら手が止まらない癖になる甘納豆(^_-)
とくにお多福豆の納豆が美味しい。2~3㎝はありそうな大きな豆。



小豆も大粒だし、青豌豆も美味しい…
いけないいけない…これ以上書くと身内褒めが過ぎる(^_-)-☆

店の前の紀州街道を経て近木川(こぎ)の永代橋を渡り、田や
ため池のある辺りを歩いていると、野菜の無人販売所があり
1把100円できれいなホウレンソウが…3人とも思わずゲット。

脇の浜から貝塚本町に入るが暴れん坊将軍吉宗は宝永7年(1710年)
4月に紀州藩主になっているので、この街道を参勤交代していただろう。
沿道にはかっての景観をしのばせる町屋があり、古い道標も…



左に行くと水間観音を超える粉河街道へ行く道らしい。

紀州街道は、大阪と和歌山を結ぶ主要街道で、現在の大阪市高麗橋付近を
起点として大阪湾沿いに南下し途中、泉佐野市上瓦屋付近で
熊野街道と合流するようだ。

貝塚駅前近くで紀州街道と府道が合流し、そこに「村雨」の商標登録を
持つ老舗の和菓子屋さんがあるのでそこへもちょっと…(^_-)




写真の店舗入り口上方の看板の文字は、岡部公以前の岸和田城主中村一氏
子孫で書道家の中村眉山(びざん)のものらしい。
米粉と上質の小豆に砂糖を加えて蒸し上げた棹もの。

貝塚の願泉寺とその辺り寺内町を歩く。懐かしい街並みだ。



写真は願泉路の本堂。何年か前のこの屋根の大修理を見に来た。
子供のころは「ぼっかんさん」…と呼んでいたが卜半さんらしい。
寺の由来は此処では書かないけれど…歴史のあるお寺だ。
その昔12月だったと思うが露店が並びバナナ売りやガマの油売りがきて
賑やかで、祖父に連れられよく来た辺りだ。

寺内町には、昔往診に来てもらっていたお医者さんの大きな家が残っていて、
薬をもらいに来たことなど思い出す。いま思えばモダンな医院だった。
西小学校横の坂にある利斎家だ。その前の坂は利斎坂というらしい。
この坂を引きつけを起こしている弟を抱きかかえて駆けつけ、医院へ
飛び込んだと聞いた父親のことも思い少ししんみりする。
60年以上前の話で二人とも今はもう亡くなっている。



町屋を使ったカフェがありお茶の時間とする。
コーヒーを頼んで、先ほど買った村雨のお饅頭バージョンを食べたいので
持ち込みのお菓子を食べていいですか…?と聞けば
気持ちよくOKをしてくれたマスター!(^^)!ありがとう…美味しかったよ~

京都でもよく見かける、町家の屋根に載っている瓦人形の鐘馗さんを
発見!鐘馗さんは通りを挟んでちょうど向かい側の家の鬼瓦に対面する位置に
置かれるそうだ。自分家より大きな家や寺の前に置くという。
この喫茶店のマスターに聞いた話!(^^)!


梲(うだつ)の上がっている家、虫籠窓の町屋など立派な街道筋だ!
ランチをして電車でひと駅…蛸地蔵へ行く。



ランチ…美味しかった~ご馳走さま<(_ _)>

南海線の蛸地蔵駅…急行の止まらない小さな駅だがなかなか素晴らしい建物だ。
高校がこの近くで3年間毎日見て通っていたけれど~
なかなかいま見なおしてもモダンな駅だ!(^^)!


寂れた蛸地蔵駅前商店街を西へ500m歩けば「天性寺」通称「蛸地蔵」。
かつて岸和田城に一揆が襲来したときに1人の大法師(地蔵尊の化身)と
数千の蛸が城の危機を救ったことから、この寺に地蔵尊を安置されたと
伝えられており日本一大きいとされる地蔵堂である。
駅舎の天窓には上の写真のような「蛸地蔵物語」が描かれた
ステンドグラスが嵌めこまれている。

蛸地蔵は岸和田市にあり、駅から歩いて5分くらいの位置に岸和田城がある。
明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めた。
江戸時代の岸和田城は、大阪の南の守りとして、幕府の西国支配に
重要な役割を果たした。 この間、1827年、落雷によって天守閣は焼失、
以後長らく再建されずに来たが、昭和29年鉄筋コンクリート造りで
三層の天守閣が再建された。

城の濠とほぼ平行の西側にある旧紀州街道沿いの本町筋は
商家の建物の町並みが連なり、中には何層にもなった屋根を持つ
豪邸もあり、大坂との交易で富を蓄積したのだろう。

実家の菩提寺「光明寺」がこの通りにある。



本町通りの町並みは案内板もあり、よく整備されている。


こんな懐かしい看板にも出会えた



お堀端を歩き、五風荘がんこの庭園だけちょこっと見て蛸地蔵駅に戻る。
ずいぶん長く、気ままな街道歩きの一日だったが、懐かしさもあり、
思いがけない新発見もあり、何とも楽しい1日であった!(^^)!

この書き込みに写真はほぼ紀州街道や街並みのサイトからお借りした。

でもこの記事…疲れた(@_@;) 長すぎたな~


コメント (4)
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イクラかな~

2016-11-05 21:05:00 | ノンジャンル
先日イクラ、筋子、たらこのセットを頂き、イクラは孫たちの
大好物なのですぐにあげてしまいましたが、あとは冷凍庫へ。

明日の晩、孫たちが夕食に来る予定で、手巻きすしが
リクエストなので筋子を掃除してイクラ紛いの醤油漬けに挑戦した。

冷凍を解いてから膜を剥がすのにずいぶん時間がかかった。
パソコンでレシピを見たらいろいろ剥がし方、漬け方があって
迷ったが、そこはそこmamaGONの融通で適当にほぐし、
一晩漬けておいたイクラの醤油漬けがきれいにできた!(^^)!
それでイクラと筋この違いはなんなの…?と調べたら

…卵の成熟度がちがいます。筋子はまだ若いメスザケの
卵巣そのものなので、卵が未熟で柔らかです。
主に遠い沖合で獲れたサケから作られます。
漁の時期はちょうど今頃です。

イクラは産卵間近のメスザケの卵巣を使うので、
卵が成熟してぷりぷりになっています。
これは主に秋のサケ漁で獲られたサケから作られます…
という説明があった。ちょっと気持ちが悪いな~と思いながら
丁寧に膜を剥がし筋を取った。
この筋が残っていると生臭さが残るそうです。
見た目も味も立派なイクラです。


     
      

きれいな写真が撮れなかったのでネットからお借りしました<(_ _)>
明日の夕食はたっぷりイクラのようなものが食べられます!
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11月初めのよい日1日

2016-11-01 21:13:00 | ノンジャンル
今日から11月…朝夕はめっきり冷え込んできた。
友人と二人で奈良国立博物館で開催されている「第68回正倉院展」へ
行き、奈良の1日を楽しんできた。
第68回の今回は聖武天皇ゆかりの品、漆胡瓶(しっこへい)」が18年ぶりに
メイン展示として出展されるほか、聖武天皇一周忌の法会を飾った
大型の染織旗「大幡(だいばん)」、屏風、植物で編まれた繊細な箱など、
「ほ~」「凄いきれいなままで残ってるのね~」などなど感嘆の声ばかり…






漆胡瓶…漆を何回も重ね塗った上に螺鈿を…
約1250年前の技に驚く。中国、ペルシャからシルクロードを通り
伝わり、継承してきた大事な宝物を伝え続けていくことに
気が遠くなるほどの技術と根気のいる心意気が伝わり感謝の心が湧く。

緑の鉢は唐三彩の技術を元に日本で作り上げた二彩の鉢。
大きな幡は東大寺の建物より長い幡だという。
下の小さな鳥は、象牙を彫り彩色したもの…小指くらいの大きさかな~
細かい細工にびっくり!!!

凄く大勢の見学者で人の間から眺めたり、頭を突っ込んだり…
小さなmamaGONはこんな時に苦労する( 一一)

中国語で見学している人の姿も…我々が故宮に行くようなものかな~?

博物館の周りの公園も外人が鹿にせんべいをやる姿が多かった。

ランチのあとお土産屋さんなどうろうろして、3時から限定の
くずきりセットを食べに…


葛切りと葛餅、葛の干菓子とほうじ茶のセット(*^^)v

よい日本を感じられた奈良の一日だった!(^^)!
コメント (3)
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