赤い椅子

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君子ランとアマドコロ

2008-04-27 21:24:23 | ノンジャンル
さわやかな季節、外を出歩けない今、
我が家にもいろんな花が咲いて楽しませてくれます。



君子ランです。チユーリップなどが終わったあとの庭を
鮮やかな色が彩ります。
















アマドコロです。長い間鳴子ゆりだと思っていましたが
こちらのほうが花の時期が1ヶ月はやいです。どちらもユリ科です。
アマドコロは2個づつ花をつけますが、鳴子ゆりのほうが花の数も多く、
5~6個の花が本当に鳴子のようにぶら下がって咲くようです。

まだ力仕事は無理ですが、そろそろパンジーなんかも抜いて、
他の夏用の花と植え変えなくてはならない時期ですね~


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胆嚢から出た石

2008-04-24 20:20:21 | ノンジャンル
蝉マルさんが先の記事のコメントに「胆嚢の石を見せてくだされ」と
書いてくれたので写真を撮ろうとしたら、手術を終えてすぐに娘が
ケイタイで撮っていた画像があると言うのでハリコします。



ちょっとグロテスクだけれど・・・
おまけに今のお腹を写真で残せば・・・との娘の意見には流石ノーです!

この間から元気ならわらび採りの季節なのに・・・と何度も言うので娘が昨日、
わらびを買ってきてくれました。
側に居た中年の人に「若いのに偉いわね~灰汁とりは出来るの?」と聞かれたので
いかにも自分で全てするように「ハイ~まあまあ」と返事をしたとか・・・
灰汁を出すのも今日、たけのこと炊き合わせるのもみんな、
家の中年のおばさんがしました。でも美味しかった~
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腹腔鏡下胆嚢摘出手術

2008-04-22 14:14:42 | ノンジャンル
21日、6日ぶりに手術を終えて退院。
なんだかやっぱり我が家は落ち着くな~
のんびりしているようでのんびり出来ない病院・・・
6日ぶりのわが家では今年の花水木がまだ充分きれい! うれしいな~

















16日・・・朝10時入院。送ってくれた娘と一緒にすぐに手術の説明を受ける。
検査をいろいろ済ませ、午後入浴、シャンプーの指示。
その前に、臍のすぐ下を切るのでお臍の掃除に看護士さんが来る。
こんなことしてもらうの初めて!ごっそり汚れの出る人もあるらしい~
わ~そんなん出たら恥ずかしいな~というが、エッヘン!きれいなもの!
夕食は出されたものを半分、その後は絶食。
浅田次郎の短編集を読み終え、10時、与えられた誘眠剤半分を飲み就寝。

17日・・・朝6時目覚める。よく寝たな~
7時過ぎ手術に向けて浣腸をされる。8時過ぎ夫と娘が到着。
9時手術室へ。用意を済ませ麻酔のマスクを被ったら即、意識がなくなる。
前日、手術室の音楽は何を流しましょう~なんてリクエストを聞かれたが
何のことはない!何にも知らない!!!

麻酔が覚めたら11時過ぎらしい。回復室に居た。家族の顔が見える。
みんなの顔を見て話しかけたりするが絶えずウトウト波の上。
点滴に痛み止めも入っているらしく、傷の痛みはそれほどでもない。
意識がしゃんとした夕方からの時間の長かったこと!
身体は動かせないし、背中や腰がだるくなってくるし・・・家族もみんな帰るし~
麻酔のために喉の奥まで器具を突っ込むといっていたが、
その後遺症か喉が痛くて声が充分に出ない。
お腹に力が入らないからなお更か、ひそひそ声だ。

18日・・・夜明けを待ちかねて導尿管を抜いて欲しいと申し出る。
検温、血圧、血液検査などを済ませた後、ようやく不快な管から開放される。
熱は37,3度、血圧正常。ゆっくり起き上がり、ゆっくり坐り、
ゆっくり立ち上がり、ゆっくり歩き始める。
午後もとの部屋に戻り、水分を取ってもよいとの許可が出る。
夕食は5分粥・・・美味しかったな~
トイレに行くにも点滴をお供につれて歩く。
ガスが出たか・・・と聞かれるがなにせ普段からお上品なもんで~
便秘薬を貰って寝る。夜中も点滴のお陰で2時間おきにトイレへ・・・


19日・・・少し歩きやすくなる。
歩け歩け、寝転ばずに座れ・・・という指示で病棟内を歩く。
まだお腹が突っ張るので前屈みでそろりそろり・・・あまり格好よくないな~
朝から三食全粥となる。
午後孫たちが見舞いに来る。いつもと違う様子に舞優は側に来ない。
心優は側に坐るが、「触っては駄目」と言われているらしく微妙に距離がある。
「高石のおばあちゃん、早くよくなってください」と手紙をくれる。
3時過ぎ、ようやく点滴が取れる。これでうんと楽になる。
部屋から見える夕日がとてもきれいだった。

20日・・・朝食がパンになり、今日から普通食に戻る。
持ちこんだ本も殆ど読み終える。
『齋藤茂吉のヴァン・ゴッホ』・・・西洋美術、特にゴッホの写実に惹かれた
茂吉の歌との検証がなかなか面白かった。
歩きやすくなってきた。歩幅も少し大きくなった。
お腹の傷を覗いてみる。臍の真下4センチ弱、みぞおちを2センチ強、
右わき腹に孔が2つ・・・なかなか賑やかなお腹だ。
抜糸をせずに明日退院の許可が出る。黒い糸が禍々しい。

21日・・・朝、回診の医師が午前中退院の許可を出したのに、
詰め所に連絡不備のまま、手術室に入ってしまったらしい・・・
退院のための書類ができていないと言う。
イライラして待つこと3時間余り・・・昼も病院食を食べる羽目に~
でも温かいものは温かくして運んでこられる病院食はなかなか美味しい。
18日に出た、いとよりの尻尾、はじめは骨に注意をして食べていたが・・・
なんかおかしい!骨がないみたい!丸身なのに中の骨がない。
まさか薬で溶かすわけはないだろうし、3枚におろしてから
また重ねるのだろうか・・・?ちょっと不思議な気分で食べたことでした。
2時過ぎに自宅に帰る。何やかや言っても家が一番いいかな~



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熊野古道伊勢路Ⅱ 2日目

2008-04-14 17:20:46 | ノンジャンル
4月10日、昨日から降り続く雨が本格的だ。
朝7時集合、雨のための完全武装をして出発。みんなの雨具がカラフルだ。
今日は三人歩くことを棄権、バスで移動することに・・・。
ホテルのある賀田町と三木の里を結ぶルートで、ハイキング程度の峠を
2つ越える。みごとな猪垣の続く道をわき目もふらずに歩く。
階段状の石畳にはしっかりと苔が・・・
羽後峠(海抜140M)三木峠(120M)の峠は難なく1時間余りで越す。
三木峠からの海を眺める眺望が素敵だそうで展望のためのベンチなどが
あるが、今日は坐っている時間もないし何にも見えない。

三木峠を降り国道を10分余り歩くとヨコネ道にさしかかる。
いつもブーブー文句を言いながら歩く舗装道路の国道が、今日はありがたい!
ヨコネ道ってなんだろう。歩くときは夢中で疑問にも思わず歩いたが・・・
今回は語り部さんも雨の中だし余り説明もなく歩くことに専念。

三木の里の海岸に着き、少し早い昼食。朝も早かったのでお腹がすいた。
山道でもほとんど休憩もなく、飴玉くらいでおやつを食べることもなく
ひたすら来たから・・・

静かな海を眺め少し人心ついてベンチに座り休憩。今はしばらく雨の止み間。

午後からは今回の一番の難所、八鬼山越え、約10キロ、4時間の行程だ。
のどかな田園の村を行くと八鬼山の案内板がある。
「熊野古道、世界遺産反対」の立て札が見える。
日々の生活をするのには世界遺産の規制が入り困ることがあるのだろう・・・
そんなことを思いながらすれ違う村人にあいさつをして通る。
雨で川が増水し、思わぬところで沢渡をしなければならなかったり、
西国一の難所といわれるだけの厳しい道が続く。

八鬼山(627M)へは急な尾根筋を一気に登る江戸時代の参詣道(江戸道)
明治時代に入ってから谷筋を多少緩やかに登る古道(明治道)があり、
我々は明治の道を行く。それでもすごい道。
川の音も水嵩を増して激しく聞こえる。時々沢蟹が歩いている。
沢を渡るのに滑って靴の中まで水でぐしょぐしょになる。
ロープを伝って渡る川もありもう必死の思い、滑りやすいし・・・



同じコースを12日、13日に歩いたTさんが八鬼山の写真を
送ってくれたので追加でハリコします。赤い落椿が苔に映えていますね~

また八鬼山越えの道には、町石と呼ばれる路程を示す道標があり
現在もいくつかは現地に残されている。八鬼山の町石は石仏であり、
光背に天正年間銘のあるものもあり、これらは現在の伊勢市内、
伊勢山田の豪商や全国各地に伊勢参りを呼びかける人たちが願主となって
熊野への参詣者のために設置したものだったという。
ひたすら歩く峠道に残されたこの石の仏たちにいくども心和まされた。

昨日と同じく下り道には縄を巻き歩く。
それでもあちこちで滑っている仲間の悲鳴が聞こえ、自分も2回尻餅をつく。

世界遺産反対の住民の声は山の中の杉やヒノキ、大きな岩にも
毒々しい赤いペンキで書きなぐられており、そのけばけばしさに心が痛む。
自分たちの気持ちをせめて山を歩く人に知ってもらおう・・・というところ
らしいが、見ていると同情よりも悲しい怒りのほうが大きくなっていく。

下りの七曲がりは難所中の難所。幾重にも折り重なるようにカーブする道、
苔が青々した滑るためのような石の道・・・
昔の巡礼達もたくさん行き倒れになったとか・・・行倒れ巡礼の碑もあります。

リュックのカバーにも雨が溜まり、時々相棒に捨ててもらいます。
雨具のお陰で身体こそ濡れていませんが、心はびしょぬれ状態!

自分の足で歩かなければ山を下りれない・・・そんな思いで一歩ずつ歩き下り、
ようやくバスの中で着替えたのが3時半頃かな・・・
水の溜まった靴を脱ぎ、新聞紙をまるめて入れ、バスの中は裸足!
身体も温かくなり、ようやく落ち着いてひたすらバスは帰路に・・・
道の駅でさんま寿司など夕食を調達し、車内で食べる。
難波着8時半過ぎ・・・帰宅9時過ぎ  しんどかったな~
鳥海山で雨に会い、大変な思いをしてからこれで2度目。
歩きとおした達成感、やったね!という思いがだんだんしてきました。

とりあえず歩くのが精一杯・・・今回は写真どころではありませんでした。


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熊野古道伊勢路Ⅱ

2008-04-12 22:58:01 | ノンジャンル
4月9日、いつもの集合場所でバスに乗り仲間と合流。
近畿道、伊勢道とバスが走るが今日、明日の天気が心配。
今日は何とか持つらしいが、今から行く尾鷲辺りから天気は崩れるという。
11時半ごろ、紀伊長島の道の駅到着。
海を眺め、桜の花のちらちら舞う下で少し早い昼食。
そこから1時間半余りバスに乗り、先回の終点、新鹿の海水浴場に到着。

1時40分出発、30分余りで今日越える3つの小さな峠の
1つめ逢神坂峠(海抜290M)へ
逢神坂(おおかみざか)峠は伊勢と紀伊の神様の会うところという説と
かって、狼が出たところという説があるらしい。
峠の下にはJR紀勢線のトンネルがあるそうだ。
杉とヒノキの山林に苔むした石の道が端正に続く心地よい道だ。

















30分余り歩いて2つ目の峠二木島峠へ
峠道には猪垣(ししがき)という猪や鹿から田畑を護るための
石垣が昔のままで残っているし、昼でも鬱蒼としている。



道端にマムシ草を見つけるが、急ぎ足で歩く列についていかねば・・・

JR二木島駅を過ぎ、曽根次郎坂太郎坂を歩く。曾根とは尾鷲市のことらしい。
昔ここが紀伊と志摩の国境であり、自領他領がなまってついた名前らしい。
猪垣や苔むした石道が相変わらず続く。
ヒノキの林が続き道の両脇には羊歯が新芽を出していてきれいだ!
たぶんこのあたりから少し雨が降り出し、雨具の用意をしていた人たちは
身支度にかかるが、「たぶん今日は大丈夫!」というコンダクターの話を
真に受けた私は、何の用意もなく大したこともないが雨に濡れて歩く。
次郎坂太郎坂は海抜305Mの甫母峠に続く。
峠にはほうじ茶屋跡があるが、雨になってからは写真どころではなくなり、
今回は写真はない。

ただでさえ滑りやすい石道が雨にぬれたいへん怖いし、日が暮れてきた。
今回はツアーコンダクターの計らいで、みんなに荒縄が配られた。
滑り止めに靴に二巻きほどして歩くわけだ。これで少し安心!

持参した懐中電灯をつけ、わき目もふらずに必死で下りを歩く。
約5キロ、2時間半の予定の行程が足が攣ったり、疲れて歩けない人が
出たりで予定が大幅に遅れ、ホテルのそばの海辺のの国道42号線に
全員無事到着したのは、もう7時だった。
ホテルで部屋に落ち着いたのが7時半、夕食が8時半から・・・ア~気忙しい!



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