20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第13回目。
今、1995~99年までについてです。今回は、そのころの開発方法論、その3 DOAとER図です。
■ウォーターフォールの欠点
当時、ウォーターフォールは全盛だった。
そして、DFDによって、開発の妥当性(検証可能性)についても、プロセスとそこにくるデータフローで確認できるようになり、DFDを使ったウォーターフォールは、論理的にも深みを増してきた。
。。。が、致命的な欠点があった。
ウォーターフォールは前の開発フェーズに戻ることはない。
要求仕様がきまり、外部設計が決まり。内部詳細設計に入っているときに、要求仕様の変更は、基本的にできない。そーすると、開発が終了するまで、要求は直せなくなる。
当時の世の中の動きから、これは大きな制約だった。
■データの構造に着目する
そこで、まず、変わらないものをベースに考えようという話になった。
このとき、プロセスは変わりやすいが、データ構造は変わりにくいということで、データ構造を解析するDOA(データ中心指向)が出てきた。
DOAにおいて、データを分析する際、それを表現するものとして、ER図が使われた。
データをエンティティ(と属性)とその関係という形で考え、それを図式化したものである。
IDEF1Xが標準ということになる。
エンティティは、DBのデータに相当し(リレーションも中にはテーブルになるものもある)、れレーションを外部キーであらわすことにより、RDBを表現できるので、これとDFDを合わせて、分析手法として、定着していった。
とくにDOAによる開発方法としては、ER図とDFDを書き、(ER図のエンティティはDFDの入出力に現れるようにし、そのデータフローとプロセス間に矛盾がないことで)、仕様のチェックをして、ERのエンティティをテーブルに落とし、プロセスをプログラムで表現するという形ができてきた。
■のちの社会への影響-T字型ERの隆盛
この後の話になるが、特に日本では、佐藤正美氏のT字型ER図により、DOAはさらに発展する。
このT字型ER図は帳票から佐藤正美氏の説明する方法により、T字型ERに落とせるため、差詩集的には帳票によって情報伝達をするビジネス社会において、帳票をERに落とし込むことで、ビジネスの形が見える手法ということになる。
まあ、そんなこんなでウケて、いまではDOA+として、存続している。
一方、仕様変更の局所化(=>カプセル化)という方向も出てきて、これがオブジェクト指向につながっていき、97、8年ごろの九州大学病院の失敗へとつながっていくわけだが、これについては、次回書きたいと思う。