20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第14回目。
今、1995~99年までについてです。今回は、そのころの開発方法論、その4 オブジェクト指向です。
■OMTとか、SmallTalkとか
オブジェクト指向は、データと業務(メソッド)をカプセル化により、局所化することによって、修正箇所を局所化でき、また、ものをベースにしているため、ものをクラスとしてとらえ、そこから実社会をモデル化して開発できると「された」!
しかし、いま「された」!に「」をつけたように、現代においては、これはもう、要求文の品詞レベルから、Javaのプログラミングまで一貫した流れになるけど、当時は、そこまではっきりしていなかった。
small talkを使っていればオブジェクト指向とされるような風潮もあった。
当時のはやりは、設計分野においてはOMTであり、手元にある「オブジェクト指向方法論OMT」が、1992年の出版であることから、95年の当時には、その考えは知られていたといえるが、実際には、うーん、どーなんでしょうねえ。。
ま、当時から、羽生田氏と本位田氏は知られていたことは、たしかだ。
■九州大学病院
ここで、問題になったのが、九州大学病院の開発だ。
当時(たしか1997年か98年)IBMが開発した、九州大学病院のシステム、当初はオブジェクト指向でやるという話だったが、実際にはこれが。。。。
結局、VBで納品することになった。
このとき、大量のオブジェクト指向プログラマ、SEが導入されたが、それでも結局、SmallTalkではなく、VBで納品されたということは、オブジェクト指向開発に、冷や水を浴びせる格好となった。
■どうしてこうなったのか
「どうしてこうなったのか」をウィリアムのいたずら的に推測すると、当時のオブジェクト指向開発方法論の未熟さであろう。
現在なら、要求文を動詞にわけ、それに対するメソッドを書き、その動詞が対象とする「もの」(おもに名詞)をクラスとして(原則)、その中にメソッドを書き込むといった、一連の流れができている。
しかし、当時はその流れがあいまいだった。
この流れはJavaの登場と、2000年以降のUMLと仕様書、プログラムが融合することによってできる。
きょうはここまで