朝8時湯の川温泉発…きちんと朝ぶろにも入る。
温泉は昨日の登別がよかったな~
町中の温泉地、湯の川から20分ばかりで函館へ。
函館朝市に連れていかれて、朝市の魚介類、カニなど
軒並みに並んでいるお店をぶらぶら~
毛ガニを2匹、鰊、シシャモなどゲット(^_-)
帰ってきて翌日に蟹を、その次の日に鰊とジャガイモを炊いて
食べる。この辺で買う鰊とは全く別物! 柔らかくて美味しかった~
残りの鰊ととシシャモは冷凍し、近いうちの楽しみ(*^^)v
近くの五稜閣タワーに登る。
緑がきれいでくっきりと星型の公園が見える。
タワーを下りて公園を散策。
近くにこんな公園があるといいな~と話しながら…
あれば歩かないかもしれないのに~
三枚目は昨夜行けなかった函館山をタワーから見たところ…
港町として江戸時代から開港した凾館は大きな都会だ。
五稜郭は江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地、
現在の北海道函館市郊外に建造された稜堡式の城郭である。
箱館戦争の土方歳三などテレビで見ましたね~
五稜郭は、箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の
移転先として築造された。
しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に
幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で
旧幕府軍に占領され、その本拠となった。その後、稜郭1部だけ残して
解体されのされた、函館の代表的な観光地であり、
市民の憩いの場となっているという。
30分ほどバスに乗り、トラピスチヌ修道院へ
小さな頃バター飴を土産にもらったな~と懐かしい(^_-)
聖テレジア像…青空に白い像…きれいでした。
なかなか教会全体を写せなくて画像はお借りしました<(_ _)>
この修道院は、明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が
設立した日本初の女子修道院。このトラピスチヌ修道院は、
1年を通して、毎朝3時半に起床し、祈り・読書・ミサ・労働・食事を
すべて共同で行い、夜は7時45分に就床。単純であるがゆえに完全な
自己奉献が要求される、囲いの中の生活をしながら奉仕生活を
送っているそうだ。 私にはとても無理(^_-)
カトリック信者であること、年齢は23歳くらいから35歳位までの
未婚の女性であること。教会の推薦と両親の承諾が必要で、
扶養すべき家族がないこと、共同生活にとけ込める性格があり、
何事にも忍耐強く献身的であること、心身共に健康であること…
条件が備えば受付もありました(*^^)v
年2回くらい面会もできるそうだが~
庭の手入れも行き届き、なんだか外国に来たような
雰囲気のすてきな修道院だった。
この後今日名古屋空港へ帰る人たちを函館空港まで送り、ベイエリアを
自由散策。夕方5時ころまで好きに使える時間で一時解散。
レンガの倉庫が並び、港が見える。
運河や川があるところから経済が発展する…大阪しかり、
先日行った倉敷もそうだし今回の函館も小樽も…
何かおいしいものを食べなくては~今日で終わりよね~と
ベイエリア内の回転寿司屋さんへ入る。ラーメンもいいけれどね~
回転すしといえども函館の回転すしはすごいよ(*^^)v
さてカロリーを消耗しに、昨日見損なった教会などを巡りに
元町への坂を上って歩く。街路樹のナナカマド…今日はきれい!
坂から見下ろす港もやはりはっきりしていて美しい景色だ。
この元町には東本願寺の大きな寺あり、船玉神社という神社あり、
ロシア正教の教会ハリスト教会、フランス系のカトリック元町教会、
イギリスの宣教師が建てた聖ヨハネ教会など…なんでもあり~
長い歴史の間に培われた風土というのだろうか?
カトリック元町教会、フランスの教会…これは昨日の夕方の画像。
今日内部を見せてもらえたら、祭壇はローマ法王15世から
送られたという貴重なものらしい。塔の上には風見鶏。
これも昨日の画像。太陽の中で見る緑の屋根と白い壁がきれいな
ハリスト教会。ロシア正教の教会。
これは昼の画像。庭の手入れをしている夫人がいた。
なかに小泉純一郎氏のポスターが…原発反対のポスターだった。
イギリスの宣教師が建てたという教会は素朴な感じ。
上から見ると十字架の形らしい。
他にも北海道屈指の豪商だった相馬邸、
その相馬氏寄贈の旧函館区公会堂など…ゆっくり見ればきりがない。
相馬邸宅は先の大原別邸のように屋久杉の天井板など豪華だが、
やはりどこか北の果てのお屋敷という感じ。
何処の土地にも豪商がおり、おしみなく地域に貢献をし、豪邸を
築いては文化を残していったという形があるものなんだと思う。
日本の東の果て北海道はいくらか日暮れが早いようだ。
日が暮れると急速に温度が下がり、港に面したここは風も冷たい。
よく遊んだ旅の終わりは函館空港から関空へ、17時45分発。
運よく窓際の席になり、昨夜見損ねた函館の夜景を
飛行機から見れた(*^^)v
終わりよければすべてよし…いい旅だったヽ(^o^)丿
温泉は昨日の登別がよかったな~
町中の温泉地、湯の川から20分ばかりで函館へ。
函館朝市に連れていかれて、朝市の魚介類、カニなど
軒並みに並んでいるお店をぶらぶら~
毛ガニを2匹、鰊、シシャモなどゲット(^_-)
帰ってきて翌日に蟹を、その次の日に鰊とジャガイモを炊いて
食べる。この辺で買う鰊とは全く別物! 柔らかくて美味しかった~
残りの鰊ととシシャモは冷凍し、近いうちの楽しみ(*^^)v
近くの五稜閣タワーに登る。
緑がきれいでくっきりと星型の公園が見える。
タワーを下りて公園を散策。
近くにこんな公園があるといいな~と話しながら…
あれば歩かないかもしれないのに~
三枚目は昨夜行けなかった函館山をタワーから見たところ…
港町として江戸時代から開港した凾館は大きな都会だ。
五稜郭は江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地、
現在の北海道函館市郊外に建造された稜堡式の城郭である。
箱館戦争の土方歳三などテレビで見ましたね~
五稜郭は、箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の
移転先として築造された。
しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に
幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で
旧幕府軍に占領され、その本拠となった。その後、稜郭1部だけ残して
解体されのされた、函館の代表的な観光地であり、
市民の憩いの場となっているという。
30分ほどバスに乗り、トラピスチヌ修道院へ
小さな頃バター飴を土産にもらったな~と懐かしい(^_-)
聖テレジア像…青空に白い像…きれいでした。
なかなか教会全体を写せなくて画像はお借りしました<(_ _)>
この修道院は、明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が
設立した日本初の女子修道院。このトラピスチヌ修道院は、
1年を通して、毎朝3時半に起床し、祈り・読書・ミサ・労働・食事を
すべて共同で行い、夜は7時45分に就床。単純であるがゆえに完全な
自己奉献が要求される、囲いの中の生活をしながら奉仕生活を
送っているそうだ。 私にはとても無理(^_-)
カトリック信者であること、年齢は23歳くらいから35歳位までの
未婚の女性であること。教会の推薦と両親の承諾が必要で、
扶養すべき家族がないこと、共同生活にとけ込める性格があり、
何事にも忍耐強く献身的であること、心身共に健康であること…
条件が備えば受付もありました(*^^)v
年2回くらい面会もできるそうだが~
庭の手入れも行き届き、なんだか外国に来たような
雰囲気のすてきな修道院だった。
この後今日名古屋空港へ帰る人たちを函館空港まで送り、ベイエリアを
自由散策。夕方5時ころまで好きに使える時間で一時解散。
レンガの倉庫が並び、港が見える。
運河や川があるところから経済が発展する…大阪しかり、
先日行った倉敷もそうだし今回の函館も小樽も…
何かおいしいものを食べなくては~今日で終わりよね~と
ベイエリア内の回転寿司屋さんへ入る。ラーメンもいいけれどね~
回転すしといえども函館の回転すしはすごいよ(*^^)v
さてカロリーを消耗しに、昨日見損なった教会などを巡りに
元町への坂を上って歩く。街路樹のナナカマド…今日はきれい!
坂から見下ろす港もやはりはっきりしていて美しい景色だ。
この元町には東本願寺の大きな寺あり、船玉神社という神社あり、
ロシア正教の教会ハリスト教会、フランス系のカトリック元町教会、
イギリスの宣教師が建てた聖ヨハネ教会など…なんでもあり~
長い歴史の間に培われた風土というのだろうか?
カトリック元町教会、フランスの教会…これは昨日の夕方の画像。
今日内部を見せてもらえたら、祭壇はローマ法王15世から
送られたという貴重なものらしい。塔の上には風見鶏。
これも昨日の画像。太陽の中で見る緑の屋根と白い壁がきれいな
ハリスト教会。ロシア正教の教会。
これは昼の画像。庭の手入れをしている夫人がいた。
なかに小泉純一郎氏のポスターが…原発反対のポスターだった。
イギリスの宣教師が建てたという教会は素朴な感じ。
上から見ると十字架の形らしい。
他にも北海道屈指の豪商だった相馬邸、
その相馬氏寄贈の旧函館区公会堂など…ゆっくり見ればきりがない。
相馬邸宅は先の大原別邸のように屋久杉の天井板など豪華だが、
やはりどこか北の果てのお屋敷という感じ。
何処の土地にも豪商がおり、おしみなく地域に貢献をし、豪邸を
築いては文化を残していったという形があるものなんだと思う。
日本の東の果て北海道はいくらか日暮れが早いようだ。
日が暮れると急速に温度が下がり、港に面したここは風も冷たい。
よく遊んだ旅の終わりは函館空港から関空へ、17時45分発。
運よく窓際の席になり、昨夜見損ねた函館の夜景を
飛行機から見れた(*^^)v
終わりよければすべてよし…いい旅だったヽ(^o^)丿