原稿を書いているときはBGMを流しながらワードプロを打つことが多い。
流す音楽はクラッシックが多いが、時には70年・80年代のポップス、ロックなども。ジャズは仕事の手を休めてコーヒーや緑茶を飲む気分転換の時。だいたいどんなジャンルでも好む。
日曜日の夕食後、妻はNHKBSで「BS新日本の歌」を聴いている。妻は歌謡曲やJポップスが好み。
先日それを聴きながら「カラオケはいつになったらいけるんだろう?」と云い、「ワクチンを打ち終えたらいけるのかしら」と・・・。
だけどワクチンを打ったからといって安心というわけでもないが、国民のほとんどがワクチン接種を終えると大丈夫かもしれないと答えた。
そう、カラオケには2年近く行っていない。夫婦だけで行くこともあったが、太鼓チームの新年会、慰労会などの二次会でカラオケに行っていた。
カラオケと云えば30歳の頃、カラオケが流行り始めたころだったがナショナルで発売したホームカラオケデッキ8トラックを購入した。凝り性の自分、8トラテープを買い込んで我が家でクレージーに練習しまくった。
気が付けば8トラとカセットテープを合わせて200巻を超えていた。お陰で100曲は楽に歌えるようになっていた。
もともと歌は得意だった。大学時代、そのころブームだった「グリークラブ」に所属し4年間頑張ったし、下宿の近所の知り合いに頼まれて町の教会の聖歌隊で指揮もとっていた。
グリークラブ1年生の頃は発声練習ばかりで、「面白くない」と辞めていく者も多かったが、何事も基本を重要視する自分は発声こそ大切と続けた。担当はベースだったので胸に響かせる発声法だった。熱心が認められて1年生の秋にはレギュラー入りを許され合宿にも連れていかれた。黒人霊歌やロシア民謡、組曲、宗教曲ミサ、日本の唱歌、民謡等幅広かった。
晴れ舞台といえば定期演奏会や各地方への演奏旅行の他に、運よくダークダックスと梓みちよが出演しているTBSの歌番組にグリークラブとして出演したことがある。
卒業して金融機関に入社、事務職を経験したのち支店勤務となり転勤転勤で全国を回っているうちに、営業職の辞令が発せられ、客との付き合いや接待、そして接待を受ける立場となるなど社交が主な仕事となったため、スナック、クラブなどへも行く機会が多く、もてなしのカラオケも仕事の一つとなっていた。
だが酒が飲めない体質だったので苦労したが多忙な日々だった。
カラオケも上達しクラブやスナックなどでもモテモテ(これ自惚れ)だった、しかし凝り性は引き潮のごとく冷めた。
プッツンと歌わなくなり、最後に覚えたのが都はるみの「千年の古都」だった。朗々とした歌い方が自分に合っていた。
・・・それから歌を忘れたカナリアとなった。
年に1回か2回妻とカラオケハウスへ。そして太鼓チームの懇親会。
コロナの影響もあり2年も行かないと声が出なくなっているだろう。歌えるだろうが高い音、低い音が出にくくなっていると思うし声も響かず、説得力のある歌唱ができないかもしれず自分で納得する歌い方が出来ないだろう。
しかし、妻がカラオケに行きたがっているのでコロナが収束したあかつきには行ってみようかな・・・。
流す音楽はクラッシックが多いが、時には70年・80年代のポップス、ロックなども。ジャズは仕事の手を休めてコーヒーや緑茶を飲む気分転換の時。だいたいどんなジャンルでも好む。
日曜日の夕食後、妻はNHKBSで「BS新日本の歌」を聴いている。妻は歌謡曲やJポップスが好み。
先日それを聴きながら「カラオケはいつになったらいけるんだろう?」と云い、「ワクチンを打ち終えたらいけるのかしら」と・・・。
だけどワクチンを打ったからといって安心というわけでもないが、国民のほとんどがワクチン接種を終えると大丈夫かもしれないと答えた。
そう、カラオケには2年近く行っていない。夫婦だけで行くこともあったが、太鼓チームの新年会、慰労会などの二次会でカラオケに行っていた。
カラオケと云えば30歳の頃、カラオケが流行り始めたころだったがナショナルで発売したホームカラオケデッキ8トラックを購入した。凝り性の自分、8トラテープを買い込んで我が家でクレージーに練習しまくった。
気が付けば8トラとカセットテープを合わせて200巻を超えていた。お陰で100曲は楽に歌えるようになっていた。
もともと歌は得意だった。大学時代、そのころブームだった「グリークラブ」に所属し4年間頑張ったし、下宿の近所の知り合いに頼まれて町の教会の聖歌隊で指揮もとっていた。
グリークラブ1年生の頃は発声練習ばかりで、「面白くない」と辞めていく者も多かったが、何事も基本を重要視する自分は発声こそ大切と続けた。担当はベースだったので胸に響かせる発声法だった。熱心が認められて1年生の秋にはレギュラー入りを許され合宿にも連れていかれた。黒人霊歌やロシア民謡、組曲、宗教曲ミサ、日本の唱歌、民謡等幅広かった。
晴れ舞台といえば定期演奏会や各地方への演奏旅行の他に、運よくダークダックスと梓みちよが出演しているTBSの歌番組にグリークラブとして出演したことがある。
卒業して金融機関に入社、事務職を経験したのち支店勤務となり転勤転勤で全国を回っているうちに、営業職の辞令が発せられ、客との付き合いや接待、そして接待を受ける立場となるなど社交が主な仕事となったため、スナック、クラブなどへも行く機会が多く、もてなしのカラオケも仕事の一つとなっていた。
だが酒が飲めない体質だったので苦労したが多忙な日々だった。
カラオケも上達しクラブやスナックなどでもモテモテ(これ自惚れ)だった、しかし凝り性は引き潮のごとく冷めた。
プッツンと歌わなくなり、最後に覚えたのが都はるみの「千年の古都」だった。朗々とした歌い方が自分に合っていた。
・・・それから歌を忘れたカナリアとなった。
年に1回か2回妻とカラオケハウスへ。そして太鼓チームの懇親会。
コロナの影響もあり2年も行かないと声が出なくなっているだろう。歌えるだろうが高い音、低い音が出にくくなっていると思うし声も響かず、説得力のある歌唱ができないかもしれず自分で納得する歌い方が出来ないだろう。
しかし、妻がカラオケに行きたがっているのでコロナが収束したあかつきには行ってみようかな・・・。
