23日、日曜日。午後から長女夫妻に「ゴッホ展」へ
連れてもらう。兵庫県立美術館で開催されている。
コロナウイルスが心配だが、マスクをして出かける。
3時過ぎに会場到着だったが、チケットを買うのに20分待ち。
入場券は前売りで買えるが、70歳以上の半額の券が
当日、証明をもっていかなくては買えないので並ぶ。
入場までも約1時間待ち…ぐるぐる回ってようやく入り口へ。
半数~60%の人がマスクをかけており、異様な雰囲気。
安藤忠雄氏の設計による会場だが、天井が高く、海が見渡せ
開放感のある美術館だが~少し不便なところも…
今回の展覧では、ゴッホの有名なひまわりや自画像がないが、
ゴッホが画家として活動していた、たった10年という
期間を通して、暗い貧しい人たちを描いていたゴッホが
いかにして私たちが知っている炎の画家 “フォン・ゴッホ ”と
なっていったのかに焦点をあてて、世界中から作品が
集められていた。
その中の1枚に和泉市の久保惣美術館蔵の「紡ぎ車を繰る女」の
1枚があり驚く。1884年ごろの作品。
この美術館はゴッホの絵を3点所蔵しているらしい。
また機会があれば見に行かなくては~
恵まれなかったゴッホを支えたのが弟のテオ。
テオがゴッホに貢いでいた金額は記録に残っているだけも
1800万円。おそらく総額は2000万円をくだらないと
いわれる。だけどテオは、お金を哀れな兄に恵んでいた
という訳ではなく、世界でただ一人兄ゴッホの才能を
信じていたのだということだ。
当時酷評されていた印象派の絵を、認めた最初の画商がテオだと
言われているので、テオは先見の明がある
優れた画商だったのだろう。
お金はあくまでも才能ある画家への援助であったのだろう。
ゴッホ展ではゴッホからテオに当てた658通の手紙の
一部内容を解説とともに提示していて、
ゴッホの当時の心境がうかがえるようになっている。
展覧会の最後にはこのような手紙の内容が…
「そうだ僕は絵に命をかけた。
そのために半ば正気でなくなっている
それも良いだろう」という1890年7月23日テオへの手紙がある。
ゴッホが死ぬ約1週間前に書かれた手紙だそうだ。
そんな弟、テオもゴッホの死後半年で亡くなる。
テオは息子にも(フィンセント)と名付ける。
『たゆたえども沈まず』原田マハ著を読み、映画「永遠の門」を
見たりして近頃ゴッホに、はまっているようだ(^_-)
明治20年代に浮世絵が評判になったパリにフランス語を
喋る日本人画商がいて、その画商たちとのゴッホとテオの
繋がりなどを描いた物語だが、苦悩するゴッホと支えるテオ、
そして日本人画商の2人のことなど分かりやすく書かれていた。
今回の展覧会の中でさわやかなこの絵が気になった。
少し色あせているらしいがピンクのバラらしい。
帰りに会場の前で…
夕食は宗右衛門町のうなぎ屋でうな重をごちそうになる。
コロナウイルスのせいか人通りもあまり多くないが、
それでも薬店やドンキホーテなどは中国語の呼び込み中だ。
ここではマスクは外せない~
ここのうまきがおいしい。手土産でいただいたことがある(^_-)
連れてもらう。兵庫県立美術館で開催されている。
コロナウイルスが心配だが、マスクをして出かける。
3時過ぎに会場到着だったが、チケットを買うのに20分待ち。
入場券は前売りで買えるが、70歳以上の半額の券が
当日、証明をもっていかなくては買えないので並ぶ。
入場までも約1時間待ち…ぐるぐる回ってようやく入り口へ。
半数~60%の人がマスクをかけており、異様な雰囲気。
安藤忠雄氏の設計による会場だが、天井が高く、海が見渡せ
開放感のある美術館だが~少し不便なところも…
今回の展覧では、ゴッホの有名なひまわりや自画像がないが、
ゴッホが画家として活動していた、たった10年という
期間を通して、暗い貧しい人たちを描いていたゴッホが
いかにして私たちが知っている炎の画家 “フォン・ゴッホ ”と
なっていったのかに焦点をあてて、世界中から作品が
集められていた。
その中の1枚に和泉市の久保惣美術館蔵の「紡ぎ車を繰る女」の
1枚があり驚く。1884年ごろの作品。
この美術館はゴッホの絵を3点所蔵しているらしい。
また機会があれば見に行かなくては~
恵まれなかったゴッホを支えたのが弟のテオ。
テオがゴッホに貢いでいた金額は記録に残っているだけも
1800万円。おそらく総額は2000万円をくだらないと
いわれる。だけどテオは、お金を哀れな兄に恵んでいた
という訳ではなく、世界でただ一人兄ゴッホの才能を
信じていたのだということだ。
当時酷評されていた印象派の絵を、認めた最初の画商がテオだと
言われているので、テオは先見の明がある
優れた画商だったのだろう。
お金はあくまでも才能ある画家への援助であったのだろう。
ゴッホ展ではゴッホからテオに当てた658通の手紙の
一部内容を解説とともに提示していて、
ゴッホの当時の心境がうかがえるようになっている。
展覧会の最後にはこのような手紙の内容が…
「そうだ僕は絵に命をかけた。
そのために半ば正気でなくなっている
それも良いだろう」という1890年7月23日テオへの手紙がある。
ゴッホが死ぬ約1週間前に書かれた手紙だそうだ。
そんな弟、テオもゴッホの死後半年で亡くなる。
テオは息子にも(フィンセント)と名付ける。
『たゆたえども沈まず』原田マハ著を読み、映画「永遠の門」を
見たりして近頃ゴッホに、はまっているようだ(^_-)
明治20年代に浮世絵が評判になったパリにフランス語を
喋る日本人画商がいて、その画商たちとのゴッホとテオの
繋がりなどを描いた物語だが、苦悩するゴッホと支えるテオ、
そして日本人画商の2人のことなど分かりやすく書かれていた。
今回の展覧会の中でさわやかなこの絵が気になった。
少し色あせているらしいがピンクのバラらしい。
帰りに会場の前で…
夕食は宗右衛門町のうなぎ屋でうな重をごちそうになる。
コロナウイルスのせいか人通りもあまり多くないが、
それでも薬店やドンキホーテなどは中国語の呼び込み中だ。
ここではマスクは外せない~
ここのうまきがおいしい。手土産でいただいたことがある(^_-)