赤い椅子

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

お遍路2日目

2010-10-25 21:24:00 | ノンジャンル
23日、朝8時宿舎出発。穏やかに晴れた秋空…
行程の加減で8番熊谷寺からお参り。
ここの山門は四国88か所最大の山門らしい。堂々とした立派な山門だ。



相変わらずうまくお経が読めずについていけない(;一_一)

9番法輪寺へはバスで10分ばかり。
のどかに田んぼの広がる道である。前の茶店で冷たいお茶の接待を受ける。
この寺辺りから、少しばかり間違えずにお経について行けるようになったかな~
朝の参拝はさすが気持ちがいい。
金曜日だった昨日に比べると、土曜日の今日は朝からお遍路さんによく会う。

10番切幡寺へバスで行くが、山門をくぐると石段があり「これより333段」と
記されている。厄除けの石段だと言われ、息を弾ませて登る。
境内には美しい観音像がある。


さらに石段を上り奥の院へ行くと、秀頼が秀吉の菩提を弔うために、家康から
言われて建てた多宝塔がある。これは堺から移築されたそうだ。



脇町の「あんみつ館」へ洋ランを見に立ち寄る。
「あんみつ姫」という洋ランを始めに作ったところからこの名前が…



洋ランエキス入りのお茶やラーメンを試食したりランを買う人もいる。

この後昼食のために脇町の道の駅に寄り、「阿波尾鶏のせいろ蒸し」を…
五穀米に鶏の照り焼きを載せて蒸したもので美味しかった!
食後うだつの町並みを散策。


「うだつ」とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、
これを造るには相当の費用がかかるため、裕福な家しか設けることができず、
すなわち「うだつが上がる」ということは富の象徴であり、
脇町に残る「うだつの町並み」は当時の繁栄を物語っている。



資料館には「うだつ」の作りが分かる模型が…
土壁が蔵のカベのように厚い。

徳島自動車道に乗り、残りの6番7番の札所に向かうが、阿波パーキングエリア
に立ち寄り、歩いて10分ばかりの「阿波の土柱」を見に寄る。

阿波の土柱は800年に発見されたとの記録があり、吉野川によって作られた
砂礫層が浸食されて出来たものである。
この段丘礫層は吉野川が約130万年前にこの地が川底であったときに
できたものらしい。最も大きい波濤嶽(はとうがたけ)は高さ10m前後の
柱が南北約90m、東西約50mの範囲に多数立っている。


集中豪雨などにより1年に3ミリくらい浸食されているという。

高速道路に戻り、本来の目的であるお遍路の旅に…(^_-)-☆
残る6番安楽寺と7番十楽寺へ

安楽寺は薬師如来が本尊。病気平癒の祈願のため巡拝した遍路が霊験を得て
平癒したのでそのお礼のための奉納したという。
京都在住の大仏師・松本明慶師作の仏像33体も安置されており、先達さんが
お願いをしてくれ、傍まで行って各仏像を拝させてもらう。
 
先達についてあげるお経も少しはましに唱えられるようになってきた(^_-)-☆

参拝するお遍路さんを乗せたバスが何台も止まっている。
土曜、日曜日はこんなにたくさんのお参りがあるようだ。
駐車場で改造した自転車に寝袋や荷物をいっぱい積んだ若者に会う。



「気をつけて行っていらっしゃい」とお互いに励まし合い手を振って
別れたが、当然といえば当然…7番の十楽寺で早速再会(^_-)-☆

田園地帯ののんびりした住宅地を約20分歩いて十楽寺へ…
甘藷畑が広がる。この辺り和三盆で有名なところでその甘藷だ。


子供のころに食べた懐かしい甘藷、和三盆は昔は石うすで絞ったらしいが
いまは大量に機械で絞っているのだろう。

途中の道のお地蔵さまの道標。



十楽寺は竜宮城のような華やかな山門だ。


目に霊験のある寺でそのお地蔵さまが祭られている。
みんな歳のせいで霞むとか、見えにくいとか言いながらお参りをする。

2日目のお参りも無事に終わり帰路につく。
新しい経験をしたというか、たくさんの知らなかったことを知り、
何とも言えない豊かな気分で一回目のお遍路を終える。

おまけもたくさんで、温泉、美味しいもの、珍しいもの、きれいなものを
楽しめたし…楽しい旅だったな~


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初体験、しどろもどろのお遍路

2010-10-24 23:36:00 | ノンジャンル
それは遠い日に1枚の茶色くなった古い写真を見たときから
心の中に芽生えた思いなのかもしれない。
セピア色の写真には若かりし日の父親と、その叔母(祖父の一番末の妹で
父とは7歳違い)がどこかの寺の前で写っていた。
2人で四国参りをした折のものだ…と聞いたけれど、その時はそれ以上の
ことも聞かずに「ふ~ん2人とも若いね~」くらいのことだった。

いま考えると身体の弱かった若い日の父と(その時はまだたぶん独身)
若くに未亡人となり子供のなかった叔母が連れ立ってお遍路さんに旅立った…
そんなところだと想像する。
父が亡くなった時、仏壇の引き出しからそのお遍路さんのころの一式があり
身内の誰かが棺に入れてくれたことで、写真のことを思い出し、
いつか若かりし日の父の思いを辿ってみたいと思うようになった。

今度、縁があり四国88ヶ所を巡る旅に参加することが出来、
22日23日の1泊2日、10ヶ寺をお参りして帰ってきたしだい(*^_^*)

先達のほかは、ツアー人数12人と添乗員というこじんまりとした団体が
中型のバスで淡路島経由で徳島入り…
まだ紅葉には早いが、道端にはキリン草の黄色が綺麗!
レンコンの収穫の後だという畑が目に付く広い平野をバスが行く。
ハスの花の咲くころに訪れたらきれいだろうな~と思いながら通る。
穏やかな気候、豊かな暮らしを象徴するように大きな屋根の家が目に付く。

先祖のお墓参り、お仏壇参り以外には全く信仰には縁のない暮らしをして来た。
お経をあげた経験もなし、88か所参りの何も知らないが、まず参加をしよう!
…ということで1番札所、霊山寺にて最低必要なお遍路用品を調達。

山門の前でまず一礼、蝋燭、線香をあげてお札を納めお賽銭を上げてお参り、
先達の後についてお経をあげるのだが、ひらがなで書かれているお経が
うまく読めずにしどろもどろしているうちに終わってしまう有り様(;一_一)



四国ではお遍路さんに施しをすることをお接待というそうで、土地の人たちの
習いになっているとか…
霊山寺では早速、近所の保育園の園児たちが自分の描いた絵に鳴門金時の
ふかしたものと「気をつけて行っていらっしゃい」という手紙とともにくれる。


そんな時は「感謝」とお札に書いてお礼に渡すらしい。
1番のお寺から可愛いお接待に会うなんてとても珍しいと先達さんが言われる。

2番札所へはバスで5~6分の極楽寺。
その寺に行く途中に焼き物の窯がありちょっと立ち寄る(^_-)-☆
窯の名前を失念したが地元では有名な窯元でこれは水琴屈のカメと紫式部。


極楽寺境内に入ると大きな杉が…空海の手で植えられたといわれる
樹齢1100年以上の杉らしい。



この木に触れると長寿が得られるという。
相変わらずしどろもどろのうちにお経が終わる(^_-)-☆

3番金泉寺へはバスで約10分。
バスで移動中に次の寺にまつわるいろんな話や説明がありなかなかのもの!


金泉寺山門。

4番大日寺までの5キロは懐かしい雰囲気の野の道を歩く。
野菊が咲き赤まんまがいっぱいの道を土や落ち葉を踏みしめて…
ふと亡父もこんな道を一心に歩いたのだろうな~と思いながら~



石の道標も昔の面影が…

4番大日寺の本尊大日如来は空海が刻んだといわれる。
5番地蔵寺へはまたバスで10分ばかり。
地蔵寺の奥の院には五百羅漢さんが祭られているそうだが残念ながら
時間が無くて寄れなかった。
庭から奥の院を望む。きれいに刈り込まれた梅の木が格好良い!


バスで今夜の温泉宿御所温泉観光ホテルへ
土成町の宮川内谷川のほとりにあり、静かなひなびた山里の温泉だが、
お湯がすごく良くて、露天風呂で見上げた満月が朧月、虫の声を聞きながら
初体験の1日を振り返り、なんだかとっても満たされた気分に浸る<(_ _)>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

布団太鼓について

2010-10-19 19:56:00 | ノンジャンル
シャドーさんやkuritanさんが下の書き込みに質問をされたので、ネットで
調べてみました。
とても歴史の古いものだということが分かったけれど難しいです(^_-)-☆
かの与謝野晶子が最も楽しみにしていた年に1度のお祭りだったとか…
さすが、堺っ子のお祭りのDNAは晶子にもあったとは…

・・・堺における練物の歴史は古く、元禄年間よりと推定されています。
旧堺市の祭礼について考える時、忘れてならないのは、住吉大社の
祭礼との関連です。
諸説あるが約1300年前に、書かれたとされる「住吉大社神代記」で、
住吉大社祭事で重要な祭事とされる「南祭」すなわち六月御祓は、
開口水門姫神社(あぐちのみなとひめじんじゃ)に行宮、飯匙掘(いいかいぼり)
にて斎行される事が記述されています。

開口水門神社とは、宿院住吉御旅所とその奥の院と称される開口神社の
事であり、古来より大変大きな祭事でした。
元禄十四年、岡田渓志著『摂陽群談』に「六月晦日の夏祓は、摂泉大阪堺の
町中、並に在々所々により陸には、練物を出し思々に装え…」という
記述がみられます。
 (注)練物とは、地車、屋台、太鼓台、鉾などをあらわす。

戦後、旧堺市の街並が大部分大きく変わり、東西にフェニックス通り
(国津26号線)が貫かれていますが、戦前までは、勿論このような大きな道路は
無く、阪堺線宿院電停より東をのぞめば、大燈楼と鳥居、その向こうには、
住吉、大鳥両大社頓宮が見えてました。
その所で斎行される夏越大祓(俗にお祓いと言う)は、旧堺市で最も賑やかな
祭礼であったと言われています。
堺市甲斐町出身の女流歌人、与謝野晶子の自伝「私の生ひたち」の文中でも、
彼女が最も楽しみにしていた、年に一度の大きな祭礼として記されてあり、
旧堺市は、大変な賑やかさであったとされています。

今日の堺市の祭礼は、八朔祭をはじめ、主に秋祭りとなっており、その際に、
太鼓台等の練物が運行されているのですが、明治期迄は、そうでなく、
夏祭りが中心でした。
堺の練物の起源について、よく語られる事は、「鉾から地車、地車から太鼓台に
変わっていった」ですが、果たしてそうであろうか。

堺では明治時代まではだんじりが一般であった。(ほかにも船地車も曳行)
しかし、明治29年の旧暦八月一日のことである堺市中之町西の紀州街道
(地車が1台通れるほどの細い道であった)において、湊組の船地車と
北の鍛治屋町地車が鉢合わせとなり、お互い道を譲らず争論となり、
あげくの果てには周辺民家の瓦を剥がし瓦合戦になってしまい、
湊組が突きかかり2名の殺傷者を出してしまった。
堺警察の警官が数十名駆けつけ双方の数十名を捕縛した。
この事件は「堺の地車騒動」といわれている。

この事件より祭礼には地車は一切曳行してはいけなくなった。
後に日露戦争に勝利しそれを祝し、翌年明治39年練物曳行は許可された。
その翌年に菅原神社の北開仲、北浜、並松町 船待神社の西湊が地車に
代わり”ふとん太鼓”を新調しそれぞれの神社に奉納した。
この年より4.5年の間に開口、菅原、方違、船待神社の氏子仲が次々に
ふとん太鼓を新調したのである。
特に一番多くのふとん太鼓が奉納されたのは”菅原神社”である、
多いときでは十四台にも及んだしかし昭和16年第二次世界大戦が勃発。
しかし、昭和19年までふとん太鼓が担がれ奉納されていた。
昭和20年に堺も大空襲に合い、ほとんどのふとん太鼓が焼失してしまった。

その後も処分や売却などがあり現在では、開口神社4台 菅原神社2台 
方違神社1台(ほかの神社は戦前と変わらず)となってしまった。

ふとん太鼓の五枚の座布団は神様が座るところといわれている。

出典:「堺まつりふとん太鼓連合保存会 三十周年記念誌」「堺の太鼓台」・・・

あの5枚の大きな布団は神様が座る布団だったとは…(^_-)-☆

べーラベーラベラショショイ~べーラベーラベラショショイ~との
掛け声がかかる。

もともとはだんじりであったのに布団太鼓になったという所が
いまいち判り難いですが、人が担いで練り歩く分、コマで動くだんじりより
安全性が高いのかな~?
布団太鼓もだんじりもいろんな時代を経て処分売却され、
それでも受け継がれている…伝統を守ることって大変なことなのね~

お2人さん、こんなところで宜しいでしょうか?  (^_-)-☆

人が担いでいない時の布団太鼓です。



堺のまた別の地区、百舌鳥八幡の布団太鼓の写真です。


担ぎ手の足並みがそろっていてきれいです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供鉄砲隊

2010-10-18 19:56:00 | ノンジャンル
毎年10月の第3日曜日は堺のメインストリート・大小路筋の1.1kmを
舞台に『堺まつり』のパレードがある。
今年で37回目。いろんな団体約4000人がパレードに参加。
火縄銃隊による模擬射撃、南蛮行列、時代行列、世界の民族衣装行列、
民族舞踊、鼓笛隊、阿波踊り、すずめ踊り、よさこい鳴子踊り、
変わり種自転車や一輪車、10台のふとん太鼓等の行進が繰り広げられる。
 
今年はその「堺祭り」の子供鉄砲隊のパレードに孫2人が参加。
孫たちにせがまれて我が家の娘二人も休日返上で見物に…
全員集合の招集をかける孫たちの力に脱帽(^_-)-☆

堺はかつて南蛮貿易で栄え、中世堺の名産鉄砲づくりで知られた町らしく
全国の火縄銃隊が集結する。そして火縄銃隊が放つ銃声の「ドドッド~ン!」
と轟く大きな音が祭り気分を盛り上げる。

子供会のチームによる子供鉄砲隊もその火縄銃を持って行進。
掛け声をかけ「物のはじめはみな堺…」等と歌いながら鉄砲をかざしたり、
構えたり…けっこう頑張っている(^_-)-☆




行進について追っかけをして写真を写し、ゴールの学校でみんなで写真。

後ろ姿も見てやってね!帽子も鉄砲隊らしいでしょ!



大人の鉄砲隊も…



そしてやっぱり圧巻は布団太鼓10台の行進。




とっぷり暮れるまで楽しんだ後、子供たちは屋台のお店巡り…

急にママが仕事に行かなくてはならなくて、夜8時過ぎまで面倒をみることに…
夕ご飯を済ませまたいろいろ遊びに付き合い、すっかり草臥れてしまう(^_-)-☆


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茗荷の酢漬け

2010-10-14 20:27:00 | ノンジャンル
先日kuritanさんに頂いた茗荷、そして教えて頂いた茗荷の酢漬け…
美味しく出来上がりましたよ~
…と言っても酢につけていただけですが~(^_-)-☆



とても奇麗な色です!
我が家の梅酢で漬けようと思いましたが、梅の香りと茗荷の香りが
衝突してはまずいことになるので((^_-)-☆)普通の酢に漬けました。

噛むと茗荷の香りが口の中に広がります。
茗荷のこんな食べ方初めてです。 ありがとう!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする