赤い椅子

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タラバガニバイキング

2008-01-29 22:34:01 | ノンジャンル
日航ホテル関西空港まで家族でタラバガニのバイキングを食べに行きました。
どういうわけか夫がご馳走をしてくれました!



タラバガニ、ローストビーフ、スペアリブ、チキンローストほか
サラダ、ライス類、デザートまで・・・



タラバガニをいっぱい食べて・・・
食べた後の殻でごめんなさい<m(__)m>




コメント (7)
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熊野古道大辺路  Ⅵ 2日目

2008-01-22 22:05:22 | ノンジャンル
1月17日、朝7時45分、ホテル出発。風もなく気持ちよく晴れた空だ。
那智駅からしばらくは国道で車が多くて危ないため狗子川(くじ川)まで
バスで行く。8時到着。ストレッチをして出発。
源助茶屋の跡だという古い石垣が歴史を感じる道だ。



国道を横切りすぐに大狗子峠に差し掛かる。
しばらくして越える小狗子峠・・・名前に似合わず此方の峠の方が少しきつい。
山道から国道に出、JR 紀勢線と並んで歩く。
国道沿いにある佐野王子まで約1時間。
















しばらく国道42号線を歩き、黒潮公園に入る。
あちこちの歌碑があるが難しい字が並んでいる。万葉歌碑だったみたい!

JR三輪崎を越え緩やかな坂を上ると、孫八地蔵という
可愛い地蔵さんが赤い涎掛けで立っている。
孫八さんを供養しているのか孫八さんが寄進したのか・・・
語り部さんにも分からないらしい。



JRの高架下をくぐって坂道にたどり着く。
これが世界遺産となった海辺の熊野古道高野坂(こやのさか)である。
苔むした石畳が残っている。歴史の古さ、深さをしみじみ感じる道だ。
距離は1.5キロほどだ。

















上皇や貴族たちの熊野詣が盛んになってきた平安時代後期、
本宮大社から速玉大社・阿須賀神社・浜王子を通り、王子ヶ浜・高野坂・
三輪崎・佐野王子を過ぎて那智山へ向かうル-トが出来上がったようです。

さすが南紀、アザミの花が咲いていました。



高野坂を三輪崎側から上り詰めた辺りで振り替えると眺めが最高にいい。
昔の記録にも、難行苦行の熊野詣の途上で、この高野坂の高台から
大パノラマをかなたに展望した旅人は、思わず「ああ、ここは日本の南極だ」
と叫んだとあり、ここまで来た喜びと感動が表わされている。
熊野の海は今も昔も変わらずやさしく穏やかだ。
日に輝ききらめいていて丸い地平線が見渡せ気持ちが大らかになる。
この王子ヶ浜は新しい道が作られるまでの熊野古道である。
波打ち際に打寄せる波の音を耳にそぞろ歩いて30分で王子神社に到着。
















熊野九十九王子のひとつで浜王子とも呼ばれている。
平安時代後期の上皇や貴族たちの熊野詣では、本宮大社から熊野川を下って
速玉大社へ、そのあと阿須賀神社、浜王子を通り、高野坂、三輪崎、
佐野王子を過ぎて那智山に向かったらしい。

街中の果物屋さんできれいな新鮮なポンカンを見つけたが、
またあるかもしれない・・・と思いついに残念ながら買いそびれた。

町の中に急に中国風の立派な楼門が見える。徐福公園だという。



ここで昼食のお弁当を貰い食べる。春のような日差しの中で・・・

園内にははるか昔、中国から渡ってきたとされる伝説の人物、
徐福の墓があります。

徐福の伝承は今から約2200年前、中国は秦の時代、
始皇帝は東方海上にあるという蓬莱の島から、不老不死の霊薬を持ち帰れと
家来の徐福に命じます。そこで徐福は数百隻の船に数千人の男女、
金銀財宝を積みこみます。そして東方を目指して船出し、
新宮の地に渡来するのです。 彼は新宮で天台烏薬という薬木を発見しますが、
再び中国に帰ることはありませんでした。
この地に永住し、農耕、漁業、捕鯨、織物、紙すきなどの技術を
人々に伝えたといわれます。

公園内の池の鯉
















熊野川河口にほど近い阿須賀神社は、背後にある円錐形の山、蓬莱山を
ご神体とした自然崇拝が起源と考えられ、一説には熊野で最古の神社ともいわれる。



境内からは弥生時代の竪穴式住居が発掘され、また熊野の奥深い歴史を
目の前にした。















阿須賀神社のすぐ裏には熊野川がある。
大きな広い河口は海のようだ。対岸は三重県だそうだ。
新宮の町を20分くらい歩いて熊野速玉大社まで行く。
赤い大きな鳥居をくぐると、八咫烏(やたがらす)神社がある。
八咫烏は熊野権現の使い。三本足の烏です。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですね。
熊野古道歩きではよくお目にかかりました(^_-)-☆



熊野速玉大社は平安時代後期から熊野十二社大権現とも呼ばれている
昭和26年(1951)の再建で、彩色、建造物の配置など、皇族貴族の熊野詣が
最も盛んだった時代の威容が再現されているそうです。



境内には歴代の上皇などが熊野詣をした回数を書いた碑がありました。















白河上皇9回。
鳥羽上皇21回。
後白河上皇34回。
鎌倉時代に入って、御鳥羽上皇が28回。
・・・と頻繁に行われた熊野御幸も、熊野を浄土の地と信仰してのことで
願うは極楽往生。皆さん極楽往生できたのかしら?

1時45分、速玉大社からバスに乗り45分ほどで本宮へ。

明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・
岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる
中洲にあったそうです。
社殿が流されるほど大水害を引き起こした原因は、熊野川上流の十津川で
明治に入ってからの急激な森林伐採だといわれます。
社殿のほとんどが流出し、森林破壊に対するつけを払わされた形となりました。

2年後の明治24年3月に流出を免れた上四社を現在ある高台に遷座。
流出した社は元の「大斎原」の2基の石祠に祀られているそうです。

鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。
石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。
129段の石段を今日はこれで最期・・・と思って頑張って昇る。

















3時帰路に。大辺路の最終回は中国秦の時代、弥生時代、平安後期以後
鎌倉時代の上皇の頃、信長、秀吉・・・様々な時代の様々な人たちの
歩んできた後を辿り、訪ねて歩く道でした。大辺路134キロ・・・頑張りました!


さすが南の海辺、スミレの花や梅が咲き道ばたには土筆も見付かったという。
3月からは伊勢路に入る・・・また違う歴史、出会いを訪ねて歩きたい。



コメント (4)
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熊野古道・大辺路Ⅵ

2008-01-19 22:30:03 | ノンジャンル
1月16日、今年初めの熊野古道歩きに出発。
難波8時30分発、阪和道の紀ノ川で小休止を取り、
新しく11月に開通した南部IC~南紀田辺ICを通り中辺路道の駅へ
12時前到着、昼食を取り熊野古道の代名詞のような大門坂へ・・・
先回のJR那智駅から出発するのが順当だが、今回は那智大社、
青岸渡寺などの閉門時間の都合で、先ずバスで大門坂に行き
そこから那智大社に向けて1時30分出発。

大門坂は、かつてこの坂道の入口である、「熊野九十九王子」最後の、
「多富気王子」(たふけおうじ)に、大きな門が建っていたことから、
この名がついたと言うことだ。



「熊野曼荼羅の郷河川公園」から、山へ向かって歩きだすと
やがて那智川の支流である「振瀬川」にぶつかる。
 
ここに架かる「振ヶ瀬橋」(ふりかせばし)は、昔より、俗界と聖域とを
分かつ橋と言われ、この橋を渡りきると、いよいよ大門坂の入口だ。
熊野古道の代名詞でもある苔むした石畳が続き、趣のある美しい坂道です。 
大門坂の入口には、推定樹齢800年の大きな一対の老木、「夫婦杉」があり
聖地熊野に足を踏み入れる心の準備が出来ているかを、問われるような・・・
そんな雰囲気を漂わせている。


 













この132本の杉並木は、いにしえの参詣道の姿を色濃く残しており、
かつて多くの旅人が、さまざまな想いを胸に歩き続けた熊野古道の姿を、
現代に伝えているようだ。



何ともいえぬ静けさ、木漏れ日の中、両脇の花茗荷の赤い実を見ながら
267段の石畳を登ると、しみじみと歴史の重さを感じます。
















坂の途中で、これからいく那智の滝が見える。



古来より多くの人々の信仰を集めた熊野那智大社は、473段の石段を登り、
標高約500mに位置する社殿は6棟からなり、朱塗りの社殿は華やかだ。

現在の位置に社殿が創建されたのは仁徳天皇の御世(317年)で、
その後、平重盛が造営奉行となって装いを改め、やがて、織田信長の
焼討に遭ったのを豊臣秀吉が 再興し、徳川時代に入ってからは、
将軍吉宗の尽力で享保の大改修が行われています。
信仰心に護られて今なお華やかな本殿は国の重要文化財だという。



ねずみの大きな絵馬と那智大社
















同じ境内と思えるところに西国33番の札所の一番青岸渡寺がある。
現在の本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、
桃山時代の特徴を色濃く残し、ここも国の重要文化財らしい。



本堂後方には、青空に映える朱色の三重の塔が聳え、壮大な大滝との
コントラストが美しい。
















那智山の奥山、大雲取山から流れ出る本流に、いくつもの流れが重なり合い、
ついには原生林 を切り裂くように落下しているのが「那智の大滝」。
その滝口まで降りる道に三椏の木を見つけた。花はまだ蕾だ。



水柱は直下133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの日本一の名瀑で、
銚子口の岩盤に三つの切れ目があって、三筋になって落下するところから、
「三筋の滝」ともよばれている。

その上には注連縄が張られていて、神社(飛瀧神社)の御神体として
この滝を崇め、毎年7月9日と12月 27日の2回、
古来からの神事にのっとり命がけの「御滝注連縄張替行事」が行われる。



上田三四二の「滝の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す」
はじめは不思議だったこの歌が、滝口まで来て見上げ、空のくぼみを
実感しました。よく見て詠む大切さを教えられました。さすが・・・

日暮れの早い山を出、大門坂の駐車場までバスで戻り、残り那智駅まで歩く。
30分余り歩くと市野々王子がある。
今日2つ目の王子。熊野詣の人が多くて市が出来たのでこの名があるらしい。
















村の民家の中を歩きながら、荷坂峠の上り口にある荷坂の五地蔵にあう。
西日をいっぱい受けた山の斜面に五輪塔やお地蔵様の姿が温かい。



竹やぶや川沿いの感じのいい道を歩くが滑りやすい道だ。
地元の人たちが滑り止めにと使い古しの絨毯などを敷いてくれ、
古道歩きの人たちへの心遣いがありがたい。
そんな道で見かけた美男葛の赤い実。
















日の暮れかけた4時半ごろ、補陀洛山寺に着く。
海の向こうにあるユートピア・・・補陀洛山寺では、ここに行く「ふだらく渡海」
という風習が百年近くもの間実際に続いていたといいます。
ふだらく渡海を行うのはこの補陀洛山寺の僧で、僧は決められた歳になると
「渡海船」と呼ばれる小さな船に閉じこめられ、那智の浜から沖に流されました。
当然、その多くはそのまま海の藻屑(もくず)となるわけですが、
中に一人だけ沖縄に流れ着いた僧がいたらしい。
今で言えば僧侶の定年、姥ではないが姥捨て山・・・なんと残酷な~
生きてお墓に入る僧や覚悟の上で小船で海に出される僧・・・
修行とは僧侶とは厳しいものですね!



補陀洛山寺の本堂。本堂の前には渡海上人の名前が刻まれた碑があった。

県道を通り那智駅到着。5時でした。5分余りでバスはホテルへ。




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突然に・・・

2008-01-13 22:44:52 | ノンジャンル
12日、好日の新年会・・・
大津の琵琶湖ホテルで心配した雨も余り降らずに
各編集委員のそれぞれの批評を楽しんで勉強が出来た。
さららさん、お疲れ様でした。

13日、10時過ぎからジムに行き、健美操に入り午後からは
ホットヨガに入り気分よく身体を動かして帰ってきた。

居間に子供のものが散らかっている・・・???
急に孫たちの守り役が入り、いま夫が近所の遊園地に連れて行っているという。
しばらくして帰ってきた孫たちとおやつを食べ、粘土遊びや
折り紙、しりとりなどをして遊ぶ。
言葉をたくさん知っているのに驚く。幼児の知恵は果てしなく伸びて行きそうだ。

孫たちの2月のお誕生日のお祝いにと娘2人からブーツのプレゼントが
用意してあったので早速開けて履いてみた。
2人の好きなピンクで暖かそうなブーツ・・・
歩くと両脇が光るようになっていて2人は大喜び!



夕ご飯をおばあちゃんところで食べたいという2人・・・
ママに電話をしたが駄目だという・・・
電話口で泣き出す舞優、心配そうに見ている心優。
でも結局迎えに来た父親に連れられ、しょんぼり帰った2人。

何故いけないのか分からないけれど・・・なんだか可哀想(ーー;)
娘の子供ではないから・・・強く言えなくて仕方ないけれど。
2人がだんだん自立していくのに、大事で必要なことだとも思うけれど・・・
そんなこんなで孫とちょっと淋しい別れ方をして、わびしい夜です。
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三線と三味線

2008-01-05 21:47:34 | ノンジャンル
去年夏から新しい友人になったTさんが4日、遊びに来た。
彼女は沖縄民謡と三線のお稽古をしている。
沖縄民謡は気持ちの込めようや言葉がとても難しいらしい。
歌の話もしたいが三線や三味線の話もしたいという彼女が
三線を背負ってやってきた。
民謡三味線の夫やピアノをする娘たちとひと時楽器を触って
話がはずんだが、音痴で楽器には興味のないmamaGONは輪の外に・・・



彼女と夫の合奏(?)・・・でも初めてなのでやっぱり上手くはいかない。

歌の話しをして夕ご飯をゆっくり食べ・・・食後もいろんな話しをして
夜10時半に娘に車で駅まで送ってもらって帰りました。

コメント (2)
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