赤い椅子

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

金水引草

2005-08-31 21:06:13 | ノンジャンル
秋佳さん☆
きれいな紅の葉げいとうをハリコしていただきありがとう。
読んで知ること、読んで判ることなど…本を読む楽しみはいっぱいですね。

蝉マルさん☆
『蒼穹の昴』を蝉マルさんに紹介していただき、読んで面白かったので、
それから浅田次郎が気になる作家のひとりになりました。
それまではなんか<やくざ物>の作家だと思っていましたが…

戦争は知らないで済ませるものではないですが、イサさんのように激戦地から復員した体験を持つ方たちの思いはとてもとても重すぎて…
話を聞くたびに身が引き締まる気がします。

立ち寄ったレストランの庭に咲いていた金水引です。
自然のままの庭で、枝が横向きになっていましたが…
普通の水引草より花は大きいです。


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「8月30日」

2005-08-30 20:38:32 | ノンジャンル
… 1945年8月30日ー。
それは一点のかげりもない青空が、四方から太陽を支えあげるような、
光り輝く日であった。

午後二時五分、ファンファーレが鳴り響き、ドラムがロールを打った。
バターン号の後部ドアが開くと、その男はまずタラップの上で立ち止まり、
悠然とカメラに対してポーズをとった。

マッカーサーがカメラを意識していることは、誰の目にも明らかであった。
しかし、1メートル80センチの身丈を、まるで旗竿を背に入れたように凛と伸ばして歩くハンサムな風貌には、ふしぎなくらいそうした芝居気あふれる動作がよく似合った。…

社会科の教科書や、そのほかたびたび映像で見たことのあるシーンだ。
いまちょうど、浅田次郎の『日輪の遺産』を読んでいて、偶然にも今日、この場面を読んだ。ちょうど60年前の出来事だ。
戦争は現実でも、正直なところ私にはすでに歴史でしかない。
だがわれわれの世代では、父の顔すら知らない友人が何人もいる。
知ることも使命だと思うし、この作品を読む機会を得たことをよかったと思う。
まだもう少し残っているが、お勧めの1冊である。


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失敗談顛末記

2005-08-29 20:55:25 | ノンジャンル


夕べ、せっかくの画像を失ってしょんぼりしていたら、突然の花火の音!
気を取り直して3階のベランダへ。
市が赤字財政で花火を辞めて2~3年になるだろう。
今年、商工会が主催で復活。その花火だった。

デジカメはシャッターが遅いから、花火はうまく撮れないけれど
画像を全部失った後なので挑戦してみた。

他の方法はわからないけれど、我が家のソニーのデジカメでは、
パソコンにつなぎマイコンピュータをクリックし、画像を取り込もうとすると、<ムーバブルディスク(F)>というのが出る。
それをクリックして<DCIM>が出、つぎに<100MSDCF>を出す。
それをクリックすればカメラの画像がある。
そこでフォルダにまとめた辺りで、マウスの電池を換えてしまった。
カメラからは消去した後だ。
すぐに<100MSDCF>を引っ張ってきたけれど…なかった。

…というわけで消失の泣き言になり、花火の画像を取り込もうと
順番に進んでいったら…出てきた!というわけ。
うまく説明ができないけれど、この花火の画像のおかげで大改修の画像を見つけることができた。

何も知らないままパソコンを触り、デジカメを触り、こんな失敗を重ねながらひとつづつ賢くなってくれるといいんだけれど…

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お騒がせしました

2005-08-29 01:08:26 | ノンジャンル
あちこち探した結果、出てきました。
平成の大改修の画像が…。どうなったのか説明はできませんが、やれやれです。



大改修のための調査で瓦をめくったところです。
屋根の上に詰まれた土、瓦などで屋根全体の重さは350トンだとか…
(でも正確には覚えていません)



外された瓦です。寺の名前の入ったものや、巴がわらです。
製造した瓦屋の名前も入っていたようです。貝塚市内の瓦屋さんだそうです。



大屋根をこの角度から取れることはまず無いでしょう。



大屋根のてっぺんです。
そばにいたおじさんが「子供のころにこの屋根に雷が落ちた」と話していました。道理で鬼瓦の部分が比較的新しく、補修の後が見えます。
避雷針もありました。
横に並べられた瓦の高さだけでも、普通の塀の高さはありそうです。



めったに撮れない場所からの記念撮影があちこちで…



工事用足場を登って、大屋根のてっぺんへ…
さすが申年…!登りましたよ。おばさんでは一人かも…



「手挟み(たばさみ)」というものです。
一所だけ外されて展示していました。天女の舞です。
竹生島と同じものだそうです。
ほとんどがケヤキで作られているのに、この部分だけはヒノキだそうです。
木目がきれいに出ていました。
もとは彩色があったようで、ところどころにそれらしき跡がありました。



本堂の内部です。
いま仏様は京都の仏師のところで修理中だそうです。



本堂の天井絵です。相当傷んでいました。



…天文14年(1545)、無住であった草庵に紀州根来寺から卜半斎了珍を迎え、一向宗の町づくりが始められた。 石山本願寺から寺内町にとり立てられた後、天正5年(1577)には、その支城として織田信長と戦い、町は焦土と化した。
 その後、寺も町も再興され、天正11年(1583)7月から同13年8月に大坂天満に移るまでの2年間、紀州鷺ノ森より「顕如上人」を迎えて本願寺御堂となった。
 江戸時代には、町は寺領とされ、住職の卜半家の支配の下に置かれた。…
ぼっかんさんと親しく呼ばれているのは、住職の卜半家からきているらしい。
その卜半家17代目住職、まだ若い住職でした。



住職にお茶室の事を聞いてみました。
まだあどけなさの残る12歳ころのmamaGONが、真剣にお点前をした茶室です。
その茶室が今度重要文化財になるそうです。

願泉寺のある寺内町は、まだ昔の門前町の雰囲気の残るいい町並みでした。
この辺りに小学校の担任の先生のお住まいがあったはずだと、少し散策をしました。ありました。その姓のおうちが・・・
でも様子が違っていました。無理もありません半世紀前のことです。
どうしていらっしゃるかと懐かしく思いながら、その場を離れました。

珍しいもの、懐かしいもの、めったに体験できないこと、まず触れないものに触れられたなどいろいろ楽しめた半日でした。
いろんな勉強もさせてもらいました。

ちなみに今回の大改修の完成は7年後です。
改修にかかる費用は17億円、重要文化財なのでそのうちの8割は国から出るそうです。
順次工事の進み具合を見せてくれるそうです。また機会があれば行きたいです。
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願泉寺の平成の大修理

2005-08-28 20:26:44 | ノンジャンル
貝塚市にある願泉寺(貝塚御坊)通称ぼっかんさんの、平成の大修理が行われているらしい。
改修工事中の国重要文化財の本堂の仮屋根に登る催しがあることを、新聞で知った。
子供のころ、11月初めのぼっかんさんの報恩講には何軒もの露店が出て、祖父に連れられてよく行ったものだった。
祖父の妹がお茶の師匠をしていた関係で、10歳くらいから遊び半分にお茶の稽古をやり、このぼっかんさんの茶室でお点前をしたこともある。
懐かしさとものめずらしさに出かけてみた。

現在の本堂は1663年建立とされ、建立以来初めての大改修だという。
完成は7年後。瓦や柱を直すために設置している仮屋根から普段は見上げている大屋根を間ぢかに見たり、周囲の景色をながめようという催し。

普段見たことも、触ったこともない珍しい「手挟み」や大屋根の瓦を触り、眺め、大屋根のてっぺんの足場まで登り、その大きさ、高さ、勾配の様子まで身体で感じてきました。いっぱい写真も取りました。

家に帰り、写真の整理をし、フォルダにまとめたところでマウスの電池がなくなったらしく、動きが鈍くなったので電池を換えた…ところで…画像が…
ない!ない!!ない!!!(涙、涙、涙)

めったにない機会だったのに…またと撮れない画像だったのに…



改修工事前の本堂の様子です。
この大屋根のてっぺんの足場に登ってきました。
大屋根の鬼瓦も撮ってきましたが…



太鼓堂です。重要文化財です。



報恩講の日、門前には露店がいっぱいでした。
祖父の袂をつかんで、はぐれないように必死でついて歩きました。

すべて写真はヤフーの願泉寺で検索したものを借りました。
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