赤い椅子

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四国88ヶ所巡り 第13回 2日目 

2011-11-30 17:38:00 | ノンジャンル
26日、朝5時半過ぎ起床。身支度を整えいっぱい着込んで準備!
コートの上に白衣を着てもOKだというから、持っているものを
みんな着込む(^_-)-☆
大師堂に行くともう前の方に座って待っている人たちがいる。
昨夜の宿泊者はみんなで20人位だということだろうか。
先導されてお坊さんが5人入場。管長さんは出張だということで
正面の高座に座られたのは副管長さんだろうか…?
正座をしたり、椅子をお借りしたり…足元が冷えてくるのが分かる(;一_一)

お勤めは、般若心経、ご真言、国宝か重文の錫杖をジャランと鳴らして
参拝者のみんなへお加持をしてくれる。
その後地下の戒壇院巡りをし、朝食。簡単な和定食というところ。

7時半宿坊出発。この辺りはお寺とお寺の距離が近いので、
今日は7ヶ寺参拝の予定…頑張らなくっては…(^_-)-☆
30分ばかりで別格16番、萩原寺到着。
香川県内有数の萩の名所であるという。境内に約2000株の萩が
植えてあり「萩寺」とも呼ばれているそうだ。
雲辺寺ロープウェイという標識も道の途中見かける…
先月、靄に煙る讃岐平野を見下ろした長いロープウェイだ。




江戸時代初期のものと言われる仁王門。
続いて68番札所神恵院(じんねいん)へ
観音寺市には、財田川が流れている。この川の向こうが神恵院で
琴弾山東例の山麓にある。
短い石段を上ると、仁王門があり、向かって右には、68番、
次の札所の69番観音寺も同じ敷地にあるわけで、一山にニヶ寺あるのは、
四国霊場中ここだけである。納経も1ヶ所で2ケ寺の朱印がもらえるらしい。




68番神恵院は本堂が新しく、鉄筋コンクリートの門をくぐってはいる。



入って直ぐの頭の上には豪華な垂れ飾りが・・・


69番観音寺本堂も大師堂も朱塗りの素朴な建物だった。




琴弾山公園内にある有明浜の海岸に、東西122m、南北90m、
周囲345mの巨大な砂絵があるのは先月も書き込みをしたが、
今回は歩いてそれを見るために少し寄り道をすることに…

時代劇の映像にも使われた観音寺市のシンボル的存在で、寛永通宝の砂絵。
寛永10年(1633年)、藩主、生駒高俊の領内巡視を歓迎、
もてなしをするため領民が一夜でつくったと伝わる。
青い海、砂浜、松原…揃ってとてもきれいに見えた。
毎年1年に1回地元の人たちが手入れをしているそうだ。



朝が早かったので11時ころ、70番札所本山寺到着。

財田川北岸にあって、単調な田園風景の中に遠くからでも
境内にある五重塔がくっきりと見える。
本堂は一重の本瓦葦きの重厚な建物で、国宝だという。
五重の塔は善通寺のものより少し小振りだが、風格があった。





71番札所、弥谷寺(いやだにじ)へ。寺は標高382mの弥谷山の
中腹にあり、三つの峰からなっているので三乗の峰といわれ、
死者の霊が行く山として信じられているという。うっそうとした雰囲気。
四国、中国地方の8国が眺望できたことから、蓮華山八国寺と名付けたのが
始まりで弘法大師が8歳から133歳までこの岩屋で勉学に励み
修行された場所でもあるらしい。山門を入るとお大師様が立っておられる。



階段を260で金剛拳大菩薩、更に108段で大師堂、更に170段で本堂。
難所と言われるこの札所。ふもとに俳句茶屋と呼ばれる茶屋があり、
屋内には短冊がいっぱい下げられてある。短冊はくれるので誰でも
いつでも投稿できるらしい。


大師堂も本堂と同じように岩壁に埋め込まれたように建っていて、
大師堂内でのお経は、畳の間で座って唱えた。その間は正座に耐えれたから
膝の故障も順調に回復していることを実感した(*^_^*)



近くの岩壁には阿弥陀三尊など多くの仏が刻まれており、
これらも大師が刻んだものと伝えられている。


大師堂の奥に、獅子が口を開いた形の獅子の岩屋と呼ばれる岩窟がある。
獅子の遠吠えは仏の説法と同じものと考えられていることから
この名がついたらしい。
中には大師像と阿弥陀如来像、弥勒菩薩像などが祀られている。
机のような本棚のような雰囲気のものが掘られてある。
床の間のような形の中にこんな掛け軸のような…でも石または土製のものか…
岩屋の中は不思議なものがいっぱいあり、何となく神秘的!



帰り道、先の俳句茶屋でIさんが草餅大福を買ってお接待してくれるが、
お昼前なので添乗員さんにお預け(^_-)-☆

12時15分頃、バスで山を下り鳥坂という国道11号線との交差点に出る。
ここで先達さんが急いでバスを降り向かった先は、
昔からあるらしい「鳥坂餅」という名の小さなお店…
少し酒饅頭のような、作りたての暖かい小ぶりな饅頭を買ってきてくれる!
食前酒ならぬ食前饅頭だと2個づつ頂き、ペロリとお腹へ…(^_-)-☆

バスで善通寺市に戻り、12時半過ぎに昼食場所へ。
創業は明治、乃木将軍が食事をした店としても有名らしい。
籠に盛られたきれいな昼食(^_-)-☆


温かいものは温かく出してもらえて美味しかった(*^_^*)
でもさすがご飯は半分残してしまう。鳥坂饅頭ぶんです。ごめんなさい( 一一)

1時半出発、72番札所曼荼羅寺へ40分に到着。
蔓茶羅寺はまわりに田んぽが点在する閑静な地域にある。
山門をくぐると小さい石橋があって、正面に本堂、左手に大師堂と鐘楼がある。



直ぐに目につくのが大きな鬼瓦。本堂の屋根の瓦を展示してあるらしい。
ずいぶん立派だ。この寺は大師の祖先である佐伯氏の氏寺だったそうで、
母親の菩提寺としたという古刹だというから鬼瓦の大きさにも納得(^_-)-☆
建立された当時は、寺名を世坂寺と称していた。802年に大師が唐から
持ち帰った金剛界、胎蔵界の蔓茶羅を安置し、寺名を蔓茶羅寺と
改めたらしい。諸国を行脚した漂泊の歌人、西行が滞在していた西行庵は、
寺の近くにあるという。

それにしては大師堂は素朴な感じでホッとした雰囲気。


境内には寺の名前を改めた時に植えたという大きな傘の形をした松があった
らしいが近年松くい虫にやられて枯れたという。
その松の幹で刻んだ「笠松大師」がその位置に祀られている。



長い1日…これで今月のお参りのお終いという73番札所出釈迦寺へ。
10分ほどのところなので歩く。のんびりとミカン畑などを眺めて…
何と平和だな~静かな海、青空、畑を眺めながら、いろんな災害に
会われた人達のことをふと思い、少し後ろめたさを感じながらブラブラ歩く。


手前のミカンは文旦かな~

7歳の大師は、「仏門に入って救世の大誓願を立てようと倭斬濃(わしの)山の
山頂に立ち、仏門に入って多くの人々を救いたい…この願いが叶うならば
釈迦如来よ現れたまえ…もし、願いが叶わぬならば、一命を捨ててこの身を
諸仏に捧げる」と願掛け、断崖絶壁に身を投げた。
落下していく大師に、蓮華の花に座した釈迦如来と羽衣をたなびかせた天女が
現れ、雲上で大師を抱きとめ、「一生成仏」の旨を告げたという。
願いが成就することを示された大師は感激し、後に釈迦如来の像を刻み、
これを本尊として堂宇を建てて出釈迦寺とした。
このときに倭斬濃山も我拝師山(がはいしざん)に改めたと言われている。
7歳の子供ですよ~すごいんだね~弘法大師さんは…
小高いところにあり捨て身が嶽を望める山門。



大師堂にて今日の夕べのお勤めを兼ねてお参りをする。


駐車場まで10分ばかり歩いてバスへ。
今回は10ヶ寺のお参りがあり、帰って来てからの整理に頭が
混乱している(^_-)-☆
間違えたことをかきこんでいるかもしれない(^_-)-☆

昨夜の善通寺宿坊から忘れものがあると連絡をくれ、同室の1人が
ネックレスを忘れていたが、本人も全くそのことを気付かずにいたみたい。
帰りの途中にそれを取りに立ち寄るなど、このツアーのきめの細かさだ!

3時、高松道に乗り、ほんの15分ほどで瀬戸大橋。与島に立ち寄るという。
開通時の賑やかさがなく、与島のフィッシャーマンズ・ワーフは11月末で
閉店するらしい。最後の姿を見に立ち寄るが、わびしいものだ。



夕日に美しい北備讃瀬戸大橋  与島と坂出市番ノ州の間3、2kmを
南備讃瀬戸大橋とともに結ぶ吊橋。この海域は国際航路にあたる瀬戸内海の
主要航路で大型船の往来が最も激しいところであるため、橋台や橋脚は
できるかぎり三子島の付近に集めてある。また橋桁の高さは海面から
65mもあり、世界最大といわれる50万トン級の大型船がゆうゆうと
通過できる高さを誇っているという。
全長は1611m 中央支間長990mケーブルの直径は101cmです。

子供たちと高知へ車で行き、帰りがけにできて間もないこの与島に寄った
思い出がある。その時の見たケーブルの実物大があるはずだと思い、
探したら…あった(^_-)-☆
当時は息子も感動して触ったものである。


そんなちょっとした感傷も蘇ったが、いよいよ帰路へ!
「食う会」の再開(^_-)-☆ たっぷり食べてしばらくはお休みタイム(^_-)-☆
渋滞に会ったり事故渋滞にも出会ったりしながらも運転手さんの機転で
あちこちへ道を変え、予定より30分くらい遅れて梅田到着。
長い長い二日間でした。お疲れ様<m(__)m>
コメント (4)
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四国88ヶ所巡り 第13回 1日目

2011-11-28 22:10:00 | ノンジャンル
爽やかな秋晴れの25日、13回目のお遍路の旅に出発。
9月、10月の遍路はあいにくの雨に会い、そこそこに過ぎた…と
いう感じが免れなかったが、今回は願ってもない好天に恵まれた(^^♪

ツアーの常連12人と先達、添乗員、運転手さんの15人グループで、
定刻8時に梅田を出発。
最初のトイレ休憩はいつもの淡路ハイウェイオアシスで…



明石海峡大橋、高松道と順調に走る。途中の山の紅葉は
期待したほどではなく、ぼちぼち…という感じだが、何といっても
海は静かだし、空は澄んでいるし…

このお遍路は以前にも言ったが「食う会」を兼ねている(^_-)-☆
バスの退屈まぎれに、梅田で和菓子屋さんを営むMさんが「秋の山」
「初霜」という銘の上生菓子を2個ずつお接待だと持ってきてくれる。
色合いもきれいだしお上品な味の生菓子…
もうたまらなく美味しかった(*^_^*)
他にも吊るし柿の里から買ってきたあんぽ柿、沖縄土産のちんすこう、
その他次々に周ってきて嬉しい悲鳴(^^♪
12時少し前、まんのう町で讃岐うどんの昼食を取る。

消費者参加型…という触れ込みで、要するにうどんに入れる大根おろしを
自分で摺ることになっている(^_-)-☆


醤油うどんにおでん2串、いなり寿司付きである(@_@;)
おでんは好きな2串、こんにゃくと大根を取ったが、大根がたっぷり!
それもそのはず…
客のすり残した大根が幾らでも溜まるので再利用ということだ!



うどんは腰があり美味しいのだが、この時期は暖かいうどんがよかったな~
大根の辛みが醤油うどんにあっているが、何と辛い大根であったことか!
特大のお稲荷さんは食べきれず半分残すことに…

1時頃、今日のはじめのお参り別格17番の神野寺(かんのじ)へ
日本一大きなため池、満濃池の北西岸にあり、山門はなく、
参道を歩くと本堂がある。大師堂は無く本堂向かって左の階段を上がると
像の高さ3.3mの弘法大師銅像が満濃池を見下ろすように立っている。

平安時代前期の821年、空海が嵯峨天皇の勅命により満濃池の修復を
行ったさい、池の守護として建立したという。




周囲約20km、貯水量1540万トンの日本一の灌漑用溜池である。
中学校では耐寒遠足に岸和田の久米田池にあるいて行ったことがあるが、
それ以上に大きいため池だということになる。


満濃池の水は堤防下の樋門から出て金倉川となる。 樋門から金倉川周辺は
公園として整備され、夏には蛍も飛ぶらしい。
 
満濃池樋門は有形文化財。
 


2時前、金毘羅宮着。石段は785段…悩む…悩みを避けた段数だという(*^^)v


じんわり汗をかいて登ったが、階段わきにはこんな駕籠もある。



片道約30分、本殿につく。よく晴れているので瀬戸大橋まできれいに見渡せ、
讃岐富士も目の前…よき眺めじゃ(*^_^*)
手前と遠景の山の境目に瀬戸大橋が(画面中央より少し左)…分かるかな~




海の神様の金毘羅宮には、太平洋を一人旅した堀江謙一氏が奉納した
アルミ缶のリサイクルのヨットが展示されていた。
このヨットで実際航海をしたというから驚き…(@_@;)


帰りは階段を使わずに山道をなだらかに下るコースを…
途中の道端に、国歌に歌われているさざれ石という展示があった。



バスに戻り、名物の灸まんを添乗員さんがお接待してくれ、頂きながら
3時30分、74番札所甲山寺(こうやまじ)着。
平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に寺院を建立しようと
霊地を探していたとき、甲山の麓で一人の老翁に出会い、
「私は昔からここに住み、人々に限りない幸福と利益を与え、
仏の道を広めてきた聖者である。この地に寺を建立すると良い、
その寺は私がいつまでも守護するであろう」と告げたという。
大師は早速、毘沙門天像を刻み、山の岩窟に安置した。
これが甲山寺の始まり。
標高87mの甲山(かぶとやま)の麓にある甲山寺はこじんまりした寺で、
近くに弘田川が流れ、この辺り一帯は弘法大師の故郷であると
言われているようだ。



甲山寺大師堂。
山を崩して工事しているのでダンプカーが頻繁に走り埃っぽい道を抜け、
川沿いを75番札所善通寺に向かう。
川の中の草はらに青鷺だろう…栄養がたっぷりらしくペンギンみたい…(^_-)-☆


4時半、善通寺着。ここは弘法大師の生誕の地で、真言宗善通寺派の総本山。
高野山、東寺と共に大師三大霊場の一つに数えられているらしい。
広大な境内は、伽藍と呼ばれる東院誕生院と呼ばれる西院に分かれ、
併せて45万平方メートルもあるという立派さ!
善通寺の創建は、大同元年(806)唐から帰国した大師が先祖の菩提を
弔う為に建立したのが始まりと言う。
讃岐の豪族だった父・佐伯直田公善通(さえきのあたいたぎみよしみち)から
荘田を貰い受け、この地に唐の八ヶ霊場の土砂を撒き、唐の青龍寺の伽藍の
雰囲気そのまま再現しようとしたようだ。

今夜は宿坊に泊まる初体験、ここ善通寺には駐車場から入る。
…がこのツアーのいいところでもあり、悪いところでもあるが、門前の
かた焼きせんべい屋さんが店を閉めるかもしれないというので、中門を抜け
まっしぐらにせんべい屋さんに直行(^_-)-☆
かたパン…と呼ばれるとても歯に叶わないせんべいだ。



南大門、中門、仁王門と立派な門が3つもあり、広い境内は近所の子供の
遊び場になっているようだし、通学の高校生だろうか…自転車で通って行く。

立派な五重の塔、高さ45Mという。


南大門の左手に老樹の樹齢1,000年をこえ、幹の周囲は10m越す
大楠がある。大師が生まれた時はすでに大樹であったというから驚きだ!



善通寺大師堂は西院にありで正面に御影堂と言われる大師堂がある。
西院は誕生院と呼ばれ大師の母、玉依御前(たまよりごぜん)の御殿跡で
大師誕生の地と言われている。
御影堂には礼堂、中殿、供養殿、奥殿の4棟があって、大師は奥殿で
誕生されたといわれ、大師自筆の自画像「瞬目大師」が
掲げられてているという。


ここ善通寺宿坊に今夜は宿泊する。お遍路なのに宿坊に泊まるのは初体験!
きれいな立派な建物で設備も充分、温泉付きの豪華な宿坊だ(^_-)-☆
でも夜は風呂も9時まで、部屋にはテレビもない(遊びに来ているのではない!)
食事も今までの宿泊のように充分豪華とは言えないが…
さっさとお休みをして、明日の朝は6時からの大師堂での勤行に参加する。
お堂はあけっぱなし、朝の早いことだし…寒そうだぞ~
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玉ねぎのおろし煮

2011-11-22 21:12:00 | ノンジャンル
大きなきれいなイカがあったので買ってきました。
小芋と炊くのが好きなんだけれど、今日はちょっと趣を変えて…
だし汁に味をつけた後、玉ねぎのすり下ろしたものを入れ、
煮上がったところへイカを入れカタクリのとろみを加え、
茹でたブロッコリーを混ぜ合せました(^_-)-☆

絡みにくい出汁の味が玉ねぎの甘みと一緒にイカに絡んでOKでした(^^♪



とろとろのお出汁も美味しかったです。
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京都へ

2011-11-18 10:31:00 | ノンジャンル
秋晴れの16日、友人と京都文化博物館の「京の小袖展」へ行きました。



小袖とは…現在のキモノの源流で、もともと十二単の一番下の下着
だったそうです。
それがだんだん表に出てきて庶民の着るキモノに転化されていきます。

安土桃山から慶長、寛文を経て小袖も色々と変化し、とくに江戸時代の
友禅などがきれいで興味深いものがありました。




100年もの時を経て、擦り切れたり、薄くなっていても絹物や麻の生地は
まだ確かに生きていまた(*^_^*)
斬新な意匠は現在でも充分に通用する…というよりずーと受け継がれ残されて
現在の着物デザインとして残っているのだと感じました。
友人が「私の羽織の模様に似ている…」と言ったのには思わず笑って
しまいましたが、確かに江戸時代に考えられた模様を
今の我々も受け継いで着ているということです。

背を向けて飾られた着物が多かったので、上前の模様も見てみたい…
鏡でも置いてくれたらいいのにな~と感じました。

振袖を一度切って、多分また娘さんなどが着るために袖を足す…
そこには刺繍をしたりして工夫を凝らし、より豪華に見えるようになっている。
そんな知恵を出しながら、大事に大事に着物を着続けたのだな~と
感銘しました。

とても豊かな気分の2時間余りを過ごしました(^_-)-☆
着物を着る機会が少なくなり、需要も減り寂しい限りですが、会場にはさすが
素敵な着物姿の方が何人もおられました。

せっかくの京都、せっかくの紅葉シーズンなのでちょっと近場で散策を…と
歩いて高台寺まで行きました。
修学旅行生や観光ツアーのバスの人たちでいっぱいでした!
紅葉にはまだ少し早かったですが、今話題の高台院、ねねのお寺として
人がいっぱいでした。

舞妓さん???と思って写真を取りましたが、観光客の1日舞妓さんです。


カップルの着物姿も多かったです。たぶんこれも1日着物カップルでしょう(^^♪
でもこういう風にしてでも着物に親しむ機会というのはいいな~と思いました。

方丈の前庭は夜にはライトアップされるといい、瓦で龍が2匹配されていました。
ライトで微妙に瓦のうろこや石庭が浮き上がるのでしょう。



池にうつる紅葉はまだ10日くらい早いでしょうか?


御霊屋には秀吉と高台院の木像があり、高台院の木像の下には
彼女が土葬されていると、他所のツアーのガイドが説明をしていました。



小高い山の上にある茶室。傘亭と時雨亭。
傘亭は伏見城から移築したものとされ、千利休の作、秀吉好みの茶室と
伝えられる。(ただし伏見城建設は利休の自刃後)
内部の天井が竹で組まれ、その形が唐傘に似ている所から傘亭と言われる。
時雨亭、傘亭との間は屋根付きの土間廊下でつながれている。
珍しい2階建ての茶室で、2階南側の上段の間は柱間に壁や建具を
設けない吹き放しとなっているらしい。傘亭同様伏見城からの移築とされ、
千利休の作、秀吉好みと伝えられているそうだ。


ロープの中に入れないから天井の様子がうまく撮れないが…
この茶室の前で説明をしていたお嬢さん、話し方、アクセントに癖があり
中国の娘さんと感じたが…ちがうかな?
日本に留学中か何かでアルバイトをしているとか…
京都の観光を含めて世の中も変わったな~と思いました。
観光客の中にも白人のほか中国、韓国らしき人も多かったようだし…。



手前が時雨亭、向こうが傘亭。京都の町が見下ろせる場所である(*^_^*)

ゆっくりライトアップも見たい気もするけれど…なにせ主婦なもので…(;一_一)
心を残して帰る事に…
帰り道の庭に、萩の花の咲き残りが鮮やかな色で咲いていた。


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早くも…

2011-11-14 20:14:00 | ノンジャンル
今日は大阪の支社歌会でした。
歌会に出る前に所用があって阿倍野へ廻りました。
早くもクリスマスツリーが飾られていました(^^♪
気忙しいような華やぐような…
カメラを持っていなかったので、慣れない携帯で撮りました。
機能の良い携帯ではないので写真もよいのが取れませんが~(;一_一)



歌会の終わりの楽しみであった天六商店街の八百屋さんが
いつの間にか無くなりました(@_@;)
この商店街は絶えず店の移り変わりがありますが、
この八百屋の無くなったことはショックです!
野菜も果物も安くて大盛りで、随分楽しんでいたのになあ~
きっとシャドーさんもショックだと思うよ(^_-)-☆
もう手押し車を押してくる必要が無くなったよ!!!
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