遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

柳家小三治さん死去

2021-10-12 16:43:46 | 日記

令和3年10月12日(火)

柳家小三治さん死去

落語家で人間国宝の柳家小三治さんが10月7日に心不全

のため、都内の自宅で亡くなられた。(81歳)

中日新聞

 

ラジオの素人寄席で注目されて、1959年(昭和34年)

に五代目柳家小さん師匠に入門。

1969年(昭和44年)、17人抜きで真打昇進を果たし

10代目「柳家小三治」を襲名した。

2010年(平成22年)、落語協会会長に就任。

独特の仕草や間の取り方が旨く、飄々とした語り口と可笑し

みに口座を高く評価された。

本題に入る前の「まくら」は、周辺の雑事と豊富な話題にも

人気が在り、「まくらの小三治」の異名を持つ。

1981年(昭和56年)、芸術選奨文部大臣新人賞受賞

2005年(平成17年)、紫綬褒章受賞。

2014年(平成26年)、旭日小受章授賞。この年には、

柳家小さん、桂米朝に次いで3人目の人間国宝となった。

亦、俳句にも堪能な方で、三代目桂米朝らと伴に「東京やな

ぎ句会」を1969年に組織した。 俳号は「土茶」

創設メンバーは他に、入船亭扇橋、永六輔、小沢正一、江国

滋、大西信行等が居る。後にメンバーは高齢で次々亡くなり、

新メンバーを加へ会を存続させた。

柳家小三治著:どこからお話ししましょうか、

 

今日(12日)の朝刊コラム「中日春秋」に柳家小三治さんの

追悼記事があった。

『入門に際しては両親、とりわけお母さんが反対した。どうして

もその道に進みたかった男の子は落ち込み、毎日壁に向かって

ぼんやり座り続けるようになる。家の中が暗くてしようがない。

両親もついに音を上げ男の子を送り出したという。その道は独自

の話芸や人間国宝に繋がっているんだよ。壁の前の若者に教えた

くなる。

落語家の柳家小三治さんが亡くなった。81歳。「青菜」「小言

念仏」。それほどでもない噺が、小三治さんが演じると、どうして

あんなに可笑しかったのか。噺で覚えるのが苦手だったそうだ。

セリフや筋を覚えるだけならさほど難しくはないだろうが、小三治

さんの場合は「了見で覚える」。先ず登場人物の心持ちになって、

その人の言葉として覚えて行くというから、やっかいな作業だった

のだろう。セリフや動きよりも人物の了見を重視した芸は派手さは

足りなかったかもしれない。その分人間を丁寧に描いた。

どんなに滑稽な噺でも、その笑いの裏に在る悲しみや淋しさの様な

物までつい想像させる、そんな口座だった。

談志さんの「凄み」や志ん朝さんの「華やかさ」に対し、小三治さ

んは「深さ」が。 二日の「猫の皿」が最後口座だったと聞く。

以前、最後は「粗忽長屋」でと言っていたので、未だ未だ続けたか

ったのだろう。

淋しい。ファンには「小三治」ではなく、「大惨事」である。

(中日新聞朝刊コラム「中日春秋」より引用した。)

 

11月14日(日)に、港区の「信興寺」に於いて柳家緑也の

落語会が催される。

彼は名古屋市港区出身で2006年(平成18年)に柳家花緑

一門へ入門し、2010年(平成22年)に二つ目昇進し、

今年9月21日に真打へ昇進した。

名前を柳家緑君から緑也に改名した。師匠の柳家花緑は5代目

柳家小さんの孫にあたる。

今日の1句(俳人の名句)

ひといきに葱ひん剥いた白さかな   土茶(小三治)