26日、朝5時半過ぎ起床。身支度を整えいっぱい着込んで準備!
コートの上に白衣を着てもOKだというから、持っているものを
みんな着込む(^_-)-☆
大師堂に行くともう前の方に座って待っている人たちがいる。
昨夜の宿泊者はみんなで20人位だということだろうか。
先導されてお坊さんが5人入場。管長さんは出張だということで
正面の高座に座られたのは副管長さんだろうか…?
正座をしたり、椅子をお借りしたり…足元が冷えてくるのが分かる(;一_一)
お勤めは、般若心経、ご真言、国宝か重文の錫杖をジャランと鳴らして
参拝者のみんなへお加持をしてくれる。
その後地下の戒壇院巡りをし、朝食。簡単な和定食というところ。
7時半宿坊出発。この辺りはお寺とお寺の距離が近いので、
今日は7ヶ寺参拝の予定…頑張らなくっては…(^_-)-☆
30分ばかりで別格16番、萩原寺到着。
香川県内有数の萩の名所であるという。境内に約2000株の萩が
植えてあり「萩寺」とも呼ばれているそうだ。
雲辺寺ロープウェイという標識も道の途中見かける…
先月、靄に煙る讃岐平野を見下ろした長いロープウェイだ。
江戸時代初期のものと言われる仁王門。
続いて68番札所神恵院(じんねいん)へ
観音寺市には、財田川が流れている。この川の向こうが神恵院で
琴弾山東例の山麓にある。
短い石段を上ると、仁王門があり、向かって右には、68番、
次の札所の69番観音寺も同じ敷地にあるわけで、一山にニヶ寺あるのは、
四国霊場中ここだけである。納経も1ヶ所で2ケ寺の朱印がもらえるらしい。
68番神恵院は本堂が新しく、鉄筋コンクリートの門をくぐってはいる。
入って直ぐの頭の上には豪華な垂れ飾りが・・・
69番観音寺本堂も大師堂も朱塗りの素朴な建物だった。
琴弾山公園内にある有明浜の海岸に、東西122m、南北90m、
周囲345mの巨大な砂絵があるのは先月も書き込みをしたが、
今回は歩いてそれを見るために少し寄り道をすることに…
時代劇の映像にも使われた観音寺市のシンボル的存在で、寛永通宝の砂絵。
寛永10年(1633年)、藩主、生駒高俊の領内巡視を歓迎、
もてなしをするため領民が一夜でつくったと伝わる。
青い海、砂浜、松原…揃ってとてもきれいに見えた。
毎年1年に1回地元の人たちが手入れをしているそうだ。
朝が早かったので11時ころ、70番札所本山寺到着。
財田川北岸にあって、単調な田園風景の中に遠くからでも
境内にある五重塔がくっきりと見える。
本堂は一重の本瓦葦きの重厚な建物で、国宝だという。
五重の塔は善通寺のものより少し小振りだが、風格があった。
71番札所、弥谷寺(いやだにじ)へ。寺は標高382mの弥谷山の
中腹にあり、三つの峰からなっているので三乗の峰といわれ、
死者の霊が行く山として信じられているという。うっそうとした雰囲気。
四国、中国地方の8国が眺望できたことから、蓮華山八国寺と名付けたのが
始まりで弘法大師が8歳から133歳までこの岩屋で勉学に励み
修行された場所でもあるらしい。山門を入るとお大師様が立っておられる。
階段を260で金剛拳大菩薩、更に108段で大師堂、更に170段で本堂。
難所と言われるこの札所。ふもとに俳句茶屋と呼ばれる茶屋があり、
屋内には短冊がいっぱい下げられてある。短冊はくれるので誰でも
いつでも投稿できるらしい。
大師堂も本堂と同じように岩壁に埋め込まれたように建っていて、
大師堂内でのお経は、畳の間で座って唱えた。その間は正座に耐えれたから
膝の故障も順調に回復していることを実感した(*^_^*)
近くの岩壁には阿弥陀三尊など多くの仏が刻まれており、
これらも大師が刻んだものと伝えられている。
大師堂の奥に、獅子が口を開いた形の獅子の岩屋と呼ばれる岩窟がある。
獅子の遠吠えは仏の説法と同じものと考えられていることから
この名がついたらしい。
中には大師像と阿弥陀如来像、弥勒菩薩像などが祀られている。
机のような本棚のような雰囲気のものが掘られてある。
床の間のような形の中にこんな掛け軸のような…でも石または土製のものか…
岩屋の中は不思議なものがいっぱいあり、何となく神秘的!
帰り道、先の俳句茶屋でIさんが草餅大福を買ってお接待してくれるが、
お昼前なので添乗員さんにお預け(^_-)-☆
12時15分頃、バスで山を下り鳥坂という国道11号線との交差点に出る。
ここで先達さんが急いでバスを降り向かった先は、
昔からあるらしい「鳥坂餅」という名の小さなお店…
少し酒饅頭のような、作りたての暖かい小ぶりな饅頭を買ってきてくれる!
食前酒ならぬ食前饅頭だと2個づつ頂き、ペロリとお腹へ…(^_-)-☆
バスで善通寺市に戻り、12時半過ぎに昼食場所へ。
創業は明治、乃木将軍が食事をした店としても有名らしい。
籠に盛られたきれいな昼食(^_-)-☆
温かいものは温かく出してもらえて美味しかった(*^_^*)
でもさすがご飯は半分残してしまう。鳥坂饅頭ぶんです。ごめんなさい( 一一)
1時半出発、72番札所曼荼羅寺へ40分に到着。
蔓茶羅寺はまわりに田んぽが点在する閑静な地域にある。
山門をくぐると小さい石橋があって、正面に本堂、左手に大師堂と鐘楼がある。
直ぐに目につくのが大きな鬼瓦。本堂の屋根の瓦を展示してあるらしい。
ずいぶん立派だ。この寺は大師の祖先である佐伯氏の氏寺だったそうで、
母親の菩提寺としたという古刹だというから鬼瓦の大きさにも納得(^_-)-☆
建立された当時は、寺名を世坂寺と称していた。802年に大師が唐から
持ち帰った金剛界、胎蔵界の蔓茶羅を安置し、寺名を蔓茶羅寺と
改めたらしい。諸国を行脚した漂泊の歌人、西行が滞在していた西行庵は、
寺の近くにあるという。
それにしては大師堂は素朴な感じでホッとした雰囲気。
境内には寺の名前を改めた時に植えたという大きな傘の形をした松があった
らしいが近年松くい虫にやられて枯れたという。
その松の幹で刻んだ「笠松大師」がその位置に祀られている。
長い1日…これで今月のお参りのお終いという73番札所出釈迦寺へ。
10分ほどのところなので歩く。のんびりとミカン畑などを眺めて…
何と平和だな~静かな海、青空、畑を眺めながら、いろんな災害に
会われた人達のことをふと思い、少し後ろめたさを感じながらブラブラ歩く。
手前のミカンは文旦かな~
7歳の大師は、「仏門に入って救世の大誓願を立てようと倭斬濃(わしの)山の
山頂に立ち、仏門に入って多くの人々を救いたい…この願いが叶うならば
釈迦如来よ現れたまえ…もし、願いが叶わぬならば、一命を捨ててこの身を
諸仏に捧げる」と願掛け、断崖絶壁に身を投げた。
落下していく大師に、蓮華の花に座した釈迦如来と羽衣をたなびかせた天女が
現れ、雲上で大師を抱きとめ、「一生成仏」の旨を告げたという。
願いが成就することを示された大師は感激し、後に釈迦如来の像を刻み、
これを本尊として堂宇を建てて出釈迦寺とした。
このときに倭斬濃山も我拝師山(がはいしざん)に改めたと言われている。
7歳の子供ですよ~すごいんだね~弘法大師さんは…
小高いところにあり捨て身が嶽を望める山門。
大師堂にて今日の夕べのお勤めを兼ねてお参りをする。
駐車場まで10分ばかり歩いてバスへ。
今回は10ヶ寺のお参りがあり、帰って来てからの整理に頭が
混乱している(^_-)-☆
間違えたことをかきこんでいるかもしれない(^_-)-☆
昨夜の善通寺宿坊から忘れものがあると連絡をくれ、同室の1人が
ネックレスを忘れていたが、本人も全くそのことを気付かずにいたみたい。
帰りの途中にそれを取りに立ち寄るなど、このツアーのきめの細かさだ!
3時、高松道に乗り、ほんの15分ほどで瀬戸大橋。与島に立ち寄るという。
開通時の賑やかさがなく、与島のフィッシャーマンズ・ワーフは11月末で
閉店するらしい。最後の姿を見に立ち寄るが、わびしいものだ。
夕日に美しい北備讃瀬戸大橋 与島と坂出市番ノ州の間3、2kmを
南備讃瀬戸大橋とともに結ぶ吊橋。この海域は国際航路にあたる瀬戸内海の
主要航路で大型船の往来が最も激しいところであるため、橋台や橋脚は
できるかぎり三子島の付近に集めてある。また橋桁の高さは海面から
65mもあり、世界最大といわれる50万トン級の大型船がゆうゆうと
通過できる高さを誇っているという。
全長は1611m 中央支間長990mケーブルの直径は101cmです。
子供たちと高知へ車で行き、帰りがけにできて間もないこの与島に寄った
思い出がある。その時の見たケーブルの実物大があるはずだと思い、
探したら…あった(^_-)-☆
当時は息子も感動して触ったものである。
そんなちょっとした感傷も蘇ったが、いよいよ帰路へ!
「食う会」の再開(^_-)-☆ たっぷり食べてしばらくはお休みタイム(^_-)-☆
渋滞に会ったり事故渋滞にも出会ったりしながらも運転手さんの機転で
あちこちへ道を変え、予定より30分くらい遅れて梅田到着。
長い長い二日間でした。お疲れ様<m(__)m>
コートの上に白衣を着てもOKだというから、持っているものを
みんな着込む(^_-)-☆
大師堂に行くともう前の方に座って待っている人たちがいる。
昨夜の宿泊者はみんなで20人位だということだろうか。
先導されてお坊さんが5人入場。管長さんは出張だということで
正面の高座に座られたのは副管長さんだろうか…?
正座をしたり、椅子をお借りしたり…足元が冷えてくるのが分かる(;一_一)
お勤めは、般若心経、ご真言、国宝か重文の錫杖をジャランと鳴らして
参拝者のみんなへお加持をしてくれる。
その後地下の戒壇院巡りをし、朝食。簡単な和定食というところ。
7時半宿坊出発。この辺りはお寺とお寺の距離が近いので、
今日は7ヶ寺参拝の予定…頑張らなくっては…(^_-)-☆
30分ばかりで別格16番、萩原寺到着。
香川県内有数の萩の名所であるという。境内に約2000株の萩が
植えてあり「萩寺」とも呼ばれているそうだ。
雲辺寺ロープウェイという標識も道の途中見かける…
先月、靄に煙る讃岐平野を見下ろした長いロープウェイだ。
江戸時代初期のものと言われる仁王門。
続いて68番札所神恵院(じんねいん)へ
観音寺市には、財田川が流れている。この川の向こうが神恵院で
琴弾山東例の山麓にある。
短い石段を上ると、仁王門があり、向かって右には、68番、
次の札所の69番観音寺も同じ敷地にあるわけで、一山にニヶ寺あるのは、
四国霊場中ここだけである。納経も1ヶ所で2ケ寺の朱印がもらえるらしい。
68番神恵院は本堂が新しく、鉄筋コンクリートの門をくぐってはいる。
入って直ぐの頭の上には豪華な垂れ飾りが・・・
69番観音寺本堂も大師堂も朱塗りの素朴な建物だった。
琴弾山公園内にある有明浜の海岸に、東西122m、南北90m、
周囲345mの巨大な砂絵があるのは先月も書き込みをしたが、
今回は歩いてそれを見るために少し寄り道をすることに…
時代劇の映像にも使われた観音寺市のシンボル的存在で、寛永通宝の砂絵。
寛永10年(1633年)、藩主、生駒高俊の領内巡視を歓迎、
もてなしをするため領民が一夜でつくったと伝わる。
青い海、砂浜、松原…揃ってとてもきれいに見えた。
毎年1年に1回地元の人たちが手入れをしているそうだ。
朝が早かったので11時ころ、70番札所本山寺到着。
財田川北岸にあって、単調な田園風景の中に遠くからでも
境内にある五重塔がくっきりと見える。
本堂は一重の本瓦葦きの重厚な建物で、国宝だという。
五重の塔は善通寺のものより少し小振りだが、風格があった。
71番札所、弥谷寺(いやだにじ)へ。寺は標高382mの弥谷山の
中腹にあり、三つの峰からなっているので三乗の峰といわれ、
死者の霊が行く山として信じられているという。うっそうとした雰囲気。
四国、中国地方の8国が眺望できたことから、蓮華山八国寺と名付けたのが
始まりで弘法大師が8歳から133歳までこの岩屋で勉学に励み
修行された場所でもあるらしい。山門を入るとお大師様が立っておられる。
階段を260で金剛拳大菩薩、更に108段で大師堂、更に170段で本堂。
難所と言われるこの札所。ふもとに俳句茶屋と呼ばれる茶屋があり、
屋内には短冊がいっぱい下げられてある。短冊はくれるので誰でも
いつでも投稿できるらしい。
大師堂も本堂と同じように岩壁に埋め込まれたように建っていて、
大師堂内でのお経は、畳の間で座って唱えた。その間は正座に耐えれたから
膝の故障も順調に回復していることを実感した(*^_^*)
近くの岩壁には阿弥陀三尊など多くの仏が刻まれており、
これらも大師が刻んだものと伝えられている。
大師堂の奥に、獅子が口を開いた形の獅子の岩屋と呼ばれる岩窟がある。
獅子の遠吠えは仏の説法と同じものと考えられていることから
この名がついたらしい。
中には大師像と阿弥陀如来像、弥勒菩薩像などが祀られている。
机のような本棚のような雰囲気のものが掘られてある。
床の間のような形の中にこんな掛け軸のような…でも石または土製のものか…
岩屋の中は不思議なものがいっぱいあり、何となく神秘的!
帰り道、先の俳句茶屋でIさんが草餅大福を買ってお接待してくれるが、
お昼前なので添乗員さんにお預け(^_-)-☆
12時15分頃、バスで山を下り鳥坂という国道11号線との交差点に出る。
ここで先達さんが急いでバスを降り向かった先は、
昔からあるらしい「鳥坂餅」という名の小さなお店…
少し酒饅頭のような、作りたての暖かい小ぶりな饅頭を買ってきてくれる!
食前酒ならぬ食前饅頭だと2個づつ頂き、ペロリとお腹へ…(^_-)-☆
バスで善通寺市に戻り、12時半過ぎに昼食場所へ。
創業は明治、乃木将軍が食事をした店としても有名らしい。
籠に盛られたきれいな昼食(^_-)-☆
温かいものは温かく出してもらえて美味しかった(*^_^*)
でもさすがご飯は半分残してしまう。鳥坂饅頭ぶんです。ごめんなさい( 一一)
1時半出発、72番札所曼荼羅寺へ40分に到着。
蔓茶羅寺はまわりに田んぽが点在する閑静な地域にある。
山門をくぐると小さい石橋があって、正面に本堂、左手に大師堂と鐘楼がある。
直ぐに目につくのが大きな鬼瓦。本堂の屋根の瓦を展示してあるらしい。
ずいぶん立派だ。この寺は大師の祖先である佐伯氏の氏寺だったそうで、
母親の菩提寺としたという古刹だというから鬼瓦の大きさにも納得(^_-)-☆
建立された当時は、寺名を世坂寺と称していた。802年に大師が唐から
持ち帰った金剛界、胎蔵界の蔓茶羅を安置し、寺名を蔓茶羅寺と
改めたらしい。諸国を行脚した漂泊の歌人、西行が滞在していた西行庵は、
寺の近くにあるという。
それにしては大師堂は素朴な感じでホッとした雰囲気。
境内には寺の名前を改めた時に植えたという大きな傘の形をした松があった
らしいが近年松くい虫にやられて枯れたという。
その松の幹で刻んだ「笠松大師」がその位置に祀られている。
長い1日…これで今月のお参りのお終いという73番札所出釈迦寺へ。
10分ほどのところなので歩く。のんびりとミカン畑などを眺めて…
何と平和だな~静かな海、青空、畑を眺めながら、いろんな災害に
会われた人達のことをふと思い、少し後ろめたさを感じながらブラブラ歩く。
手前のミカンは文旦かな~
7歳の大師は、「仏門に入って救世の大誓願を立てようと倭斬濃(わしの)山の
山頂に立ち、仏門に入って多くの人々を救いたい…この願いが叶うならば
釈迦如来よ現れたまえ…もし、願いが叶わぬならば、一命を捨ててこの身を
諸仏に捧げる」と願掛け、断崖絶壁に身を投げた。
落下していく大師に、蓮華の花に座した釈迦如来と羽衣をたなびかせた天女が
現れ、雲上で大師を抱きとめ、「一生成仏」の旨を告げたという。
願いが成就することを示された大師は感激し、後に釈迦如来の像を刻み、
これを本尊として堂宇を建てて出釈迦寺とした。
このときに倭斬濃山も我拝師山(がはいしざん)に改めたと言われている。
7歳の子供ですよ~すごいんだね~弘法大師さんは…
小高いところにあり捨て身が嶽を望める山門。
大師堂にて今日の夕べのお勤めを兼ねてお参りをする。
駐車場まで10分ばかり歩いてバスへ。
今回は10ヶ寺のお参りがあり、帰って来てからの整理に頭が
混乱している(^_-)-☆
間違えたことをかきこんでいるかもしれない(^_-)-☆
昨夜の善通寺宿坊から忘れものがあると連絡をくれ、同室の1人が
ネックレスを忘れていたが、本人も全くそのことを気付かずにいたみたい。
帰りの途中にそれを取りに立ち寄るなど、このツアーのきめの細かさだ!
3時、高松道に乗り、ほんの15分ほどで瀬戸大橋。与島に立ち寄るという。
開通時の賑やかさがなく、与島のフィッシャーマンズ・ワーフは11月末で
閉店するらしい。最後の姿を見に立ち寄るが、わびしいものだ。
夕日に美しい北備讃瀬戸大橋 与島と坂出市番ノ州の間3、2kmを
南備讃瀬戸大橋とともに結ぶ吊橋。この海域は国際航路にあたる瀬戸内海の
主要航路で大型船の往来が最も激しいところであるため、橋台や橋脚は
できるかぎり三子島の付近に集めてある。また橋桁の高さは海面から
65mもあり、世界最大といわれる50万トン級の大型船がゆうゆうと
通過できる高さを誇っているという。
全長は1611m 中央支間長990mケーブルの直径は101cmです。
子供たちと高知へ車で行き、帰りがけにできて間もないこの与島に寄った
思い出がある。その時の見たケーブルの実物大があるはずだと思い、
探したら…あった(^_-)-☆
当時は息子も感動して触ったものである。
そんなちょっとした感傷も蘇ったが、いよいよ帰路へ!
「食う会」の再開(^_-)-☆ たっぷり食べてしばらくはお休みタイム(^_-)-☆
渋滞に会ったり事故渋滞にも出会ったりしながらも運転手さんの機転で
あちこちへ道を変え、予定より30分くらい遅れて梅田到着。
長い長い二日間でした。お疲れ様<m(__)m>