遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

伊賀上野城

2022-12-26 16:46:43 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年12月26日(月)

伊賀上野城

伊賀上野公園内に在る「芭蕉翁記念館」を出て、上野城へ向かう。
公園入口、
案内図、
上野城跡、

公園南の通りを挟み、上野西小学校の立派な土塀が連なる。

上野西小学校前、

土塀の上には屋根瓦を施し、上部が土塀で中央より下部は板
の格子がはめ込んだ大層立派な塀が続いている。
城下の街並みへタイムスリップしたような感じする。

土塀が切れた所を右折すると城門があり、其処を潜り石段が
続く。 
孫達は急ぎ駆けあがって行くが、私はカミさんとゆっくりと
一歩づつ石段を踏みしめ、途中歩を止めて休みながら進む。

登り切った右手の木々の間から天守閣が見えた。
思ったより、立派な大天守閣である。
登り切った高台(広場)の先に「高石垣」があり、孫達は親
に注意されつつ、下の堀を眺めていた。(囲い垣がな)

私達も、恐る恐る石垣に手を添え、下を覗き込む、、、、。
(さすがに日本一を競う高石垣である、、、)

天守閣へ、


天守閣への石段、

石段を上がると、入口に鯱(天守にある物と同じ)、

入場するとふれ太鼓(登城を告げる)、

正面に藤堂高虎の像がある。

藤堂高虎の兜、

藤堂高虎の家系図
父:虎高、母:とら、とある? トラさんもビックリ

荒木又右エ門、鍵屋の辻仇討ちの錦絵(歌舞伎演目)

天守閣上階への階段(勾配が急で降りる際怖い)


伊賀上野城は天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命を受け
郡山から上野城主となった、筒井定次が天守・本丸等を築いた。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、城を明け渡す。
慶長16年(1611年)築城の名手とされる藤堂高虎が伊賀
に入国し、上野城の大幅な大改修を行った。 完成を間地かに
した慶長17年(1612年)大嵐のために天守が倒壊した。
慶長19年(1614年)家康が関ヶ原の合戦で勝利した後、
高虎は交通便の良い津城を本城とし、上野城を支城とし天守を
立てなかった。(入口に上野城跡と在るのはそのため)
現存の城は昭和10年(1935年)に「伊賀文化産業城」と
して完成した。白塗の層搭型3層3階、高さ23mの大天守と
2層2階の小天守が建てられた。

高石垣は、大阪城の高石垣とともに、高さ日本一を競う。
慶長16年(1611年)に「打込はき」の技法で築いた。
根込みより天端迄の高さは29,7m、三方に折廻して、
総延長368mに及ぶ。

伊賀上野城の天守閣は、後に立てられたもので在るが、
築城に関わった、藤堂高虎の技術の高さは世に知れ渡る。
日本全国の名城と云われる城の多くは藤堂高虎が関わり、
この天守閣2階にそれらの写真が掲げられていた。


名古屋城、彦根城、犬山城なども、

現在の上野高校グランド、上野西小学校等の在場所は武家屋
敷等が在り、城下町が発展していった名残のある街並みが、、
城を出て城下町をぶらつき、暫し喧噪を忘れて、、、、。


今日の1句

手を取りて高石垣の共白髪   ヤギ爺

冬花火

2022-12-25 16:23:17 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年12月25日(日)

冬の花火

昨夜(12月24日)、クリスマス・イブ恒例の花火大会が
名古屋港ガーデン埠頭で行われた。


「音楽と花火のロマンチックな競演」をキャッチフレーズに
愛知県岡崎市の老舗花火業者「磯谷花火店」が、クラシック
や洋楽等の様々な音楽に合わせ花火を打ち上げる(有料)。





大音響とともに迫力ある大輪花火、星やハートの形の花火が
多数鏤められ音に合わせて踊る、水上を仕掛け花火が奔る、
寒さ厳しい夜の名古屋港、、見上げる家族連れやカップル等
寒さなど何のその、、、、夫々の心(気持ち)はポッカポカ。
45分間の花火大会は終了した。
「冬の花火は夏場より、夜空が澄みきってとても綺麗」と言
われるのだが、、、



この寒さ、ベランダ観戦の我々(年寄り)は早々部屋へ退散、
大音響と地響きだけは暫し鳴りやまず、、、、、。


今朝(25日)の公園は積雪もなく、昨日より暖かい、、、
昼日中、冬休みに入ったのに誰も寄り付かない、、、。
クリスマス・プレゼントを貰い、何処かへお出かけ、、

それとも部屋でゲーム三昧、、、、?


今日の1句

冬花火寄り添ふ影の鮮らけし   ヤギ爺

初 雪

2022-12-24 16:01:15 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年12月24日(土)

名古屋の初雪

今日も日本列島は強い寒気に覆われ、東北南部から北陸周辺
の地域を中心に大雪に見舞われた。


今回は岐阜県山間部や名古屋市付近を含む西日本太平洋側で
も雪雲が発達し、積雪となった。

今朝、あまりの寒さに5時頃に目覚め新聞を取りに玄関へ、
この時には雪は降って居なかったが、、、、
5時半頃に窓外を眺めると雪が舞い始めている。
雪は民家の屋根を見る見る白くし、下の公園には積雪が始ま
った。


ラジオ体操(6時30分~)を終えて、外を眺めると本当に
一瞬のうちに真っ白、、一面の銀世となって居た。

名古屋栄付近、
通勤の足、、、


朝10時の名古屋気象台は、10cmの積雪と発表した。
私の住む南部の名古屋港周辺では5cm程の積雪である。

公園には子供達の歓声が聴こえ始め、、、雪合戦や雪だるま
を造りだす、、、、やはり子供達には雪は天からの贈り物。
これは、、「今晩はホワイトクリスマスだ、」と思いきや、
午後には、これまた一瞬の内に雪解けとなっていく、、、。
子供達の楽しみも一瞬に終り、雪解けの雪だるまも、、、。
私(高齢者)には、積雪は手放しには喜べない、、。
この処、急激に足腰が弱まり、積雪や雪解けのぬかるみの道
は、滑って転倒し易く、、、子供等には申し訳ないがこれで
(一瞬の雪景色)良かったのかも知れない。

アレコレと、、コーヒータイム、、、
私のモンブラン(相も変わらず)
カミさんの、、、

今晩は出歩かず、(イルミネーションは昨年のもの)



ホワイトクリスマスでも聴くとしようか、、、

今日の1句

子等はしゃぎ来て束の間の雪景色  ヤギ爺


芭蕉の里

2022-12-23 16:27:34 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年12月23日(金)

芭蕉の里を訪ねる

息子の家族と伊賀上野へ出かけた折り、「芭蕉翁記念館」
を訪れた。

伊賀上野公園には、藤堂高虎が築城した「伊賀上野城」、
「俳聖堂」、「伊賀流忍者博物館」などが在る。

孫達は以前、「伊賀忍者屋敷」等に出掛けて居り今回は
爺さんの我儘を通して貰った。


芭蕉は、寛永21年(1644年)に伊賀の国で生まれ
たが13歳の時に父が他界し、19歳の時に藤堂新七郎
の嗣子、良忠に仕え俳諧への道を目指す。
然し良忠が25歳で亡くなり、藤堂家を辞し29歳の時
に江戸へ出る。32歳の時に西山宗因が主宰する句会に
参加、俳号を「桃青」とする。
37歳で深川庵に移り、門人から芭蕉の木を贈られて、
これより俳号を「芭蕉」と名乗った。
その後41歳の時「のざらし紀行」の旅で尾張から近江
を紀行する。
44歳の時には「鹿島詣」の旅に出て「笈の小文」を。
46歳の春から秋にかけ「奥の細道」の旅に出る。
48歳で、「猿蓑」を刊行した。
51歳、「奥の細道」が刊行し、9月大阪の地で病死。
芭蕉は旅の行く先々で次々と門人等が増え、芭蕉の世話
をされた方は数知れるようである。多くの紀行文や遺墨
を残されて居り、昭和34年(1959年)に生誕の地
である伊賀市丸の内の上野公園内に「芭蕉翁記念館」が
開館した。



展示室には翁の遺墨を始め,俳諧の文献や古文書が展示
され、隣接して文庫、茶室などがある。



クイズのヒント、


孫達(中1男児、小4女児)は、意外に大人しく館内を
巡り、「芭蕉クイズ」(結構難しく、時折孫から質問さ
れるが判らず、たじたじ、、、)二人で館内のヒントを
探し、見事全問正解をして、記念品を貰い大喜び。
その後、投句コーナーがあり、小4の女児が初めての
俳句作りに挑戦し、「投函」をした。
その後、伊賀上野城へ向かった、、、、、。
芭蕉の生家(上野赤坂町)
芭蕉の肖像画、


今日の1句(俳人の名句)

旧里や臍の緒に泣きとしの暮  松尾 芭蕉

冬 至

2022-12-22 17:07:17 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年12月22日(木)

冬 至 : 柚子湯

二十四節気の一つで、太陽の黄経が270度に達した時。
立冬から45日後、陽暦の12月22日頃にあたる。
北半球では太陽が最も遠ざかり、昼間の時間が最も短い日
である。

この日を境に、また日が徐々に長くなってくるところから
「一陽来復」ともいう。
実際には寒気がの頃から厳しくなる。

この日に、粥・南瓜・蒟蒻などを食べる習慣が在る。

また、当時の日に香り高い柚子の実を丸ごと或いは輪切り
にして風呂に浮かべ入浴する風習もある。

ひび、あかぎれに効き、風邪などの予防にも良いとされる。
5月の節供の「菖蒲湯」や「桃葉湯」などと並び、みそぎ
の名残ともいわれている。
亦、「冬至粥」は冬至の日に「小豆粥」を食べる。

「冬至南瓜」、「冬至蒟蒻」といいそれらを食べる風習も
見られる。

陰暦の11月23日の夜、小豆粥を「お大師様」に供える
「大師講」と4,関連つけされる。
また、「赤柏」とは小豆めしのことをいう。

カミさんが、柚子と南瓜を買って来た。



「冬至」を忘れないでいた様である。今夜は柚子湯に入り
南瓜をいただくこととしよう、、、、、、、。
今日の1句(俳人の名句)

柚子湯して命の末のみゆるかな  小林 泰治