「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「熊野若王子神社」(にゃくおうじ)

2006年04月12日 16時45分39秒 | 古都逍遥「京都篇」
 当社は永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請したのが創祀である。祈願所とされた正東山若王子の鎮守であったが、明治初年の神仏分離によって当社のみが残ったという。足利尊氏、義政が、この地に花を愛で宴を開いたと伝えられ、今日でも東方山中に瀑布が有り、熊野三山の那智大社に相当する奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉の名所となっている。花見の宴を開いたとされる所は現在「桜の苑」として整備されており、その高台からは洛中、西山が一望できる。

 社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがあったが、現在は一社相殿になっている。なお熊野三山の他の二社は、東大路丸太町にある熊野神社が速玉大社、東大路七条の南にある今熊野神社が本宮に相当するという。熊野詣に当たり、この滝で浄めを行ってから出発したと伝わっている。
 若王子神社は祭神として、天照大神、伊佐那岐(いざなぎ)命、伊佐那美(いざなみ)命、国常立(くにとこたち)命が祀られていて、天照大神の異名「若一王子」からとった社名である。
 境内末社の恵比須社で祀られている恵比須大神は、かっては西洞院中御門(椹木町)あたりの蛭子社で祀られていたが、応仁の乱で神だけ残し焼失、その後この若王子で祀ら
れるようになったとか。蛭子社の傍を恵比須川が流れていたが、現在では“夷川通り”の名だけが残っている。同志社大学を創立した新島襄の墓がこの山頂にある。

 なお、この神社の御神木「椰(なぎ)」の葉で作られたお守りは、あらゆる悩みをナギ倒すとして人気だそうだ。

 所在地:京都市左京区若王子町2
 交通:市バス5番で永観堂前下車、または203番で東天王町、32番で宮ノ前下車
徒歩約10分。


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