まえに、梅田氏の「日本のWebは残念」の話に関して、そもそも、日本の文化と、アメリカなんかの文化が違い、
アメリカは、文書なんか中心の分野だから、論文公開や議論のためにwebを使うということが広まるけど、
日本の場合、「会って信用する」という分野がまだ強い(メールで意思疎通より)っていう話を書いた。
日本の場合、そういった、論文とかの公開は、既存の学会、国際会議でよいと考える人が、多いと思う。
素人が来て、いろいろ意見言っても、混乱するだけだしねえ。。。生産的ではない。
知っている人が、生産的に活動するには、やっぱ、集まってやるのがよくて、そーいったメディアである、
学会、国際会議がある限りは、わざわざ、Webでやるのも。。。っていう部分があると思う。
あるメディアがあると、新しいメディアのほうがよくても、一般にすぐには広まらない(地デジとか)
一方、日本には、こーいった一般の人同士が、水平的な展開(=上ではなく、横のつながり)で、情報を交換する方法は、あったけど、乏しかった。たとえば、「ここのお店はおいしいです」、「このソフトのインストール方法」などは、学会で議論されることはなく、頭のいい人、上の人にとっては、不要な情報かもしれないけど、一般の人には、必要な情報で、このような情報を交換する場は、Web以前は、パソコンやネットの掲示板しかなかった。
しかし、掲示板は議論になってしまうので、議論したくない、個人的感想を書きたい人は、そんな情報をかく場所がなかった。
一般の人にとっては、学者の理論などは、まず普通の生活では不要で、多くの人に必要な情報は、このような「ここのお店はおいしいです」、「このソフトのインストール方法」だった。そこで、Web、ブログが出たとたんに、これらの情報が、Web、ブログで広まった。
つまり、日本において、学者さんや頭いい人のメディアはすでに存在していたので、Webというメディアは、まだ浸透していない。
一方、一般の人に必要な情報は、それを交換する手段がなかったので、ネットが出てきたとたんに広まった
ってことになる。
では、一般の人が必要とする情報を交換する手段はなかったのか?っていうと、あった。
それが、放送だった。
ところが、放送は、Webが出てきたことにより、いままでの展開をすることができなくなってきた。
そのことについては、その3で書こうと思う。