4月10日、昨日から降り続く雨が本格的だ。
朝7時集合、雨のための完全武装をして出発。みんなの雨具がカラフルだ。
今日は三人歩くことを棄権、バスで移動することに・・・。
ホテルのある賀田町と三木の里を結ぶルートで、ハイキング程度の峠を
2つ越える。みごとな猪垣の続く道をわき目もふらずに歩く。
階段状の石畳にはしっかりと苔が・・・
羽後峠(海抜140M)三木峠(120M)の峠は難なく1時間余りで越す。
三木峠からの海を眺める眺望が素敵だそうで展望のためのベンチなどが
あるが、今日は坐っている時間もないし何にも見えない。
三木峠を降り国道を10分余り歩くとヨコネ道にさしかかる。
いつもブーブー文句を言いながら歩く舗装道路の国道が、今日はありがたい!
ヨコネ道ってなんだろう。歩くときは夢中で疑問にも思わず歩いたが・・・
今回は語り部さんも雨の中だし余り説明もなく歩くことに専念。
三木の里の海岸に着き、少し早い昼食。朝も早かったのでお腹がすいた。
山道でもほとんど休憩もなく、飴玉くらいでおやつを食べることもなく
ひたすら来たから・・・
静かな海を眺め少し人心ついてベンチに座り休憩。今はしばらく雨の止み間。
午後からは今回の一番の難所、八鬼山越え、約10キロ、4時間の行程だ。
のどかな田園の村を行くと八鬼山の案内板がある。
「熊野古道、世界遺産反対」の立て札が見える。
日々の生活をするのには世界遺産の規制が入り困ることがあるのだろう・・・
そんなことを思いながらすれ違う村人にあいさつをして通る。
雨で川が増水し、思わぬところで沢渡をしなければならなかったり、
西国一の難所といわれるだけの厳しい道が続く。
八鬼山(627M)へは急な尾根筋を一気に登る江戸時代の参詣道(江戸道)
明治時代に入ってから谷筋を多少緩やかに登る古道(明治道)があり、
我々は明治の道を行く。それでもすごい道。
川の音も水嵩を増して激しく聞こえる。時々沢蟹が歩いている。
沢を渡るのに滑って靴の中まで水でぐしょぐしょになる。
ロープを伝って渡る川もありもう必死の思い、滑りやすいし・・・
同じコースを12日、13日に歩いたTさんが八鬼山の写真を
送ってくれたので追加でハリコします。赤い落椿が苔に映えていますね~
また八鬼山越えの道には、町石と呼ばれる路程を示す道標があり
現在もいくつかは現地に残されている。八鬼山の町石は石仏であり、
光背に天正年間銘のあるものもあり、これらは現在の伊勢市内、
伊勢山田の豪商や全国各地に伊勢参りを呼びかける人たちが願主となって
熊野への参詣者のために設置したものだったという。
ひたすら歩く峠道に残されたこの石の仏たちにいくども心和まされた。
昨日と同じく下り道には縄を巻き歩く。
それでもあちこちで滑っている仲間の悲鳴が聞こえ、自分も2回尻餅をつく。
世界遺産反対の住民の声は山の中の杉やヒノキ、大きな岩にも
毒々しい赤いペンキで書きなぐられており、そのけばけばしさに心が痛む。
自分たちの気持ちをせめて山を歩く人に知ってもらおう・・・というところ
らしいが、見ていると同情よりも悲しい怒りのほうが大きくなっていく。
下りの七曲がりは難所中の難所。幾重にも折り重なるようにカーブする道、
苔が青々した滑るためのような石の道・・・
昔の巡礼達もたくさん行き倒れになったとか・・・行倒れ巡礼の碑もあります。
リュックのカバーにも雨が溜まり、時々相棒に捨ててもらいます。
雨具のお陰で身体こそ濡れていませんが、心はびしょぬれ状態!
自分の足で歩かなければ山を下りれない・・・そんな思いで一歩ずつ歩き下り、
ようやくバスの中で着替えたのが3時半頃かな・・・
水の溜まった靴を脱ぎ、新聞紙をまるめて入れ、バスの中は裸足!
身体も温かくなり、ようやく落ち着いてひたすらバスは帰路に・・・
道の駅でさんま寿司など夕食を調達し、車内で食べる。
難波着8時半過ぎ・・・帰宅9時過ぎ しんどかったな~
鳥海山で雨に会い、大変な思いをしてからこれで2度目。
歩きとおした達成感、やったね!という思いがだんだんしてきました。
とりあえず歩くのが精一杯・・・今回は写真どころではありませんでした。