「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「詩仙堂丈山寺」(しせんどうじょうざんじ)

2006年04月10日 18時24分13秒 | 古都逍遥「京都篇」
 古都の名刹は四季折々の風情を漂わせているところが多い。その中でも詩仙堂は、その随一なるものがある。
 詩仙堂は徳川家康の元家臣で、江戸初期の文人・石川丈山(いしかわじょうざん)が寛永18年(1641)に隠棲して建てた草庵で、現在は閑静な禅宗の寺院として親しまれている。
丈山の渾身の作と言われる庭は、早春にはカタクリが可憐な花をつけ、若竹の葉ずれのささやき、桜の香りにつつまれた春爛漫、中でも皐の頃は素晴らしく、庭内を覆うかのようにかぐわしく咲き誇る。秋は紅葉を愛でながら猪おどしの寂びた音を聞き歌人たちへの思いをはせる。京都を訪ねる人の多くはこの詩仙堂をまずお目当てにくる。
正しくは「凹凸窠」(おうとつか)と称し、詩仙堂はその一室を指している。「凹凸窠」は、でこぼこした土地に建てた住居という意で、詩仙堂の名の由来は、中国の漢・晋・唐・宋の詩家36人の肖像を狩野探幽・尚信に描かせ、図上にそれらの各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」を中心としているところから「詩仙堂」呼ばれるようになった。数奇屋造りの瓦茸きで創建当初の姿をほぼそのまま残しているという。庭園とともに往時をそのまま偲ぶことができる。

丈山はここに「凹凸窠」10境を見立て、入口に立つ山茶花の大垣根「小有洞の門」(しょうゆうどうのもん)を通り、竹林に挟まれた石畳の参道をのぼり詰めた所に「老梅関の門」(ろうばいかんのもん)。建物の中に入り「詩仙の間」「至楽巣」(しらくそう)、嘯月楼(しょうげつろう)、「至楽巣」の脇の井戸、「膏肓泉」(こうこうせん)、待童の間、「躍淵軒」(やくえんけん)、庭に下り蒙昧を洗い至る滝という意の「洗蒙瀑」(せんもうばく)、その滝が流れ込む浅い池「りゅうようはく」、庭に百花を配したという「百花塢(ひゃっかのう)、それに閑寂な音を発する「僧都」(そうず・鹿おどし)など10景は、丈山ならずとも、今人たちをも悠久にいざなう。この他、多数の硯、詩集「覆醤集」(ふくしょうしゅう)など多数の品々が残されている。 

 交通:JR京都駅より市バス5系統、一乗寺下り松下車すぐ。
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